何年かぶりにきた動物園はわくわくした。子供の頃は親に連れられてよくきた。デートでは大輝と高校生の頃に来た。この動物園は市が運営していて入場無料だから、お金のない学生のデートにはありがたかった。
「実は僕、ここ初めてなんだよね」
「そうなんですか?」
「うん。出身はここじゃないしね」
「出身違うんですか?」
「違うよ。ここから新幹線で約2時間くらい行ったところ」
優馬さんがこっちの出身じゃないのは知らなかった。東京のベッドタウンのここは、地方出身の人も多い。だから出身がここじゃない人も珍しくない。
「動物園が無料っていいね。僕の実家の方だと広いけど、基本的な動物しかいないのに入園料はかかるんだよ」
「そうなんですね。俺は大きくなるまで動物園は無料だと思ってました」
大きくなってパンダを見に行ったときに有料でびっくりしたくらいだ。だから俺や友達はその入園料をパンダ料って言っていた。いない動物なんてパンダくらいなんだ。だから少し狭くたってここでいい。
「あ、ライオンだ!」
優馬さんと話していた途中だったのに、ライオンが見えたときに柵に近づいた。ライオンや虎と言ったネコ科の動物が好きだ。それにライオンも虎も強い。
「気高いよな〜」
「たてがみが強そうでいいよね」
「ですよね。俺、ライオンとか虎が大好きなんです。もう、ずっとここにいられるくらい」
「そんなに好きなんだ。ネコ科の動物が好きなの?」
「はい。だから猫も好きです」
親に聞くと幼稚園の年少さんくらいまでは怖くて泣いていたけど、それ以降は柵から離れなかったと言う。好きになったきっかけなんて覚えてないし、怖いと思ってたことも記憶にない。俺自身の記憶では小さい頃から好きだったというものだ。
「優馬さんはなんの動物が好きなんですか?」
「ペンギンが好きかな?」
「ペンギンか。可愛いですよね、あの歩き方とか」
「そうそう。陸だとヨチヨチ歩きだけど、水の中だとスイスイ泳ぐんだよね。そのギャップがいい」
「ギャップか」
確かに言われてみればそうだ。歩いている姿と泳いでいる姿は全然違う。
「じゃあここ見たらペンギン見に行きましょう。と言っても狭い動物園だからすぐですけど」
ほんとに狭い動物園だから、ひとつの動物に割り当てられるスペースは狭い。だから他の動物を見に行くって言ったってすぐそこだ。それだけでも距離がないのに、ライオンや虎のエリアからほんの少ししか離れていないのだ。
ライオンの雄の立派なたてがみを見ながら俺はペンギンのスペースのことを思い出していた。確か、虎のスペースを右に行ったところがペンギンだったはずだ。
「その前にライオンと虎を満喫してね」
「はい! もうほんとに可愛い」
「ライオンや虎を可愛いという人と初めて会った」
「そうですか? 確かに強そうだし、実際強いけど、どことなく可愛くありません?」
「う〜ん……強そうで怖いなって思う」
「そっかぁ。この意見があう人って会ったことないのは事実なんですよね。可愛いのになぁ」
ライオンや虎が好きという人は少なくないけれど、可愛いと言う人とは会ったことがない。なんでだろう。
そんな会話をしながら俺はライオンに釘付けで、可愛さを堪能した。よし、次はペンギンだ。
「次はペンギン行きましょう」
「うん」
記憶の通り、ペンギンのスペースはすぐそこだった。
「ペンギンも可愛いですよね」
「そうだね」
そう返事をしながら優馬さんはペンギンに見入っていた。俺もペンギンは好きなので同じようにじっと見る。視線の先でよちよちと歩いている姿はほんとに可愛い。
ふと隣を見ると真剣な顔でペンギンを見ている優馬さんがいる。いつも穏やかな顔を見ているから、そのまなざしは初めて見る。仕事をしてるときもこんな表情してるのかな。動物と仕事じゃ全然違うけれど、そんなことを思った。
