悠が襲われた数日後。俺は中学時代からの友人である蒼汰と呑んでいた。
数日前には送別会と悠が襲われたことで帰宅が遅くなったのに、その数日後にはまた呑みに行って帰りが遅くなるということで唯奈はいい顔をしなかったけど、送別会は仕事の一つということで文句を言うのを我慢しているようだった。
今朝家を出るとき、唯奈の顔は不満がいっぱいだった。でも、今日の呑みは今後の結婚生活に影響してくる。もっとも唯奈はそんなこと知りもしないけど。
仕事を定時を少し超えてあがり、蒼汰との待ち合わせ場所へと急ぐ。
待ち合わせ場所に行くとすでに蒼汰は来ていて、俺を見つけると手を振ってくる。
そうだ。蒼汰と会うのは結婚式のとき以来だけど、式のときは当然ゆっくり話したりなんてしていないから、そうすると2人で会うのはどれくらいぶりだろう。
「立樹とゆっくり会うのなんてどれくらいぶりだろうな」
と俺と同じことを言っていることに思わず笑った。
「なんだよー。なに笑ってるんだよ」
「いや、俺が思ってたことと同じこと言ってるなと思って」
「だってほんとにそうだろうよ」
「まぁな。で、店どこにする?」
「ゆっくり話したいなら個室のある店に行くか」
「そうだな。腹も減ってるし個室のある居酒屋がいいな」
「あ、なら唐揚げの美味い居酒屋あるからそこへ行こうぜ」
そう言って蒼汰お勧めの居酒屋へと行った。
そこは居酒屋と言っても落ち着いていて、大学生とかの若い層は少ないような印象だ。
週半ばということもあって待たされることなく個室へと通される。
席に座るとまずはビールを頼んでから料理を適当に頼んでいく。その中にはもちろん、蒼汰がお勧めだという唐揚げも入っている。
「乾杯!」
「いや、でも立樹が結婚するなんてな。もう俺たちもそんな歳なんだな」
「蒼汰はまだしないのか?付き合って長い彼女いただろ」
「あー。だな。でも長すぎて今さら感がある。よく立樹決心したよな」
「決心したというか唯奈が結婚、結婚煩かったからな」
「あー。彼女側か」
「そ。友だちが結婚したら、それから結婚したいってそればっかりでさ。それで根負けした」
「男の方が慎重になるよな」
ビールを呑みながらそんな話しをする。
中学のときの同窓会なんかへ行くと結婚と騒いでいるのは女の方が多い。
その点男の方は慎重になっている。
確かに28歳にもなると女は焦り始めるのだろう。
「で、2人きりで会いたいなんてどうした? 渡辺なんかも会いたがってるぞ」
「ああ、渡辺か。そうだな。また次回にな」
「なんか深刻な話しか」
「そうだな」
渡辺というのは、中学・高校のときによくつるんでいたうちの1人だ。
そしてこの蒼汰はその中でも一番仲が良くて、親友と言えるスタンスだった。
だから大事なことを話したい今日は蒼汰だけを呼び出した。渡辺なんかはまたそのうち数人で集まればいい。
「それで俺に話しってなによ」
注文した料理もとりあえず揃ったところで本題に入る。
「ん……あのさ、俺、離婚しようと思ってさ」
「は? お前なに言ってんの。まだ結婚して半年だろうが」
「そうだよな。そうなるよな。でも、失いたくない人がいるんだ」
「ならなんでその人と結婚しなかったんだよ」
「相手がさ……男なんだ」
「え?」
相手が男だということに蒼汰は一瞬驚いた顔はしたものの、すぐに元に戻る。
蒼汰は絶対に差別はしない。それを知っていたから俺は相談相手に蒼汰を選んだんだ。
「結婚するときにはもう出会ってたのか?」
「ああ」
「じゃあほんとになんで結婚なんかしたんだよ。相手が男であれ、好きならもっと慎重になれよ」
言われることが最もすぎてなにも言い返せない。
「可愛くてさ、特別だったんだ。だけど、その気持ちを突き詰めてしまって付き合うってことになるのが少し怖かった」
「付き合うことが怖いって、相手がお前のこと好きじゃなきゃそうはならないから安心しろ」
「相手が俺のことを好きだったら?」
「そうなのか?」
「うん。初めの頃から格好良いとかゲイならいいのにって言われてたから」
「そうなのか」
「ああ。相手はゲイでさ、男と付き合うのは当たり前だけど、俺にしたら男と付き合ったことないから飛び込めなくてそれで唯奈と結婚した」
「お前、結構最低な」
最低呼ばわりされてもなにも言い返せない。
「で、それがどうして離婚に繋がるんだ?」
「先日、襲われて首筋切られたんだ。たまたま俺が通りかかったから大事には至らなかったけど、万が一俺が通らなかったらと思うと怖くて」
「そんなことがあったのか。それは確かに怖くなるな」
「だろ? それで気づいたんだ。唯奈を失うよりも怖いって。悠を、あ、悠ってその子の名前な。悠を失うくらいなら男同士で付き合うなんてことは問題じゃないなと思って」
「それで離婚を考えたのか」
「あぁ」
「その気持ちはよくわかるけど、結婚して半年くらいだろ。それで離婚となったら大変だぞ。唯奈ちゃんが素直に応じるとは思えないし」
「わかってる。慰謝料を払うことになるだろうと思うし、唯奈の両親にも頭を下げるつもりだ」
「そこまで考えてるのか。なら後はその悠くん? の気持ち次第だと思うよ」
「そうだな。その襲われた日に気持ちを打ち明けたら、結婚してるんだからそんなこと言ったらいけないって言われたよ」
「まぁ常識だな。だから離婚か。本気で好きなのか?」
