あなたしかいない 02

 バンコクへ行くのは平日に予定している。

 土日だとフライトも混み合うし、そうなると城崎柊真だとバレそうで、あえて平日にした。

 そして、今日は日本最後の日。仕事は昨日のCM撮影が最後だったから、今日はオフだ。

 夜はしばらく会えなくなるからと、俳優仲間と食事の約束をしている。その前に、ファンレターが届いているだろうから事務所へと行った。


「浅川さん、おはようございます」
「あぁ。柊真くんおはよう。ファンレター、またいっぱい届いてるよ」
「ありがとうございます」
「それより、しばらく海外へ行くんだって?」
「あ、はい。だからしばらく受け取りに来れなくて」
「まぁ、戻ったときにでも取りに来て」
「はい。そのときにはお土産持ってきます」
「うぉー。ありがとう。でも、いいなぁ海外。最近行く暇がなくてさ」

 仕事が忙しい、という浅川さんの愚痴を聞いていた。

 確かに、事務室に来ると、いつも電話が鳴っているような感じだし、ざわざわしている。それは仕事が忙しいだろうことは推察できる。


「俺もなかなか海外行く暇なくて、仕事以外で行くのは実は初めてだったりします」
「あー。柊真くんじゃ、俺なんかと比べ物にならないくらい忙しいもんな。じゃあ、ゆっくりしてきなよ。でも、お土産は忘れないでね」
「忘れませんよ」

 浅川さんはいつも話していて楽しい。


「じゃあ、行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい。気をつけてね」
「はい」

 そうして、浅川さんからファンレターを受け取り、エレベーターへと行く途中の給湯室で話し声が聞こえた。


「壱岐さん、結婚近いみたいね。さっき廊下で話してるの聞こえちゃった」
「えー。いいなぁ。美人なんだろうね、きっと」
「わかんないけど。でも、結婚近いなら独身の壱岐さんの見納めか」
「結婚したってしなくたって眺めてるだけだけどね」
「でも、相手の人羨ましいー」

 どうもこの給湯室はおしゃべりの場になっているらしく、来るたびに色々な情報が耳に入ってくる。もっとも最近は颯矢さんのことばかりだけど。

 そっか。結婚近いのか。そうだよな。颯矢さんが入院中は結構、お見舞いに行ってたみたいだし。記憶が戻ったことも看護師さんから聞くくらい行っていたっていうことだ。結婚間近なのは間違いないだろう。

 俺がバンコクへ行っている間に結婚しているだろう。普通、マネージャーが結婚するときはタレントも参列するけれど、俺はそういう話は聞いていない。

 そっか、結婚式には来るなっていうことか。

 やっぱり帰国後のマネージャーは氏原さんに変えて貰うことにしたのは正解だったな。そんなに颯矢さんに嫌われてたとは思わなかった。

 昨日の颯矢さんを見ているとそんなふうには思えなかったけど、取り繕っていたっていうことなんだろう。どうでもいい。もう俺には関係のないことだ。そう思ってエレベーターに乗った。

 ファンレターは結構な量があったし、時間はあったから一度家へ戻る。頭の中は先ほど給湯室前で聞いたことでいっぱいだ。

 俺がバンコクへ行くのは2年間。きっとその間に颯矢さんは結婚するんだろう。完全に人のものになってしまうんだな、と思うと悲しくて涙が出た。

 ずっと好きだった。何度も告白した。一度もまともに聞いてくれたことなかったけど。それでもずっと好きだった。でも、もうその気持ともさよならだ。颯矢さんへの気持ちと決別するためにバンコクへ行くのだから。

 さよなら颯矢さん。幸せになってね。

 とうとうバンコクへ行く日が来た。どきどきしながら、フライトの約2時間前に空港へ来た。

 チェックインをオンラインでしていなかったので、自動チェックイン機でチェックインするために並んでいた。すると、誰かに腕を掴まれた。誰だろう、と思って振り返ると、そこには怖い顔をして、息を切らせている颯矢さんがいた。

  なんで? なんで颯矢さんがここにいるの?


