EHEU ANELA

遠回りのしあわせ〜You're my only

一番大切な人2

寿退社する人のために送別会の帰りだった。

一件目の居酒屋を出て二次会へ繰り出す人たちを送り出し、俺は帰途についた。

こういったとき二次会へ行くことも結構あるが今回は疲れていて一次会のみの出席にした。

今週は月末ということで質の悪い延滞者の相手をし、移管作業をしていたので疲れてしまっていた。

延滞者も初期のうちはいいけど、時間が経てば質の悪いのだけが残されていく。

払う払うと言って逃げるのはまだかわいい。中には逆ギレしてくるのもいる。

そんなのを相手にしていると、いくら慣れていても疲れてしまう。

みんな元気だよなと思う。なんだか今月はやたらに疲れていた。

というより、正直、結婚してから疲れていると言っても過言ではない。

理由は単純でストレスを上手く発散できてないからだ。

独身の頃は帰りに馴染みのバーに寄って呑んで帰ったり、毎週金曜日は悠と一緒に呑んでいた。そんなことがストレス発散になったけれど、結婚してからは呑んで帰るのを唯奈が嫌がるのでたまにしか外で呑めない。

唯奈曰く、呑みたいのなら自宅で呑めばいいというのだ。

ただお酒を呑むだけならそれでもいいけれど、その場の雰囲気というのがある。家で1人で呑むのにはその場の楽しさがない。

宅呑みで楽しいのは悠と呑むときくらいだ。

でも、お酒をほとんど呑まない唯奈にはそういったことがわからない。だからテレビでも観ながらビールでも呑めば一緒だろうと言う。

あー悠と一緒に呑みたいな。

そう思って歩いていると悠によく似た後ろ姿を見かける。


「ゆ……」

悠、と呼びかけて言葉が止まる。

暗がりから男が出てきたと思うと悠を押さえつけ、持っていたなにかを首筋に当てる。

後ろからだからなにを当てているのか見えているわけじゃない。

でも、いい予感はしない。

恐らく刃物だろう。


「なにやってるんだ!」

俺が大きな声を出すと男は持っていたものを落として走り去った。

急いで悠のもとに駆け寄り落ちていたものを拾うと、予想通り折りたたみナイフだった。


「悠。大丈夫か?」

ナイフを当てられていた首筋を見ると、血が伝っていて俺は青くなった。

もし俺が来なかったら、あのまま悠は首筋を切られていたんだと思うと怖くなった。


「切れてる。悠、病院に行こう」

これは傷害事件だ。病院に行けば警察も動く。でも悠は病院に行くのを拒む。


「いいよ、病院は行かない」
「なんで! 切られてるんだぞ! 傷害罪だ」
「大事にしたくない」
「でも!」
「誰がやったかはわかってるから」
「なら! 病院行けば警察も来る」
「俺が悪いんだからいいんだ」
「悠!」

誰に襲われたのか悠はわかっている。でも、誰が襲ったのかわかっていて警察沙汰にはしたくないようだ。

犯人を庇う悠に苛立ちを覚える。だけど頑として病院に行こうとしない悠に俺は根負けして、そこで待っているように言い、すぐそばのコンビニへと行く。

家に連れて帰りたかったが、早く手当したかったし唯奈がなにを言うかわからないから、ここで手当をしようと思ったのだ。

絆創膏はあるだろうけど、消毒液はあるか不安だった。なければ水で流すしかない。

棚を見ると消毒液もあったので、それと絆創膏を買って悠のもとに戻る。


「公園に行こう」

そう言って近所の公園に連れて行く。病院に行くことは頑として拒否したがそれ以外のことは大人しくいうことを聞く。

街灯の下で傷口を見ると傷は浅いようで少しホッとする。でも、これは傷害事件だ。相手を庇うのが許せなかった。

だって深くナイフが当たっていたら死ぬことだってあるのだ。

悠を失うかもしれなかった恐怖が俺を襲う。

タイミングが悪ければそうなっていたんだ。

悠を失う。

それは想像しただけでおかしくなってしまいそうだ。

そして考える。唯奈を失うのと悠を失うのとどちらが辛いだろうかと。

唯奈を失うとして。もちろん悲しい。でなければ付き合ってなかったし、結婚もしなかった。

だけど、もし悠だとしたら?

