結婚 01

 それからは、アルコールが入るとキスをすることも増えた。

 悠はそれに対して嫌がることもないし、なにか言うこともない。

 それは俺とキスをすることが嫌ではないということだろう。

 だけど悠からキスをしてくれることはない。

 それがほんの少し悲しいけれど、付き合ってもいないのだから逃げられないだけマシなのかもしれない。

 それは悠も俺に対して少しはキスしたいと思ってくれているのだろうか。

 元々俺の外見は好みだと言ってくれるし、俺がゲイだったらと言っているのはあながち嘘ではないのだろう。

 でもそんな悠に対して、付き合ってもいないのにキスをするのはずるいのではないかという思いがなくもない。

 けれど、どうしても性別の壁は俺には高いのだ。

 今まで異性愛者として生きてきたし、これからもそうだろうと思う。

 別にゲイを差別することはない。だから悠からゲイだと聞いたときも態度は変えなかった。

 でも、それと自分が同性愛者として生きていくのは違うと思う。

 悠が俺にゲイであることを告げたとき、差別されるかと思ったとホッとした様子で言っていたのは覚えている。

 それはつまりゲイであることを告げて、それで友人関係が途切れてしまうことがあったのだろう。

 確かにそうだろうと思う。

 昔よりもゲイフレンドリーになったとはいえ、それでもまだまだ差別する人が多いのが現状だ。

 そんな中でゲイとして生きていく覚悟は俺にはできない。

 これが恋愛対象が完全に男なのなら話は別だが、俺の恋愛対象は女だ。

 それは悠のことを可愛いと思っても、恋愛対象が変わったわけではなく悠が特別なだけだ。

 だからゲイとして生きていく覚悟はできないのだ。

 いや、そもそもゲイではないのだから。


「ちょっと〜なに考えてるの? 私とデートしてるってわかってる?」

 唯奈の言葉で我に返る。そうだ。唯奈とデートの最中だった。

 唯奈は向かいの席でむくれた顔をして俺のことを見ている。

 映画を観終わってカフェで話している最中に彼氏が上の空じゃ怒るのも無理はないだろう。


「ごめん。ちょっと仕事のこと考えてた」
「ほんと? 最近金曜の夜は呑みに行くって言って会えないし。他に女がいるんじゃないでしょうね」
「いないよ。呑みに行くのは友達と」

 友達。

 自分で発したその言葉に悲しくなる。

 そうだ。悠とは付き合っていない。友人であることに間違いはない。


「ほんと? 浮気したら許さないんだから」
「浮気なんてしてないよ」
「ねぇ。そしたらそろそろ結婚したっていいんじゃない?」

 唯奈は、友人の結婚式に出席してからことあるごとに結婚を口にするようになった。

 それに対して俺は首を縦には振れないでいた。

 それどころか、結婚という言葉を聞く度に悠のことが頭に浮かぶ。

 さっきも「結婚」という単語で悠のことを考えてしまったのだ。

 悠が女だったらどうだろう。

 結婚しよう、と言われたら即答しているだろう。いや、自分からプロポーズしているだろう。

 だけど残念ながら悠は男だ。結婚することはできない。


「まだ結婚は早いだろ」
「早いって言うけど、友達は同じ歳だけど結婚したのよ?」
「俺はまだ20代だよ」
「28でしょ。もう結婚している人いるじゃない」
「付き合ってまだ2年だし、まだ早いと思う」
「じゃあ何年付き合ったらいいのよ。のらりくらり逃げてるだけじゃない」

 逃げてるだけ、か。

 確かにそうかもしれない。

 だけど、唯奈と結婚したいという何かが俺の中にはなかった。

 それどころか、結婚という単語で悠のことを考えてしまう始末だ。

 これじゃあダメだよな。

 では、悠と出会っていなければ唯奈の言葉に首を縦に振っていたかと考える。

 恐らく振っていた。

 でも、いくら悠のことを特別だと思っていたって友人でしかない。将来結婚できるわけではないんだ。

 そう考えると28歳というのは確かに結婚してもおかしくはない。

 だけど、どうしても踏み切れない。


「唯奈が嫌なわけじゃないんだよ。でも、今お前焦ってるだろ。結婚って焦ってするものじゃないんじゃないか?」
「確かにそうだけど……」
「少し考えさせてよ」
「いいけど……」

