神宮寺の声を聞いた直後には、道路に転がっていることに気づく。それでも痛みは一切ない。それもそのはずで、神宮寺が直生を抱えて庇っていたからだ。
そのことに気づき、すぐそばにある神宮寺の顔を見ると、頭からかなりの血を流れていることに気がつく。おびただしい血の量に恐怖が募る。
直生は神宮寺の腕の中から抜け、神宮寺の体を揺さぶる。けれど、神宮寺は目を開けないし、返事もしない。あまりのことにどうしていいのかわからなくなって、身動きが取れなくなってしまう。
どのくらいそうしていたのだろう。気がついたときには救急車が来ていて、神宮寺と直生を乗せて病院へと向かっていた。
救急車の中では何か訊かれたような気もするけれど、気が動転していて何を訊かれたのか、どう答えたのかよく覚えていない。二人は救急に運ばれ、直生は神宮寺の鞄を抱えて、待合に座って待っていた。
すると、看護師が来て、直生も中へと通される。なんだろう? と思うと、顔と手を処置された。自分では気づかなかったけれど、数カ所怪我があったようだ。
処置が終わると、また待合で神宮寺を待つ。じっとしていると、端正な顔を血で染めた神宮寺の顔が姿がちらついて手が震える。どうなんだろう。大丈夫なんだろうか。
少し経つと、神宮寺を乗せたベッドが出てくる。反射的に立ち上がり、近づく。
看護師にそう言われ、またソファに座る。待合で一人で待っている時間はノロノロと過ぎていくだけだ。時計から目を離して、しばらくしてからまた時計に目をやっても、針は大して進んでいない。
震えの止まらない手をギュッと握って、検査から戻る神宮寺を待つ。そうしてどのくらい待っただろうか。神宮寺を乗せたベッドが戻ってきた。大丈夫だったんだろうか? しばらくそうしていると、ふいに声をかけられる。看護師だ。
看護師の後について休館室の中の片隅に行くと、白衣を着た40代くらいの男性医師がいた。
命に別状はない、という言葉を聞いてホッと安心する。医師の言う通り出血が多くて、死んでしまうのではないかと、ずっと不安だったのだ。でも、それがない、とわかっただけで安心できた。とにかく神宮寺は無事なのだ。
医師の説明が終わり、先程の看護師が神宮寺が寝るベッドを引いてエレベーターに乗り、上階の病室へと連れて行かれる。大部屋に通されたが、稼働しているベッドはふたつだけで、後は空だった。
神宮寺と直生を病室へ案内した看護師は戻っていく。とりあえず神宮寺の荷物をロッカーに入れ、スマホだけをベッド脇のテレビの横に置こうとしたところでスマホが鳴った。意識のない神宮寺は当然出ることはできない。しかし、このことを誰かに知らせないといけない。けれど、直生は神宮寺の緊急連絡先を知らない。もしかしたら、こんな時間に電話をしてくるこの電話の主は緊急連絡先、もしくはそれに準ずる人かもしれない。そう思い、人のスマホを覗くようで気が引けたけれどディスプレイを見る。そこに表示されている名前は、浅田、となっていた。どこかで聞いたことのある名前だと思う。だが、ピンとこない。それよりも早く出ないと電話が切れてしまう。早く出なくては。とりあえず病室で出るのはまずいだろうと思い、足早に病室を出、携帯可能な面会スペースへ急ぎ、電話に出る。
低く落ち着いた声は聞き覚えがある。誰だろうか、と思考を巡らせるとそれが誰かわかった。いつも神宮寺についている男だ。もちろん直生のことも知っている。
直生は事故のことを浅田に話す。話を聞くと浅田は病院名と病室を聞き、すぐに電話を切った。さすがに浅田が緊急連絡先ということはないだろう。しかし、直生よりも神宮寺のことを知っている浅田ならば、どこへ連絡をしたらいいのか知っているかもしれない。少なくとも直生よりは知っているはずだ。
運ばれてくるときはわからなかったのだが、ネオン街からさほど離れていないので、ほどなく来るだろうと思い直生はスマホを持って病室に戻った。
浅田は直生と電話を切って数十分後に、もうひとりの男と連れ立って病院へ来た。もう一人の男もいつも神宮寺についている男で直生も面識がある男だった。
