EHEU ANELA

愛のない婚約者は愛のある番になれますか?

もやもや 01

「陸さん。今日、中学・高校の頃のクラス会があるので夜、少し遅くなります」

朝、食事をしている陸さんに声をかける。少し前にクラス会の誘いが来ていて、金曜日の今日がそのクラス会の日だ。


「気にするな。俺も今日は遅い。ただ、あまり遅くなるようならタクシーを使え。場所は都内か?」
「いえ。川崎です。なのでタクシーだと料金が……」
「そんなの気にするな。夜、危ない目に遭う方が大変だ」

先月、コーヒーを買いに行くときに車を出してくれたときから、陸さんとは少し話すようになった。お互い干渉しない、ということは今も変わらないのだけど、僕はついこうやって言ってしまう。それは帰って来たときに家の中が暗いと寂しいからだ。まして陸さんは結婚するまで実家暮らしだったから、真っ暗な家に帰ったことがないだろうから。

でも、タクシーで帰ってきたら料金が怖い。ましてや深夜料金だし。と、ここで庶民意識が出てしまう。陸さんからクレジットカードと毎月現金は貰っているけれど、自分のものは貯金から出すようにしている。だけど、貯金もいつかは底をついてしまうだろう。だから無駄はしたくないのだ。


「今月の現金が足りないのか? でもタクシーならクレジットカードが使えるはずだが」
「あ、お金が足りないとかじゃないんです。僕個人のことだから仕事していたときの貯金を使うので」
「あの金は食材の買い物をするときだけでなく、お前が出かけるときに使ってもいい金だ」
「でも……いいんですか?」
「馬鹿みたいに使うのは別だが、そんなに金使いが荒いわけではないだろう」
「それは、はい」
「それなら渡してあるものを使え」
「はい」

ほんとに使っていいのだろうか。陸さんのお金を僕が使ってしまって。でも、陸さんがそういうのなら、今度からありがたく使わせて貰おう。


「だから今日の帰りのタクシーは、高いとか考えずに使っていいから」
「わかりました」
「後、そろそろヒートじゃないのか? 薬は持って行けよ」
「はい」
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい」

仕事に行く陸さんを今日もダイニングから見送る。

やっぱり陸さんは優しいなと思う。少し帰りが遅くなるからと言ってタクシーで帰ってこいと言う。危ない目に遭うと言っても僕は男だ。若い女性みたいな危険はない。でも、陸さんの中にはきっとそういうことは関係ないんだろう。だから僕にもタクシーを使えというのだ。

そしてそろそろ僕がヒートが来ることも覚えている。干渉はしない。でも、僕のことを見てくれている。そんな気がした。いや、週末の食事のことがあるからかもしれないけれど。

あのコーヒーを買いに行って以来笑顔を見たことはない。それでも、以前のような透明なバリアは弱くなってきている気がする。

陸さんがよく言うけど、僕と陸さんは恋愛結婚じゃない。親同士が僕たちが子供の頃に決めた結婚だ。そこに僕たちの気持ちはなかった。それでも僕は子供の頃から陸さんに憧れていたから僕側には気持ちはある。でも陸さんにはない。だって好きな人がいるはずだ。

でも、そこでふと考える。週末、普通に家にいるけれど、いつ会っているんだろうかと。平日の夜に会っているのだろうか。でも、仕事が忙しいはずだから週末に会うと思うのだけど。ましてや干渉なし、と言っているのだから。

もしかして僕と結婚することで別れてしまったのだろうか。だとしたら陸さんに申し訳ない。だけど、そんな素振りないんだけどな。って、僕が気にする問題じゃないか。ただ陸さんには幸せでいて欲しいだけだ。


 
「結婚式以来だな」

中学入学から高校卒業まで仲の良かった来生が言う。片手にはビールを持って。

今日のクラス会は高校3年のときのクラス会で、会場は川崎市内のターミナル駅近にあるレストランを貸し切っている。当初、都内のホテルというのも考えたらしいけれど、神奈川に住んでいるのが多いから、どちらからもアクセスの良いこの場所にしたらしい。

