EHEU ANELA

切なくて、恋しくて〜zielstrebige Liebe〜

まだ見ぬ地へ1

最近、優馬さんから新しいカフェを教えて貰って定休日に足を運んだ。店内は白木と白で明るくて落ち着いた佇まいだ。お店の雰囲気はいい。でも、一番大事なのはコーヒーだ。どんなにお洒落なお店でもコーヒーの味がイマイチだったらダメだ。

「うーん。悪くはないと思う。でも、湊斗くんのコーヒーには敵わないな」

同行した優馬さんが小さい声でそう言う。優馬さんは以前グァテマラを飲んだというので今日はブラジルを頼んだ。ブレンドだと味の比較ができないからだ。

そして初めての俺はグァテマラを頼む。コーヒーの香りを楽しんでからゆっくりとコーヒーを口に含む。香りは十分。味は、悪くはない。でも、少し雑味を感じる。

俺はコーヒーでは正門さんの淹れたコーヒーを基準にしている。それは正門さんが全国でも数少ないコーヒー鑑定士であり、実際に俺の知っている限りでは一番美味しいと思っているからだ。

ここのコーヒーは悪くはない。でも、もう少しキリっとした味にできるはずだ。そう思いながら味わってコーヒーを飲む。

「優馬さんってカフェ・サンクは行ったことないんですよね。もし時間があればですけど、これから行ってみますか?」 「時間は大丈夫。じゃあ、行ってみようか」 「じゃあ行ってみましょう」

まずいわけではないし、そこそこ美味しい。でも、ほんとに美味しいコーヒーとは言えなかった。

なのでカフェの梯子をするつもりはなかったけれど、まだカフェ・サンクに行ったことのない優馬さんに、とにかく美味しいコーヒーを飲んでみて欲しかった。それが自分だと言えないのが悲しいけれど、それはこれから努力するしかない。

しばらく電車に乗り、久しぶりのカフェ・サンクへ向かう。

「湊斗くんは久しぶり?」 「ええ。もう半年くらいぶりです」 「オーナーって怖い人なの?」 「怖くはないです。でも、お客さんとよく話すと言うわけではなくて、職人みたいな感じです」 「そうなんだ。湊斗くんの話し聞いてて怖い人かと思ってた」 「怖いのは俺に対してだけですよ。他のお客さんには無口なマスターっていうだけです」

でも、俺に対しては最初から割と厳しかった。それは大学に入ってすぐの頃、「美味しい」と小さな声でつぶやいたのが正門さんに聞こえてしまったからだ。それに対して「若造なのにいっちょ前にコーヒーの味がわかるのか」って言ってきたんだ。それから色々な銘柄のコーヒーを飲ませて貰って、バイトで雇って貰ってからはコーヒーの淹れ方をしごかれた。

それまでもコーヒーには煩い方だったけど、正門さんのコーヒーを飲むようになってからはもっと煩くなった。そして、どんなお店で飲んでも正門さんの淹れたコーヒー以上の味にまだ出会ったことがない。それはきっと正門さんが他人の淹れたコーヒーだけでなく、自分の淹れたコーヒーの味にも厳しいからだろう。ほんとに正門さんはコーヒーに対しては厳しい。

「そうなんだね。でも、湊斗くんや涼くんが美味しいっていうコーヒーは飲んでみたいよね」 「この辺では間違いなく一番美味しいと思います。でも、正門さんの味覚えてもうちの店来て下さいね」 「大丈夫だよ。湊斗くんが淹れてくれるコーヒーなんだから」

そんな風に話しをしていると、久しぶりのカフェ・サンクに着いた。

静かにドアを開けると、ちょうど正門さんがコーヒーを淹れているところだった。真剣にコーヒーを淹れているその顔はまさしく職人だ。

「優馬さん、あそこ座りましょう」

俺が指指したのはカウンターが見える窓際のテーブル席だ。ここはコーヒーを淹れる正門さんが見えて、かつ陽当たりが良くてリラックスできる俺のお気に入りの席だ。

「なににしますか?」 「さっきブラジル飲んだから同じのにするよ。そうしたら比べられるし」 「そうですね。俺はグァテマラです」

なにを頼むか決めて正門さんを見ると、淹れたコーヒーを奥の席のお客さんに出していた。そしてカウンターに戻る前に俺たちのところに来た。

「こんにちは、正門さん」 「来たか。久しぶりだな。どうだ、店は」 「ありがたいことに生きていけてます」 「それは良かったな。今日はまた随分と色男と来たな」 「はじめまして。吉澤といいます」

優馬さんがにこやかに笑顔で挨拶をすると、正門さんは目を大きくして優馬さんを見る。そうだよな。優馬さんは黙っていてもイケメンだけど、笑顔を見せたらほんとにヤバいくらいだ。

  「俺の店の常連さんです」 「いっちょ前に常連がついたか」 「ありがたいことに。正門さんのおかげです」

そう言うとにやりと笑った。

「鍛えてやったからな。で、今日はなに飲む」 「ブラジルとグァテマラをお願いします」 「よし、ちょっくら待ってろ」

正門さんがカウンターへ行くと、優馬さんが小さい声で言う。

「喋った」

その感想につい笑ってしまう。

「俺が若くして店をオープンさせたので、俺の顔を見ると必ず訊いてきますよ」 「心配なんだろうね」 「自分が散々しごいたから、やっていけてなかったらきっとまたしごかれると思います」

