EHEU ANELA

愛のない婚約者は愛のある番になれますか?

忘れられない 01

クリスマスが終わると一気にお正月ムードになった。僕は家中を大掃除したけれど、特におせち料理は作らなかった。というよりも三が日のうち2日は僕の実家と陸さんの実家に行くから、家であまり食べることはないのだ。それでも少量でも作ろうかと悩んでいると陸さんがその日はお昼は家でちょっと良い物を食べて、夜は食べに出かけようと言ってくれたのだ。正直、その提案にホッとした。

おせち料理は料理教室でも教わったし、家ではお母さんの手伝いをしていたから作り方は多分覚えているし、今はレシピサイトを見ればわからないことはない。それでも1人でお重いっぱいのおせち料理を作れるか少し不安があったのだ。だから陸さんの提案はホッとしたのだ。

元旦の今日は朝ゆっくり起きて、サラダと昨日作ったローストビーフでブランチを取る。そして15時頃に家を出て陸さんの実家に新年の挨拶に来た。


「あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう」

お義父様とお義母様に挨拶をする。2人に会うのは新婚旅行から帰ってきてお土産を渡しに来たとき以来だ。もう半年ちょっと経つ。早いな。結婚してそんなに経つんだ。

  
「さあお茶にしましょう。今日は近所に新しくできたパティスリーのお菓子よ」

そう言ってリビングのソファに座る。相変わらず30畳超えのリビングは圧倒的だ。

席に座ると茜さんがコーヒーとケーキを持って来てくれる。お義父様と陸さんには抹茶のケーキを。お義母様と僕には苺と生クリームのパイだ。


「食べましょう。ほんとに美味しいのよ。さ、千景くん」
「はい。いただきます」

そう言って苺と生クリームを口に入れると苺の酸味と生クリームの甘みがよくあっている。


「美味しい!」
「でしょう。陸、あなたも食べなさい。クリームも抹茶だからあなたでも食べられるわよ」

お義母様がそう言うと陸さんもケーキに口をつけた。言葉にはしないけれど、美味しかったらしく無言で食べ続けている。僕と2人だと美味いとか一言はくれるのに、お義母様には言わないようだ。


「で、どう? 仲良くやっているの? 番にはなった?」

僕が答えようとしたら、先に陸さんが答えた。


「放っておいてくれ」

でもその一言じゃまずいと思う。と思った瞬間、やっぱりお義母様は目をつり上げた。ほら、ね。


「なんですか、あなたは。まさか、まだ番になっていないと言うの? もうヒートは来ているでしょう」

最後の質問は僕に投げかけてきた。陸さんの一言で怒ってしまったお義母様の気持ちをなだめるために僕は口を開いた。


「ごめんなさい。まだ番には……。僕が、ヒートっていうのを恥ずかしくて隠しちゃうから。ごめんなさい。今度から隠さないようにします」

決して嘘は言っていない。ヒートって要は発情期だから。動物みたいになる自分が恥ずかしくて陸さんに知られるのが嫌なんだ。

もちろん、僕が何日も部屋に籠もっていればヒートだとバレてしまうけれど、浅ましい姿を見られるよりはずっとマシだ。


「そうなのね。別にヒートは恥ずかしいことじゃないのよ。子孫を残そうとする本能なんですもの。だから今度からヒートが来ても隠す必要はないのよ」
「はい。ごめんなさい」
「もう謝らなくていいわ。千景くんがヒートになったら後はあなたが項を噛めばいいのよ、陸」
「……」

僕が答えたことでお義母様は気持ちを落ち着けたようだけど、今度は陸さんが無言で返事をしないからお義母様は大きなため息をついた。


「陸。あなた何をしているの」
「……わかったよ。番になればいいんだろ」

陸さんが言った番という言葉に僕は恥ずかしくて赤くなった。その辺の話しはどうも恥ずかしくてダメだ。それよりも陸さんと番になる? ほんとに? 陸さんはほんとにそれでいいのだろうか。好きな人はいいの? でも、もしほんとに陸さんと番になれるのなら、僕的にはそれはとても嬉しい。今度ヒートが来たときに項を噛まれるのだろうか。それなら部屋の鍵はかけない方がいいだろうか。


