6月のある週末。俺はリビングでつけっぱなしのテレビをなんとはなしに見ながらコーヒーを飲んでいた。週末はブルマンを淹れて貰っている。
千景と結婚して1年が経つ。
1年前の結婚式。和真の死からわずか5ヶ月での結婚式で、俺は和真のことを考えたまま結婚式を挙げた。
結婚してすぐにお互い干渉なしで、と千景に言った。だから新婚旅行も当然別行動。食事も初日の夕食を一緒にしただけで後は別々だった。
新婚旅行から帰国しても同じ。干渉なしで。そう言った。だけど、俺が週末にスーパーやコンビニでの食事をしていることに気づいた千景が週末の夜だけ作ってくれることになった。これは干渉していることになるんじゃないかと思ったけど、純粋に心配してくれていることになにも言えなかった。そしてそのうち昼食も作って貰うようになって、千景と食事をすることがすっかり普通になった。
その中でハロウィンやクリスマスはそれらしくご馳走を作ってくれて一緒に過ごし、2月の俺の誕生日もご馳走を作って祝ってくれた。その中で知ったのは千景は料理が上手いということだ。実家にいる家政婦の茜さんに負けないくらいの料理を作る。
と、ここで気づいた。俺の誕生日は祝ったけれど、千景の誕生日は祝っていない。それどころか俺は千景の誕生日がいつかも知らない。千景は自分の誕生日なんて一言も口にしなかった。なのでキッチンでなにやらやっている千景に聞いた。
俺が急に訊いたから、千景はびっくりしたようで目を丸くして俺を見る。
5月?! つい最近だったんじゃないか。なんでなにも言わなかったんだ。知っていたら食事に連れて行くくらいしたのに。こいつのことだから遠慮して言わなかったんだろうな。
千景はいつも俺のことを考えて行動してくれている。俺はそれにあぐらをかいているんじゃないか? そう考えたらどこかへ連れて行きたくなった。千景の1ヶ月遅れの誕生日と結婚祝いを兼ねて。
一瞬、戸惑った表情をしていたがすぐに明るい表情をした。千景は俺が誘うと一瞬戸惑う。でも決して嫌ではないのか、すぐに明るく返事をしてくれる。
出かけようと言ったけれど、どこへ出かけよう。千景の好きな元町のフレンチはこの間連れて行ったし、他にどこに行きたいかわからない。なので、俺主導で考えることにする。
誕生日祝いと結婚記念日なら近場よりも足をのばしてどこか近場へドライブするのもいい。なんなら一泊してもいい。
神奈川、千葉、埼玉、栃木、茨城、群馬。神奈川は1度静岡に行ったので、今度は別のところがいい。となると千葉、埼玉、栃木、茨城、群馬。この中でどこもスポットが思いつかなかった茨城と群馬は候補から外す。残るは千葉、埼玉、栃木。
千葉だと夢の国だろうか。埼玉は川越がある。栃木は日光。その中から選ぶか。夢の国へ行くには俺たちの距離は少しある。なので除外。そうすると川越と日光のどちらかだ。
ネットで川越を検索すると江戸時代の建物が並んでいて心惹かれるものがある。日光だと東照宮、華厳の滝だろうか。ヘアピンカーブで有名ないろは坂を上るのは車ならではの楽しみがある。
この辺の小学校だと修学旅行で日光に行くらしいが、俺の場合小学校の修学旅行は奈良だったので日光へは行ったことがない。千景は行っただろうか。仮に行ったことがあっても大人になってから行くのとは違うだろうし、ドライブがてらだとまた違うだろう。そう思ったら日光はいいかもしれない。川越にはまた別の機会に行けばいい。
こうして行き先を日光に決め、俺はタブレットで日光の見どころを検索した。すると見どころがたくさんあって、とても1日では回りきれない。いや、1泊したって無理だろう。そうしたら、また行けばいい。そこで俺はまたの機会を考えていることに気づかなかった。
翌日、また陸さんにエスコートされて陸さんの車に乗る。ということはどこかにドライブだろうか。どこへ行くか訊いてみよう。
陸さん、日光は初めてなんだ。公立の学校だと小学校で行くけど、陸さんは私立だったから違うのだろう。
それにしても日光でまわったところなんて東照宮と華厳の滝くらいしか覚えてない。それだってうろ覚えだ。だから初めてとあまり変わらない気がした。
車は芝浦出入口から首都1号線に入り北上して行く。僕は日光の見どころでも検索しようとスマホを取り出すが、日光のどこら辺を行くのか聞いていなかった。
神橋って確か赤くて綺麗な橋だった記憶がある。そこから東照宮か。
スマホで日光中心部の観光スポットを探す。すると、陸さんの言った神橋から日光山輪王寺三仏堂から東照宮、日光山輪王寺家光廟大猷院、二荒山神社のコースが出てきた。これをまわるのかな。
だってもうまともに記憶がないから予習? 復習? しておかないと行ってもなにもわからないと見ても意味がないと思うから。きっと陸さんはこのコースを決めたときにざっと調べたと思うから、僕もざっと目を通しておこう。