 唯奈はまだむくれているけれど、一応納得はしてくれたようだった。

 少し考えたら唯奈と結婚しようと思えるのだろうか。

 俺の中で悠が特別でいる限り無理なんじゃないか。

 そう思うけれど、唯奈のことと悠のことをわけて考えられないうちは結婚はできないような気がした。

 いや、わけて考えられる日が来るのかはわからないけれど。

 でも、少なくとも今はまだ無理だ。今はまだ……。

◇◇◇◇◇◇◇

「彼女のこと好きなんでしょ?」

 金曜の夜の俺の家での宅呑み。

 その最中に、彼女に結婚をせっつかれていると立樹が言う。

 立樹いわく、結婚式に出席してからことあるごとに「結婚」という単語が出てくるようになったとか。

 まぁそうだろうな。

 ゲイの俺でさえ結婚式に出席すると、結婚っていいなと思うんだから付き合っている彼氏がいたら、ついせっついてしまうこともあるんじゃないかと思う。

 それが今の立樹の彼女なわけで。それは仕方ないんじゃないかと思う。

 それよりも立樹が彼女のことをどう思っているかと、結婚に対する覚悟みたいなものができているかのよるんじゃないかと思っている。


「嫌いじゃないよ。それは確か」
「嫌いじゃないって。それって好きとは違うじゃん」
「そうなんだよな。でも、最近はわからない」
「どうして? 結婚って言われすぎたから?」
「んー。そうなのかな? でも、その前からな気もするし」
「誠実に付き合ってるんじゃなかったの」
「そうなんだよな」

 彼女と誠実に付き合っていると言っていたのに、なにがあったんだろう。他に好きな|女性《ひと》ができたとか?

 でも、立樹からそんな話は聞いたことがない。


「他に好きな人でもできたとか?」
「好きな人?」
「そう」
「好きな人か」

 そう言って立樹はビール片手に考え込む。考え込むっていうことは他に好きな人がいるっていうことなのか。

 そう考えるとちょっと胸が痛い。

 胸が痛いもなにも今の彼女のことを好きでもそれ以外の人のことが好きでも、俺じゃないのは同じなんだから胸が痛くなるのはおかしいだろうと思う。

 それとも最近アルコールが入るとキスをすることがあるから、それで少し期待を持ってしまっているのだろうか。

 立樹がどうして俺にキスをしてくるのかわからない。

 可愛いとは言われている。立樹にとっては男のことを可愛いと思ったのは初めてだと言う。だからキスをしてくるんだと俺は思ってる。

 でもそれは恋愛感情の好きとは違うものだ。

 それを俺は同じものと捉えてしまっているのか?

 それは絶対にない。だって立樹はノンケだ。男が好きなわけじゃない。恋愛対象は女性だ。そして俺の性別は男だ。だから絶対にないんだ。勘違いしちゃダメだ。


「まぁ俺にはわからないけど、二股だけはやめた方がいいよ」
「それは人としてね。大丈夫、二股はしないよ」

 はっきり口にはしないけど、他に好きな人ができたんだろうな。

 でもその人の方にはいかないようだ。

 だけど、好きな人ができたのなら言って欲しい。

 いくらそれが今の彼女じゃないとしても。

 俺はそんなに信用できないのかな。

 共通の知人や友人がいるわけじゃないから、誰かに言うことなんてないのに。

 でも立樹は言ってくれない。

 そのことが、立樹に他に好きな人ができたことよりも辛い。


「二股かけないなら今の彼女と別れるのか」
「別れないよ」
「だって好きな人……」
「……」

 俺には言いたくないのか、それとも好きになってはいけない人なのか。

 なんであれ立樹はそれをなかったことにしようとしている。

 だから俺には言わないのかもしれない。

 だとしたら俺は無理には訊かない。

 でも……。


「話せるときがきたら聞くよ」
「うん。ごめんな」
「いいよ」

 友人だからってなんでも話せるわけじゃないと思い直した。

 それに表情を見ていると立樹自身も戸惑っている気がした。

 まさか好きになるわけがない人を好きになったとか?