高3のクラス会とは言っているけれど、学校は中高一貫校で、だからクラスメートもなんだかんだ6年間一緒だったメンツで、高3のと言ってもほぼ中学からのクラスメートと変わらない。

来生はその中でも仲が良かった。だから結婚のときは披露宴に来て貰った。


「結婚式のときはありがとうね」
「そんなのはいいよ。中学のときから千景の結婚のときは出席するって決めてたし。でも、意外にも一番乗りじゃなかったな」
「うん。陸さんの仕事が忙しくて」
「まぁ、もう相手決まってるから急ぐ必要もないか」

そんな風に来生と2人で話していると、他のクラスメートが乱入してくる。須合だ。

 
「お、天谷じゃん。って、あ、もう天谷じゃないのか。なんだっけ、宮村だっけ。菓子屋の」
「うん、宮村だよ。でも、天谷でいいよ。言い慣れてるでしょ」
「うん。ずっと天谷って呼んでたからな。で、どうよ、結婚生活」
「どうって言われても、なんて答えたらいいのかわからない」

クラスメートは僕に陸さんっていう婚約者がいたことは知っているけれど、そこに愛情がないということは知らない。知っているのは来生くらいだ。だから結婚生活を気軽に訊いてくる。


「天谷。飲んでるかー」

片手にワインを持ってそう乱入してきたのは|度会《わたらい》だ。


「飲んでるよ。度会は飲み過ぎじゃない? 大丈夫?」
「大丈夫。大丈夫。クラス会なんてたまにしかやらないんだから。楽しいしー」

結構酔っているようだ。まぁ元々テンションの高いやつだけど。


「このメンツが揃うのって天谷の結婚式以来だよな。学校では6年間ずっと顔見てたのにさ」

僕と来生は特に仲が良かったけど、須合、度会とも結構仲が良くて修学旅行なんかでは4人で一緒に回ったりしていた。だから、須合も度会も僕に子供の頃から婚約者がいたのは知っていた。


「で、新婚生活はどうよ。俺らの中で一番乗りだよな。いいなぁ。俺なんて結婚できるのかどうか」

そういうのは須合だ。


「お前の場合はオタクだから無理だよ」

そうツッコミを入れるのは度会だ。


「でもさ、俺たち4人の中では結婚一番乗りだもんな。結婚ってどんな感じ?」

どんな感じかと訊かれてどう答えたらいいのか悩んでしまった。結婚と言っても僕の場合はオメガで、3人はベータだ。だから結婚するとしたら女性とするんだろうし、そうした場合立場が僕とは違う。


「赤の他人と住むんだから気使うんじゃないの?」

そう訊かれて悩む。赤の他人だから、というよりお互いに干渉しないという約束だから気を使ったというのはある。今は自由にさせて貰っているけれど。それでも、そうだな。確かに全く気を使わないわけではない。


「そう、かな? でも、自由にさせて貰ってるから」
「相手って幼馴染みだろ? だからかな?」
「どうなんだろう?」
「ヒート起こしても大丈夫か?」
「馬鹿。オメガで結婚してるんだから、もう番になってるだろ」

3人はベータだけど、オメガの僕のことを気遣ってくれた3人だ。だから、そこを気にするんだろう。


「まだ番じゃないよ」

思わずポロリと言ってしまった。案の定、須合と度会は目を丸くしてびっくりしている。あ、でも、さすがにほんとのこと言ったらまずかったかな。そう思ってどうしようか考えていると来生がフォローしてくれた。


