EHEU ANELA

愛のない婚約者は愛のある番になれますか?

デートみたいで 01

うちの会社は製菓会社でいわゆるスナック菓子も取り扱っているから年中忙しいけれど、ケーキを作る薄力粉なども扱っているためクリスマス前などはケーキ屋などに納入することがあるので、その頃は目が回るくらいに忙しい。

それでもなんとかクリスマス前のピークが過ぎ、無事にクリスマスを迎える。と言っても和真を失った俺にはクリスマスなんてなんの楽しみもない。

寺岡の運転する車の後部座席に座り、昨年のことを思い出す。クリスマスに美味しいディナーをと思ってホテルのレストランを予約して食べに行った。ほんとならそのままホテルの部屋に泊まりたかったけれど、翌日も仕事の俺は泊まるわけにもいかず食事を終えると近くのイルミネーションを見てから家に帰った。和真と過ごせる最後のクリスマスだったのなら、翌日仕事だろうが泊まれば良かったと1年経った今後悔している。それでも、まさか最後になるなんて思わなかった。それどころか和真との最後のデートだった。1月4日の初詣を楽しみにしていたんだ。まさかそれが和真の命日になるとは思わなかったけれど。

そうか。和真との最後のデートから1年が経ったのか。クリスマス前は忙しくてイルミネーションを楽しむ余裕もないけれど、毎年クリスマスイブには遅まきながらイルミネーションを楽しむ。今年もそれは変わらなかった。それでも今年からはクリスマスを誰かと一緒に過ごすことはない。そう思うとイルミネーションも輝きを失った気がした。

車がマンションに着く。物思いにふけっている間に着いたみたいだ。


「それでは明日の朝まいります」
「あぁ。お疲れ」

エレベーターに乗り小さくため息をつく。和真のことを思い出して気持ちが沈んでしまった。和真のいないクリスマスなんて意味がない。誰かと過ごしたいとか、もう俺には関係のないことだ。

エレベーターを降り、玄関ドアを開けると声がかかる。


「陸さん、お帰りなさい」

沈んだ俺の心と対照的に明るい千景の声が聞こえる。いつもは聞こえない声に驚いて反射的に腕時計を見ると22時半を指している。いつもならこの時間は千景の姿はないのに。なにかあったのだろうか。でも、声は明るいので面倒ごとではないようだ。

リビングダイニングに入るとダイニングテーブルにはケーキが乗っていた。


「陸さん。クリスマスなのでケーキを作ってみました。もうお食事は済んでいると思うので、一口だけでもケーキ食べてくれませんか?」

クリスマスケーキを家で作った? ケーキを? 子供の頃から誕生日とクリスマスには家の近くのフランス菓子店のケーキを食べていたのを思い出す。そこはうちの粉を使っていて、その関係で要所要所で特別にケーキを作って貰い、それを買っていた。ケーキはお店で食べるもの、買うものであって作るものとは思っていなかったので驚いて何を言うでもなくケーキを眺めていた。


