俺が話し終わると同時に優馬さんは視線を落としてコーヒーカップをソーサーに置いた。
俺の話しを優馬さんがどう受け取ったかはわからない。ただ、寂しいと思いながらも大輝を待ち続けているのをわかって貰えればいい。
涼にも「まだ待っているのか」と訊かれることがあるけど、逆に訊きたい。待たない理由はあるんだろうか。確かに会えない。連絡もない。でも、別れようと言われたわけじゃない。好きじゃないと言われたわけじゃない。ただ何年も会えなくなる、それだけだ。だから待つだけだ。
そう言って笑う優馬さんに俺はなにも言えなくなってしまった。大輝がドイツへ行って約7年。会いたくてドイツへ行こうかと考えたこともある。大輝が今ドイツのどのチームに所属しているかはわからない。でもそれなら全チームの試合を見れば、どこかに必ず大輝はいる。そうまでして大輝の姿を一目見たいと思ったことはあるのだ。でも、行かなかった。ほんの少しでも姿を見てしまったら、会いたくなるから。会って、その腕に抱きしめて欲しくなるから。そして、待てなくなってしまうから。だから行かなかった。涼にはもう待たなくてもいいんじゃないか、と言われたことがある。誰か他の人と付き合ったっていいんじゃないか、と。でも、待つと約束したから。そして好きな人は大輝しかいないから。大輝以上に好きになれる人はいなかったから。だから他の誰かと付き合うなんて考えられなかった。優馬さんはゆっくりと考えて欲しいと言っていた。でも、7年ずっと待っているのだ。さすがにそれと同様の長い時間考えさせて貰うことはできないだろう。だけど、はっきりと告げても優馬はその返事を受け取ってくれない。それとも優馬さんのことをゆっくりと知っていったら気持ちも変わるのだろうか。そんなことがあるのだろうか。
そう言って優馬さんは優雅に笑う。ほんとに優馬さんがエスプレッソを飲むのなんて数えたくらいしか見たことがない。まぁ、たまには飲みたくなることもあるんだろうけれど。
そんなことを考えながら俺は優馬さんへのエスプレッソを淹れる。
そう言って優馬さんはカップに口をつける。優馬さんの仕草は上品だ。それはコーヒーを飲むことに現れている。そういうところは好ましい。
優馬さんの仕草に見入っているとドアが開いてお客さんが3人入って来た。お昼時間によく来るお客さんだ。時計を見ると既にお昼を越えていて、優馬さんと話すのもここまでだ。
そう言って優馬さんは帰っていった。
お昼の慌ただしさも15時ともなると落ち着いてくる。お客さんが誰もいないときもあるくらい静かだ。夕方の終業後の忙しさがくるまで少しの間一息つける。この時間帯の店内に誰もいないときに自分のためにコーヒーを淹れてゆっくりと味わって飲むのが俺は好きだ。今日もさっき1人お客さんが帰っていって今は1人だ。コーヒーでも淹れよう。今日はなににしようかと考え、一息つくのならやっぱりこれかな、と思いブラジルを選んだ。
よくお客さんに一息つきたい、リラックスしたいけれどどれがいいか迷うと言われたときはブラジルを勧めている。ブラジルは酸味が少なく、ほろ苦くてバランスがとれているので失敗もないし美味しい。
今日は優馬さんに告白されたこともあり、大輝のことを思い出していた。いや、思い出していたという言い方はおかしいか。大輝のことを忘れたことは1日もない。それでも大輝から告白された、あの高校生の頃のことを思い出すのはそんなにない。思い出すのはいつも長期で留学すると言われたときの言葉だからだ。待たなくていい、と言われた。俺じゃなくていい、と言われた。きっと大輝は俺を楽にするためにそう言ったのだろう。ただ会えないだけならそうは言わなかったかもしれない。でも、大輝は連絡もしない、と言ったのだ。連絡を取っていると会いたくなるから、と。だけど俺は大輝の言葉を拒否した。大輝じゃなきゃと言ったのは俺だ。何年会えなくても。何年連絡がなくても。大輝が簡単に心変わりするような男じゃないと信じていたから言えた言葉だ。声を聞きたいと思う。会いたいと思う。抱きしめて欲しいと思う。でも、それは考えないようにしている。考えると辛いから。
コーヒーに口をつけて窓の外を見るとすっきりとした青い空が見えた。大輝のいるドイツはどんな天気だろうか。フランスやイタリアは行ったことがあるけれどドイツは行ったことがない。ドイツの隣、フランスは冬になると曇天ですっきり晴れることがない。ドイツもそんな天気なのだろうか。今、俺が見ている空と大輝の見ている空は違う。だから大輝は言ったんだ。別々の空で繋がっていようと。それでも誕生日になると、大輝が迎えに来てくれないかと期待してしまう。それが顕著になったのは昨年からだ。それはそろそろ現役引退の歳にさしかかってきたから。でも、昨年は迎えに来てくれなかった。今年は? もしかして今年は来てくれるかもしれない。待つと言いながらも会えるのを心待ちにしている。何年経っても俺は変わらずに大輝のことが好きだ。涼には呆れられているけれど。
そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいると、カランカランとドアベルの軽やかな音がした。デパートの買い物袋を持った女性客が2人連れで入ってきた。時計を見ると15時半。コーヒーブレイクの時間だ。
まったりとしたブレイクタイムを過ごした後は、企業の終業後の忙しさがやってくる。仕事を終え、家に帰る前に友人とコーヒーを飲んでから帰る。そんな人でカフェは賑やかになる。
ここは観光地には比較的近いし商業地でもあるから平日は近くのオフィスや商業店舗で働く人が多く、土曜日は観光客が多くなる。平日の今日は17時を過ぎたあたりからお客さんがひっきりなしにやってくる。この忙しさは19時過ぎまで続き、20時を過ぎるとまたまったりとした時間が閉店の21時まで続く。
今日も20時を過ぎてお客さんは女性の2人組だけになった。このお客さんはたまに飲みに来てくれる人たちだ。
そんな軽いかけ声とともに入ってきたのは友人の涼だった。涼はここから15分ほど歩いたところにある証券会社で働いている。今年になってから始めた一人暮らしのマンションまでもここから歩いて10分ほどで、仕事帰りによく寄ってくれる。
そう言ってカウンター席に座り、鞄からラッピングされたものを出し、渡される。
涼はマンデリンとブラジルが好きで、その日の気分でどちらかを決めている。俺はネルフィルターをセットし、ゆっくりと湯を落としていく。コーヒーのいい香りが鼻をくすぐる。
物としては小さめだ。なんだろう。包装紙を破かないように丁寧に開けていく。そうして出てきたのはシンプルだけど質の良い本革のパスケースだった。
涼の言う通り、使っているパスケースは結構年季が入っている。それでもしっかりとした作りなので長く使えている。
それはこういった小物に限らず服飾全てに関してで、洋服もブランドや流行を追うのではなくシンプルで質の良いものを着ている。そして、そんな物を大切に長く着る。涼はそう言ったことを知っているから、こういうプレゼントを選んでくれたのだろう。
小物の話しから急に恋愛の話しを振られて言葉が出なくなる。誕生日は大輝とした約束があるからどうしても大輝を意識してしまうけれど、今日は優馬さんに告白されたんだ。告白されたのに返事を受け取って貰えないでいるけれど。でも、恋愛ごとということでドキリとしてしまう。