「あぁ」
「なら唯奈ちゃんに頭さげて離婚して、再度告白するしかないな」
「それでいいかな?」
「いいもなにもそこまで考えてるなら外野が言うことはなにもないよ。うまく離婚できるといいな。あまり長引かないといいけど」
蒼汰がそう言ってくれて、俺はホッとした。
離婚を切り出してすぐに離婚ができるわけじゃない。
唯奈が頷かなければ離婚は成立しない。
傷つけた以上、慰謝料を払うことは想定済だ。
それでも悠を選びたい。唯奈には申し訳ないけれど。
**********
「改まってどうしたの?」
蒼汰に相談した週の土曜日。唯奈に話しがあると言った。
唯奈は週末なので出かけたかったらしいけれど、俺が真面目な顔で”話しがしたい”というと、コーヒーを淹れてくれて、ソファーに座った。
「あ、友だちと会うって言うのを嫌な顔したっていう話しなら、そんなに頻繁にじゃないのにごめんなさい。私は昼間出かけられるけど、立樹は夜しかないわけだし」
「ああ、その話しじゃないから大丈夫」
離婚を切り出さないといけないのに、どう切り出していいのかわからない。
もう、単刀直入に言うしかないよな。
怒るか泣くかしそうだけど、それは俺の勝手な話しでだから仕方ないよな、と思う。
「あのさ。離婚……して欲しいんだ」
「え?!」
唯奈はなにを言われたのかわからないというふうで言葉を失っていた。
いきなりそんなふうに言われたら当然だろう。
「急になに? 友だちと呑みに行くっていうのを嫌な顔したからじゃなくて? もしそれだとしたら今後気を付けるから。立樹には立樹の時間が必要だものね。それをごめんなさい」
「いや。さっきも言ったけどそんなことじゃないから」
「じゃあなんで? 私に悪いところがあったら言って、直すから」
「唯奈は悪くないよ」
「じゃあ、私以外に好きな人でもできたの?」
まるでその言葉が気持ち悪いとでもいうような顔をして唯奈が言う。
確かにいきなりそんな話しだとしたら、いい気はしないだろう。
「できたと言うか、いた、と言うか」
「なにそれ! 二股かけてたの?」
「それはない。二股はかけてないよ。付き合っていたのは唯奈だけだ」
「でも、気持ちはその人にいってたんでしょう。なら、なんで結婚したのよ!」
当然だけど唯奈は感情的になり、ヒステリックに言い放った。
ほんとに当然だ。俺があのとき、男と付き合うのはハードルが高いなんて思わなければこんなことにならなかったんだ。
「ほんとにごめん。でも、唯奈を好きな気持ちに嘘はないんだ」
「でも、私よりその人の方が好きなんでしょ。こんなに結婚してすぐに離婚したいなんて言うんだもの」
「その人とは結婚できないから」
「結婚できないって不倫? 最低!」
そうか。結婚できない相手っていうと不倫って思うのか、と今さらながらに気づく。
そう思わせておくのもいいのか。それとも相手が男っていうことをはっきり言った方がいいのか迷ったけれど、こうやって逃げてしまうから唯奈と結婚したんだよなと思い、その言葉を否定した。
「不倫じゃなかったらなに? その人に他に彼氏がいたの?」
「いや、それも違う」
「じゃあなんで?」
「相手、男なんだ」
言い切って唯奈の顔を見ると、まるで穢らわしいものでも見るかのような顔で俺を見ていた。
そうだろう。
ずっと付き合っていた彼氏が男が好きだと言うんだから。
「穢らわしい! いつから? まさか最初から隠してたの? ホモだったの?」
「いや、違う。その人と出会うまでは唯奈が一番好きだった。でも、その人に出会って自然に惹かれていったんだ」
「じゃあなんでそのときに言ってくれなかったの? 二股じゃない!」
「唯奈の言う通り、その人のことを好きになった時点で言えば良かったんだと思う。でも、その人と付き合いはしなかったし、付き合う気はなかったから。今も付き合ってはいない」
「その人と付き合ってなくても気持ちの上では二股かけてたのと一緒じゃない」
気持ちの上では二股か。そう言われたらそうだと思う。
「じゃあなに? 改めて付き合うことになったから離婚したいって言うの?」
「いや、その人には先日告白して、結婚してるからってフラレた。それでも黙って唯奈と今後も結婚生活おくるわけにはいかないだろう。それは唯奈に申し訳ないから」
そう言うと唯奈は唇を噛み締めていた。結婚して半年で離婚を言い渡されるなんてそうだろう。
しかも理由が好きな男がいるからなんていう理由だ。
自分でもとんでもないやつだなと思う。
悠にはフラレているんだから、このまま黙って唯奈と結婚生活をおくることもできる。
でも、それはこうやって離婚を口にするよりもズルい酷いやつだと思った。
悠を失う恐怖はそれほど俺には大きなことだった。
「永遠に片想いしてればいいのよ! でも立樹の勝手で離婚するんだから慰謝料は貰うわよ」
「それは当然だよ。唯奈の両親にも頭をさげるよ」
「慰謝料払って、そこまでしても好きなの?」
「ああ。失いたくない。想像するだけで怖いんだ」
「わかった。数日中に出ていくわ。そのときに離婚届も書いて置いておくから」
唯奈は結婚するまで実家暮らしだったから実家に戻るんだろう。
「引っ越し費用は俺が払うよ」
「当たり前でしょう。今夜から寝室は分けましょう。一緒なんて嫌よ」
「わかった」
当然だろう。来週は唯奈の両親に頭をさげに行こうと思った。