EHEU ANELA

不出来なオメガのフォーチュン

第4章 03

土曜日は、面会時間になってすぐに病院へと行った。すると、病室に神宮寺によく似た髪の長い綺麗な女性がいた。直生がドアを開けると、軽く会釈をしてくる。もしかして神宮寺の家族かもしれない、と声をかける。


「あの……神宮寺さんのご家族の方ですか?」
「はい。あの、あなたは? 組の方、ではないようですけど……」
「あ、あの。ゆ、友人の白瀬と言います。あの、神宮寺さんに庇って貰って……」
「あ、事故のときの。はじめまして。妹の美月と言います。お怪我をしたって聞きましたが大丈夫ですか?」
「自分は大丈夫です。神宮寺さんのおかげで擦り傷で済みましたから。それよりも俺のせいで神宮寺さんがこんな目にあって申し訳ありません」

がばりと頭を下げる。すると優しい声がかかる。

「白瀬さん。頭をあげてください。兄が庇いたいと思って庇ったんです。白瀬さんのせいじゃありません。兄自身の問題です。だから謝らなくてもいいんですよ」
「いえ、そんな」
「さっきお医者様にお話を聞いたら、意識も戻るし、後は肩と腕の骨折だけで車の接触事故にしては軽症だっていうから気にしないでください。それよりも白瀬さんは擦り傷で済んで良かったですね」

思ってもみない優しい言葉をかけられ、直生は涙が止まらなかった。


「やだ。泣かないでください。私が泣かせちゃったみたい。兄に見られたら怒られちゃう」

切れ長の目を緩め、小さく微笑みながら美月が言う。


「でも……」
「あまり自分のことを責めないでください。誰も白瀬さんを責めたりはしませんよ。兄もです。それに、兄なんていつ何があったっておかしくないんですよ。交通事故なんて可愛いものです」
「……」

それはやくざだということでだろう。美月は表情を変えずに言う。


「うち、もう両親いないんです。だから私は兄に大学に行かせて貰いました。私のためにやくざになったんじゃないか、って私は思ってます。だからって言うわけじゃないですけど、兄に何かあっても私は泣けません。私のせいだから。それに、いつ何があってもおかしくないと覚悟はできてます。それが、骨折で済んだ事故ですよ。心配しないわけじゃないけど、さほど心配もしてません」
「美月さん……」
「ね、だからそんなに自分を責めないでください。抗争に巻き込まれたんじゃないですもの。たかが事故です」

そう言える美月を直生は強いな、と思った。そんな美月の前でそれ以上泣けなくて、直生はギュッと唇を噛んで耐えた。


「早く目が覚めるといいんですけど」
「はい。はやく謝りたいです」
「それよりも、いつまで寝てるんだ、って怒ってやってください。日頃の疲れで寝てるだけなんじゃないですか」

美月はいたずらっぽく笑う。

それからしばらく、昔の神宮寺の話などを聞き、一時間ほど経つと用事があるから、と美月は帰っていった。

そして一人残った直生は神宮寺の手を握った。その手は温かかった。その温もりに、神宮寺が生きていることを確認する。神宮寺は確かに生きている。それなのに目を覚まさない。早く目を覚まして。そして謝らせて。結那はああ言っていたけれど、直生は謝りたかった。俺なんかのためにごめん、と。事故にあった木曜日から直生は心の中で神宮寺に謝罪し続けている。



「神宮寺さん……ごめんなさい。早く目を覚ましてください。お願いだから」

そう呟くと直生の目から涙が溢れた。まさか、このまま目を覚まさないんじゃ? 医者の予想に反して、そんなこともあるんじゃないのか? だとしたら自分は大事なことを神宮寺に伝えていない、と思う。

神宮寺から、好きだという言葉を聞いたことはない。けれど、直生を見る目はいつも甘い。神宮寺が好意を寄せてくれているのは間違いないだろう。それなのに言葉を言わないでいたのは、おそらく神宮寺がやくざだからだろう。直生に迷惑をかけると思って。

一般人の自分とやくざの神宮寺。神宮寺が一般人でないことで大変なことがあるだろう。神宮寺が生きているのは直生が想像もできない世界なのだ。それが怖くて自分も気持ちを言葉にすることができなかった。言葉にすることで後戻りできなくなるのが怖かった。覚悟がなかったのだ。しかし、結那の言葉で気がついたのだ。今回のような不慮の事故だけでなく、抗争で命を落とすことだって考えられる世界に神宮寺が生きていることを。

覚悟ができたら伝えようと思っていた。けれど、今日の次に明日が必ずあるわけでないのだ。明日は来ないかもしれないのだ。そう思うと怖くて身震いした。覚悟なんて後からついてくるんじゃないのか? そんなことよりも一緒にいたいかどうかが問題なんじゃないのか。というより、運命の番である神宮寺を失ってしまったらどうなってしまうのだろうか。他のαと番になるか一生一人で生きていくか。

神宮寺と出会う前は自分に番ができるとは思わず、ずっと一人で生きていくのだと思っていた。しかし、運命の番である神宮寺と出会い、親しくなってからそんなことは考えていなかったことに気がついた。

神宮寺以外のαと番になる……。

そんなことは想像できないし、嫌だと思った。番になるのなら神宮寺がいい。神宮寺以外となんて嫌だ。

ああ、なんて簡単なことなんだろう。覚悟、覚悟とばかり考えていて自分の本当の気持を考えていなかった。シンプルなことだ。自分は神宮寺が好きで、神宮寺以外のどんなαとも番にはなりたくない。神宮寺じゃないと嫌だと思った。