そして二人が来てまもなく、看護師が来て神宮寺を固執へと移す。何故だろうと思っていると「組の関係者の自分たちが大部屋へいくと同室者に迷惑をかける」というものだった。本来は、組御用達の病院へ転院させることも考えたが、神宮寺の意識がまだ戻っていないことを考えると、検査をしたこの病院の方がいいだろう、ということで転院は神宮寺の意識回復待ちということになった。
浅田は手際が良く、直生との電話を切ると、必要なもの一式を全て持ってきて、しかも病院の手続きまでしたらしい。そして、直生は気になっていることを訊いた。
短時間の間に入院に必要なものを揃えるだけえなく、緊急連絡先にまで連絡済みというのはあっぱれとしか言いようがない。冷静に見えるだけでなく、本当に冷静なのだな、とぼんやり思う。
神宮寺が自分のことを守りたかった、と言われて涙が浮かぶ。自分の身を呈して守ってくれたことが嬉しいけれど、同時に馬鹿だな、とも思う。こんなに大変なことになって。ありがとう。ごめん。そう言いたいのに伝えたい相手である神宮寺はまだ意識がない状態で。早く目を覚ましてくれ、と目を瞑ったままの神宮寺に心の中で呼びかける。
通りがかった看護師に言われる。
そう言われて、そう言えば夕食後に事故にあったんだ、と思い出す。浅田たちが普通に病院に来たのですっかり忘れてた。
本当はずっとついていたい。けれど面会時間外だと言われてしまったら帰るしかない。浅田に促され、ノロノロと神宮寺のベッドから離れる。
そう言われたらお願いするしかない。
病院の駐車場に停めてある車に乗り込み、病院を後にする。
看護師にはああ言われたけれど、本当はずっとついていたい。けれど完全看護だし、それに考えてみれば明日はまだ仕事がある。こんな状態で仕事どころではないが休むわけにはいかない。それでも明日一日頑張れば明後日は土曜日で休みだ。神宮寺がエンチラーダを作ってくれると言った週末。そんなことを思うと涙が止まらなくなる。
別に死んだわけではないし、医者は、意識は戻ると言っていた。それでも外傷もある。あの綺麗な顔に傷がついてしまった。
なぜ神宮寺は自分なんかを庇ったんだろう、とそればかり考えてしまう。でも、大丈夫だ。意識は戻ると医者は言っているのだ。きっと明日にでも意識は戻るだろう。そうしたら謝ればいい。そう思いながら直生は帰路についた。
翌日、直生は寝不足の赤い目で出社した。寝ようとしても、血を流して倒れている神宮寺の姿が浮かんでしまい、よく眠れなかったのだ。それでも休むわけにはいかず出社したが、仕事に集中することはできなかった。そしてそんな直生を見て声をかけてきたのは和明だ。
お昼休憩。二人で静かな店へ移動し、和明が訊いてくる。
友人である直生のことはもちろんのこと、会ったこともない神宮寺のことを心配してくれる和明は優しい男だな、と思う。
集中できない仕事は時間がノロノロとしか進まなくて長く感じたけれど、定時になるとすぐに帰る支度をする。幸い何のトラブルもなかったので和明に迷惑をかけることなく帰ることができる。
浅田や組の人間がいるかもしれない、と思いドキドキしながら病室のドアを開けるが誰もいなかった。そして、意識を取り戻してはいないだろうか、と神宮寺に目をやるが神宮寺は目を閉じたままだった。意識を取り戻して寝ているだけなのでは、と思い何度か「神宮寺さん」と呼ぶが神宮寺は目を覚ますことはなかった。点滴を変えに来た看護師に訊くが、まだ意識は取り戻していないという。
何故? 医者は意識は戻ると言ったではないか。それなのに何故まだ意識を取り戻していない? まだ早いのだろうか? 直生も、その周りの人間もこんなことにあったことがないので、わからない。まだ丸一日経った訳でもないのに、もう長いこと眠っているように感じる。
早く。
早く。
早く目を覚ましてくれ。
けれど願いも虚しく、その日は意識を取り戻すことはなく、トボトボと家に帰った。神宮寺に借りているあの家へ。