「まずは千景くんが恥ずかしがらないこと。夫夫には大切なことよ。そして千景くんがヒートになったらあなたが項を噛むこと。決して難しいわけじゃないわ。で、それ以外はどうなの? 仲良くやってる? また顰めっ面をしているんじゃないでしょうね」
「それはありません! 先日も熱海に連れて行って貰ったんです」

僕たちが仲良くやっているか心配なお義母様に僕は答えた。これは声を大にしていいたい。陸さんは優しいと。


「そう? それならいいのだけど。でも、もしなにかあったら怒っていいのよ。それか私に言ってくれてもいいわ」
「怒るなんて、そんな。ほんとに優しくして貰ってますから安心してください」
「陸が優しいと言うのが想像つかないけど、仲良くやっているのなら良かったわ」

そう言うとお義母さんは安心した顔をした。陸さんはお義母様の前ではぶっきらぼうなので僕と2人でもそうなのかと心配していたようだ。確かに最初の頃はそうだったけれど、最近の陸さんはそういうのがだいぶなくなったからお義母様を安心させるために僕は色々と話しをした。




********



元旦に実家に顔を出し、翌日は千景の実家へと行った。そして3日は家でのんびりとした。三が日でのんびりできるのは今までにはなかったことだ。結婚する前は三が日は親戚がくるのもあり、それで三が日は潰れていた。でも結婚して家を出たことで面倒な親戚を相手にしなくて良くなったことにホッとした。

そんな感じだったから和真とは三が日は会えなかったんだ。

和真……。

1月4日。今日は和真の命日だ。今でもあの日のことは夢に見ることがあるくらいだ。血を流して冷たくなった和真。数日ぶりのデートの日だったのに。

命日の今日、俺は花を買ってきて自室に飾ってある和真の写真の横に生けた。墓を知っていたら墓参りをしたかったけれど、さすがに墓の場所を訊くのは不自然なので、俺は和真の墓の場所を知らない。

和真を失って1年。その間に俺は子供の頃から許嫁だった千景と結婚した。和真が生きていたらどうしただろうと思う。和真と駆け落ちしていただろうか。それとも諦めて千景と結婚しながら、たまに和真と会っていただろうか。でも、和真のことだから俺の結婚の日が決まったら別れようと言われていただろう。不倫をよしとしない男だったから。

和真の事故死が別れとなってしまったけれど、生きていても別れてしまったのだろうと考えるととても悲しい。結局、千景という婚約者がいたら和真とは別れる運命だったんだろう。いや駆け落ちしていたら別だが。

でも、そこで千景のせいにする気はない。千景は俺の言動に嫌な顔ひとつしないし、いつも笑顔でいる。でも千景だって親が決めた相手と結婚するという被害者だし、千景が俺になにかをしたわけじゃない。それどころか、好きで結婚したわけでもない俺のために週末だけとはいえ食事を作ってくれる。だから千景を恨むことはない。感謝しているくらいだ。

恨むのなら母さんだ。身近にオメガで出自の良い子がいるからと、千景がまだ赤ん坊のときに将来を決めた。そのときは俺もまだ小さかったからそれがどういうものかよくわかっていなかった。ただ、将来、あなたはこの子と結婚しなさいと言われて、世の中はそんなものなんだと頷いてしまった。

大体、令和のこの時代に家柄云々言うのは時代錯誤だろう。皇室でも恋愛結婚が許されているのに、なぜ庶民の俺たちが家柄云々で結婚を決められたのか。それがどうにも納得できない。

それでも、千景との生活は悪いものではないと思っている。最初にお互い干渉はなしでと言ったからだろう、千景は俺にまとわりついてこないし、なにも要求しない。それなのに週末には俺の食事まで作ってくれている。これには文句を言ってもいいのに千景はそんなことは言わない。だから、申し訳ないけれど母さんの存在がない分気が楽だ。