伝えたい。やっと気づいたこの気持ちを神宮寺に伝えたい。だから、早く目を覚ませ。そう思うと直生の目からまた涙が溢れた。誰も見ていないのに、泣いているのを隠したくて俯いてしまう。

神宮寺さん。あなたと番になりたい。覚悟なんていらない。ただ、失いたくないんです。だから、俺を番にしてください。そう強く心で思っていると、誰かが自分を呼んだ気がした。


「な、お……?」

それは直生が今一番聞きたい人の声だった。


「神宮寺、さん」
「なお」

直生を呼ぶ声は小さく、掠れていて聞き逃してしまいそうだけれど、直生にはしっかりと聞こえた。


「神宮寺さん!」

直生の呼びかけに神宮寺は弱々しく微笑む。


「待ってください。今、先生呼ぶから」

直生はナースコールを鳴らし、看護師に神宮寺が意識を取り戻したことを伝える。しばらくしてやってきた医師は神宮寺にいくつかの質問をした。恐らく記憶障害を心配してだろう。しかし、医師の質問に神宮寺ははっきりと答え、記憶に問題なし、と判断された。後は骨折した骨がくっつけば退院可能だと言われた。


「神宮寺さん、俺なんかのためにこんな目に合わせてしまってごめんなさい」

直生が謝ると神宮寺は少し弱々しいが優しい笑みを浮かべて直生の頬に触れる。


「顔に擦り傷できたな」
「俺は大丈夫です。擦り傷なんてすぐに治るし」
「お前が無事ならいい」

自分は大変な目にあったというのに、自分のことを放って直生の心配をする神宮寺に涙が溢れた。今日は泣いてばかりだ。


「バカ! 意識戻らないから心配したんですよ!」
「悪かった」
「俺……俺……」

神宮寺に気持ちを打ち明けたいと思うのに、涙が止まらなくて言葉にならない。


「あまり泣くな。俺は大丈夫だ」
「意識がなかなか戻らないから不安で、このまま目を覚まさないんじゃないかって……。そう思ったら怖かった。神宮寺さんを失うんじゃないか、って」
「大丈夫だ。お前の前から勝手にいなくなったりしない」

こんなときにまで神宮寺は優しくて、やはり好きだな、と思う。


「俺……俺……神宮寺さんが好きです」

覚悟がないから、と伝えられなかった言葉。でも、意識が戻ったら伝えたいと思っていた言葉。気持ちを言葉にするのは怖かった。もし神宮寺の好意がそういう意味じゃなかったら? それでも、何も伝えずに神宮寺を失う方が怖かったから。だから勇気を出して言葉にした。


「本気か?」
「はい」
「俺の気持ちは……知ってるな?」
「はい。でも、言葉で聞いたことはないです」
「俺の立場とお前のことを考えるとな。簡単には言えない。言ってもいいのか?」
「聞きたいです」
「後戻りできなくなるぞ」
「後戻りなんてできなくていい。大切なものを失う方が怖いです」
「そうか……。お前のことが好きだ。番になりたいと思ってる」
「俺なんかでいいんですか? 可愛くもなんともない平凡なやつでヒートだって不定期の出来損ないなのに。それでもいいのなら神宮寺さんと番になりたい」

好きだというよりも、番になりたいと言う方が勇気がいった。だから少し卑怯な言い方をしてしまった。


「すごい言いようだな。それに、なんか、じゃない。お前がいいんだ。それにお前は可愛いけどな」
「可愛くないですよ。言われたこともない」
「見る目がないんだよ。でも俺はお前がどうであれ、お前と番になりたい」
「物好きですね。でも、俺も。俺も神宮寺さんじゃないとダメです」
「嬉しいな。これ、夢じゃないのかな。お前が好きだと言ってくれて、番になりたいと言ってくれるなんて。夢を見てるみたいだ」
「夢じゃないですよ。意識戻ったじゃないですか」
「そうだな」

気持ちを伝えるのはもっと大変だと思っていた。けれど、ほんの少しの勇気だった。ほんの少しの勇気を出したことで神宮寺は幸せそうな笑顔を浮かべてくれるのだ。そして、そんな笑顔を見て、その笑顔を守りたいと思う。


「だけど、本当に番契約をしていいのか? ずっと一緒にいるということだぞ。俺のこと知ってるだろう」
「知ってます。でも、他のαじゃ嫌なんです。やくざでもなんでも神宮寺さんがいい。それに運命の番ですよ?」
「知ってたのか」
「知ってたというか知らされました」
「誰に?」
「バース科の担当医に」

少し顔をしかめて言うと神宮寺は声を出して笑った。神宮寺のそんな笑い方を見るのは初めてで、嬉しくて、同時に少しくすぐったい。


「笑いますけどね、本当に葛藤したんですよ?」
「それでも、こんなやくざものの番になってくれるのか。最高だな」

神宮寺の笑いは止まらない。自分のこんな言葉で喜んでくれるのか、と直生は嬉しくなった。でも、そのすぐ後に神宮寺は真面目な顔をして言う。


「退院したら……退院したら、ここ噛むからな」

そう言って直生の項に触れる。


「はい。噛んでください」
「ああ。あ、お前、敬語やめろ。番相手に敬語もおかしいだろ」
「でも……」
「いいんだよ。誉だ」
「え?」
「俺の名前だ」
「誉、さん」
「あぁ。これからは誉と呼んでくれ」
「はい!」

番相手に……。神宮寺が言ってくれるその言葉に本当に番になるのだな、と実感が湧いてきて直生は嬉しかった。