見飽きるくらいにペンギンを見た俺たちは他の動物をゆっくりと見て回った。
動物園を満喫した後は、動物園から坂を下ったところにある焼肉店だ。動物園が近すぎて、その近くで食事をすることがなかったので、このお店も存在は知っていたけれど、入るのは初めてだ。
「動物園って久しぶりだけど、大人になっても楽しめるものだね。でも、あんなふうに動物にふれあえるっていいね。ただ、服が……」
そう。動物園には柵越しに動物を見れるのはもちろんだけど、動物に直に触れられる”なかよし広場”と言われるスペースがある。小動物が主だけど、今日は山羊がいた。そして優馬さんは白い上着の裾を山羊にむしゃむしゃとされていた。おかげで優馬さんの服は山羊の唾液がべったりだ。白い上着だったから紙と間違えたのだろうか。笑ったら失礼だと思いながらも、つい笑ってしまった。
「クリーニング行きですね」
「うん。まさかこんな目に遭うとは思わなかったよ。でも、楽しかったね」
「良かったぁ。俺、あの”なかよし広場”結構好きなんですよ。ああいうスペースのある動物園って他にもあるのかな?」
「どうなんだろうね。少なくとも僕の田舎にある動物園にはなかったな。子供がたくさんいたけど、子供にはいいよね」
「だと思います」
俺も子供の頃はなかよし広場でうさぎとかを触っていた。山羊を見た記憶はなかったけど。
「さあ、肉来たよ」
ロース、カルビ、ハラミと注文した肉が運ばれてきた。
「後でタンでも頼もうか」
「はい!」
焼肉なんてめちゃくちゃ久しぶりだ。この間はステーキハウスに行ったけど、ステーキハウスと焼肉だと全然違うし。だからめちゃくちゃテンションがあがっている。
肉はタレ付きはもちろんだけど、俺が塩が好きだから塩も頼んでいる。だからテーブルはお肉でいっぱいだ。
「そう言えば、湊斗くんと結構食事に行ったけど焼肉は初めてだったね」
「そうですね。お肉と言うとこの間のステーキハウスとかハンバーグのお店になってましたね」
「そうだね。焼肉もだけど、韓国料理も食べに行ってない」
「中華は行ってるのに」
「まぁ、中華街があるからね」
そう。韓国料理は食べに行ってないけど、中華料理は飲茶を含めて何回か行っている。
「今度は韓国料理行きましょう」
「そうだね。あ、このカルビ焼けたよ」
そう言って優馬さんは俺の取り皿にお肉を置いてくれた。食事に一緒に行くようになって知ったのは優馬さんは甲斐甲斐しく世話をやいてくれる人だ。本人いわく妹がいて、その妹の世話をしてたからだと言う。でも、俺は弟がいるけど、世話焼きじゃないから性格だと思う。でも、優馬さんのルックスで世話焼きなんてモテ要素が増えているだけだ。だから以前のように優馬さんが好きで俺に嫌がらせしてくるような人が出てくるんだろうな。その後、あんなことはないけれど、優馬さんみたいに完璧な人が俺みたいな平凡な男を好きでいいんだろうか。そんなことを思いながら肉を焼く。やっぱり焼肉は塩が美味しい。
「次のデートはどこに行こうか」
「あ! 飲茶が食べたいです」
俺がそう言うと優馬さんは困った顔をする。
「うん、飲茶行こうね。でも、どこか行きたいところない?」
「あ、そしたら服を買いに行きたいです。コートが欲しくて」
「そしたら、来週は冬物でも見に行こうか」
「はい」
「もう冬か。1年って早いね」
もうすぐ12月。俺の誕生日も近い。ということは優馬さんから告白されてもうすぐ1年だ。1年経ってお試しで付き合うことになった。これまで長かった気がする。優馬さんはよく根気よく待てたなと思う。だって、俺は大輝が好きなのだから。そう、大輝が……。
「そろそろタン頼もうか」