陸さんが言っていた神橋は僕の記憶通り、朱塗りの綺麗な橋で二荒山へかかる橋で世界遺産に登録されたらしい。
奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられて神聖な橋とされてきて、当初は神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架けて通行していたけれど、昭和48年に一般公開されたという。
橋自体はかなり古くからあるのに、一般公開されたのが昭和48年と言ったらつい最近の話しだ。でも、そんなに古い橋だとは知らなかった。
次に日光山輪王寺三仏堂。
三仏堂は日光山の総本堂で、平安時代、山内北裏の瀧尾権現の地に、慈覚大師「円仁」によって創建され、江戸時代に新宮(現二荒山神社)境内に移築し、三代将軍家光によって正保2年(1645)に現在の建物に造替されたと言う。ここもやっぱり徳川家か。そうだよね。日光は徳川家だ。
三仏堂の次は東照宮。
東照宮は1617年徳川初代将軍徳川家康公を祭った神社だ。見ざる聞かざる言わざるの三猿や眠り猫が有名だ。そして、神社というと朱塗りでモノトーンのイメージだけど、東照宮は金をふんだんに使っていて煌びやかだ。そこはさすが徳川家と言ったところだ。
東照宮のあとは日光山輪王寺の家光廟大猷院の境内には22件の国宝・重要文化財が建ち並んでいるという。22件の国宝・重要文化財ってすごいとしか言いようがない。でも、東照宮の煌びやかな世界から一転して金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっているのは家康を凌いではいけないという遺言からというのがクラクラする。その遺言がなかったらもっと煌びやかになっていたんだろう。徳川家、すごいな。
最後に徳川家から出て二荒山神社へ。
二荒山神社の御祭神は|二荒山大神《ふたらやまのおおかみ》で|大己貴命《おおなむちのみこと》、|田心姫命《たごりひめのみこと》、|味耜高彦根命《あじすきたかひこねのみこと》の親子3神を祭っている。創建は767年と言われているからかなり古い。それこそ徳川家が入ってくるよりはるか昔からあるんだ。そしてさっきの神橋は二荒山神社の建造物だそうだ。
二荒山神社は縁結びのご利益で人気らしい。
縁結び……。僕はご縁を祈った方がいいんだろうか。だって陸さんと結ばれたい。でも、陸さんとは一応結婚しているわけで。それを見たら縁結びは必要ないのかもしれないけれど、番契約の観点でいけば番ってないから縁結びを祈った方がいいんだろうし。でも、僕と陸さんは親は番になることを願ってる。ということはご縁を祈った方がいいんだろう。僕がそんなことを考えているなんて陸さんは知らないだろう。僕はスマホを静かに見ながらそんなことを考えていた。
小さくかかっている洋楽を聴きながら車は順調に北上し、車は日光に着いた。すぐに神橋へ行くのかなと思っていたら、団子は好きかと陸さんに訊かれた。好きだというと、団子屋の前で車を停めた。
味噌の上に黒砂糖? 珍しいタレだ。団子は注文を受けてから焼くらしく、ホカホカだ。そして焼き上がった団子を頬張ると味噌の塩気と黒砂糖の甘さが絶妙だ。これは癖になりそうな味だ。僕が団子を食べているのに陸さんは食べていない。もう一本あるのに。
食べろと言われたら食べる。美味しいし、なによりこれから歩かなきゃいけないから。なので僕は言われた通りに1人で二本平らげた。
そして、その後も近くのお店で温泉まんじゅうを食べたりと少し食べ歩きをする。食べ歩きを楽しんだ後は車は神橋へと進む。画像で見る神橋も綺麗だけど、本物はもっと綺麗だ。
車はどうするんだろうと思っていると車は神橋を渡り、輪王寺駐車場に車を止めた。車で移動するようだ。
勝道上人の像を見ながら輪王寺境内に入り、まずは宝物殿を見学する。宝物殿は国宝1件・59点、重要文化財51件・1618点、重要美術品4件・7点と国宝、重要文化財がすごい数があり、常時50点ほどを拝観室に展示しているという。
宝物殿を見た後は本堂である三仏堂へ。宝物殿を見て古いお寺だなと思ったら平安時代に創建されたという。そして現在の建物は徳川家光によって建て替えられたという。
三仏堂という名前は内陣にある千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音という三体の大仏様を祀っていることかららしい。ちなみに薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来という掛仏も祀っている。ちなみに東日本で一番大きい木造建築だというだけあってほんとに大きい。
僕たちはお互い黙ったままで見て回る。そして三仏堂を出た後は一番煌びやかな東照宮へ。
東照宮は言うまでもなく徳川家康を祀った神社だ。創建は1617年と比較的新しい。
