EHEU ANELA

不出来なオメガのフォーチュン

第4章 01

直生と神宮寺が一緒に食事をするようになってどのくらいが経つだろうか。神宮寺からの甘い言葉も甘い表情にも最近は慣れてきた。いや、慣れてきただけで進展があったりするわけではないけれど。ただ、神宮寺ははっきりと言葉にはしないし、返事を求められているわけではない。だから、その雰囲気を軽く流しながら会話をするようにしている。嫌いではないのだ。それだけははっきりしている。ただ、そういった意味で好きか、と問われると言葉に詰まる。だから今はそんなことは抜きに食事を楽しみたい、と思う。


「一週間お疲れ様」

そう言ってビールで乾杯する。

少し忙しくなってきた金曜日。にも関わらず今日は一時間ほどの残業で帰ることができた直生は、神宮寺に連絡をし、神宮寺の家で食事をすることにしたのだ。

今週は神宮寺が接待があったりと仕事が忙しく、直生も出荷ラッシュでひたすらインボイスやパッキングリストを作っていた。そんなこんなで今日は一週間ぶりに顔を合わせたのた。


「そう言えば、美味しいメキシコ料理の店がで〜きたの知ってるか?」

唐揚げにレモンを絞りながら神宮寺が訊く。


「え、どこにですか?」
「ネオン街の外れのカフェの近くに。空きが一軒あっただろう。そこだ」
「あそこか。メキシコ料理って珍しいな」
「今度行ってみるか?」
「行ってみたい! あまり食べたことないんですよね」
「店自体少ないからな。じゃあ、次はそこに行ってみよう」

二人とも食べるのが好きなので、新しい店の情報や食べ物の話をする。神宮寺にいたっては料理が趣味のひとつでもあるようで、時間があれば手料理を振る舞ってくれる。今日はそれほど時間がなかったらしく、惣菜は買ってきて、神宮寺が作ったのはサラダとスープ、クリームチーズとクルトンのおつまみだけだが、一度は時間があったと言ってフランス料理を振る舞われてびっくりした記憶がある。

神宮寺いわく、気分転換に料理はいいらしい。精神的に詰まったときに料理をすると無心になれていい、と言う。料理自体を面倒くさいと思い、忙しさにかまけて手抜きばかりしている直生には理解できないことだが。

一週間ぶりに会ったということで、最近の出来事などを話す。と言っても数日のことなので、それほどたくさんあるわけではないけれど。大体、直生は話を振るのはあまり上手くない。話題があり、訊かれれば答えるが、自分からというのは苦手だ。しかし、そこは神宮寺が上手いので話が途切れることはない。そして直生も神宮寺も騒ぐのが好きなわけではないので、酒を呑みながらゆっくりと話す。そんな時間の過ごし方が直生は好きだった。


「今日はクルトンいっぱいですね」
「今日はパンから作ったからな。好きだよな?」
「カリカリしてて好きです」
「手抜きをしたからな。だからせめてクルトンだけでもと思って。ただ作りすぎてしまったから、おつまみまでクルトンになってしまったが」
「大丈夫ですよ、好きなんで」
「明日は何か作るよ」
「やった! 楽しみ」

神宮寺は直生の好みを把握していて、直生好みの料理を作ってくれたり、好みの味付けにしてくれる。明日は土曜日だし、時間もあるのだろう。明日も神宮寺の手作りを食べられるのは楽しみだ。どうしても食べたいものがあるときはリクエストするが、基本的にリクエストはしない。それは、直生が思いもしないようなものが出てくることもあるし、旬の食材を使った料理が出てくるからだ。食べたことがないようなものが出てくることもあり、それが楽しみなのもあって、リクエストしないのだ。明日は何が出てくるか今から楽しみだ。


「もう少し呑みたいな。つまみもまだあるし」
「俺もビールもう一本呑もうかな、明日休みだし。神宮寺さんは何呑みます?」
「俺もビールでいい」
「じゃ、取ってきます」

勝手知ったる他人の家。冷蔵庫にビールを取りに行く。そのとき、少し足元にきていることに気づいた。それを神宮寺も気づいたようだ。


「その一本で終わりにした方がいい。足にきてるだろう」
「これで最後にします」

そう言ってビールを手にリビングに戻ったとき、よろけて転び、神宮寺を押し倒す形になってしまった。


――ヤバい! ヒート起こす!

