記憶 01

「俺と社長に話があるってなんだ?」

 ある撮影の終了後。俺は社長と颯矢さんに話があると言って時間を取って貰っていた。


「事務所に行ったら話すから」

 颯矢さんは話の内容が気になるようで、事務所への移動の車の中で話を振ってきた。

 話の内容は、もちろん芸能界を引退すること。

 今のドラマが終われば、後はCMなどで長時間拘束される仕事はなかったはずだ。だから、辞めるにはちょうどいい時期だと俺は思っていた。

 俺と颯矢さんは相変わらずまともに話をしない。というより、俺が話をしない。多分、もうきちんと話をすることはないだろう。あるとしたら、俺の気持ちが整理をついてからだろう。それまでは無理だ。その前に芸能界引退すれば、永遠にないということになる。

 車は渋滞にハマることなくスムーズに事務所に到着した。

 もうすぐ社長や颯矢さんに話すのだ、と思うとちょっと緊張してくる。なんて言われるんだろう。まぁ、なんと言われても気持ちは変わらないけれど。

 6階まであがるエレベーターの中で、俺の心臓はドキンドキンとすごい音を立てて鳴っている。もう後戻りはできないのだ。後戻りする気はないけれど、緊張するのとは別の話だ。

 6階につくと、緊張はさらに高まり、手に汗をかく。

 戸倉さんに挨拶をして社長室に入ると、社長は窓の外を見ていた。

 俺たちが部屋に入ったのに気づくと、笑顔でこちらを向いた。


「お疲れ様。座って」

 と言って、社長はソファーに座った。社長の前に俺が、そして俺の隣に颯矢さんが座る。


「で、柊真が話したいことがあるっていうことだけど、どうしたの?」

 社長は穏やかに話を振ってきた。社長はいつも穏やかだけど、仕事を辞めると言ったらどうなるのだろう。


「あの……」

 緊張で喉がカラカラだ。と、そこで戸倉さんがお茶を持ってきてくれたので、俺は一口口をつける。そして、勢いで口を開いた。


「あの……俺、芸能界を辞めます」
「え?」

 社長は、目を丸くして俺を見て、隣の颯矢さんは眉をしかめて俺を見る。うん、こうなると思ってはいた。

 しばらく社長室は音がしなかった。静寂を破ったのは颯矢さんだった。


「何を考えてるんだ」

 苛つきを隠せない声で言う。


「なにって、どういうこと? 芸能界を辞めるっていうこと? 芸能界を辞めるってそんなに悪いことなの?」
「柊真、ちょっといいかな?」

 一触即発の俺と颯矢さんの間に入ったのは社長だった。


「芸能界を辞めるって、どうしてかな?」

 こんなときでも社長は穏やかだった。いや、そう見せているだけかもしれないけれど、颯矢さんよりは社長との方が話ができそうだと思い、社長に顔を向けた。


「他の世界を見てみたいからです」
「他の世界? 例えば?」
「海外で生活をしたいからです」
「海外?」

 社長と颯矢さんが訝しげに俺を見る。


「はい」
「海外に親戚や友人でもいるのかな?」
「知人がいます。知り合ってそんなにたたないけど」
「知人?」

 今度は社長まで眉間に皺を寄せて俺を見る。もちろん、颯矢さんは眉をしかめたままだ。


「はい。撮影でバンコクに行ったときに知り合いました」
「そんなにポッと出の奴に……」

 颯矢さんは我慢ができなかったのか、声を荒げる。怒られたことはあるけど、こんなふうに声を荒げられたのは初めてだ。それにしてもポッと出の奴にって?


「その人は信頼できる人なのかな?」

 え? 小田島さんが信頼できるかどうか? そんなの考えたことなかった。だって、俺を騙しても小田島さんにはなんのメリットもない。だから考えたことはなかったのだ。だから、即答できなかった。


「柊真はお母さんを亡くしたばかりだよね。そして伯母さんが1人いるだけだ。僕と壱岐くんは親類ではないけれど、柊真を見守る必要があると思っている。もちろん、柊真はもう成人しているから、柊真のすることにとやかく言うつもりはない。それでも、よく知りもしない人については別だ。なにかいいように言われてはいない?」

 なるほど、と思う。母さんを亡くしたから心配してくれているんだ。


「別に騙されたりとかはないです。というより海外で生活をしたい、と言ったのは俺からですから」
「柊真から?」
「はい」
「日本での生活に不満でも? あぁ、こういう仕事をしていると制限はどうしてもあるけれど。それでかな?」
「正直、それもあります。でも、それよりも外の世界を見てみたいんです。俺は大学生のときにこの世界に入ったから、他の世界を知らなくて」
「あぁ、そうだったね。大学生で入ったんだったね、柊真は」
「世の中はそんなに甘くはないぞ」

 それまで眉をしかめたまま、俺を見ていた颯矢さんがやっと口を開いた。


「甘いとは思ってない。でも、海外で生活をするのは、若い今のうちだからできることだと思う。だから」
「考えが甘い」
「甘いかもしれないけど。死ぬときに後悔はひとつでも少ない方がいいから。後悔したくないだけ」

