EHEU ANELA

切なくて、恋しくて〜zielstrebige Liebe〜

向けられた刃2

「で、誰がやったって?」

涼がビールを一口飲んでから口を開く。俺はプルタブは開けたけれど、まだ飲んではいない。

 
「まだ確信があるわけじゃないよ。でも、優馬さんがデザインしている会社の人で優馬さんのことを好きな人みたい。不穏な話しを聞いたって。まだそれ以上はわかってないよ」
「要は逆恨みってことか」
「みたいだね」
「まぁ、あれだけのイケメンだから優馬さんのことを好きな女がいたって驚かないし、いない方が不思議だけどそれで嫌がらせするとか最低だろう。しかもインターネット掲示板に書き込みだぞ。永遠に残るじゃんか。デジタルタトゥーを消す専門のところに頼まないといけないんだぞ」
「そうなんだよね」

リアルでなにかやられるのも怖いけどインターネット掲示板に書き込むのもかなり悪質だ。嫌がらせしているのが自分だとバレないからいいと思って書き込んでいるのだろう。HNを入れる必要のない掲示板なら数字の羅列のID番号が振られるだけだ。そのIDを見れば以前書いた人物と同一人物だとわかるだけで、誰が書いたかはわからない。ほんとに悪質だ。


「でも、どうしたらやめさせることができるかだな」
「優馬さんは自分がなんとかするって言ってたけど……」
「まぁ優馬さんが動くしかないけど、女だからなぁ。泣いて否定したりしそうだな」

確かに涙見せれば男は弱いって思ってる女の人いるって言うからな。そう考えると気が滅入ってくる。開けたビールを飲んでため息をつく。


「今日、掲示板見た?」

あの書き込みにレスがついていたのを見ただろうか。


「見た。レスついてただろ。気色悪いってあったな。お店の名前は出てるから営業妨害だぞ。警察に相談する手もあるか」

警察に相談……。それは考えたことがないでもない。俺の名前もお店の名前もはっきりと書かれているわけだから。それに警察が介入すれば掲示板運営側は情報を開示する必要がある。つまり犯人は見つかるし、刑事責任を問われることがある。今回は店名が入っていることから営業妨害とかに問われるのかもしれない。


「今からでも警察に相談するか?」
「んー。お店に影響が出てきたら相談する」
「もう出てるんじゃないのか。まぁ、常連さんとかは関係ないかもしれないけど」

どこを見てお店に影響がでたら、となるのかは正直わからない。まあ、大事にしたくないだけ、というだけなんだけど。


「まあ大事にしたくないんだろ」

笑いながら涼が言う。さすがだな。伊達に付き合いが長いわけじゃない。俺の性格を知っている。それに対して苦笑で返す。涼はビールを一缶飲み終わったのだろう、冷蔵庫に立ち、もう一本飲むかと訊かれたので首を振って答える。なんだかあまり飲む気になれないんだ。プルタブを開けた一本で十分だ。


「でも、どうしたら尻尾を出すかな?」
「尻尾出さないと、優馬さんもどうしようもないよな」
「そうなんだよね」
「実際になにかされないとな」

涼の言うとおりだ。はっきりとした証拠がなければなにもできない。そうでなければ言いがかりだと言われて終わりだ。怖いけれど、逆にリアルになにか行動を起こされた方がいいのかもしれない。まさか、数日後リアルに行動を起こされるとは思わず、俺と涼は話していた。

俺がインターネット掲示板に書き込まれていると話してから優馬さんは平日の17時以降になるとお店に来るようになった。なにかリアルで行動を起こされないようにだろう。

そして定休日明け3日目の金曜日、ことは起こった。時間は18時。会社勤めの人は仕事が終わって帰宅前に、残業の人は残業前の休憩にお店を訪れている人がチラホラいる。優馬さんはこの時間の前に来ているけれど、今日はまだ来ていない。仕事が終わっていないのかもしれない。そこに、女性客が1人入って来た。


「いらっしゃいませ」
「アメリカンひとつ」
「かしこまりました」

こういったコーヒー専門のカフェに来てアメリカンを注文する人は珍しい。少なくともうちの店ではストレートの銘柄を注文する人が多く、次にウインナコーヒーやカプチーノといったアレンジものの注文がたまに入る。でも、アメリカンは少ない。こういったコーヒー専門のカフェに来るのはあまりないお客さんなのかもしれない。そう思いながらアメリカンを淹れた。


「お待たせいたしました。ごゆっくりお召しあがりください」

そう言ってアメリカンをサーブした。そうして数分後、その女性は席を立ち、大きな声をあげた。


「なに、この不味いの!」

その声に俺はすぐに女性の方へと行く。そして他のお客さんはびっくりして女性の方を見る。それはそうだろう。静かなカフェの中を切り裂くかのように怒声が響いたのだから。お店を開いて2年。お店でこんな大きな声を聞いたのは初めてだ。


「いかがいたしましたか?」
「いかがいたしましたかじゃないわよ。なに、このコーヒー薄めたような不味いの!こんなのでお金取るなんてぼったくりじゃない!」

正直、金切り声が耳に痛い。でも、場を治められるのは俺しかいない。


「申し訳ございません。ただいますぐ代わりをお持ちいたしますので、少々お待ちください」
「いらないわよ、代わりなんて!」

そういうと女性はテーブルの上のカップを払いのける。

カシャン!