大学生の頃から、お店をオープンさせた25歳までの間、正門さんには散々しごかれた。それはそれは厳しくて、もう十分しごかれたと思うから、もう二度とあの頃には戻りたくない。でも、もしまたコーヒーでなにかあれば正門さんに教えを請うんだろうなと思ってはいる。俺にとってコーヒーの指針で師匠だ。

「コーヒーって資格あるの?」 「国家資格じゃないけど、いくつか民間の資格があります」 「湊斗くんも持ってるんだよね」 「はい。正門さんに鍛えられてそこそこには」 「正門さんはもっと凄いんだ?」 「はい。全国で5、60人しかいないコーヒー鑑定士っていう資格を持っている人ですから」 「え。そんなにすごいんだ」 「正門さんに比べたら俺なんてまだまだなんです。いつか追いつきたいけど」

そんな風に優馬さんと話していると、正門さんがブラジルとグァテマラを持ってやって来た。

「こいつの淹れるコーヒーと比べてみてください」

コーヒーをサーブしながら優馬さんにそんなことを言う。正門さんの淹れるコーヒーと比べられたらたまったもんじゃない。絶対に負けるのがわかってるんだから。コーヒーインストラクター2級の俺が1級より上の鑑定士の正門さんと比べて勝てるはずがない。でも、そろそろ1級を取らないとな。

優馬さんは、いただきますと小さな声で言ってからコーヒーに口をつけたかと思うと目を輝かせて口を離した。

「美味しい!」 「ありがとうございます。お前もまだまだだな」 「まだ2級までしか受けてないんですよ。それで正門さんと比べて遜色なかったら怖いですよ」 「湊斗くんや氷見谷さんが美味しいって言ってたのがわかるよ」 「市内では間違いなく一番美味しいと思いますよ」 「そうだね。でも、次に美味しいのは湊斗くんだ」

優馬さんがそう言うと正門さんは頬を緩めた。

「こいつの淹れたコーヒーはそこまでいけてますか」 「はい。僕の知っている限りでは」 「じゃあ近いうちに飲みにいくか」 「お待ちしてます」

正門さんに飲んで貰うのはすごく緊張する。それでも、少しでも美味しいと言って欲しいから、それまで練習しよう。そう思った。

「今日はありがとう。美味しいコーヒーが飲めたよ」 「いえ。俺も新しいお店を教えて貰ってありがとうございます」 「でも、カフェ・サンクのコーヒーはすごく美味しかった」 「久しぶりに飲んで俺も火がつきました。今年は資格試験受けようと思います」 「頑張ってね。応援してる」 「ありがとうございます」 「じゃあまたお店で」 「はい」

カフェ・サンクの最寄り駅で別れ、俺は家に帰らずにお店に来た。コーヒーを淹れる環境はお店の方が整っているからだ。

久しぶりに正門さんの淹れるコーヒーを飲んで、コーヒーインストラクターとコーヒーマイスターのレベル上げをしようと思った。

普段、お店でコーヒーを淹れているだけだと特になにも思うこともないけど、他の人が淹れた美味しいコーヒーを飲むと負けたくないという気持ちになる。まぁ、まだまだ正門さん級にはなれないけれど、少しでも追いつきたいと思う。コーヒーインストラクターの1級の試験は3月だからまだまだ先だけど、確かコーヒーマイスターの試験は秋だ。試験を受けて、利き珈琲選手権に出るのもいい。だけど知識だけ詰めても美味しいコーヒーを淹れられなければ意味がない。また正門さんにしごかれるかな、と考える。週1日カフェ・サンクでバイトとして雇って貰えないかな。

今日俺が飲んだのはグァテマラ。それを自分で淹れてみよう。お湯を沸かしていつもの温度になったところでコーヒーをゆっくりと蒸らし、少しずつ落としていく。この時間は無になれる。というか無でなければいけないというか。神経を集中させる必要がある。

淹れ終わったら、まずは香りを楽しむ。うん、香りは甘さを感じていい感じだ。そしてカッピングスプーンでコーヒーをすすり、吐き出す。これはカッピングだ。自分のコーヒーをカッピングするのは久しぶりだ。うん、酸味、コクともに悪くない。そこまでしてから普通にコーヒーを飲む。今日最初に行った新しいお店よりはいい味を出していると思う。でも、その後に飲んだ正門さんのと比較すると僅かにだけど雑味を感じる。俺的にはうまく淹れられたと思うんだけど、どうやっても正門さんのコーヒーには敵わない。やっぱりマイスターのレベルを上げて、コーヒーを淹れる練習をまたするか。

美味しいコーヒーを淹れられるようになりたい。それは、自分が楽しむためでもあるけれど、今はお店にくるお客さんのためでもある。でも、一番は大輝に美味しいコーヒーを淹れてあげたい。それが俺の根底にある。美味しいお菓子や料理は作ってあげたことがある。でも、ほんとに美味しいコーヒーを飲ませてあげたことがない。

もちろん、あの頃も自分でコーヒーを淹れてはいた。でも今みたいにお湯の温度や室温に拘っていなかった。まだコーヒーに関しての知識がそれほどなかったし、そんなに美味しいコーヒーを淹れることはできなかった。ネルドリップには移行していたけれど、大輝に淹れてあげることは少なかったからもしかしたらまだネルドリップに移る前だったかもしれない。とにかく、俺は美味しいコーヒーと美味しいケーキで大輝を癒してあげたいんだ。だから俺は今も美味しいケーキ作りに余念がないしコーヒーも同じだ。いつか。大輝が帰国したら、美味しいケーキとコーヒーを淹れてあげたい。それが俺の夢だ。だから、また正門さんにしごいて貰おう。そう思った。