そう思い、慌てて神宮寺から離れる。それでも、直生の体は熱くなり、ヒートを予兆していた。

いつも直生から香る花の香はより一層強くなり、神宮寺を誘惑する。直生がヒートを起こせば、神宮寺がラットを起こす。そう思うと直生は急いで鞄の中をあさり、薬を探す。しかし、ヒートを起こしてしまう、という焦りで手が震え、薬を探すことに手間取ってしまう。

見当たらない! そう思って直生が焦っている間に神宮寺はリビングに置いてあった薬を飲んだ。これで、直生がヒートを起こしても、神宮寺がラットを起こしてしまうことはなくなった。

それでも、後もう少しでヒートを起こしそうになってやっと薬が見つかり口に入れる。これでヒートを回避できる、と思うと安心した。

もし神宮寺が直生のことを好きなのなら項を噛みたいだろう。しかし、神宮寺はそれをよしとせずに薬を飲むことでラットを回避した。そして、優しい声で直生に告げる。


「薬を飲んだけれど、早めに帰った方がいい。俺と一緒だと、香りに誘われていつヒートを起こすかわからないから」

運命の番でだから、香りに誘発されてしまうかもしれないから、と。


「本当なら、ヒートが起きないのを確かめてからの方がいいのかもしれないが、相手が俺だからな、何が起こるかわからない。このまま一緒にいてお前がヒートを起こしたら、薬を飲んだけれど項を噛んでしまうかもしれないからな」

そう言って神宮寺は直生から距離を置く。そうする理由はわかっている。二人が運命の番である以上、薬がどこまで有効なのかわからない。普通ならお互いに薬を飲んだから大丈夫だろうけれど、普段から強く香る香りに誘発されないとは限らない。だから、ヒートを起こしてしまう前に離れた方がいいのだ。

急いで神宮寺の家を出て、タクシーで帰宅する。家に着いて冷たい水を飲むと体も落ち着き、それに伴い気持ちも落ち着いてきた。そして神宮寺のことを思う。

あの場で直生がヒートを起こしてしまえば、直生に好意を持っているであろう神宮寺にとっては項を噛む絶好のチャンスだったにも関わらず、神宮寺はおのれも薬を飲み、直生を早く帰らせた。そんな神宮寺を誠実で愛おしい、と思う。

そう思ってから、ハッと気づく。今までも神宮寺のことは誠実で優しいとは思っていた。けれど、愛おしいと思ったのは初めてだ。これは、そういうことだろう。

人として好き。友人として好き。そんな感情だというのは少し難しいだろう。それらの感情にほんのりと色がついた感情。ああ、そうなのか、と思う。

今までも好きだとは思っていた。だから神宮寺からの好意に戸惑いはしても嫌な気はしなかった。けれど、今日のことで自分の気持ちがわかった。

神宮寺がやくざでなければ、今すぐにでも神宮寺のところへ戻って気持ちを打ち明けているだろう。けれど、それはできない。

神宮寺のことを好きだと気づいた。神宮寺が望むのなら番になってもいいと思う。けれど、そんなに簡単なことではないのだ。番になる、ということは生涯を共にするということで、簡単に決めていいことではない。まして神宮寺はやくざだ。日頃は会社を経営しているが、それでもやくざであることに変わりはない。それらをひっくるめて、ずっと一緒にいたい、と思わないかぎり番にはなれない。自分はどうしたいだろうか、と直生は考えた。しかし、答えは出なかった。




「美味しかった〜。腹いっぱい」

神宮寺とメキシコ料理の店に食事に行った帰りだ。

前菜にあたるワカモーレに始まり、デザートのフラン(メキシコ風プリン)まで平らげた直生はご機嫌だった。

ネオン街の外れにできたその店は、定番のタコスはもちろん美味しかったが、セビーチェという海の幸のマリネとチーズをトルティーヤで巻き、エンチラーダソースをかけてオーブンで焼きあげたチキンエンチラーダが気に入った。


「トルティーヤがあれば家でもエンチラーダが食べられるのかな? でも、エンチラーダソースがないから無理か。残念」

と直生が一人、残念そうに呟いた横で神宮寺は隣でスマホをいじっていた。


「トルティーヤもエンチラーダソースも家で作れるみたいだな」
「!!」
「今度、休みの日にでも作ってみる。そうしたらいつでも食べられるだろう」
「やった!!」

美味しいメキシコ料理に舌鼓をうった後に、自宅でも作れると聞いた直生はさらにご機嫌になった。

いくら料理が趣味で気分転換になると言っても、いつも忙しくしている神宮寺に作って貰うのは申し訳ないと思う。そう思って、一度遠慮をしたことがある。けれど神宮寺はそれを喜ばなかった。それどころか、直生に美味しい料理を振る舞うのが気分転換で楽しみなのだから寂しい、と言われてしまったのだ。だから、それからは遠慮せずに、食べたいものは食べたいと言い、神宮寺が作る、と言ったときは、ありがとうと言って甘えるようにしている。


