EHEU ANELA

愛のない婚約者は愛のある番になれますか?

重なる気持ち 02

そうして迎えたシルバーウィーク。今回も陸さんの運転で箱根に来ることになった。そして、こちらも今回も変わりなく、陸さんに助手席側のドアを開けて貰うというエスコート付きで。エスコートし慣れてる。それにしても陸さんは結構長距離も運転するので、運転することが好きなんだろうか。少なくとも苦になっている様子はない。

「今夜泊まるのは先日話したところだ。強羅にある。昼間は箱根を観光しよう。子供の頃、一緒に箱根に行ったのは覚えているか?」
「お母さんから聞いてます。僕が記憶に残ってるのは海賊船だけですが」
「まだお前は3歳か4歳くらいだったから無理もないか。それ以外では来たことはあるか?」
「友人と1度来ました。大涌谷と関所に行きました」
「そうか。じゃあ今回はそれ以外のところに行こう。見所は他にたくさんあるからな。海賊船はせっかくだから乗るか」
「乗りたいです! 湖からみる景色、いいですよね」
「そうだな。じゃあ海賊船も込みだな。まずは強羅だな。公園もあるし、お店も色々あるから昼をそこで食べよう」
「はい」

箱根湯本に着いたときに今日のプランを決める。と言っても僕が見たところは少ししかないし、また見てもいいから詳しそうな陸さんにお任せだ。

陸さんの言う通り車は強羅公園に着いた。強羅公園は日本初のフランス式整型庭園だということだ。今はまだ時期には早いけれど、時期になれば薔薇園がとても綺麗だという。他にも熱帯植物館もあるという。


「秋の薔薇のシーズンにはまだ少し早いな」

確かに咲いている薔薇の数は少なめだ。それでも、シーズンになれば見事だろうと思わせる作りになっている。そうでなくても薔薇のアーチなんかもあり、女性客やデートには向いているだろう。

と、そこで考える。今日の僕と陸さんもデートって言えるのかな? 言えるよね。そう思うと急に恥ずかしくなった。


「満開になったらすごいでしょうね」
「ここを一番楽しめるのが春だ。桜が咲いてから、奥の藤が咲いて、それから薔薇が咲く。フランス式庭園で藤棚があるのも面白いけどな」
「藤、僕好きです」
「そうか。それなら今度は春に来よう」
「!」

今度。また連れてきてくれるんだ。それがすごく嬉しかった。そのことに僕はふわふわとした気持ちで園内を歩いてまわった。

園内を大まかに歩いたところでお腹が空いてきた。と、僕のお腹の空腹具合に気づいたのか陸さんがランチの提案をしてきた。


「この近くにハンバーガーの店があるんだが、昼はそこでいいか? 味はいい」
「僕は箱根は全然なので陸さんにお任せします」
「よし、そしたら行こう」

着いたところは強羅公園から車ですぐのホテルだった。ハンバーガーっていうからもっとカジュアルなお店かと思ったら、ホテルでびっくりした。まぁ、ホテルの食事の中ならカジュアルなのかもしれないけれど。


ランチメニューは2つのバーガーとオープンサンドイッチのみという少なさだが、目をひいたのはそんなところではなくて価格だ。

ハンバーガーが2,300円とか桁、間違えてない? と思ってしまった。でも、テーブルに通されてしまって出るわけにもいかないし、陸さんは平然としているから価格は問題ない、ということなんだろう。ここまできたら美味しくいただくしかない。

メニューは少ないので、あまり悩むことなくビーフ&ベジタブルバーガーに決めた。ダブルバーガーもあったけれど、僕の好きなアボカドが入っているのでこちらにした。陸さんも同じだった。

そうして出てきたのは、大きなハンバーガーだった。これ、口に入らないよ。それぐらい大きい。なのでバンズから少しずつかじっていく。そしてお肉に行き当たり、口に入れてびっくりした。


「美味しい!」
「美味いだろ。100%国産牛だ」

このお肉を使ったら確かに価格が高くなるのは当然だ。国産牛だということだけど、それでもいいのを使っているのがわかる。だって口に入れるとお肉がとけていくんだ。それでもゆっくりとお肉を味わって、お腹に納めていく。