「ごめんなさい。もうお腹いっぱいでしたか? 必要なければ捨てますから」

そう言ってケーキを下げようとする千景の手を止める。違う。捨てさせようとしたわけじゃない。ただ驚いただけだ。


「いや、一口貰う」

そう言うと千景は嬉しそうにはい! と言ってケーキを一口切り分けてくれる。

俺はスーツの上着を脱いでネクタイを緩めるとケーキを口にする。それは家で作ったとは思えないほど美味しいケーキだった。


「これ、フレジエって言ってフランス版ショートケーキなんです」

フランスのケーキなのか。苺がふんだんに使われたそれは子供の頃に食べていたケーキに似ている気がする。


「美味いな」

ポツンと一言言うと千景は嬉しそうに笑った。そして言葉を続ける。


「あの。プレゼントもあるんです」

そう言ってローテーブルに置いてある、リボンのついた箱を渡される。クリスマスプレゼントか。


「ネクタイなんですけど、陸さんに似合うかな、と思って」

リボンをほどいて箱を開けるとエンジのストライプのネクタイがあった。


「陸さんの好きなブランドとかわからないから、これにしたんですけど、ネクタイなら何本あってもいいかなと思って」

もうクリスマスプレゼントなんて貰うことはないと思っていた。だって和真はもういないから。そう思うと泣きそうになる。それに千景が慌てる。


「ごめんなさい。気に入らないですよね。陸さんならもっといいもの持ってるし……」
「いや。そうじゃない。ありがとう」

小さな声でそう言うと千景はホッとしたような顔をする。


「悪いが、俺はなにも買っていない」
「そんなの必要ありません。陸さんが受け取ってくれれば、それが十分なプレゼントですから」

そういう千景はほんとに嬉しそうに笑っている。もうクリスマスなんて俺には関係ないと思っていた。でも、それをなかったことにはしない人がいた。そのことに俺はなにも言うことができなかった。


************

世間はクリスマスイブで。とは言ってもクリスマスデートをしたりするわけじゃない。でも、結婚して初めてのクリスマスだからちょっと特別にしたくてケーキを作ることにした。とはいえクリスマスケーキなんて初めてだから簡単に作れそうなレシピを探し、スポンジは市販のを買って作ることにした。

カスタードクリームにバターを混ぜただけのクリームムースリーヌと苺のジュレだけでできるほんとに簡単なケーキだ。オーブンを必要としないのでチャレンジしやすいし、失敗をすることがない。

とはいえ、作ることには正直躊躇した。もしかしたら好きな人と美味しいディナーでも食べてきて、ケーキも食べて来るかもしれない。そうしたらうちでケーキは食べられないかもしれない。そう思うと作らなくてもいいかなと思ったけれど、そうしたら僕が食べれるだけ食べて、残りは捨ててもいいと思って作ることにした。

だけど陸さんは美味しいと言って食べてくれたんだ。しかも、貰って貰えるかわからないクリスマスプレゼントまで受け取ってくれた。陸さんは僕に何も用意してないと言ったけれど特別なものなんてなにもいらないんだ。陸さんがケーキを一口でも食べてくれて、プレゼントを受け取って貰えたらそれだけで十分なんだ。それが僕へのプレゼントになるんだ。

でもケーキを食べてくれてプレゼントを受け取って貰ったら、クリスマスディナーに代わるものを作りたいなと思ってしまった。週末の夜にでも作ろうかなと思った僕は欲深いだろうか。でも、ほんとに満足していたんだ。なのに陸さんは僕が思いもしないことを提案してくれた。


「いつも週末食事を作って貰っているし、掃除や洗濯もして貰っているから、そのお礼に出かけないか?」

そう言ったのだ。

お礼なんていらないのに。食事を作るのも家事も、僕がしたいからしているだけで感謝して欲しくてやっているわけじゃない。それなのにお礼なんてして貰っていいんだろうか。僕が戸惑っていると、気が乗らないと思ったみたいで、嫌ならいいと言われてしまった。違う! 違うのに。


「違います! ただ、僕がしたくてしているだけなのにいいのかなって思って」
「家事なんて面倒くさいだろう。それに千景は家政婦じゃない。なのに家政婦の代わりにしてくれて、それに俺は忙しいからしてくれているのは助かっている」

僕は自分を家政婦扱いされているなんて思わないし、主夫たるものするのは当然だ。わざわざ家政婦さんを雇う必要はない。とは言っても子供の頃から家政婦さんのいる環境で育った陸さんにはいて当然の存在なんだろうけど。家政婦さんのいない家の方が多いって知ったら驚くんじゃないだろうか。


「ほんとにいいんですか? 陸さんのお休みを奪ってしまうことになりますけど」
「それは気にしなくていい。千景の言葉を借りるなら、したいからする」

優しくそう言ってくれる陸さんが嬉しくて僕はうるうるしてしまった。


「はい! じゃあ楽しみにしています」
「それなら土曜日にでも出かけよう。海鮮は大丈夫だったな?」
「はい、大丈夫です! 大事なお休みの日にありがとうございます」
「それはいい。俺も久しぶりに運転したいからな」

