EHEU ANELA

不出来なオメガのフォーチュン

第3章 01

なんでこんなところにこの男といるんだろうか、と直生は考える。

品のいいイタリアン・レストラン。照明が落とされ、テーブルの上のキャンドルがゆらゆらと揺れる雰囲気のいいお店。デートで来たら女性は喜ぶだろう。そんな店。

そんな店で直生の目の前に座るのは神宮寺だ。

病院から戻り、神宮寺に借りたあの部屋で悶々としていたときにインターホンを鳴らしてやってきた。下から来客を告げるようなものはなく、いきなり部屋のインターホンが鳴ったのでびくりとし、来訪者が神宮寺であることに安心するような、驚くような。

そんな直生を前に神宮寺は、食事に行こう、と誘ってきたのだ。そして来たのがイタリアン・レストランである。

神宮寺が嫌いな訳ではない。それは、決してない。間違いなくその筋の人間だろう、と思わなくもないが、チンピラに絡まれているところを助けてくれるだけでなく、よく知りもしない自分に部屋まで貸してくれている親切な人だ。そんな人を嫌いになんかなる訳がない。まして落ち着くサンダルウッドの香りがする人だ。

しかし、かと言って一緒に食事をするほど仲がいいわけでもない。けれど神宮寺はそんなことを気にしてもいないようで、優雅に食事を進めている。


「口にあわなかったか?」

直生がそんなことをつらつらと考えていると神宮寺がそう言った。言われてやっと、食事をする自分の手が止まっていることに気づく。


「イタリアンはあまり好きではなかったか?」

何はともあれ、せっかく誘って貰ったのに失礼なことをしていると反省し、食事の手を進める。


「いえ、そんなわけでは。ただ、緊張しちゃってるだけで」
「緊張することはない。何料理が好きだ? フレンチか? 和食か? 今日は俺が勝手に連れてきてしまったから、今度はお前の好きなところへ行こう」

神宮寺の言葉に直生は驚く。また今度があるのか、と。そう考えていると神宮寺は直生の考えを読んだかのように言葉を続ける。


「一人で食べるのは味気ないだろう。だから誘った」

シンプルな答えだった。けれど確かにそうだ。美味しい食事も一人で食べると味気なく感じる。それは間違いない。しかし、だからと言って、そんなに親しいと言えない人間と食事をするものだろうか?

しかし考えてみたら神宮寺は、その親しいとは言えない人間に家を貸してくれているのだ。しかもタダで。なぜ神宮寺がそんなことをしてくれるのかはわからない。わからないから、親切な人、と思っている。

あ! 誘ってくれるのは、お互いを知るためか? そう思い当たるとすっきりとして軽やかに手を動かす。

口に入れたカツレツはとても柔らかく、上品な味付けで手がどんどんと進む。


「美味しいです」

そう軽く微笑んで言うと神宮寺も小さく微笑む。その笑顔は、その筋の人間だなんてことを忘れてしまう上品な笑みだった。もしかしたら神宮寺はいいところの出なのかもしれない。

しかし、そんな神宮寺と食事をしたいと思う人間は、男女問わず多いだろう。それなのに、なぜ自分を誘うのか。考えてもわかる訳はない。なので、きっと今日は誰もいなかったからだろう、と理由づけた。


「今日は何をしていた?」
「あ。午前中は必要な物を買って、午後は病院へ」
「必要なものと言っても結構な量になったんじゃないか?」
「まぁ、それなりに」
「車を出してやれずに申し訳なかった。朝は外せない会議があってな」

いやいや、家借りてるだけで十分だって。車まで出して貰うわけにはいかない。そう思って、顔の前で両手を振る。

「そんな。家を借りているだけで、迷惑をかけているので」
「昨日も言ったが、それは気にするな。家は他にもあるし、あそこはたまにしか使っていないから、好きなだけいていい」
「そんな訳にはいかないです。できるだけ早く部屋を見つけるので」
「急ぐ必要はないから、自分が納得のいく部屋をじっくり探せばいい。焦っていいことはない」