俺が大輝のことを思いだしかけていたところで優馬さんの声が聞こえる。そうだ。今は優馬さんと食事中だし、お試しとはいえ付き合っているんだ。大輝のことは忘れるんだ。俺がそんなことを考えている間に優馬さんはタンを注文してくれた。優馬さんを好きになろう。そう思って優馬さんを見た。
*******
「うん。やっぱり以前より美味しくなったよね」
涼はブラジルを飲みながらそう言った。
「それなら良かった」
「だって、またすごいしごかれたんだろ」
「まぁね。試験があったし」
時間は20時半を過ぎていて、他のお客さんは皆帰っていて、残りは涼だけだ。
「他のお客さんにも美味しくなったって言われない?」
「言われた」
「だろ。ほんと他の店でコーヒー飲めなくなるよ」
「そんなふうに言われたらめちゃくちゃ嬉しい」
味が変わって美味しくなったと言ってくれたのは舞さんだ。舞さんも涼と同じように他で飲めなくなる、と言ってくれた。お客さんにそう言って貰えると頑張って良かったと思える。
涼と話しながら自分用にも淹れた同じブラジルを飲むと、正門さんに覚えておけと言われた味が口に広がる。うん、あの味がきちんと出ている。正門さんにしごかれたおかげで体が時間を覚えたみたいだ。
「で、優馬さんとはどう? お試しで付き合ってるんだろ」
「どうって……いい人だし、一緒にいて楽しいよ」
「手応えある感じか。好きになれそう?」
「どうだろう。そうだといいけど……」
優馬さんは今まで思ってたとおりで優しい。いや、お試しという名がついても付き合い始めてからは余計に優しくなった気がする。そして、涼に言ったとおり優馬さんと一緒にいるのも楽しい。恋人にするのなら最高の人だと思う。でも、俺はそれが恋になるのかはわからない。
「もう大輝のことなんて忘れていいんだからな。あんなやつ」
「あんなやつって……」
「あんなやつでいいんだよ。ドイツで女と腕組んで歩いてたんだろ。最低じゃんか」
最低、か。俺が待っているのを知っていて他の女の人と腕を組んで歩いていたら、最低ってなるよな。
「俺が待っていることを忘れてるんじゃない?」
「湊斗のことを覚えていようと忘れていようと、最低なことに変わりはないよ。高校のときから付き合ってたんだぞ」
俺の存在自体を忘れていたら悲しいなと思う。でも、それって俺がそれだけの存在だったってだけだ。だから俺は大輝を責めることができない。
そう思うと鼻の奥がツンとして泣きそうになって、慌ててコーヒーを飲んで気を紛らわせる。ほのかなコーヒーの香りはするけれど、気持ちが落ち着くまではいかない。気持ちを落ち着けるのにはコーヒーを淹れるのが一番だけど、涼のカップも俺のカップもまだ結構残っているし、この時間でコーヒーのお代わりはさすがにしないから、コーヒーを淹れることはできない。
「俺から見ると優馬さんって押したいんだよな。穏やかだし、イケメンだし。で、優しいんだろ?」
「うん、優しいよ」
「欠点ないじゃん。それで一緒にいて楽しいと思えるなら、きっと好きになれるって。まぁ少しは時間かかるかもしれないけどさ」
欠点……。確かに思いつかない。もう少し一緒にいれば好きになるんだろうか。大輝のことなんて忘れられるんだろうか。まだ大輝のことを考えると泣きそうになるけれど、そんなこともなくなるんだろうか。そうしたらいい。大輝が他の女の人と腕を組んで歩いていた姿なんて思い出したくない。
「次のデートっていつ?」
「来週の火曜日」
「楽しんでこいよ」
「うん」
次はお昼に飲茶をしてから買い物に行く予定だ。そうやって俺の手帳に優馬さんの名前が増えて行く。きっとそうやっていくうちに涼の言うとおり好きになっていくかもしれない。そして大輝のことを思い出しても泣くことはなくなるんだ。そう思った。

※コメントは最大500文字、50回まで送信できます