 ひとつ理由を言うけれど、もうひとつの理由は言えないままだ。なんなら、もうひとつの理由の方が大きいけれど。


「お母さんを亡くしたばかりだから、そういうふうに考えることはあるかもしれないね」

 不機嫌を隠そうともしない颯矢さんに比べて社長は穏やかに話続ける。

 きっと心の中では色々思うことはあるんだろうと思う。それでも声を荒らげたりはしない。その辺は社長という立場だからかもしれないけど。

 だから俺は社長と話を進める。判断するのも社長だから。


「母を亡くしたからというのもあるし、他にも色々と……」

 その他がなにとは言えないけれど、母を亡くしたことだけが理由ではない、とはっきりと言う。


「その他って?」

あぁ、やっぱり言われた。そうだよな。


「それは、ちょっと……」
「あぁ、ごめんね。柊真にだって僕たちに言えないことあるよね。ただ、もし話せることなら訊いてもいい?」
「……」

 これだけは言えない。他のことならなんでも言える。でも、芸能界を辞めたい一番の理由だけは言えない。まさか、颯矢さんが結婚するからだなんて……。


「僕には言えないことか。僕が無理でも壱岐くんには言える感じ?」

 颯矢さんに? そんなの社長以上に言えない。いや、言えるのか? 俺が颯矢さんのことを好きなのは颯矢さんは知っているのだから。


「もし、壱岐くんには話せることなら、壱岐くんに話してくれてもいいよ」

 いや、颯矢さんに言ったら社長の耳に入るじゃないか。それを思ったら首を横に振っていた。


「壱岐くんにも話せないか。なら、これ以上は訊かないよ。でも、よく考えたんだね?」

 よく考えた? 確かに急だったかもしれない。でも、他の世界を知りたいというのは以前から思ってはいたことだ。

 それでも、どっちだろう? と思い首を傾げる。


「自分でもよくわからない、って顔をしているね」

 そう言うと社長は笑った。が、隣の颯矢さんは眉をひそめたままで何も言わない。


「すいません」
「まぁ、柊真がなにを思って芸能界引退を口にしたのかはわからないけど、僕としては簡単に頷いてあげることができないんだ」

 だろうな。そう簡単にOKが貰えるとは思っていない。


「城崎柊真っていうのは、きっと柊真が考えている以上に大きな存在なんだよ。柊真は若い子から年配の人にまで受け入れられている。それってなかなかないことなんだよ。だから、そんな柊真が辞めたいと言ったからって、はい、わかりましたって言うわけにはいかないんだよね」

 そう言えば、颯矢さんが前に俺は色んな年代に受け入れられているって言ってたな。今の今まで忘れていたけど。それでも、辞めたい、という気持ちは変わらない。


「柊真。少し俺と話そう」

 黙ったままだった颯矢さんが口を開いた。


「社長、私が話をしてみます」
「うん、そうだね。僕より壱岐くんの方が柊真も話やすいだろうしね。ただ、今の段階では僕はイエスとは言えない」

 まぁ、そうだよな。そう簡単に社長がイエスというはずはない。でも、かと言って颯矢さんと話をするのは嫌だな、と思い小さくため息をつく。


「とりあえず、壱岐くんと話をしてみて。で、僕は壱岐くんから話を聞く。その上でまた話をしよう」
「わかりました」

 社長以上に話をし辛い颯矢さんと話をしなくてはいけなくなった。社長にしてみたら、自分よりも颯矢さんの方が話しやすいだろう、と思ったんだろうけど、全然そんなことないんだけどな。とは言え、仕方がないので頷いた。


「じゃあ壱岐くん、後は頼むね」
「はい」

 そう言って俺と颯矢さんは社長室をあとにした。


「今日はもう誰かと会う予定とかはないな?」
「うん」
「じゃあ食事をしながら話をしよう」

 時計を見ると20時で食事をするのにはいい時間だ。


「なんでもいいか?」
「うん」

 俺がそう返事をすると颯矢さんは電話でどこかへ予約をしていた。


「じゃあ行くか。近いから歩いて行こう」

 事務所から近くて予約をするところと言ったら、イタリアンだろうとあたりをつける。颯矢さんと話をするのに何度か行ったことがある。

 こじんまりとしたお店だけど、個室があり、誰にも聞かれたくない話をするのは最適なお店だった。

 エレベーターで1階まで降り、徒歩でお店まで行こうと外へ出た。

 事務所の数件隣は今ちょうど工事中で、その下を通ったときに上からガラガラと言う音が聞こえた。危ないな。と思った次の瞬間には颯矢さんの危ない!という声が聞こえ、颯矢さんに庇われる。

 その瞬間にガシャンと音を立てて鉄材が落ちてきていて、そして颯矢さんの下から這い出ると、颯矢さんが頭から血を流して倒れていた。


「颯矢さん! 颯矢さん!」

 俺はびっくりして、頭から血を流して倒れている颯矢さんの名前を呼ぶことしかできなかった。

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