神宮寺の言葉も表情もとても優しくてなにも言えなくなってしまう。本当に甘えていいのだろうか? どんな表情を返していいのかわからずに、思わず下を向いてしまう。

そして考えるのは、医師に言われた運命の番、ということだ。こんな良い男と運命の番だと言われてもぴんとこない。あまりにも自分と違いすぎるのだ。顔のスペックも仕事も。

受け入れられない、という訳ではない。単純にぴんとこないだけだ。大体、数回しか会ったことがないのだ。だからこの男のことだってよく知らない。わかっていることは、半端じゃないくらいのイケメンで、やくざで、だけどとても優しい。そんなことしか知らないのだ。そんな人間と運命の番だと言われてもぴんとこなくて当然だろう。だから、まずはこの男のことを知りたいと思う。まだ何も知らないから。

和明が海外出張から帰ってきて、お土産がある、ということで二人で呑みに行った。

「いや。香港も変わったな。北京語が随分聞かれるようになったよ。その代わり英語は以前より減った気がする。観光名所では違うのかもしれないけどさ」

今回和明は、中国・上海、深圳そして香港へ行っていたのだ。上海や深圳は時間もあまりなく仕事だけで終わったみたいだが、香港では少し時間があったのと、向こうの担当者の時間があったということで結構一緒に食事に行ったのだという。

当然、地元の人向けの店なのだが、店の中に簡体字の張り紙があったのだという。街を歩いていても北京語を耳にした、ということで肌感覚として北京語が増えたと感じたのだろう。

直生が香港に訪れたのは大学の頃で、十年ほど前になる。その頃は北京語を聞くことはなかったし、簡体字での張り紙などもなかった。中国に返還されてもう二十五年ほど経つ。やはりそれだけ経つと変わってくるのだろうか。まして、その間に中国は随分と国力をつけた。つまり、そういうことだろう。最近では言論の自由が奪われた、と現地の声を聞く。百年はそのまま、ということだったが、中国化は早まっているのかもしれない。

最近行っていない香港の話や、行ったことのない上海や深圳の話は聞いていて楽しかったが、和明は仕事しかしてないからつまらなかったよ、という。それでもその土地の様子だけでも直生には興味深いのだ。


「で、その間にお前は火事にあってしまった、というわけか」

鶏の唐揚げに手をつけながら和明が訊く。

和明の出張話の後は、直生の身に起こったことだ。火事のこと、神宮寺と触れ合ってヒートを起こしかけたことなどを話した。


「しかし、ある日家に帰ったら火事があって、家がなくなっていました、なんて災難もいいところだよなぁ。悪いな、そんな時に日本にいなくて」
「いや、それは和明も好きで日本にいなかったわけじゃないし、まぁ住むところはとりあえず神宮寺さんに借りられたし」
「でも、触れ合ってヒートを起こしかけるって怖いな。男同士だからベタベタ触ることはないけど、ちょっとしたときに触っちゃうことってあるもんな。でも、それも結局は運命の番なんだろう」
「医者はそう言ってたけど、まだ信じられない」
「信じられる信じられないじゃないだろう」
「そうだけどさ。こんな霞んじゃうような俺に、あんなイケメンの運命の番なんて誰が聞いたっておかしいだろ」
「そんなにイケメンなのか? 会ってみたいな」
「そんな話じゃないだろ」
「まぁ、でもおかしくないだろ。誰にだって運命はあるもんだ。それが霞むようなやつでもな。てか、お前自己評価なんとかしろよ。大学の頃に言われたことなんて忘れちまえ」

そう言って和明は、生ビールのジョッキをぐっとあおり、呑み干すと店員におかわりを頼んだ。

確かに平凡が服を着て歩いているような自分にだって運命はある。なのだから運命の番がいてもおかしくない、ということだ。確かにそうなのだろう。それとも、ただ、都市伝説と言われているようなことが自分の身に起きたことに驚いているのか。多分、後者なのだろう。それが運命の番だなんてロマンチックなものだから余計にだろう。

自己評価が低いのは仕方がない。子供の頃から特別に自己評価が高かったということはない。ごく普通だった。低くもなく高くもなく。それが一気に低くなってしまったのは仕方がないだろう。聞いてしまったのだから。あれが好きな子でなければここまでならなかったのだろうか? いや、誰が言っているのを聞いてもやはり卑屈にはなってしまったと思う。


