EHEU ANELA

愛のない婚約者は愛のある番になれますか?

デートみたいで2

駐車場から建物の中に入り2階でチェックインをし、館内着とタオルの入ったバッグを受け取る。そしてエレベーターで5階まで上がり、ロッカールームで館内着に着替える。


「ランチは予約を取ってある」

え? 予約なんて取ってくれていたの? 僕はなにもわからないので前を歩く陸さんの後をついて行く。

エレベーターで3階に降り、扉を開けるとそこは海を一望できる広いレストランがあった。


「サラダやパン、飲み物は食べ放題だ。メインメニューは勝手だが真鯛のソテーを予約してある」

真鯛のソテー。それで陸さんが海鮮物は大丈夫か聞いたんだな。

通された席は外のテラス席で何にも邪魔されることなく海を真正面に見れる席だ。確かに館内席でも海は見られるけれど、何にも邪魔されないのはテラス席だけだ。

こんなに良い席でランチが食べられるなんて最高だ。しかも海のあるここで海鮮だなんて新鮮に決まってる。ソテーは家でも出来る。でも、鮮度はこことは大違いだ。こんなところで食べられるなんて贅沢だ。


「陸さん。ありがとうございます」
「礼を言う必要はない。こちらが礼を言わなくてはいけない立場だ」

やっぱり陸さんは優しい。それは子供の頃からなにも変わらない。だから僕は陸さんが好きなんだ。憧れても当然だろう。こんなにスマートにエスコートしちゃう人なんだ。


「サラダバーにでも行くか」

そこでふと気づく。僕、お財布持って来てないし、陸さんも持っていない。お会計はどうするんだろう。


「陸さん、お会計はどうするんですか? お財布持って来てませんけど。持ってきた方がいいですよね?」

必要なら急いで取りに行こう。そう思っていると陸さんは小さく笑って手首にはめたリストバンドを指指す。


「リストバンドで精算する。それはここだけじゃない。館内の有料のものは全てこのリストバンド精算だ。そして帰りに窓口で支払う」

あ、そうなのか。それでリストバンドは失くすなって言われたのか。全くスマートじゃない自分につい恥ずかしくなる。どこの田舎者なんだろう。でも、こんなところ来たのは初めてなんだ。家族でくることはなかったし、陸さんとの結婚が決まっていた僕は誰かと付き合ったりしたことはない。だけど陸さんは慣れているみたいだし、やっぱり付き合っていた人いたよね?

そう考えると少し胸が痛かったけれど、陸さんに呼ばれて思考を捨て去る。


「だから、ほらサラダバーに行くぞ」

そう促されて僕は席を立って陸さんの後をついて行く。建物の中に入った真ん中らへんにあるサラダバーは野菜も新鮮でパンやスープの種類も豊富だった。こんなに沢山あったらどれにしようか迷ってしまう。


僕はクロワッサンを選び、オニオンスープを取って1度席に戻る。そして手に持っていたものをテーブルに置くと、サラダと飲み物を取るのに再度サラダバーへと行く。

サラダバーの野菜を見るととても新鮮なので美味しそうだ。やっぱり都内のスーパーで買うのとは鮮度が違うなと思って見る。

フルーツ多めのサラダとアイスコーヒーを手に席に戻ると陸さんは既に席に戻っていた。僕も陸さんの向かいの席に座るとちょうどメインメニューが運ばれてきた。

真鯛のソテーだけど、端には春野菜とあさりもついていた。それを見て僕はテンションが上がる。鮮度もだけど、盛り付けがとてもしゃれていて、こういうのは外でしか食べられないなと思う。いや、やろうと思えばできるけれど、大体家でフランス料理なんて作らない。


「美味しそう!」
「ああ。美味そうだな」
「いただきます!」

そう言ってから、まずはサラダに手をつけた。

新鮮な野菜とフルーツ。フルーツは毎日食べているけれど、フルーツさえいつもと違うように感じた。いや、野菜は新鮮なのはわかるけれど、キウイは国内産にしたって産地は西だ。熱海近郊じゃない。だから気のせいなんだと思う。こんなところで食べたらそう感じてしまうだろう。

サラダの次はメインの真鯛のソテーに手をつける。ソースはオーロラバターソースだ。一口食べると真鯛のプリッとした食感がする。美味しい! やっぱり都内のスーパーで買う鯛とは大違いだ。


