それはある日突然起こった。インターネット掲示板に、俺の誹謗中傷が書き込まれていたのだ。ただ、俺に対する誹謗中傷だけど、店名もしっかり出ている。それを見つけたのは常連の舞さんで、ある日ネットをしていてたまたま見つけたと言い俺に教えてくれた。書き込みの内容としては、オーナーの俺はゲイで男を寝取るということだった。
俺がゲイだと言うのは、大輝との関係を考えるとそう言われるだろうと思う。でも、俺と大輝との関係を知っているのは涼と優馬さんしかいない。そして涼がそんなことをするはずがないし、優馬さんだってそんなことをしないのはわかっているので、これはでたらめで書いたのだろう。
次に俺が男を寝取ったということだけど、これは酷いデマだ。一体誰を寝取ったというんだ。涼いわく馬鹿みたいに大輝を想っていてよそ見をしない俺がいつ男遊びをしたというんだ。誰から誰を奪ったと言うんだ。
冷静になればそう思うのだけど、それを知ったときはショックで頭が真っ白になった。舞さんが俺にすぐに知らせようと珍しく平日の夜にお店に来て教えてくれたので、たまたま涼もお店に来ていたのでその話しをその場で聞いた。
舞さんも涼もすごく怒っていた。誹謗中傷にもほどがある。お店に対する誹謗中傷ではないけれど、そんな人間のやっている店に来たい客なんていないだろう。つまりお店の営業に関わる問題だ。でも、直接お店のことを書かれている訳ではないから、とりあえず様子見をすることにした。それでも精神的にはかなり来た。だけどインターネット掲示板なんて誰でも簡単に書き込むことができるし、誰が書き込んだのかもわからない。事件性があれば情報開示というのはあるけれど、一般人にはそれを要求することはできない。つまり、泣き寝入りをするしかない。
インターネットの怖い点は、デジタルタトゥーとなっていつまでもネットに残ることだ。それを消すとなると専門のところで消して貰うしかない。
涼がそう心配してくれているが、正直、眠りが浅くて疲れがなかなか取れない。食事はなんとか食べるようにはしているけれど。メンタル的には結構来ている。
今の時点でメンタル的にはかなりダメージを受けていて、ほんとは仕事なんて放って引き籠もっていたい。でもそんな訳にもいかず、なんでもない顔をしてお店を開けている。なんでこんなことになったんだろう。女の人の恨みを買うようなことはしていないのに。
インターネット掲示板に書き込みをされてから数日後の定休日。心を落ち着けたくて海へと来た。春の海は冬の寒々しさがなくなり、凪いできている。いつも座る辺りに今日も座り、寄せては返す波を見ていた。波は太陽に照らされ、キラキラとしている。春の海は穏やかで綺麗だけど、今の俺の心は穏やかとは言い難い。
俺がゲイで男を寝取る。俺がゲイだというのは、大輝のことを知らなければ出てこない単語だ。確かに大輝との関係はゲイだと言えるけれど、俺が男を好きになったのは大輝が初めてだ。それまでは幼稚園の初恋の頃から好きになるのは女の子ばかりだった。だから大輝のことがなければゲイだと言われることは一切ないのだ。なのに掲示板にはゲイだと書かれている。そして、男を寝取る。俺が誰かから男を奪ったということだけど、誰かと付き合ったのは大輝が初めてで、大輝以外の男の人と関係を持ったことは一度もない。その大輝も俺と付き合うときに誰か他の人と付き合っていたことはない。つまりは完全なるでっち上げだ。
大体、大輝絡みでこれを書かれたわけではないだろう。だって、大輝がドイツへ行ってから7年経つ。なのに今さら大輝とのことで書くことはまずないだろう。かと言って、日本語で書かれているのだから書いた人は日本人だ。ドイツ人じゃない。だから完全なでっち上げだとしても、一体誰に恨まれているんだ? 大輝絡みじゃないとしたら、今、恋愛絡みとしたら優馬さんしかいない。優馬さんが誰かと付き合っていて、俺とのことがあり別れたとか? でっち上げで書くにしても恨みを持たれるとしたらそれしか考えられない。優馬さんに訊いてみようか。最近、誰かと別れましたか、って。そんなこと訊きたくないけれど、誰が書いたのか書いた人物を特定するにはそうするしかない。だけどそうすることはかなり精神力を削られる。なんでこんなことに巻き込まれたんだろう。それとも優馬さんのことも関係なく、なにかで恨みを買って完全にでっち上げで書かれたのか。申し訳ないけれど、人に恨みを買うことなんてしていない。それなのに……。
この事実無根の嫌がらせを知っているのは、書き込みを見つけた舞さんと、舞さんが知らせに来たときにたまたま居合わせた涼しか知らない。他の人は知らない。優馬さんも知らないのだ。だって、人に言いふらすようなものでもない。ネガティブなことだし、聞いて楽しいものではない。だから優馬さんに訊くのも躊躇してしまう。だって、優馬さんが関係なかったら心配をかけるだろう。そんなことはしたくない。できればこれ以上の人には知られたくない。
なんでこんなことに巻き込まれたんだろう。そう思うと涙が出てくる。一体誰が、なんの目的でこんなことをしたのか。俺が一体なにをしたと言うんだ。馬鹿みたいに真っ直ぐに7年も大輝を想っていて、男遊びも女遊びもしたことがない。それなのに……。