「で、これからどうするんだ?」
「ん〜。それなんだよな。会社に通いやすいところにウィークリーマンションがなくってさ。そしたら普通のアパート借りるしかないだろ」

たこわさを口にしながら答える。


「で、その普通のアパートもない、と」
「うん。アパート、マンションとも見事にゼロ」
「神宮寺さんはその辺なんて言ってるんだ?」
「急がなくていいって。家はもう一つあるからいつまでいても構わないって」
「家がもう一つあるってスゲーよな。そんなセリフ一度言ってみたいわ」
「まぁね。でもさ、だからと言っていつまでもってわけいかないじゃないか」
「まぁ、そうだけどさ。かと言ってないものは変わらないし。少し言葉に甘えてじっくりゆっくり探せば?」
「でも、そうすると元いたところに戻るかどうするか、っていう問題にもあたるんだよね」
「あ、そうか。ん〜。新しいアパートが出来るまで数ヶ月だから、それまで甘えさせて貰えば?」
「そんなに甘えていいのかなぁ」

火事になった跡を綺麗に更地にして新たに建て直す。新築とはいえ数ヶ月もあれば建つだろう。正直、すごく中途半端だと感じる。もっと短いのなら少し遠くてもウィークリーマンションを探してキツい通勤を頑張るか、このまま神宮寺に甘えるかする。

逆にもっと長くて一年とかかかるのであれば、通勤圏内で良い物件が出るのを待ってそこに引っ越す。その後は元いたアパートに戻ってもいいかもしれない。その場合の引越し費用はかかってしまうが。

しかし、数ヶ月のために新しい場所でアパートやマンションを探すとなると考えてしまう。仮住まいとしては短すぎるのだ。


「でも実際どうよ? 前いたところに戻りたいと思うの?」
「立地がいいからなぁ。通勤考えたらね」
「通勤なら、俺の辺りだっていいんじゃん? 通勤時間大差ないだろ」
「そうだね」
「まぁ、でも時期的に空いてるところって少ないよな」
「だろう? それが問題なんだよ。あ〜やっぱりウィークリーマンションがあるといいんだよな。家電なんかも戻ってから買えば済むし。今引っ越して家電も買うっていうと出費が痛い」
「そうだな。一時金貰ったって全て賄えるわけじゃないからな。やっぱり、少し神宮寺さんに甘えるか」
「でも、申し訳ないよ」
「ごめんな、俺のとこ来いって言えなくてさ。少しの間ならいいけど、1Kじゃ狭すぎて」
「それはいいよ。わかってるから。まぁ定期的にサイト見てみるよ」
「俺の方も近所で空きが出たら知らせるよ」
「うん。お願い」
「きっとさ、運命の番だから助けてくれるんじゃん?」

ビールが入って陽気な和明は、神宮寺のことを運命の番だとすっかり受け入れている。


「どうやって運命の番だなんてわかるんだよ」
「遠くにいたってお前の香りだけするんだぞ? 運命の番をことごとく否定してたお前にはそうかもしれないが、普通じゃあり得ないだろうが」
「でも、運命の番だとわかったとして、嫌じゃないかな? こんな平凡で印象の薄い男でさ」
「も〜。お前は本当に!」

和明はぷりぷりしながら、唐揚げをばくばくと食べている。もう後一個しか残っていない。

確かに運命の番だと和明に言われながらも否定していたのは自分だ。いや、医師に言われてもなお信じがたかったが。


「で、番になるのか?」
「そんなのわからないよ。運命の番だからって絶対に番契約しなくてはいけないものではないだろうし。何よりお互いのことよく知らないし」
「確かに空いてのことを知らないと、番契約どころじゃないよな。でも、だから食事に誘ってくれたんじゃん?」
「多分ね」
「うわ〜、塩対応〜。なんだよ、お前は相手に興味ないのか?」