カップが床に落ちて割れた。それを見た俺は一瞬固まってしまった。いや、固まっている場合じゃない。掃除、掃除しなきゃ。でも、その前にコーヒーの代わりを淹れた方がいいのか? あまりのことに冷静さを失ってしまった。しかし、その後女性が発した言葉に俺は完全にフリーズした。


「男を寝取ることしか頭にないんじゃないの? だから、こんな不味いコーヒー平気で出せるのよ!」

その言葉で動きだけじゃなく、頭もフリーズしてしまう。そしてそこに人が飛び込んでくる。


「湊斗!」
「湊斗くん!」

店に飛び込んで来たのは涼と優馬さんだった。俺は2人の顔を見たもののなにも言うことはできなかった。


「湊斗! 大丈夫か?」

そう言って涼は俺の方へと来る。そしてそれと同時に優馬さんさんが声を発する。


「深河さん、なにをやってるんだ!」
「吉澤さん……」

女性は優馬さんを見ると、さっきまでの勢いはどこえやら呆然とその場に立ち尽くしている。


「このカップをやったのは君?」
「……」
「インターネット掲示板に書き込んだのも君なんだね?」
「……」

優馬さんの問いに女性はなにも言わない。俺はただそれを見ていた。


「湊斗、割れたカップ片付けようぜ」

すぐ傍から涼の言葉が聞こえてきて、俺は我に返った。カップを片付けなきゃ。そして、他のお客さんがこちらを見ていることも思いだした。

まずはカップを片付けて、それからお詫びのコーヒーを淹れよう。そう思ってほうきとチリトリを持って来たところで涼に取られる。


「ここは俺がやっておくから、他のお客さんのフォローしろよ。あ、警察呼んだから、そのうちくるよ」

涼の言葉に一瞬固まったけれど、確かにこれだけ騒ぎになったら警察を呼ぶのも当たり前だ。その前に他のお客さんのフォローをしないと。そう思って俺はお詫びのコーヒーを淹れ始めた。

カップの片付けを涼に任せて、俺は他のお客さんにお代わりとして注文頂いたメニューと同じものを淹れた。お客さんが5人で、みんなよく来るお客さんなのでメニューを覚えていたのが幸いした。

コーヒーを淹れながら優馬さんが女性に話しているのを聞いていた。


「なんでこんなことをしたの?」
「……だって、吉澤さんが!」
「僕がなに?」
「こんな男なんかを好きになるから!」
「こんな男って言うけど、じゃあ君は彼のことを知ってるの?」
「それは……知らない、けど。でも!」
「知りもしない人のことをそんな風に言ったり、インターネット掲示板にありもしないことを書いたり、ましてやお店で騒ぐとか普通ならやらないでしょう。ましてや僕はあなたの恋人じゃない。僕が誰を好きでも関係ないよね。それに僕の片想いだ。そんなに面白くないのなら僕に文句を言えばいい。あなたのやったことは威力業務妨害だよ。立派な犯罪だよ。インターネット掲示板に書いたことも罪になるんじゃないかな」
「……」

優馬さんの言葉に女性は言葉をなくしたようだ。

そうしていると警察官が2人連れでやってきて、俺になにがあったのかを訊き、それに答えると女性は連行されていった。俺はなにも言えずに店を出て行くのを見送った。

迷惑をかけたお客さんにお詫びのコーヒーをサーブし、今日のお代は必要ない旨伝える。ゆっくりしたい場所でこんな事件にぶつかるなんてお客さんにとってはいい迷惑だ。

お客さんにお詫びのコーヒーを淹れたあとは優馬さんと涼にもコーヒーを淹れる。優馬さんにはブレンドを、そして涼にはマンデリンを淹れた。


「ありがとうございます。助かりました」

カウンターに並んで座った2人の前にカップを出す。


「一緒に来たんですか?」

2人が一緒にお店に入ってきてびっくりはしたんだ。数回しか顔を合わせていないから。


「いや、お店の前でばったり会ってさ、暢気に挨拶してたらカップの割れる音がしたと思ったら怒声が聞こえたから急いで入ってきたんだ」
 

あれだけの声だ。お店の外に聞こえていても当然だ。

結局、インターネット掲示板への書き込みもあの彼女がやったっていうことか。優馬さんのことを好きな人。自分の好きな人が他の人を好きなのは悲しい。それが同性なら余計にそうだろう。でも、だからといってやっていいことと悪いことがある。あんなことをやってスッキリすると思ったかもしれないけれど、自分の品位を下げただけで終わった。それって惨めじゃないのかな? そんな風に考えた。


「湊斗くん。僕のせいでごめんね」

そう言って優馬さんは頭を下げる。


「頭を上げてください。優馬さんが悪いことじゃないので」
「そうですよ。悪いのはあの女であって優馬さんじゃないじゃないですか」

涼からもそう言われて優馬さんは頭を上げて、再度ごめんと言った。


「そんなことより、コーヒー飲んでください。優馬さんには今日のブレンドを、涼にはマンデリンを淹れたので」
「ありがとな。俺、マンデリンは湊斗の淹れたのしか飲んでないからな。他の店ではブレンドかアメリカン」

涼がマンデリンは俺が淹れたのしか飲んでないというのはびっくりした。そんなこと知らなかった。


「美味しいっていうコーヒーはさ、こことカフェ・サンクしかないから」
「そう言ってくれてありがとう」
「でも、その気持ちわかるな。美味しいコーヒーを飲みたいって思ったらここだよね。あ、今日のブレンドはなに?」
「今日はモカブレンドです」
「モカブレンドか。モカを使うってあまりないんじゃない?」
「言われてみればそうかもですね。モカはモカで魅力のあるいいものなんですけどね」
「俺、モカ飲んだことあったっけ?」
「ないよ」
「そっかー。じゃ、後でモカ淹れて。ストレートで」
「了解」

涼と優馬さんのコーヒー談義で、お店の中はまるでなにもなかったかのように穏やかになっていった。