「ちょっと来い」

 そう言って腕を引かれるので一度列から離脱し、近くの椅子に座る。


「なに? 俺、チェックインしなきゃいけないんだけど」
「そんなにバンコクへ行きたいのか」
「行きたいよ。それが悪い?」
「そんなにあの男のところへ行きたいのか?」

 は? あの男? あの男って誰? バンコクで知り合いなんて小田島さんしかいないけど。颯矢さんが知っているはずがない。


「撮影でバンコクへ行ったとき、一緒にいたよな」

 あの撮影のときバンコクで一緒にいた人? それは小田島さんしかいない。なんで颯矢さんが小田島さんのことを知っているんだろう。バンコクで小田島さんと会ったのは、一緒に食事をした一度きりだ。もしかして、そのとき颯矢さんは見ていたというのか。


「ショッピングモールで一緒にいたところを見た。柊真はバンコクに知り合いなんていなかっただろう。あの男とはどうやって知り合ったんだ? そういった店か?」

 なに言ってるんだ? バンコクでそんな店に行ったと思ってるの? そう思われてることに腹がたった。


「小田島さんはスリにあいそうになったときに助けてくれたんだよ! そんな店なんかに行くはずないだろ! いくら颯矢さんでも俺怒るよ」
「でも、今回行くのはあの男だからだろう」

 は? あの男だから行くってどういう意味? 確かに小田島さんには世話になることは決定しているし、そう伝えてもいる。

 だけど、バンコクへ行く理由にはなっていない。颯矢さんはなにを勘違いしているんだろう。


「なにか勘違いしてない? 確かにバンコクではお世話になるけど、でもバンコクへ行く理由なんかにはなってない」
「あの男が好きだから行くんだろう。仕事も辞めて」

 は? 俺が小田島さんのことを好きでバンコクへ行くって思ってるのか。しかも仕事を辞めて?


「お前、俺には旅行だって言ってたよな。でも、それは嘘だよな。芸能界を引退してまであの男のところへ行くんだろう」

 旅行で間違いないと思う。ちょっと長いけど、日本には帰国するんだから。ただ、それと小田島さんは関係ない。


「そんなことするくらいにあの男のことが好きか? あんな男に柊真を渡してたまるか!」
「なにをどう勘違いしているのかわからないけど、俺、小田島さんのことは別に好きじゃない。いい人だとは思うけどそれだけだ。それに! もし小田島さんのことを好きだとしても颯矢さんには関係ない! あと、引退じゃない! 休暇だよ!」

 そうだ。俺が誰を好きだろうと関係ない。颯矢さんは別に俺の恋人でもないし、それよりも香織さんと結婚するんだから。そんな人に誰のことを好きだろうと、とやかく言われる筋合いはない。

 それに引退だなんて誰に聞いたんだ。


「関係あるさ。好きなやつが、他の男のところへ行くのを誰が指をくわえて見ていると思う? 少なくとも俺はできない。それに、お前は俺のことが好きだったんじゃないのか? でも、今は俺なんかよりあの男の方が好きということか」

 え? ちょっと待って。今、好きなやつって言った? 誰が誰のことを好きだって? 颯矢さんは香織さんのことが好きなんでしょう? だから結婚するんでしょう? そうしたら、俺が誰を好きだって関係ないんじゃないか?


「颯矢さんが好きなのは香織さんだろ」
「俺が好きなのは柊真だ」
「バカなこと言わないでよ。颯矢さん、結婚するんでしょう、香織さんと」
「結婚はしない。柊真を失ってまで結婚したくはない」
「勝手だよ、そんなの。俺のことも香織さんのこともバカにしてる!」

 そうだ。勝手だ。俺の告白は散々かわして、香織さんとお見合いをして結婚を視野に入れて付き合ってる。そんな人が、俺を誰にも渡したくないから結婚しないって。俺のことも香織さんのこともバカにしてるにもほどがある。


「確かに香織さんには申し訳ない。柊真のことが好きなのに、結婚を前提に付き合っていたのは事実だ。でも、柊真に手を出すことはできないと思っていた。柊真を諦める為だったんだ」

 俺には手を出せない? なんで? 俺がタレントだから?