陸さんがそう言うので、車で出かけるんだなとわかる。また陸さんのプライベートな空間にお邪魔させて貰えると思うと嬉しくてにやにやしそうになるので、必死に頬に力を入れた。


土曜日。午前10時30分。

少しゆっくりめに起きた僕たちは出かけることにした。と言っても僕はどこに行くのかまだ聞いていない。わかっているのは車で出かけるということと、海鮮ものが食べれるところ。それは生ものだろうか? 生ものが有名なところだというと都内だと築地。都内を出るとなると三浦半島、箱根、伊豆半島だろうか。いや、伊豆半島は遠いかな? 後は房総半島とか? いや、それにしたって範囲が広すぎて結局どこかわからない。

でも陸さんは生ものとは言わなかった。海鮮、と言ったのだ。だからわからない。

2度目になる陸さんの車。前回は陸さんがスマートに助手席のドアを開けてくれたので図々しくも助手席に座らせて貰ったけれど、今回も助手席でいいのだろうか。と考えていると、また助手席のドアを開けてくれたので助手席に座らせて貰う。陸さんってエスコートがとてもスマートで紳士的だ。こんなにスマートにエスコートされたらクラクラして好きになってしまうじゃないかと思う。いや、僕の場合既に好きなんだから今さらだけど。

でも、出かける先がどこかわからなくて聞いてしまう。


「どこへ出かけるんですか?」
「熱海だ」
「熱海? 日帰りで行けるんですか?」
「行ける」

熱海に日帰り……。

そう考えて新幹線なら都内から片道1時間以内で行かれることを思い出す。そうしたら車でも行かれるのだろう。どれくらいかかるのか車を運転しない僕にはわからないけれど。

今日はお天気もいいし、ドライブ日和なのかもしれない。この間は川崎までだからすぐに着いてしまったけれど、今日はそういうわけにはいかないだろう。どちらにしても僕にはよくわからないのだから陸さんに任せるしかないのだけど。でも、毎日、夜遅くまで仕事をして、週末に長距離(と思われる)の車の運転って疲れないだろうか? それが気になって陸さんの方に目をやるとサングラスをかけた陸さんが目に入って僕は言葉を失ってしまった。

薄いグレーのサングラスをかけた陸さんは、普段の格好良さが倍増していて、こんな姿を見てしまったら僕はノックアウトされてしまっても当然だと思う。いや、この姿を見たら誰だってノックアウトされるだろう。僕だけじゃないはずだ。

思わず陸さんをガン見してしまうと、陸さんは僕の視線に気がついたようだ。


「なんだ?」

感情の乗らない声だけど、それはいつものことだから気にしない。


「いえ。サングラスするんだなと思って」
「あぁ。陽射しが眩しいからな」

そっか。陽射しが強いと確かに目、しんどいもんね。そう納得するけれど、それでもそのサングラス姿は反則だと思う。それを指摘することはできないけれど。それをするには僕たちの距離はありすぎる。

いや、それでも結婚した当初よりは少しマシになっているような気がする。お互いに干渉ナシでって言ってたけれど、この間はコーヒー豆を買いに車を出してくれたし、今日だっていつものお礼だっていって熱海まで連れて行ってくれる。

話していても目に見えない透明なバリアは以前より少しは薄くなっているような気がするのは僕だけだろうか。

でも、お礼をしたいからするって言う陸さんは真面目なんだなと思う。陸さんが中学に入ったあたりから遊んで貰うことはなくなって、それまで仲良く普通に話していたのにいつの間にか僕と陸さんの間には距離ができた。会うのも年に1回になり、距離は広がるばかりだった。結婚した頃はそれがピークだった気がする。でも、結婚して半年。仲良くなれたわけじゃないけれど、以前よりは少しはマシになった気がするんだ。だから、それが少し嬉しい。

そして今日は大事なお休みの日に熱海まで連れて行ってくれるという。それが嬉しくないわけがない。お天気はいいし、もう2度とこんなことはないかもしれない。だから今日を思い切り楽しもう。そう思って前を向いた。

