EHEU ANELA

愛のない婚約者は愛のある番になれますか?

忘れられない 02

千景を元町にあるフレンチの店に連れて行く、と考えたところでふと気づいた。なんで俺は千景を連れて行こうと思ったのだろう。お互い干渉ナシでと言ったのは俺だ。なのになんで千景を連れて行く必要があるんだ?

でも、それなら週末、千景に昼・夜と食事を作って貰っているのはどうなるんだ。干渉はしていない。ただ、善意でやってくれている。だからどこかへ連れて行こうとするのは感謝だ。お返しだ。それ以上でも以下でもない。

千景と結婚して約半年。結構上手くやっていると思うけれど、それは千景のおかげだ。千景は嫌な顔をせずに俺の部屋以外の掃除、洗濯をしてくれているし、週末には食事を作って貰っている。家政婦でもないのに、だ。だから上手くやれているとしたらそれは千景のおかげだとわかっている。

母さんも家事は家政婦にやらせればいいと言ったみたいだが、俺も似たようなことを言ったことがある。家政婦と同じ事をしているのだから俺が渡す金を使えと。だけど千景は笑って、僕がやりたいからと言う。それにしても、自然とどこかへ連れて行こうとしている自分がわからない。


「陸さん。支度できました」

夕食に中華街で飲茶をしたいと言った千景を中華街に連れて行くのに支度をすると言った千景。なにを支度するんだと思ったけれど着替えたらしい。わざわざ着替える必要なんてないのに。


「行くか」
「はい」

車の鍵を持って家を出る。


「元町には行くか?」
「時間があれば行きたいです」
「時間は取ってある」
「じゃあ寄りたいです。輸入雑貨とか、あそこでしか見かけないようなのがあるから見るのが好きなんです」

そうか。横浜港のお膝元の商店街だ。そういうものも多いのだろう。もっとも最近はチェーン店が増えてきて、元町らしさが薄くなったという話しは聞いたことがあるが。

エレベーターで地下駐車場へ降り、千景を助手席に乗せ、自分は運転席に乗る。ここから中華街まで30kmと少し。いいドライブだ。

そういえば和真と中華街に行ったことがあったな。あのときも飲茶を食べた。人気の店だから少し並んだのを覚えている。

和真ともっと色々なところへ行きたかったと思う。でも、もうそんなことはできない。車を1号線に向けて走らせながらそんなことを考えた。

 
「陸さん。僕、飲茶がしたいなんてわがままを言ってしまいましたが、大丈夫ですか? 陸さんは食べたくないかもしれないのに。ってここまで来ておいて今さら言うのも遅いのですが」

和真のことを考えていたから、千景の言葉で我に返る。今は千景と一緒なんだ。和真じゃない。それに考え事をして事故をおこしたら危険だと思って軽く頭を振る。今は和真のことを考えるときじゃない。


「俺も飲茶は好きだからいい。中華は好きか?」
「好きです!」
「なら今度は飲茶以外で中華を食べに行くか。小さなお店だけど美味い店がある」
「わぁ行きたいな。楽しみにしてます。中華街って買い食いしても満足できますよね。学生の頃はよくそんなことをしました」

確か千景の出身校は川崎にほど近い横浜の学校だったはずだ。自宅は都内だが、たまには遊びに行ったりしたのだろう。俺だって家からも会社からも、ましては学校からは距離があるのに中華を食べたくなったら中華街へと行っていたから俺よりも近い千景が行くのは不思議じゃない。


「僕、横浜って好きなんです。東京の隣だけど持っている雰囲気が東京とは全然違って」
「そうか。最近はいつ行った?」
「結婚してからは行ってないです」
「なぜ行かない?」
「行くには家事をお休みしなきゃいけないから」

行かない理由が家事だということに俺は驚いた。家事なんて一日くらいサボったっていいのに。そう言うと千景は笑って言った。


「でも、仕事してないんだから家事をやるのは当たり前ですし」

こいつはそんなに真面目なヤツなのか。だからお金を使えと言っても使わないのだろう。俺は小さくため息をついた。千景には口でいくら言っても変わらないだろう。そうしたら俺が連れて行くしかない。


