EHEU ANELA

香戀歌〜千年の時を越えて〜

夢の男 02

「旅行楽しみだな」
「元伊勢だなんて、なかなか珍しいんじゃないか。普通、伊勢って言ったら伊勢神宮の方行くんじゃん?」
「文学部なめんなよ!」

兼親の言葉に真夏は思わず笑ってしまった。兼親と真夏は幼馴染みで、同じ大学で、しかも同じ文学部だ。

そして夏休みの話しをしていて、どこか旅行に行かないかという話しから、元伊勢に行くことに決まったのだ。


「まぁ、でもさ。伊勢に行くならまずは元伊勢に行くべきだと思うんだよな。だから夏休みが元伊勢だから、伊勢は冬休みだな」
「そうだね。だとしたらバイト頑張らないと」
「それな。まぁ夏休みも結構バイト入れてるから大丈夫じゃね?」

そんな楽しい旅行の話しをしていても、大学3年生にもなると大学生活もそろそろ忙しくなる。

 
「あーぁ。旅行終わってもずっと夏休みならいいのに。就活しなきゃだしさ。真夏はどうするか決まったのか?」

そう言いながら、兼親はストローをくわえて訊いてきた。

真夏は俯いたまま、グラスの結露を指でなぞる。


「ううん。っていうか、考えてると頭の奥がぼんやりしてくるんだよ」
「また夢の話し?」
「うん……多分そうかな」

いつからなんだろう。

自分が何かを探していると感じるようになったのは。

物心ついた時にはもう探していたけれど。

でも、ただの夢じゃない。もっと深く、もっと根っこにある。そんな感覚だった。


「子供の頃から見てたって言ってたよな、夢」
「そう。物心ついたときには、もう、誰かを探してた。まだ言葉だって流暢じゃないのに、頭の奥で必死に思い出さなきゃって思ってた」
「2歳とか3歳で?」
「うん。でも、それって普通では何も覚えてない歳だよね」

兼親は黙って真夏の顔を見ている。

 
「俺さ、多分だけど、空っぽなんだと思う」
「は?」
「いや、ごめん。変なこと言った。でもさ、どこかにぽっかり穴が開いている感じがするんだ。前からずっと。ずっと何かを待ってて、ずっと何かが足りない気がして……」
「何が足りない?」
「それがわかればいいんだけどね……」

真夏はふと空を見上げた。駅前のここは車も人も多い。だから、テラス席のここでは車の音も人の話し声も煩いはずなのに、その響きさえもどこか現実味がなかった。


「この世界が夢みたいに感じることってない?」
「お前……夏バテ?」

冗談めかして笑う兼親に、真夏も微かに笑い返す。でも、心の奥の隙間はやっぱり埋まらない。

昔からこうだった。目の前に誰かがいても、どこかに”本当に待っている誰か”がいるような気がしてならなかった。


「なあ、兼親。もしさ、もし前世があったとして、俺が誰かと大事な約束をしてたとしたらどう思う?」
「また突拍子もないな。でも、もし真夏がそう思うなら、信じるかもな」
「……ありがとう」

ありがとうと言いながら、真夏の瞳には少しの迷いがあった。

兼親の優しさに安心している。信頼している。それでも、それでは満たされない何かが、確かに胸の内に存在していた。

その”何か”が夢の中にいる”誰か”と繋がっているのではないかと、真夏は思っていた。



 

そうやって天橋立、元伊勢、大江山への旅行のプランを兼親と立て、旅行へ行くのは来週だ。

兼親とはよく一緒に旅行に行くけれど、毎回本当に楽しいから、今回の元伊勢への旅行も楽しくなるのに決まってる。

そう考えていると、早朝に起きたために眠気が来た。


「さすがに眠いな。今日は早く寝るか」

大きなあくびをしながら部屋のあかりを消してベッドに入った。

そして目を閉じた真夏の意識は、まるで深い水の底にゆっくり沈んでいくように、穏やかに眠りの世界へと落ちていった。


風が吹いていた。冷たい山の夜の風。

暗闇の中に、白く細い三日月が浮かんでいる。

木々がざわめき、足元には苔むした石がいくつか並んでいる。真夏はそこにただ、立ち尽くしていた。

 
(ああ、まただ。)

夢の中にいるとわかっているのに、それが夢だと気づくことができない。まるでそれは夢ではなく、現実だとでもいうかのように。

そんな夢の中は懐かしくて、同時に悲しかった。


「……」

声に出して名前を言ったはずなのに声にならなかった。その前に、その名前は誰の名前なのかわからない。けれど、この世界同様、懐かしくて、どこか悲しさを感じる名前だったはずだ。だけど、何ていう名前なのかはわからない。

どこか遠くから笛の音が聞こえてきた。なんていう笛だろう。音楽になんて詳しくなんてない真夏には、その笛がなんという笛なのかわかるはずはないのに、夢の中の真夏にはわかっているようだ。


(龍笛。)

それはどこかで何度も聞いたことのある音だった。

切なくて、風に溶けて行くような音色。

澄んだ音が空を渡り、真夏の胸を震わせる。


「……どこ?」

笛の音に導かれるように、真夏は歩きだしていた。

深い山の中。木々の隙間からさし込む月明かりを頼りに足を進めていく。

そして、見えた。

焚かれた篝火の向こうに誰かが立っていた。

白い衣をまとい、銀の長い髪を風に揺らしながら静かに龍笛を奏でている。

その姿を見た瞬間、真夏の心が強く揺すぶられた。

懐かしい。

恋しい。

どうして? どうしてこんなにも……。


「会いたい……会いたい……会いたい……」

気づけば涙が頬を伝っていた。

言葉にならない思いが胸の中で暴れていた。

誰かを必死に魂の奥底で求めていた。

笛の音が止む。

笛を吹いていた人がこちらに顔を向ける。けれど、その顔は逆光に隠れて見えない。

それでもわかる。間違いない。ずっと夢に見てきた”あの人”だ。


「名前を、教えて……」

そう声にならない声で願うけれど、相手には届いたのか届かないのか。”その人”は黙ったままこちらを見ている。

再度、口にしようとした瞬間、世界が白くかき消された。

目が覚めたのだ。

額に汗を浮かべて、真夏は天井を見つめた。

窓の外は既に夜明け前の薄明かりに染まり始めていた。


「また夢だ……」

そう。また”あの人”の夢。そこまでは一緒だった。けれど、今までと少し違っていた。

笛の音。篝火の灯り。月の下にいた”あの人”の気配。それは、夢だと言うには全てがあまりに鮮やかだった。

夢ではなく、”思い出”だったのではないだろうか。そんな思いが胸の奥に静かに灯った。 

来週には大江山へ行く。大江山に何かがあると決まった訳ではない。けれど、子供の頃から”鬼”という単語に反応していた自分。そう考えると、なにかが見つかる。そんな気がしている。

大江山へ行くまで、あと1週間――。