車は五反田から首都高に入り、南下していく。どこをどう走っているのか僕にはわからないけれど、首都高と東名高速だけはわかった。土曜日の高速は車が多い。でも、止まってしまうほどでもなく、順調に進んで行く。

ナビは道順だけじゃなく、混雑状況まで知らせてくれるのだとそのとき初めて知った。車を運転する人なら当然知っていることなのかもしれないけれど、車を運転しようにも免許もない僕には運転のしようがない。


「免許、取ろうかな……」

僕が小さくポツリとこぼした呟きは陸さんに聞こえたようだ。


「免許ないのか」
「はい。普段とくに車が必要と思われることがなかったし、お父さんが危ないからと反対していたので」

そう言うと陸さんは小さく笑って言った。


「確かにお前だと危なっかしいな。で、今は車が必要か? 必要なようなら教習所に通うのもいいと思うが。でも、たまになら俺が車を出す」

え? 今、ちょっと笑ったよね? で、俺が車を出すって言った? たまに車が必要だなと思ったときに陸さんが? 陸さんをタクシー代わりに使うなんて贅沢、僕にはできないよ。それに、特に車が必要とは思っていない。

マンションは立地のいいところにあるから、都心部にも出やすいし、神奈川にも出やすい。電車も何本か乗り入れているから特に車を必要としていることはない。それどころか、都心に出かけるのに車でなんて出かけたら駐車場に困る。


「いえ、特に必要としていることはないんですけど、あったらいいのかな? というレベルで」
「週末なら車を出すから言え。平日ならタクシーを使えばいい」

週末なら車を出す、なんて言葉が陸さんから出たことに僕は驚いた。だって、結婚したときはお互いに干渉ナシでって言ってた。そうなれば当然、僕が車が必要だと思ったときは自分で免許を取りに行くかタクシーを使うかするしかない。どうしたって陸さんに車を出して貰うだなんてあり得ないことだ。でも、陸さんは車を出すと言った。それも2度も。その言葉に陸さんとの距離がほんの少し近づいた気がした。

でも、そこで陸さんの好きな人のことを思い出す。陸さんには好きな人がいると思っていたけど、付き合ってはいないのだろうか?

週末に会っている素振りもないし。もしかしたら別れた? それとも好きな人がいると思っていたのは僕の気のせい? どう考えたって僕にはわからないことだけど。それに考えると少し悲しいので僕は黙って窓の外を見た。

左手側には海が広がっている。海なんて久しぶりに見るのでテンションが上がる。そんな調子で1人で窓の外を見てわくわくしていたら陸さんの声が聞こえた。


「海が好きか?」

隣で見ていてもわかるくらいだっただろか、僕は。ちょっと恥ずかしくて顔を赤くしてしまう。


「好きです」
「近くだと港になるからな。海とは言えないか。お台場にしたってビルの合間だからな」

そうなんだ。一番近くは海外との輸出入のための倉庫街だし、少し足を伸ばしたお台場だとビルの谷間だから海を見たと言う気がしない。ここみたいに自然の中の海が好きだ。


「海が好きなら、ここはベストチョイスだったな。ずっと海を見ていられるぞ」

そうなの? ずっと海を見ていられるって浜辺にずっといるわけではないだろう。もっとも熱海は海に面したところだからちょっと行けば海が見られるのだろう。そう考えていると車は駐車場の中に入っていく。もう着いたのだろうか。


「着いたぞ。今日はここでゆっくりしろ。平日はわからないが、週末はいつも忙しくしているからな」

看板を見るとオーシャンスパと書かれていた。こんな海の前にスパがあるなんて僕はびっくりして陸さんを見る。


「今日は2人とも休みだ。なにもしなくていい。お前もたまには休め。働きすぎだ」

陸さんが働きすぎなのはわかる。でも僕まで……。陸さんは僕のことも見ているんだなと思う。働きすぎという言葉が出るほどには見てくれているんだ。そうわかると僕は泣きそうになる。やっぱり陸さんは優しい。そう思った。