神宮寺さんに興味……。

箸を止めて考える。

考えたことがなかった。でも、知りたいと思ったのだから、それは興味だと思う。でも、それなら神宮寺は? 神宮寺は運命の番だから俺に興味があるのだろうか。もし、運命の番じゃなかったら? いや、その前に本当に運命の番だなんて本当に気がついているのだろうか? そう考えるとわからない。いや、人のことなのだから、わからなくて当然だが。仮に気づいていても、こんなどこにでもいる、なんなら人混みの中では霞んでしまうような冴えないやつと運命の番だなんて冗談じゃない、と思っていないだろうか。もし思っていたとしたらショックだが。


「興味ないわけじゃない、よ。でも、そこまでの興味があるのかはわからない。それよりも運命の番だというのを受け止めるのに必死。恋愛小説に出てきそうな運命の番だなんてさ。女性なら好きそうじゃん? でも、それがこんな俺に起こったなんて誰も信じないだろ」
「俺は信じてるけどな。だって、そうでなきゃ納得いかないわけだし、運命に平凡もなにもないんだよ。そんなんじゃなくてさ、肩の力を抜いて、それこそ運命に身を委ねてみたらどうだ? そうしたら、それこそ運命の番なのかわかるかもしれないし、それに今お前に起きていることは、そんなに悪いことじゃないと思うぞ。火事以外はさ」

そう言うとご機嫌そうに唐揚げを食べきり、ジョッキを傾ける。唐揚げはあまり食べられずに、全て食べられてしまった。 「そう、かな?」
「それに、どうなるかなんてさ、いくら考えたって誰にもわからないんだよ。お前にも、その神宮寺さんにもわからないんだよ」

いくら考えても誰にもわからない。確かにそうかもしれない。どんなに考えたところで未来なんて誰にもわからないのだ。


「でも、さ。こんな冴えないやつとなんて冗談じゃない、と思ってるかもしれないだろ」
「お前ね。食事に誘われてるんだぞ? 否定はしてないだろうが」
「そう、なのかな」

でも、言われてみればそうだ。なぜ自分を食事に誘うのか、と思ったばかりだと思い出した。


「あまり考えこまずに、素直に受け入れてみたらどうだ? お前は自己評価が低いどころかマイナスだから絶対に悪い方にしか考えないだろ。お前にだって運命はあるし、幸せになっていいんだよ」

和明の言葉に何も言葉が出ない。直生はいつもグダグダと悪い方にばかり考える。それは平凡すぎる自分に自信が持てないからだ。みんな自分のことを大学のときに自分を笑っていた子たちと同じように思っているんじゃないか、と考えてしまうのだ。

今までの人生、モブでやってきたのだ。主役だなんて慣れてない。だから、そんな小説や映画の出来事のようなこととは無縁に生きてきた。なのに、そんなことが自分に起こって、しかもお相手は超イケメンだなんてびっくりしすぎでにわかには信じられなくても仕方がないだろう、と思う。

神宮寺が何を思って食事に誘ったのかわからない。でも、誘ってくるということは否定はされていない、と考えていいのだろうか。それが例え言葉通り一人で食べるのが味気ないと思うからだとしても。だから、もし今後誘われても一緒に食べに行っていいのだろうか。良く知っている相手ではないけれど、顔見知りではあるし、何と言っても部屋を貸してくれている相手なのだ。警戒する必要はないだろう。


「せいぜい頑張れ。もし本当に運命なのなら、どう逆らったってなるようにしかならないと思うぞ」
「うん……」

和明の言葉は、ごちゃごちゃと考えすぎるきらいのある直生の背中をそっと後押しした形になった。

なんでも考えて、どうして、なんで……。いつもそうやって考える。どうやったて人の考えていることなんてわからないのに、それすら考えようとする。明確になっていないと怖いのだ。何か起こったときに怖いのだ。

しかし、何かが起こることはそれほどない。つまり、考えすぎて自分が疲れるだけなのだ。臆病ゆえの悪い癖だった。それに対し和明は、考えすぎるなと友人なりのアドバイスをくれる。

神宮寺も言っている通り一人での食事は味気ないから、ちょっと興味のある自分を誘ってくれているだけかもしれない。それも飽きれば他の誰かを誘うだろう。そう思うと、少し肩が軽くなった気がした。