千景を元町にあるフレンチの店に連れて行く、と考えたところでふと気づいた。なんで俺は千景を連れて行こうと思ったのだろう。お互い干渉ナシでと言ったのは俺だ。なのになんで千景を連れて行く必要があるんだ?
でも、それなら週末、千景に昼・夜と食事を作って貰っているのはどうなるんだ。干渉はしていない。ただ、善意でやってくれている。だからどこかへ連れて行こうとするのは感謝だ。お返しだ。それ以上でも以下でもない。
千景と結婚して約半年。結構上手くやっていると思うけれど、それは千景のおかげだ。千景は嫌な顔をせずに俺の部屋以外の掃除、洗濯をしてくれているし、週末には食事を作って貰っている。家政婦でもないのに、だ。だから上手くやれているとしたらそれは千景のおかげだとわかっている。
母さんも家事は家政婦にやらせればいいと言ったみたいだが、俺も似たようなことを言ったことがある。家政婦と同じ事をしているのだから俺が渡す金を使えと。だけど千景は笑って、僕がやりたいからと言う。それにしても、自然とどこかへ連れて行こうとしている自分がわからない。
夕食に中華街で飲茶をしたいと言った千景を中華街に連れて行くのに支度をすると言った千景。なにを支度するんだと思ったけれど着替えたらしい。わざわざ着替える必要なんてないのに。
車の鍵を持って家を出る。
そうか。横浜港のお膝元の商店街だ。そういうものも多いのだろう。もっとも最近はチェーン店が増えてきて、元町らしさが薄くなったという話しは聞いたことがあるが。
エレベーターで地下駐車場へ降り、千景を助手席に乗せ、自分は運転席に乗る。ここから中華街まで30kmと少し。いいドライブだ。
そういえば和真と中華街に行ったことがあったな。あのときも飲茶を食べた。人気の店だから少し並んだのを覚えている。
和真ともっと色々なところへ行きたかったと思う。でも、もうそんなことはできない。車を1号線に向けて走らせながらそんなことを考えた。
和真のことを考えていたから、千景の言葉で我に返る。今は千景と一緒なんだ。和真じゃない。それに考え事をして事故をおこしたら危険だと思って軽く頭を振る。今は和真のことを考えるときじゃない。
確か千景の出身校は川崎にほど近い横浜の学校だったはずだ。自宅は都内だが、たまには遊びに行ったりしたのだろう。俺だって家からも会社からも、ましては学校からは距離があるのに中華を食べたくなったら中華街へと行っていたから俺よりも近い千景が行くのは不思議じゃない。
行かない理由が家事だということに俺は驚いた。家事なんて一日くらいサボったっていいのに。そう言うと千景は笑って言った。
こいつはそんなに真面目なヤツなのか。だからお金を使えと言っても使わないのだろう。俺は小さくため息をついた。千景には口でいくら言っても変わらないだろう。そうしたら俺が連れて行くしかない。
千景は結婚する前は誰ともつきあったりしなかったのか? そのことに俺は驚いたけれど、なんでもないフリをした。
そう返事をする千景の表情は明るくて嬉しそうだった。
海外からの輸入品の食器類を見ながら千景が感嘆する。目の前の皿は確かに綺麗だ。そう考えて、結婚するときはあまり考えずに母さんが食器を選んでいたな、と思い出す。
俺がそう言うと千景はびっくりした顔をする。なにがそんなにおかしいのだろう。俺はなにも変なことは言っていないのに。そう思っていると千景が口を開く。
そう言われて値札を見ると、確かに結婚時に母さんが選んだものより多少高いかもしれないが、買えない値段ではない。
まだなにかを迷っている千景を横目に俺は千景が見ていた皿を手にする。お洒落なだけじゃなくて作りもしっかりしているから、そんなに簡単には割れないだろう。そう判断すると俺は数枚の皿の会計を済ませた。それを千景はびっくりした目で見ていた。