 それだとしたら立樹の態度も納得できる。

 でも好きになって戸惑う人ってどんな人なんだろう。

 いや、どんな人でも立樹に好きになって貰えるだけ羨ましい。

 俺には一ミリも可能性がないのだから。

 そう考えるとやるせなくて、更にビール缶を開ける。

 やっぱりノンケを好きになるのは辛いな。

 はなから対象外なんだから。

 週末だし、明日あきママのところに呑みに行こうかな。

 ママに話を聞いて欲しい。ばっさり切られるだけだろうけど。

 でもこの寂しさを話せるのは他にいない。


「しんみりするのやめよう! お酒が美味しくなくなる」
「そうだな」
「悠、まだ残ってる?」
「残ってるよ。開けたばっか」
「まだビールあるよな?」
「あるよ。立樹があまり呑んでないからね」
「そっか。じゃあ呑もう。気分切り替えて呑むか」
「うん。今はとにかく呑もう。せっかくの華金だよ」
「ほんとだな」

 そう言うと立樹は冷蔵庫から新しいビールを持ってきて開けた。

◇◇◇◇◇◇◇

 悠に唯奈との結婚を迷っている話をしてから1ヶ月。

 唯奈は相変わらず結婚したいと言っている。

 もう結婚式に出席してから2ヶ月は経つから現実に戻っていると思っていたけれど、それはなかった。

 25歳じゃまだ結婚に早いだろうと言っているけれど、友達は同じ歳で結婚しているの一点張りだ。

 そして方や俺は28歳。確かにそろそろ結婚という話がチラついてくる歳だ。

 多分それもあって唯奈は言っているんだろう。

 確かに適齢期の男女で、しかも付き合っている。

 そしたらそのままゴールインするというのは自然なのだろうか。

 でも俺の中で悠が特別なのは今も変わらない。

 もしかしたらこれはずっとなのかもしれない。

 最初は悠に恋人ができたら変わるんじゃないかと思っていたけれど、今では悠に恋人が出来ても俺の気持ちは変わらないんじゃないかと思っている。

 悠が恋人なら……。

 何度それを考えただろう。

 でも、その度に考えるのは、果たして悠に対するこの気持ちは恋愛感情なんだろうか、ということだ。

 特別だとは思っている。だけど恋愛感情なのかはわからない。

 わからない? ほんとに? 認めたくないだけではないのか?

 でも、この気持ちが何なのかはっきりしたところでなにが変わるというのか。

 悠の性別も俺の性別も変わらない。

 悠も俺も男なのだ。

 男同士で恋愛をするのは俺にとってハードルが高いことに変わりはない。

 それなら、唯奈と結婚してもいいのかもしれない。

 少しわがままなところはあるけれど、可愛いところはある。

 悠を抜かせば唯奈が一番だ。それならいいのかもしれない。


「今、料理教室通おうと思ってるんだ」

 唯奈はパスタをくるくると巻きながら言った。


「料理教室? なんで。料理できるだろ」
「でももっとレパートリー広げたいし。なんでも作れたらいいじゃない? そしたら立樹にもっと色々作ってあげられるもん」

 あぁ、結婚してってことか。


「立樹、普段はコンビニのお弁当でしょ。だから結婚したら栄養のバランス考えて色々作ってあげたいの。まだ結婚にイエスの返事貰えてないけど」
「まだ俺と結婚したい?」
「それはそうよ。だって立樹のこと好きだもの」

 好き、か。

 俺の唯奈に対する気持ちは愛なのだろうか?

 悠と出会ってからわからなくなってしまった。

 でも嫌いなわけじゃない。


「それなら、いいよ」
「え?」

 びっくりしてパスタを巻く手が止まっている。

 そんなにびっくり……するか。

 散々逃げてたからな。


「え、じゃなくて。結婚したいんだろう。そしたらいいよって」
「結婚してくれるの?」
「うん。結婚しよう」
「立樹……いい奥さんになるからね」
「今のままでいいよ。十分」

 そう。今の唯奈のままで十分だ。


「今度指輪買ってあげるよ」
「可愛いのがいい! 好きなブランドのがあるの」
「あまりに高いのは無理だからな」
「大丈夫だと思う。一流ブランドとかじゃないから」
「じゃあ今度連れていって」
「うんっ!」

 そういう唯奈の顔はとても明るい。

 ああ、悩ませていたんだな、と思う。

 悠への気持ちがなんであれ、どうこうできないのなら、これが正解なはずだと自分に言い聞かせた。

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