ほんとに東照宮は派手というか煌びやかとしか言いようがない。でも、神厩舎もそうだけど、東照宮は重要文化財が山ほどあって、最も美しい門と言われる陽明門など国宝も複数ある。
御水舎で手を洗って口をすすいでから神様に祈る。まぁ、徳川家康だけど。
国宝の廻廊には花鳥の彫刻がされていて、どれもが極彩色に彩られている。ほんとにどこを見ても煌びやかだ。
そして見ざる・言わざる・聞かざると並んで有名な眠り猫と五重塔を見てから東照宮を後にした。
東照宮の後はまた輪王寺の大猷院へ。大猷院は徳川家光の廟所で、世界遺産にある境内では登録された22件の国宝と重要文化財が建ており、315基の灯籠がある。
ここも朱塗りで極彩色に彩られているけれど、東照宮に比べたらトーンダウンしている。それもそのはずで、家康を凌いではいけないという遺言があったためだと言われている。その遺言がなかったら東照宮に並んで煌びやかになっていたんだろうか。
仁王門は重要文化財で阿形と吽形の2体の金剛力士像が安置されている。と、重要文化財は仁王門だけでなく、二天門、夜叉門、皇嘉門も重要文化財に指定されているし、拝殿・相の間・本殿は国宝だ。ちなみに拝殿・相の間・本殿は東照宮よりはほんの少しトーンダウンしているが十分に煌びやかだ。
陸さんが小さく呟く。それには同感だ。廟所なんてそんなに派手にする必要があるんだろうか。拝殿の天井はほんとに煌びやかだ。遺言がなかったら絶対に東照宮より煌びやかになっていたと思う。だって、抑えてこれなんだから。
だけど、そんな煌びやかな大猷院と打って変わって常行堂は普通の落ち着いた建物だ。常行堂は、848年に|慈覚大師円仁《じかくだいしえんにん》によって、比叡山延暦寺の『にない堂』に模して建立されたという。
ため息をつきながら輪王寺をまわり、徳川家の煌びやかな世界を後にして僕たちは二荒山神社へと行った。東照宮、輪王寺と徳川家の煌びやかな建造物を見たあとには地味にすら見えるけれど、これが普通の神社だ。そしてここは縁結びの神様だ。僕も陸さんとの番という縁を結んで欲しい。そうして僕たちは二荒山神社を参拝した。
二荒山神社は二荒山(男体山)を神の鎮まり給う御山として尊崇し、男体山山頂には奥宮を、中禅寺湖畔には中宮祠を、そして市内には本社を祀っている大きな神社だ。
そこの本社で僕は手をあわせて神様に祈った。
――陸さんと番になれますように。縁が結婚だけで終わりませんように。
参拝し終えた僕は仕事を成し遂げた後のようだった。だって、二荒山神社が縁結びの神様だと言うから東照宮や輪王寺よりも僕はここを心のメインとしていたのだ。
本当なら絵馬を書くところだけど、まさか陸さん本人のいるところでそれを書くわけにもいかず絵馬は諦める。それならお守りを! とも思うけれど、お守りを買うとなんだか陸さん以外の人との縁を望んでいると思われてしまいそうでお守りも諦めた。
ちょっと心残りもあるけれど二荒山神社を後にして西参道茶屋で休憩することにした。観光をする前に少し食べ歩きをしただけで水分補給しかしていなかったのでお腹が空いていたので茶屋は嬉しい。でも、その茶屋の中に焼きおにぎりがあったので僕と陸さんは無言で食べたのは言うまでもない。
車でまわったとは言え観光でそれなりに歩いたから足湯はありがたい。鬼怒川まで行けばちゃんとした足湯の施設もあるみたいだけど市内では公営の足湯があるだけだった。
靴と靴下を脱いで足湯に浸かると、足の裏から疲れが取れていくようだった。
え? 待って。今度は温泉で来るかって言ったよね? え? 今日のこれだけでも恋人同士のデートみたいなのに、今度は温泉にも来るの? それってほんとにデートになっちゃうじゃん。あまりのことに僕の頭はパニックになる。
それに、嫌なら忘れろって言ったけど、嫌じゃなかったら覚えてていいんだよね? なら僕はいつまでだって忘れないでいる。
僕がきっぱりと言うと陸さんは目を大きく開けて僕を見た。なんだろう。何か変なこと言っただろうか。今度というのがあるのが僕にとっては嬉しいんだから忘れないに決まってるじゃないか。嫌なら、と言ったのは陸さんだ。
でも、さっき二荒山神社で陸さんとのご縁を祈ってきてすぐにこんな嬉しいことがあるなんて、ご利益はあるみたいだ。それならいつかお礼に行かなきゃだよね。
僕がじっと陸さんを見ているからか陸さんはそっぽを向いた。陸さんの格好いい顔見たいんだけどな。って、今日はいっぱい見たけど。でもどれだけ見たって飽きないんだ。
陸さんはそっぽを向いたまま靴下と靴を履いたので、僕も慌てて履いた。そして大股で車へと向かう陸さんの後を小走りで追いかけた。
陸さん、照れたのかな? そうだよね。なんだろう。陸さんとの距離が縮まってきている気がする。それがとても嬉しくて表情を普通に保つのが大変だった。