それは唯奈を失うよりも悲しいし、怖い。

悠のことを思ってた。でも悠が男であることで付き合うことはしなかったし、唯奈と結婚した。

でももしかして俺は選択を誤ったのかもしれない。

俺が失って一番悲しいのは悠だ。そこには性別は関係なかった。

誰が襲ったのかわかってるという悠に相手が誰なのかを訊くと、1ヶ月付き合った人だと言う。

俺が紹介しろと言った人だ。

別れたと聞いたのは一週間前だった。

なんで別れたのかは聞いていない。恐らく合わないと思ったからだろうと推測はしている。

でも、どんな理由であれフラれた相手を襲うなんておかしい。

それなのに悠は警察には行かないと言っている。

俺としては、庇うなんて言語道断だと思うが、悠にとっては違うらしい。

悠が襲われた恐怖、相手を庇う悠への苛立ち。そんな気持ちで俺の感情はぐちゃぐちゃで、涙が出てくるのを止められなかった。

消毒を終えて絆創膏を貼る。


「立樹……」

泣いているのを見られてしまった。

泣き顔を見られるのは恥ずかしいけど、涙を止めることはできなかった。


「フラれた腹いせに襲うなんてあり得ないんだよ。でも、病院にも警察にも行く気はないんだろ」
「うん。ごめんね泣かせて」
「謝るなら病院にでも行ってくれ」
「それはしない。だってさ、好きになれるかもしれないと思って付き合ったけど、ダメだと思って別れたんだよ。俺が悪いじゃん」
「悠。そんなところで優しさ見せるんじゃないよ」
「かもしれないけど。優しい人だったんだ。ほんとに。だから好きになれたら良かったのに、無理だった。傷つけたのは俺なんだよ」
「ほんとに優しい人間はフラれたからって襲ったりしないよ」

悠が優しいのは知っていた。でも、こんなところで優しさを発揮するのは違うと俺は思う。

でも、病院にも警察にも行かないと言う悠を無理矢理連れて行くことはできない。

だから俺は涙が止まらない。


「悠が……一歩間違えたら悠が死んでいたかもって考えると怖いんだよ。悠を失いたくないんだ」

そう言って俺は悠を抱きしめる。

そうすると温もりを感じる。生きている証だ。この温もりに俺は安心した。


「立樹……」

悠が生きていて安心するけれど、一歩間違えていたらこの温もりを失うところだったんだと思う恐怖は、やはり消えることはなかった。

ずっと可愛いと思っていた。悠が特別だと思っていた。それがなにを指すのかもなんとなくわかっていた。分かっていたけど、それ以上どうすることもしなかった。

考えて認めることが怖かったから。俺も悠も男だから。

ゲイに対して偏見はなかった。それでも男同士で付き合うことは壁が高かった。

だけど悠を失ったかもしれない恐怖を考えたら、そんなことなんてことはなかった。

認めよう。俺は悠が好きだ。だから唯奈に結婚をせっつかれたときその気になれなかったんだ。

悠が女ならって思ったこともある。でも、悠は男だし、男である以上どうしようもないと思っていた。

でも、悠が好きだから失うことが怖かった。だから唯奈を失う恐怖よりも悠を失う恐怖の方が大きかったんだ。


「悠、好きだよ」

悠を失いたくないという感情から、自然と言葉にしていた。


「立樹……」
「ごめん、今さらだよな」
「本気なの?」
「本気だよ。今まで認めるのが怖かったけど、悠を失うことの方が怖かった」
「嬉しいけど、立樹は……」
「わかってる。結婚しててなに言ってるんだって感じだよな。でも、悠が好きだ」
「立樹……。俺も立樹が好きだよ。だから立樹の気持ちはすごく嬉しい。だけど、立樹は結婚してるから。だから俺を好きなんて言っちゃダメだよ。奥さんを好きでいなきゃ」

悠の言葉が辛かった。

確かに結婚してる俺が唯奈よりも悠が好きだなんて言っちゃいけない。唯奈を一番好きでいなきゃいけないんだ。

それは正論だ。

なのに今の俺は悠のことを手放したくないと思っている。

そして悠はそんな俺を窘める。

当たり前だ。悠が俺の気持ちに応えてしまったら不倫になってしまう。

もう少し早く自分の気持ちを認めていたら唯奈と結婚することはなかったのに。そうしたら悠はあんな男に襲われることはなかった。

そう思うと後悔しかなかった。