「陸さん、美味しいです」
「美味いな」

僕なんかと違って美味しいものをいっぱい食べているだろう陸さんが美味しいと思うんだ。とすると僕が美味しいと思うのは当然なんだな。

次にソースのかかった春野菜を食べる。うん、これも新鮮で美味しい。この辺で取れた野菜なんだろうか。そしてあさり。僕はあさりが好きだ。それを真鯛と一緒に食べられるなんて贅沢だ。

もう食べるもの全てが美味しくて、僕は黙々と料理を胃におさめて行く。陸さんも黙っているからきっと同じなんだろう。

美味しいパンもこれが3個目だ。そう言えばパンって家でも作れるんだよな。山形パンならホームベーカリーでも出来るし、クロワッサンとかならオーブンで出来る。今度作ってみようかな。というか、ホームベーカリーを買うのもありだなと思う。けれどそこで気づいた。陸さんは家でパンを食べることはほとんどない。週末のブランチくらいだ。平日の朝はシリアルだし。


「難しい顔をしてどうした。味が変か?」

陸さんの声に我に返る。僕、難しい顔してた?


「あ、いえ。パンが美味しいなと……でも、家ではパンは……」
「お前は毎朝パンじゃないのか? いつも買ってるパン屋は美味しくないか?」

あぁ、僕が難しい顔してたからそう考えちゃったか。ダメだな、僕は。


「そうじゃないんです。家でパンを作ろうかと思ったけど、陸さんは食べませんもんね」

そう。わざわざ陸さんが食べないものを作る気はしない。僕1人のためにわざわざ手をかけるのは面倒くさい。


「週末のブランチや昼なら食べているだろう」
「そうなんですけど……」

そしたら週末にパンを焼いてみたら陸さんは食べてくれる?


「お前が作りたいのなら作れば良い。あれば食べる。ただし、手間がかかりそうだから無理はするな」

作ったら食べてくれるの? その言葉に僕は嬉しくなった。陸さんが食べてくれるのなら作る。そしたらホームベーカリーも欲しいなぁ。


「あの……ホームベーカリーを買ってもいいですか?」
「構わないが。そんなに高価なのか?」
「いえ、ピンからキリまであって、安いのは一万円ちょっとです。高いのは高いですけど、食べるのは僕と陸さんだけなのでそんなに大きいのはいらないし、そんなにバカ高くはないですけど……」
「それくらいなら好きに買え。多少値がしたって必要なものや欲しいものならクレジットカードを使えばいい」
「はい」

そんなに簡単にクレジットカードを使ってもいいんだろうか。僕はクレジットカードを渡されてからまだ1度も使ったことはない。


「普段、カードを使ってないだろう。使っても構わないんだぞ。お前だって欲しいものの一つや二つあるだろう」

ある。あるけど、陸さんが働いたお金を僕が使ってもいいのか未だに考えてしまって使えずにいる。


「俺の金だからと遠慮しているのかもしれないが、家事をやっているのだってタダじゃない。家政婦だってお金を貰っている。だからお前だって金を貰う立場にあるんだ。それを給料として渡すかクレジットカードや毎月の現金の中から自由に使うかの差だ」
「でも、主夫が家のことをするのは当然なので」
「お前が使わないのなら家政婦を雇ってそっちに払うが。俺が払うのに変わりはない」

いや、陸さん、それは違うよ。僕が慌てると陸さんは言う。


「いえ、僕がやります。でも……」
「わかった。明日にでも買いに行こう」
 

僕が勝手に使わないと思った陸さんは買いに行こうと提案してきた。美味しいパンを食べた感動から、家で作れるなと考えたことから大事になっちゃった。でも陸さんはいつもの無表情で食べている。これ、僕が折れるのが一番いいのかもしれない。無駄遣いはしないけれど。


「じゃあ安いのをお願いします」
「ああ、わかった」

そんなこんなで明日はホームベーカリーを買いに行くことになってしまった。それでも、美味しいパンが作れるのなら陸さんに作ってあげたい。美味しいパンを食べながらそう思った。


美味しいランチを食べた後は5階に戻り温泉に入る。まずは内湯から。内湯からも相模灘を見ることができる。なのでまずは展望内湯と水素泉に浸かる。水素泉はすべすべ美肌や疲労回復にいいらしい。僕は男だからあまりすべすべは必要ないし、疲労回復が必要なほど疲れてはいないけれど、通常より保温効果があるらしいので入っておく。少し冷え性なところがあるからいいだろう。