そんな結婚生活だけど、たまに思う。今、和真が生きていたらどうなっていただろうかと。もしかしたら千景と結婚はしたかもしれない。でも、外に恋人がいるような男に対して離婚届を叩きつけてきたかもしれない。でも、そんなたられば話しは考えたって悲しいだけだ。逆に和真がこの世にいないという事実を突きつけられるだけだ。


「陸さん、お食事ができました」

千景の声に我に返る。そうだ。週末ではないけれど、休みの今日は千景が食事を作ってくれるんだった。午前中に花を買いに行ってからずっと部屋に籠もって和真のことばかりを考えていた。

 
「今行く」

そう返事をして部屋を出た。


「夜はなにが食べたい?」

千景に作って貰った昼食を食べながら訊く。今日の昼食はマカロニグラタンだった。

結婚前に料理教室に通っていたからだろうか、千景のレパートリーは広い。実家で茜さんが作ってくれていたような料理が普通に出てくる。そしてその度に思う。家政婦と同じことをしているのに嫌な顔を1度もしたことがない。


「わがままを言ってもいいですか?」

千景がわがまま? 今まで1度もわがままを言ったことのない千景が珍しいなと思う。


「なんだ?」
「中華街で飲茶がしたいです。最近、飲茶を扱うお店が増えたみたいだし、夜にも提供しているらしいので」
「飲茶か。最近食べていないな。行くか」
「はい! ありがとうございます」

そうして嬉しそうに笑う。わがままと言うからなにを言い出すのかと思えば中華街で飲茶がしたいということだった。それくらいわがままでもなんでもないのにと思う。千景としては、わざわざ中華街と指定したからわがままだと思ったのだろうけれど、そんなのわがままでもなんでもない。車でそんなに時間もかからないのだ。混雑さえしなければ40分くらいで着く距離だ。


「行きたい店は決まってるのか? 決まっているなら予約を取るが」
「いいえ。行ってみて良さそうなところに入ればいいかなって。それとも陸さんが行きたいお店ありますか?」
「いや、俺はどこでもいい。じゃあ適当に入ろう」
「はい」

そう返事をする千景は嬉しそうだ。なにか食べたいものがあるのだろうか。


「なにか食べたいものでもあったのか?」
「はい。点心が食べたくて……」
「食べたいものがあるなら食べに行けばいい。休みの日なら車を出すから」
「ありがとうございます」

こいつは食べたいものは作ろうとするのか? 俺は料理をしないからわからないけど、作るのが面倒なものだってあるだろうに。そういうものは食べに行けばいいと俺は思うのだけど千景は違うらしい。

それでも、夜に中華街に行くと決まったからか、千景は嬉しそうにしている。そして、そんなふうに笑っている千景を見て俺もふと頬が緩みそうになって慌てる。

なんでだ? なんで千景の嬉しそうな顔を見て俺まで嬉しくなって笑いそうになるんだ? 今日がいつか忘れたわけじゃないだろう。今日は和真の命日だ。そんな日になんだ。


「陸さん? どうかしましたか?」

俺は難しい顔でもしていたのだろうか。千景が俺を見て心配そうな顔をする。


「いや、なんでもない」
「もし用事があったり、体調が優れないようなら別の日に……」
「いや。大丈夫だ」

さっき嬉しそうにしていたのに、もう表情は曇ってしまっていた。曇らせたのは俺だ。そう思うと少し申し訳ない気がした。


「まだお正月休みだから道も混むだろうと思っただけだよ」

嘘だ。違う。でも、もっともらしい嘘をついたことで千景は納得したようだった。


「あ、そうか。そうですよね」
「だから少し早めに出よう。もし早くに着いたのなら元町でも見ていればいい」
「わぁ。元町なんてもう何年も行ってないです」

元町という言葉を出すと千景の目がキラキラと輝きだした。元町が好きなのだろうか。


「好きなのか? それなら少し早く行くか」
「いいんですか? 嬉しい!」

千景が元町が好きだとは知らなかった。そうしたら今度は元町にあるフレンチの店にでも連れて行くか。昔からある有名なフレンチの店がある。入ったことはないけれど、雑誌でも必ず紹介されるような店だ。いつも食べに連れて行くのは都内ばかりだったが、今度は横浜を選んでもいいのかもしれない。そう思った。