そうしてハンバーガーを堪能していると陸さんが何気なくといったふうに口を開いた。


「突然だが、寝室を同じにしないか?」

陸さんの言った言葉の意味がわからず、ハンバーガーを食べる手が止まった。

寝室を同じにする。

その言葉の意味がよくわからなかった。だから、言葉はなにも出なかった。


「その……夫夫だし」

うん。僕と陸さんは夫夫ではある。形だけの。そこに愛はない。だから寝室はそれぞれの部屋だ。でも、それで寝室を同じにしたらほんとの夫夫みたいじゃないか。


「俺とほんとの夫夫になるのは嫌か?」

え? ほんとの夫夫になる? 僕と陸さんが? だって陸さんの気持ちは僕にないから。陸さんの気持ちは誰か別の人にあるでしょう?

頭の中がクエスチョンマークでいっぱいだ。ほんとの夫夫って言ったら陸さんの気持ちが僕にあるということになってしまう。それでいいの? そこで思い出すのが先日陸さんが酔って帰って来た日のことだ。


「ほんとの夫夫って……。だって、陸さんは好きな人、いますよね?」

言葉にするだけで辛いし、返事を聞くのが怖い。結婚するより前。僕は陸さんがスマホを愛しげに見ながらなにか操作しているのを見たことがある。それに、僕に気持ちがないから結婚式であんなに辛そうな顔をしていたわけだし。だからほんとの夫夫になんてなれないんだ。


「俺は……千景が好きだよ」
「……え?!」
「確かに、結婚するときは他の人が好きだった。でも、もう過去のことになりつつあるんだ。今、俺が見ているのは千景、お前だ」

陸さんが僕を好き? そんなことあるの? ほんとに?


「ほんと、に?」
「ああ」
「でも、好きな人とは別れたんですか? それは僕との結婚のせいですよね?」

僕がそう訊くと陸さんは辛そうな顔をして、そして視線をテーブルに置いた手に向ける。


「死んだ。結婚する前に。もうこの世にいないよ……」

え? 死んだ? 


「お前と結婚したときはお前に対して気持ちはなかった。でも、いつも俺に笑顔を向けていて、それを見ていて気持ちが変わった。散々冷たい態度をとったし、酷かったと思う。でも、今は……千景とほんとの夫夫になりたいと思ってる」
 

僕のことを好きになってくれたっていうこと? そんなに僕に都合のいいことなんてあるの? それを信じていいのなら、僕の返事は決まっている。


「僕でいいんですか? 僕でいいのなら、その……ほんとの夫夫になりたいです」

僕がそう答えると陸さんは優しい顔をして笑った。こんな表情、初めて見た。


「俺でいいのか? お前こそ他に想う相手はいないのか?」

僕の返事を聞いて、ほんとにいいのかと念を押す陸さんに僕は微笑んで答えた。


「僕は子供の頃から陸さんのことが好きなので」

そう言うと目を見開く。そんなこと思いもしなかったんだろうな。でも、ほんとのことだ。でも、陸さんはにわかには信じられないのか言葉がない。なので僕が言葉を続ける。


「だから、ほんとの夫夫になるの、とっても嬉しいです。寝室も、えっと、はい……」

寝室を一緒にするというのがなんだか恥ずかしくて最後は声が小さくなってしまったけど、僕の気持ちを伝えた。


「ほんと、なのか?」
「はい」

僕がそう頷くと、陸さんは綺麗に笑った。ああ、やっぱり格好いい人だな。普段はクールだから破壊力がすごい。


「ありがとう。じゃあ主寝室のベッドリネンを買いに行くか。ないだろう?」
「リネンはないですね」
「よし、じゃあ行こう」

陸さんとほんとの夫夫になれる。それがほんとに嬉しくて奥歯を強く噛みしめていないと涙が出てきそうだ。でもこんなところで僕が泣いたら知らない人は陸さんが僕を泣かせたと思うかもしれない。だから泣くわけにはいかない。