陸さんは水素泉に浸かりながら外を見ている。


「露天は立ち湯があるぞ」

そう言われて、立ち湯? と考える。立って温泉に入るんだ。ちょっと入ってみたい。


「行くか?」
「はい!」

陸さんと僕は水素泉から出て露天へと出る。露天は、掛け流し露天湯と露天立ち湯の二つがあった。陸さんは迷わずに立ち湯へと行くので、僕も後をついて行く。そこは海を一望できる、というよりはまるで海に浮かんでいるかのようだ。


「すごいですね!」
「そうだな」

海が見えるだけでもいいのに、こんな海に抱かれているような感覚を味わえるなんて最高だ。夕方とか夕陽が綺麗だろうな。そう思っていると陸さんも同じことを考えたようだ。


「夕方はもっと綺麗だろうな。温泉からあがってもラウンジもあるし、軽食を取れるところもあるから、その時間までいるか。冬だから陽が沈むのは早いだろうし」

それまでいてもいいんだ。それなら夕陽が沈むのを見ていたい。


「見たいです!」
「じゃあいよう」

そう言って小さく笑う陸さんに僕は嬉しくなった。ほんとに小さくなんだ。気にしていないと見逃してしまうくらいに小さくだけど笑ってくれたんだ。

僕は陸さんが笑ってくれるのが嬉しい。あの結婚式のときの沈んだ表情は見たくない。もちろん、僕としたくて結婚したわけじゃないのはわかっている。それでも、少しは気を楽にしてあげたいんだ。でも僕ができることは限られていて。だからこういうところでも陸さんがゆったりとした気持ちになって笑えるのなら僕はそれが嬉しい。

陽が沈むまでここにいることが決定し、僕と陸さんは言葉もなく海を見ながら温泉に浸かっている。すごく気持ちがいい。ほんとに海に抱かれているようだ。

どれくらいそうやって海を見ていたんだろう。陸さんが僕の顔を見て言う。


「1度あがった方がいいな。顔が真っ赤だぞ。なにか飲み物を飲んでラウンジで休もう」

僕、そんなに赤い顔してる? でも、陸さんが僕を見ていてくれているのが嬉しい。ほんの少しでいいんだ。陸さんの中に僕という存在がほんの少しでもあれば。

2人で露天風呂を出て館内着を着て、カフェのある3階に降りる。3階には色々な趣向をこらしたラウンジがあるらしい。だからまずはカフェで飲み物をテイクアウトで買おう。

 
「ほんとなら風にあたった方がいいんだが、今は冬だからな。どこのラウンジがいい?」

僕が行きたいところなんて言っていいの? それより普段の疲れを取って欲しいから陸さんを優先した方がいいんじゃないだろうか。そう思ったところで陸さんが言う。


「俺のことは考えなくていい。今日はお前のことを考えろ」

そう言われて、ここまで来た時に見た掘りごたつのラウンジか大きなソファーのあるラウンジがいいと思った。ソファーはとても大きくて円を描くようになっていて、他のお客さんと一緒になることはない。プライベート感があるのだ。だからそれを言ってみた。陸さんも同じだと少しは休んで貰えるかな?


「掘りごたつかソファーのところがいいです」
「顔が赤いから掘りごたつは却下だな。ならソファーの方にするか」
「はい」

カフェでアイスコーヒーをテイクアウトし、大きなソファーがいくつもあるラウンジへと行く。ソファーは空いていて、僕と陸さんはソファーに座った。というか、寝そべったに近い。ソファーが低いのだ。床にコーヒーを置き、1度大きく伸びをする。


「少しは疲れも取れたか?」
「僕は大丈夫です。それより陸さんがゆっくりとしなくては」
「俺は大丈夫だ。今日はお前の休息日だ」

そう言ってくれる陸さんはやっぱり優しい。でも、陸さんは僕なんかとより好きな人と来たかっただろうな。そう思ってコーヒーを飲む。考えると少し辛い。僕は陸さんの特別ではない。いくら優しくされたってそれを忘れたらダメだ。いくら今日はデートっぽいと言ってもデートなんかじゃないんだ。ただの感謝だ。そう思って小さく頭を振る。と、それを見られていたようだ。