「元町のフレンチの店は行ったか?」
「いいえ。だって友だちと行ったりはしませんよ」

千景は結婚する前は誰ともつきあったりしなかったのか? そのことに俺は驚いたけれど、なんでもないフリをした。


「なら今度食べに行こう。俺も行ったことはないが美味しいと有名だからな。ケーキも売っているからそれを買って帰ればいい」
「あ! ケーキは食べたことあります。買って帰ってお母さんと食べました。美味しかったですよ、上品な味で」
「そうか」
「でも食事で行けるのは楽しみです。だけど高くないですか?」
「お前はそんなことを考えなくていい。楽しみにだけしておけ」
「はい。じゃあ楽しみにしています」

そう返事をする千景の表情は明るくて嬉しそうだった。



 
「うわ〜お洒落だなぁ」
 

海外からの輸入品の食器類を見ながら千景が感嘆する。目の前の皿は確かに綺麗だ。そう考えて、結婚するときはあまり考えずに母さんが食器を選んでいたな、と思い出す。


「買うか」

俺がそう言うと千景はびっくりした顔をする。なにがそんなにおかしいのだろう。俺はなにも変なことは言っていないのに。そう思っていると千景が口を開く。


「高いですよ」

そう言われて値札を見ると、確かに結婚時に母さんが選んだものより多少高いかもしれないが、買えない値段ではない。


「よく使う皿だけでも揃えたらどうだ。そんなにびっくりするような価格でもないし」
「でも……いいんですか?」
「皿は毎日使うものだ。気に入らないものを使うより気に入ったものを使った方が気分もいいだろう」
「そうですけど……」

まだなにかを迷っている千景を横目に俺は千景が見ていた皿を手にする。お洒落なだけじゃなくて作りもしっかりしているから、そんなに簡単には割れないだろう。そう判断すると俺は数枚の皿の会計を済ませた。それを千景はびっくりした目で見ていた。


「なんだ?」
「え、だって高いのに」
「見たら厚みもそこそこあるから簡単には割れないと思ったから買った。デザインはお前が気に入ったのだろう」
「はい」
「なら高い買い物ではない」

そう言い切ると千景はなにも言えなくなったみたいだ。気に入った食器で毎日気分良く食事をすることを考えたら高いとは俺は思わない。その辺は考え方の違いなのかもしれないが、千景はお金を使うことに躊躇するきらいがある。

無駄遣いは俺もしない。でも、必要なものや今回みたいに毎日使うもので気に入ったものは買ってもいいと俺は思っている。お金は働けばいいだけのものだ。そうやってお金を使うことがないと、毎日大変な思いをして働いている意味が感じられない。欲しいものは買いたい。


「陸さん、持ちます」

そう言って今買ったばかりの袋を持とうとする。こいつはなんで自分でなんでもしようとするのだろうか。少しは甘えられた方が男は喜ぶのに。ああ、そうか。千景も男だ。でも、それなら男の気持ちはわかるだろうに。


「いい。俺が持つからお前は見ていろ。元町は久しぶりなんだろう」
「はい」
「それなら楽しめ。そして欲しいものがあったら言え」
「でも、そうしたら無駄遣いしちゃいますよ」
「必要のないものを買うのは無駄遣いだが、皿のように使うものであれば無駄遣いとは言えないんじゃないか。とにかく欲しいものは言え。無駄遣いかそうでないかは俺が判断するから」

そう言うと千景は眉をたらした。

たまにはこうやってショッピングをするのもいいと思うのだけど千景は違うのだろうか。

でもほんとに久しぶりのショッピングだ。年末も仕事がぎゅうぎゅう詰めだったから、たまにはこうやってお金を使いたい。ストレス発散だ。年明けはバレンタインデーに向けてまた会社は忙しくなるのだから。