そう言い切ると千景はなにも言えなくなったみたいだ。気に入った食器で毎日気分良く食事をすることを考えたら高いとは俺は思わない。その辺は考え方の違いなのかもしれないが、千景はお金を使うことに躊躇するきらいがある。
無駄遣いは俺もしない。でも、必要なものや今回みたいに毎日使うもので気に入ったものは買ってもいいと俺は思っている。お金は働けばいいだけのものだ。そうやってお金を使うことがないと、毎日大変な思いをして働いている意味が感じられない。欲しいものは買いたい。
そう言って今買ったばかりの袋を持とうとする。こいつはなんで自分でなんでもしようとするのだろうか。少しは甘えられた方が男は喜ぶのに。ああ、そうか。千景も男だ。でも、それなら男の気持ちはわかるだろうに。
そう言うと千景は眉をたらした。
たまにはこうやってショッピングをするのもいいと思うのだけど千景は違うのだろうか。
でもほんとに久しぶりのショッピングだ。年末も仕事がぎゅうぎゅう詰めだったから、たまにはこうやってお金を使いたい。ストレス発散だ。年明けはバレンタインデーに向けてまた会社は忙しくなるのだから。
そう思いながら2人で元町を歩いて行く。その中でお洒落な紳士靴やネクタイを見つけて買った。
そうやって俺は自分のものを買ったりしたけれど、千景は自分のものは買わずに家のものばかり見ていた。
気の済むまで買い物をし、食事をするのにいい時間になったので中華街へと向かった。
テーブルの上には数種類の蒸し餃子、小籠包、焼売、春巻きが乗っている。まずはこれからだろうと思って適当に注文した。そんな料理を見ながら千景は目をキラキラとさせている。そんなに食べたかったのだろうか。それなら連れてきて良かったと思う。
千景は無言でまずはエビ蒸し餃子から手をつけ、小籠包、焼売、春巻きと次々と手をつけていく。そしてテーブルの上の蒸籠はどんどんなくなっていく。
ここの飲茶には北京ダックがあった。飲茶には珍しいと思ってそれも注文した。そしてテーブルにやってくると千景は手を止めて言った。
そう言いながら俺は手のひらにうす餅を広げ、タレを広げて塗り、肉、野菜を乗せて巻いたものを食べる。
俺がそうやって食べたのを見て千景も真似をしてうす餅を巻いて食べた。すると、また目をキラキラとさせて俺を見る。
目をキラキラさせながら食べる姿を見ながら俺も口にしていく。でも、自分が食べるよりも美味しそうに食べる千景を見ることに忙しい。気分は保護者だ。それでも、しっかり食べておかないと俺も後でお腹が空いても困るので無言で食べ続ける。
他の席ではみんな楽しそうにおしゃべりをしながら食べているが、俺たちは無言で食べている。食べるときはいつも無言だし、今日は千景は食べるのに忙しくてそれどころじゃないだろう。
今日は俺が元々夕食は外でと決めていたから千景に食べたいものを訊いたが、いつもなら千景が俺に食べたいものを訊いてくる。つまり、いつもならこいつは点心が食べたいと思っても黙っているのだろうなと思ったら胸のあたりがむずむずする。人のことを気に掛けることができるのはいいことだけど、全部相手にあわせる必要もない。こいつにはそれが出来ないのだろうか。そう思って千景に言う。
家族が変わっただけだ、と言いそうになって慌ててその言葉を飲み込む。俺と千景が家族……。俺には和真がいたのに。今は千景が家族になったのか。
俺が小さくショックを受けているそばで、千景は眉をたらしている。
これでこいつも食べたいものができたら言ってくるだろう。こいつはなんで俺ばかりを優先するんだろう。まだ和真のことを忘れられない俺なんかのことを。
いや、忘れることなんてできないのかもしれない一生。でも、少しは前を向かなきゃいけないとも思う。もう和真はいないのだし、俺はいくら望んでいなかったとは言え千景と結婚したのだから。そう思うと少し悲しくて、その気持ちを飲み込むように点心を口に入れた。