「どうした。頭でも痛いか?」
「え? あ、いえ。なんでもないです」
「そうか。痛かったり体調が悪かったりしたら遠慮せずに言え」
「はい」

でも、陸さんは優しすぎて僕はどんどん陸さんに惹かれていく。


ソファでゆっくりしているとウトウトしていたようだ。ハッと目が覚めると目の前に陸さんがいて、陸さんは憂いの表情で窓の外を見ていた。その表情があまりに悲しそうで、見ている僕の方が辛くなる。なんでそんなに悲しそうなんですか? 僕ではあなたの癒やしになれませんか? そう思って見ていると僕の視線に気がついたようでこちらを見た。


「目が覚めたか」
「あ、はい。ごめんなさい、僕寝ちゃって」
「疲れてたんだろう。それよりそろそろサンセットだぞ。露天風呂に行くか?」
「行きます!」
「じゃあ行くか」

そう言って僕たちは5階の男湯へと戻り、露天風呂へと直行する。立ち湯にしようかと迷って、さっきは立ち湯だったので今度は掛け流しにすることにした。どちらも露天風呂で海と一体になっている感じがするのは一緒だ。陸さんは最初立ち湯にいたけれど、少ししたら掛け流しにやってきた。座って入れるこちらは楽だ。

海を見ていると空があかね色に染まってきた。高いところにあった太陽は少しずつ沈んで行き水平線ギリギリになった。

綺麗だな、そう思って沈んで行く陽を見る。少し寂しげだけど、太陽が沈んで行くこの時間が僕は好きだ。それも海に沈んでいくのが好きだ。新婚旅行のハワイでもサンセットを見た。でも、海に入っているわけではないから、ここのように海との一体感は感じられなかった。それが感じられるここはいいなと思う。こんなに綺麗な景色を陸さんと見られるなんて幸せだ。でも、陸さんが一緒に見たい人は僕じゃない。

辺りが暗くなってくると海との一体感から、浮いている感じが怖くなってきた。


「そろそろあがるか」
「はい」

怖くなってきたところで陸さんが声をかけてくれたから助かった。


「少しはリラックスできたか?」
「はい! でも、陸さんはお疲れなのでは? 大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫だ。さ、帰るぞ」

そう言って陸さんは湯からあがるとロッカールームへと続く通路を歩いて行く。僕はその後を追いかけていく。


「あぁ、プリンは食べられるかな」
「プリン?」
「あぁ。プリンだけじゃなくソフトクリームもあって美味しいらしい。ただ時間が17時までなんだ」

そう言われて時計を見るとあと15分くらいで17時になってしまう。


「急げば間に合うか」
「多分」
「よし、急ごう」

そう言って僕たちはプリンなるものを食べるために急いで服を着て、建物の外へと出た。プリンのお店に着いたのは、あと数分で17時になるところだった。

メニューを見るとプリンだけでもたくさんのメニューがあり、プラスしてソフトクリームもあるから選ぶのに困る。


「陸さんはどれにしますか?」
「俺は抹茶プリンにする」

陸さんはあまり甘くないだろうメニューを選んだ。隣で僕は悩む。


「いくつか買って行くか?」
「いいんですか?」
「構わない。好きなのを選べ」

そう言われて僕は、陸さんの選んだ抹茶プリンを含めて7種類ほど買って貰った。


「こんなに買って良かったんですか?」
「お前が家で食べれるだろう」

ほらね。そうやってさりげなく僕のことを考えてくれる。無愛想に見えるかもしれないけれど陸さんは優しいんだ。だから僕は陸さんが好きなんだ。

プリンを買った僕たちは車に戻り、買ったばかりのプリンを食べる。僕はコーヒー牛乳プリンにした。コーヒー牛乳が好きだからだ。プリンを一口、口に入れるとふんわりとコーヒー牛乳の甘い味が広がる。


「美味しい!」
「うん。美味いな。もっと買っておけば良かったか?」
「2人だからこれで十分ですよ。痛んじゃったらもったいないし」
「そうか。また来たときに食べよう」

え? また来れるの? ほんとに? また連れてきてくれるの? 僕はポカンと陸さんを見つめた。


「もう嫌か?」
「いえ。また来たいです」
「じゃあそのうち来よう」

そんな。いいんだろうか。それこそほんとにデートみたいだ。でも、こんなの夢みたいで、夢オチだったなんてことはないだろうか。陸さんが優しいのは前からだけど、最近貼られていた透明のバリアが少し薄くなった気がするのは気のせいだろうか。