「番になるのは簡単だけど、仕事が忙しいと千景がヒート起こしてるときに休み取りにくいだろ」

さすが頭の良い来生だ。思わずホッとしてしまった。


「あ、そっか。パートナー休暇取りづらいか。相手が大企業の御曹司だと逆に大変か。俺たちみたいな一般人とは違うもんな」

と地元では有名な不動産会社の跡取りである須合が言う。須合が一般人なら一般的なサラリーマン家庭の僕なんかどうなるんだろうか。と思ったのは内緒だ。


「でも、番になった方が他のアルファが惑わされることはなくなるんだろ。そしたらヒート近いときとかヒートのときは気をつけろよ」

この3人は学生時代、僕を守ってくれた3人だ。今もこうして心配してくれる3人には感謝だな、と思った。


「うん。だから今日も忘れずに薬持ってきてある。陸さんにも念押されたし」
「大事にされてるんだな」
「そうだね。今日も夜遅くなるからタクシーで帰ってこいって言われた」

そう言うと3人はびっくりした。そうだよね。夜遅くなるって言っても僕、男だし。


「ほんとに大事にされてるな。親が決めた結婚でも、いい人と結婚したな」
「そう、かな?」
「そうだろ。大切じゃなかったら、夜遅くなるからってタクシーで帰ってこいって言わないだろ。だって、今、都内だろ?」
「うん」
「深夜帯になるし、そこそこな金額になるだろ」

やっぱりみんなそこを思うよね。僕だけじゃなかった。


「でも、お金じゃないんだろ」

そう、なのかな? 3人の話しを聞きながら、やっぱり陸さんは優しいんだなと思う。僕に対して感情なんてないのに、それでも夜遅くなると言えば心配してタクシーを使えと言う。ちょっと過保護では? と思わなくもないけど、それでも嬉しかったのは事実だし、今、3人の言葉を聞いて余計にそう思った。明日は感謝をこめて美味しいものを作ろう。


「天谷を見てると結婚っていいものなんだなって思うな」
「相手次第だろ」
「それが一番難しいかもしれないな」

それに3人は忘れてないだろうか。3人は男でベータだから陸さん側になるということを。だから過保護にされるんじゃなくてする側なんだ。絶対にそれを忘れてる気がする。


「まぁ、でも、天谷が幸せでいてなによりだよ」
「正直、親が決めた相手だから身元はしっかりしてるんだろうけど、大丈夫かなってちょっと心配だったんだよな。だけど、天谷を大切にしてくれているみたいで安心した」
「そうだな」

そういう須合にうるっとくる。6年間ずっと僕を守って来てくれた須合と度会がそう言ってくれて嬉しい。僕がヒートを起こしかけたときは僕の家まで送ってくれたりした。それこそ大事にしてくれていたのだ。そう考えると僕は幸せなんだなと思う。3人にも陸さんにも感謝だ。

なんだかそう思ったら嬉しくて、ついお酒を飲んでしまう。普段はあまり飲まないけれど、今日はクラス会だし、嬉しいこともあったから飲みたくなった。


「お酒、おかわりしていい?」
「飲め飲め!」
「おい、度会!」
「だって祝いの酒と一緒じゃん」

言い合ってる度会と来生を尻目に僕はシャンパンを取ってきて、須合と乾杯する。


「これ美味しい」

そう言って口をつけていると来生がそれに気づいた。


「おい、須合!」
「大丈夫だって。天谷だって子供じゃないんだし、タクシーで帰るんだしさ。それに、まだそんなに飲んでないだろ」
「2杯目」
「じゃあ大丈夫だよ」
「じゃあ、これが最後な」

3人の中では、一番仲が良い分来生が一番の心配性だなと思った。僕だってもういい大人だし。2、3杯平気だ。多分。

だってこんなに嬉しい日は飲みたくなるじゃないか。そう思うとお酒はするすると喉を通って行く。


「大丈夫だよ、来生」

心配顔で僕を見ている来生に声をかける。来生は優しいんだよな。今は彼女はいないみたいだけど、いたら絶対に大切にするタイプだ。来生と付き合う人は幸せだなと思う。いつか、そう遠くない日に来生の結婚式に出席したいなと思う。そう思うとそれが顔に出ていたのか須合に言われる。


「天谷、楽しそうだな」
「うん、楽しいよ」

ほんとに幸せで楽しくて、クラス会に出席して良かったと思った。