「明日、ガラスの森美術館に行こう」
「ガラスの森美術館へ? なぜですか?」
「誓いの鐘があるんだよ。もう結婚式はしたからその鐘に誓う」

その言葉に鼻の奥がツーンとした。泣かないようにするのが精一杯だった。


ランチに思いがけず陸さんから告白をされて、僕はふわふわと宙に浮いている感じがした。

箱根神社に行って海賊船にも乗ったはずなのに記憶に残ってない。それくらい衝撃的な告白だったんだ。でも今日泊まる宿に着いて、僕の意識はすっかり現実に戻された。

だってそこは庶民が、ちょっと奮発したっていう程度の宿ではなく、庶民にはどうやったって手が出ないとはっきりとわかる高級宿だったから。ホテルのスイートルームを和洋室にしてデッキをつけ、露天風呂もつけた感じだ。だからホテルのスイートルームより絶対に高いだろう。

部屋は足許から広がる幅5メートルを超える大口径のガラス窓で、大文字と遠くには相模湾も見ることができた。デッキに出ればさらに景色は広がる。


「陸さん。ここ……」
「いい宿だろ。客室が少ないから空きがあって良かった。最後の一室だったみたいだ」

うん、客室少なそう。こういうところを知っているあたり、陸さんって御曹司なんだなと思う。一般サラリーマン家庭育ちの僕とは違う。


「箱根には他にもいい宿はあるが、雑踏を忘れて一息つきたいときにはここが一番だ。疲れたときにどこにも行かずにここに籠もっていたこともある」

確かに浮世を忘れることはできるだろうけれど。でも、今回の旅行に関して僕はノータッチだったから何も言えないし。こうなったら楽しむしかない。

でも! 気づいてしまった。部屋の中から露天風呂が丸見えだし、なんならシャワーまで丸見えだ。ベッドからはなんとか見えなさそうだけど、なんでそんなところまでガラス張りなの? お風呂入るときどうするの!

 
「座ってなにか飲もう。コーヒー、紅茶、お茶があるぞ。冷蔵庫にはソフトドリンクもあるから好きなのを飲め」

あ。部屋に驚いてて、言われるまでお茶のこと忘れてた。


「陸さんはなにを飲みますか? 淹れます」
「お茶菓子があるから緑茶にしようか」
「はい」

きっとこういうところで使っているお茶っ葉って、いいのを使ってるんだろうな。間違えてもスーパーで売ってるようなお茶は使っていないだろう。

そんなお茶っ葉なのなら少しでも美味しく淹れようと、僕は真剣に淹れた。濃すぎず、薄すぎず、ほどよく。


「うん。やっぱりここが一番落ち着く」
「何度か来ているんですか?」
「ああ。子供の頃から来ている。ベッドは2台しかないけれど、布団を借りれば4、5人は泊まれる。ソファーもあるしな」

そうか。子供の頃から来ているのか。陸さんには駿さんというお兄さんがいる。家族で泊まるのならそんなに広いとは思わなかったかもしれない。でもそんな頃から来ているのなら、慣れているのも当たり前だなと思う。陸さんのそんな話しを聞きながらお茶を飲んだ。

 
「デッキにでも出てみるか。気持ち良いぞ」
「出てみます!」

部屋の中からでもこれだけの景色だ。デッキに出たらもっといい景色が見れるに違いない。デッキにはチェアとテーブルが置いてあるので、湯飲みをそのまま持っていく。外で飲むのも気持ち良さそうだ。

デッキに出ると箱根の渓谷と遠くに芦ノ湖、相模湾まで見ることができた。空気も澄んでいて、確かに東京から来たら気持ちいいだろうし、のんびりお籠もりするのも良さそうだ。

普通の旅館だとここまでのパノラマビューは見れないかもしれない。やっぱり高いからこその景観なんだろうな。大文字が見えるから、大文字焼きのときに泊まったら部屋から見ることができるな。


「大文字焼きのときに泊まったことありますか?」
「あるぞ。ここから見ることが出来て良かったよ。来年の大文字焼きのときにでも来るか」

あ! こんなにどう見たって高級なところにまた来たいなんて贅沢だよな。わがままかもしれない。


「金のことを考えているのかもしれないけど、ここはそれに見合うサービスだし、たまにのことだから気にするな」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない。謝るよりありがとうと言ってくれ」
「ありがとう、ございます」

僕が感謝の言葉を口にすると陸さんは優しく笑ってくれた。そして僕の頬に触れ、ゆっくりと陸さんの唇が僕の唇に触れた。それは僕のファーストキスだった。