そう思いながら2人で元町を歩いて行く。その中でお洒落な紳士靴やネクタイを見つけて買った。

そうやって俺は自分のものを買ったりしたけれど、千景は自分のものは買わずに家のものばかり見ていた。

気の済むまで買い物をし、食事をするのにいい時間になったので中華街へと向かった。



 
「わぁ。美味しそう! なにから食べよう」
「好きなように食べろ」

テーブルの上には数種類の蒸し餃子、小籠包、焼売、春巻きが乗っている。まずはこれからだろうと思って適当に注文した。そんな料理を見ながら千景は目をキラキラとさせている。そんなに食べたかったのだろうか。それなら連れてきて良かったと思う。

千景は無言でまずはエビ蒸し餃子から手をつけ、小籠包、焼売、春巻きと次々と手をつけていく。そしてテーブルの上の蒸籠はどんどんなくなっていく。


「ほんと美味しい。陸さん、ありがとうございます」
「そんなのはいいから、いっぱい食べろ」
「はい!」

ここの飲茶には北京ダックがあった。飲茶には珍しいと思ってそれも注文した。そしてテーブルにやってくると千景は手を止めて言った。


「実は僕、北京ダックって初めてなんです」
「そうか。食べ方は簡単だ。このうす餅にタレをつけてから北京ダック、野菜を乗せて食べるだけだ」

そう言いながら俺は手のひらにうす餅を広げ、タレを広げて塗り、肉、野菜を乗せて巻いたものを食べる。

俺がそうやって食べたのを見て千景も真似をしてうす餅を巻いて食べた。すると、また目をキラキラとさせて俺を見る。


「陸さん。すごい美味しいです!」
「そうか。ならたくさん食べろ。まだあるから」
「はい!」

目をキラキラさせながら食べる姿を見ながら俺も口にしていく。でも、自分が食べるよりも美味しそうに食べる千景を見ることに忙しい。気分は保護者だ。それでも、しっかり食べておかないと俺も後でお腹が空いても困るので無言で食べ続ける。

他の席ではみんな楽しそうにおしゃべりをしながら食べているが、俺たちは無言で食べている。食べるときはいつも無言だし、今日は千景は食べるのに忙しくてそれどころじゃないだろう。

今日は俺が元々夕食は外でと決めていたから千景に食べたいものを訊いたが、いつもなら千景が俺に食べたいものを訊いてくる。つまり、いつもならこいつは点心が食べたいと思っても黙っているのだろうなと思ったら胸のあたりがむずむずする。人のことを気に掛けることができるのはいいことだけど、全部相手にあわせる必要もない。こいつにはそれが出来ないのだろうか。そう思って千景に言う。


「普段でも、自分の食べたいものを作っていいんだぞ。こういう作るのは無理なのもあるからこうやって食べにくればいいし。外で食べたいのならそう言えばいい。車を出すから」
「でも陸さんが食べたいものだってあるでしょう?」
「それなら、お前だって食べたいものがあるだろう。お互いが食べたいものを食べればいい。でないとお前は我慢することになるぞ。家でもそんなふうだったのか?」
「いえ。家では食べたいものを言ったりしてました」
「だろう。それと同じだ」

家族が変わっただけだ、と言いそうになって慌ててその言葉を飲み込む。俺と千景が家族……。俺には和真がいたのに。今は千景が家族になったのか。

俺が小さくショックを受けているそばで、千景は眉をたらしている。


「じゃあ、これからは食べたいものがあったり、食べに行きたいお店があったら言ってもいいですか?」
「言えばいい。そして食べに行こう」
「はい」

これでこいつも食べたいものができたら言ってくるだろう。こいつはなんで俺ばかりを優先するんだろう。まだ和真のことを忘れられない俺なんかのことを。

いや、忘れることなんてできないのかもしれない一生。でも、少しは前を向かなきゃいけないとも思う。もう和真はいないのだし、俺はいくら望んでいなかったとは言え千景と結婚したのだから。そう思うと少し悲しくて、その気持ちを飲み込むように点心を口に入れた。