「いくら好きだからって、マネージャーがタレントに手を出していいはずがないだろう。だからずっと我慢していた。俺がいつ手を出すかわからないから結婚しようと思った。実際、香織さんはいい人だから、結婚するならいいと思ったんだ。でも、それも柊真がタレントとして日本にいることが前提だ。柊真を誰かに渡してまで結婚しようとは思わない」
「自分勝手だよ。香織さんに申し訳ないって思わないの?」
「自分勝手なこと言ってるのはわかってるし、申し訳ないと思う。それに関してはいくらでも謝罪する。でも、柊真は誰にも渡さない。柊真が好きだったんだ。ずっと」

 言っていることはめちゃくちゃだ。でも、好きだって言われて嬉しい。香織さんには申し訳ないけど、颯矢さんのことはずっとずっと好きだったんだ。そんな人から好きだと言われて嬉しくないはずがない。


「でも、香織さんと結婚するの決まってるんでしょう。今さら反故にはできないでしょ」
「いや、まだ結婚は決まっていない。付き合っているだけだ」
「でも、決まってるようなニュアンスの話聞いたけど」
「誰がそんなことを言った?」
「誰って、知らないけど、事務所の給湯室から聞こえてきた」

 そう言うと颯矢さんの顔は余計に怖いものになった。


「まったく。誰がそんなことを言ってるんだか。とにかく俺は結婚しない。決まってもいない。だから、柊真は誰にも渡さない」

 ほんとに勝手なことを言ってる。でも、それでも嬉しいってダメかな? 無理だと思ってたんだ。告白さえきちんと受け取って貰えないから。だから颯矢さんはノンケだと思ってた。

 でも、そんな颯矢さんが俺のことを好きだと言ってくれて、誰にも渡さないと言ってくれるなんて夢みたいだ。


「だから、バンコクへは行くな!」

 そう言って颯矢さんは俺を抱きしめた。颯矢さんの匂いと体温が心地良くて、俺は涙が出てきた。


「ほんと、自分勝手。でも……でも、そんな人でも好きだよ」
「あの男が好きなんじゃないのか?」
「小田島さん? 好きじゃないよ。言ったじゃん、知人だって」
「でも、好きだから追いかけて行くんじゃないのか?」

 なんかほんとに壮大な誤解をされている気がする。颯矢さんの中では、俺は小田島さんのことが好きで、それで芸能界を辞めてまで追いかけて行くとなっているのか。


「そんなんじゃないよ。タイ語がわからないし、タイのことよく知らないからお世話にはなるけど、それ以上でもそれ以下でもない。ただの知人だよ」
「そうか。良かった」
「俺が引退してタイに行くなんて誰に聞いたの?」
「社長だ」
「引退はダメな代わりに長期休暇を提案してきたのは社長だよ」
「ハメられたな」
「じゃあ、なかったことにする? そしたら俺は予定通りバンコクに行くけど。で、颯矢さんのことは忘れる」
「忘れられちゃ困るからな。行かせないよ」

 そう言って颯矢さんは俺を抱きしめる腕をほんの少し緩めた。


「俺と一緒にいてくれるか?」
「うん……うん。一緒にいる。颯矢さんがいい」
「ありがとう」

 そこで颯矢さんは俺を抱きしめる腕を離し、俺の顔を見る。


「すごい顔してるぞ、お前」
「だって……だって、颯矢さんが泣かせるんだもん」
「お前だって俺を泣かせたけどな」

 俺が颯矢さんを泣かせた? そんなことしてないのに。


「お前があの男のところへ行くと思ったときの俺の気持ち、わからないだろう」
「そんなの颯矢さんが勝手に誤解しただけじゃん」
「そうだな」
「で、香織さんはどうするの?」
「結婚はできないし、別れてくださいって謝るさ。お前に手を出せないからって付き合った俺が悪いんだ。許してくれるまで謝るよ」 

 そう言って颯矢さんは優しい笑顔を向けてくれた。今まで見たことのない、明るくて優しい笑顔だった。


「さぁ、帰るぞ」
「ねぇ、1週間でいいから行っちゃダメ? 」
「安心しろ。仕事ならすぐに予定いれてやるよ」
「やり手だね」
「柊真は人気あるからな。だから休みは返上だ。ぐだぐだ言ってないで帰るぞ」

 身勝手な、それでも愛しい男はそう言って俺の手を引いて歩き出した。


END

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