涙を拭って、気がつくと陽はとっくに傾いていた。すっかり帰るのが遅くなってしまった。今から帰って食事を作ると遅くなってしまう。それなら食べて帰ろうか。そうだ。以前、優馬さんと行ったオムライスの美味しいあのお店で食べていこう。食欲はイマイチだけど、落ち込んだときは美味しいものを食べるに限る。そう思って、ズボンの砂を払ってお店へと行った。
オムライスを食べようと、いざお店に行くと食欲が失せてきた。最近はこんな感じだ。全く食べていないわけではない。ただ、量は減っているし、酷いとゼリー飲料で済ませることもある。だけど、明日からまた1週間仕事だ。倒れる訳にはいかない。誰かに変わって貰えるわけではないから。それなら少しでいいから口に入れよう。そう思い、お店のドアを開けた。
店員さんに食事だと伝え、奥の席に案内される。食欲はなくてもオムライスの匂いがすれば少しは食欲も出るかもしれない。なのでオムライスとホットコーヒーを注文する。ホットコーヒーは心を落ち着けてくれる。
そう思い注文をし、ズボンのポケットからスマホを出して件のインターネット掲示板を見ると、昨夜遅くにも同じ書き込みがあった。IDが同じだ。以前の書き込みは随分と流れてしまっているから、また新たに書くことで人の目にとまるようになっている。そしてその書き込みに対してレスがされている。
俺のことを知らない人。その書き込みが真実だと思っている人。いや、真実かどうかなんてどうでもいいのかもしれない。ただ面白いからレスをしているだけなのかもしれない。最低なのは、俺じゃなくて虚偽の書き込みをした人間が最低だし、その書き込みに対してレスをつけている人間も最低だ。こんな嫌がらせ、どうしたらいいんだろう。書き込みをした人間が誰かわからなければ止めることもできない。
その書き込みをぼんやりと見ているとホットコーヒーが運ばれてきて、一口、口をつける。温かいホットコーヒーは気持ちが落ち着く。やっぱりコーヒーはいいな。と思っているとスマホが新着メッセージを知らせる。優馬さんからのようだ。
不穏な話し。
それってあの書き込みに結びつくようなことだろうか。だとしたら、あの書き込みは優馬さんのことを好きな人が書いたのだろうか。あれだけのイケメンだから優馬さんのことを好きな人は1人や2人いるだろう。その人が逆恨みをしてああいった書き込みをしたんだろうか。だとすると頷ける。だって他に心当たりはないから。
そして俺は優馬さんへの返事を打ち込む。
優馬さんからメッセージがなければ優馬さんに訊くことはなかった。だって優馬さんが悪いわけではないから。でも、訊かれたのなら嘘をつくわけにもいかないし、ほんとのことを話す。
俺が返事を送ってすぐにスマホが着信を告げる。優馬さんだった。ちょうどスマホを見ていたのか。
やっぱり逆恨みか。もう、最低だ。
そう言って電話を切り、書き込みされているインターネット掲示板のURLを優馬さん宛に送った。
優馬さんにURLを送ってしばらくするとオムライスが運ばれてきた。溶けたチーズとふわとろの卵。それにかかるデミグラスソース。食欲は失せていたけれど、犯人の目星がついたし美味しそうなビジュアルで少し食べようかなという気になった。
オムライスを一口食べると、チーズと卵の甘さが口いっぱいに広がる。その一口が食欲を誘い、気がつけばお皿の半分を食べていた。全部食べれたわけではないけれど、あんなに食欲がなかったのに気づけば半分食べていた、って美味しいものはすごいな。ここに食べに来て良かった。優馬さんからの電話と美味しいオムライスのおかげだ。頑張ってもう少し食べようかな。そう思って再び食べ進めて、気がつけばお皿は空になっていた。きちんと一食分食べたのは何日ぶりだろう。あの書き込みを知ってからは初めてだと思う。これで明日からまた1週間頑張れる。もしまた1週間頑張れたら、ご褒美に美味しいものを食べに行こう。美味しいは正義だ。
食後にコーヒーを飲んでホッと一息つく。美味しいコーヒーが飲みたいな。正門さんの淹れたコーヒーが飲みたい。もうどれくらい飲んでいないだろうか。半年か1年近く飲んでないと思う。正門さんのお店は18時までなのでお店が終わってからいくことはできない。正門さんのコーヒーを飲みたければ、定休日の火曜日に飲みに行くしかない。来週の休みはカフェ・サンクに行こうかな。正門さんの入れたグァテマラが飲みたい。とりあえずは家に帰ったら自分で淹れるか。
そろそろ帰ろうか、と思ったところで優馬さんから聞いた情報を涼に伝えておこうとメッセージを送った。涼もかなり怒りながらも、書き込みがエスカレートしないかチェックしてくれているし、なにより精神的に参ってしまった俺を心配してくれている。だから、さっき優馬さんから聞いた話しは共有しておかなくてはいけない。よし、涼にメッセージも送ったし帰ろう。帰って今日はネルドリップでグァテマラを淹れよう。そう思い席を立った。
最寄り駅まで後一駅となったところでスマホが振動し、着信を告げる。振動が1回だったのでメッセージのようだ。ポケットからスマホを取りだしてメッセージアプリを見ると、涼からのメッセージだった。
そう返信を返すとすぐにスマホが震える。今度は着信で、相手は涼だ。出たいけれど今は車内なので通話を切り、メッセージを送る。
時計を見ると20時だ。家に帰ってもコーヒーを淹れることくらいしか用はないので、誘いを受けることにする。
そんなメッセージをやり取りしているうちに電車は最寄り駅に着いた。ここから涼の家まで港の方へ向かって7、8分。手ぶらで来いということなのでコンビニにも寄らずに涼の家に直行した。