「神宮寺さん、どんどんレパートリー増えますね」
「お前に食べて貰えるものが増えるのは嬉しいな」

そういう神宮寺は、とても嬉しそうだった。その神宮寺の表情を見て直生は恥ずかしくなった。いや、恥ずかしくなるようなことはなにひとつないのだけれど、神宮寺の表情に照れて恥ずかしくなるのだ。それは、神宮寺への気持ちに気づいたからだろうか。きっとそうなのだろう。

あのとき気づいた気持ちは確かなものとして心の中にあって。けれど、伝えられるだけの覚悟はまだない。だから神宮寺にはまだ何も伝えていない。

神宮寺が気持ちを滲ませてくると、嬉しいけれど申し訳ない気持ちになる。思われるほどのものが自分にあるとは思えない。神宮寺ほどのイケメンが直生を想ってくれているであろう。そのことが申し訳ないと思ってしまうのだ。

大体、好きだと言ったところで、覚悟ができる日が来るかさえわからない。臆病者の自分が逃げずに神宮寺に好きだと伝える日が来るなんて想像もできない。いつか神宮寺の気持ちに答えられる日が来たら、神宮寺は今よりも明るい表情を見せるのだろうか。神宮寺のそんな笑顔を見てみたいと思う。でも、それには自分が神宮寺の気持ちに答えられることが条件になってしまうけれど。それでも、心の中ではほんの少し、神宮寺と番になれたら幸せだろうな、と思っている。やくざでなければ……そう思ってしまうのだ。


「どうかしたか?」

神宮寺と話しているうちに、ごちゃごちゃと考えてしまっていたようだ。


「いいえ。楽しみだな、と思っただけで」
「土曜にでも作ってみる」

今日が木曜日。土曜日まであと二日だ。


「楽しみにしてます」

そう言って直生は小さく笑う。


「疲れてるか?」

急にそんなことを訊かれる。


「そんなことないですよ」
「そしたら、今日は月でも見ながらゆっくり歩いて帰らないか?」
「そうですね。たまにはいいな」

いつもなら、もう車を呼んでいる頃だ。しかし、今日はまだ呼んでいない。たくさん食べたし、運動のためにも歩いて帰るのもいいだろう。大体、少し距離はあるけれど歩ける距離なのだ。


「今日は雲がかかってないから、月も星も綺麗に見えるな」
「そうですね。東京でこんなに星が見えるなんて珍しい。神宮寺さんはいつも車だから、あまり空って見ないんじゃないですか?」
「それはあるな。こうやって空を見上げることは滅多にないな」

神宮寺は出社もそれ以外の外出も全て車だ。会社の経営者と言えば車での送り迎えというイメージがあるから、そうなのだろうし、得意先とか、よくわからないが、社外の色々な人と会ったりするには車の方が便利なのだろう。しかし、神宮寺は仕事が終わったであろう時間も車を使っている。


「東京の空を見上げても綺麗じゃないから、と思って見上げなくなったのはあるな」
「確かに。今日みたいなのは珍しいですよね」
「ああ。だから歩いてみたくなった」

そう話ながらゆっくり歩く。神宮寺には車だから空を見ないんじゃないか、と言ったけれど考えてみたら直生もあまり空を見ていなかったことに気づく。


「考えてみたら、俺もあまり空見てなかったかもしれないです」
「そう?」
「綺麗な空見てみたいですよね。降るような星とか」
「そうだな。プラネタリウムもあるが、やはり本物がいいな」

今にも降ってきそうな星と静かに空を照らす月。そんな景色は東京では望めない。どこか空気の綺麗なところに行かなければ。

そんなことを考えていると、そんな夜空が見られるところへ旅行へ行きたくなる。そして、もう何年も旅行に行っていないことに気づいた。


「旅行行ってないなぁ」

横断歩道で歩を止めて、空を見上げながら直生は呟いた。


「俺も行ってないな」
「忙しくてですか?」
「それもあるが、一人だとな」
「海が綺麗で空も綺麗なところに行きたいなぁ」

最後に旅行に行ったのはいつだろうかと考えて、社会人になってからはほとんど行っていないことに気づいた。大学時代は一人でのんびり行ったこともあるけれど、社会人になってからはそんなゆっくりする時間もないし、そんなことを考えたりもしなくなっていた。有給はあまっているから、そのうちどこかにのんびり行くのもいいかもしれない。そんなことを考えながら横断歩道を渡ろうとしたところでヘッドライトがすごい勢いで近づいてくる。

危ない!

そう思いながらも直生は、あまりのことに立ち尽くしてしまう。


「危ない!」