EHEU ANELA

海の青と空の青

木蓮の花咲く頃

千屋の勤める、そして俺がよくお世話になっている出版社の50周年記念パーティー。

こういうパーティーは苦手だけれど、デビュー作以来一番俺の作品を出版してくれている出版社なので顔を出さないといけない。

社長の挨拶から始まり、順に社長に挨拶をしていく。もちろん俺も挨拶をする。


「50周年おめでとうございます」
「あぁ、都谷先生。ありがとうございます。まだまだ50年ですからね。明日からもまた頑張りますよ。先生にもお願いするかと思いますが、よろしくお願いします」
「こちらこそいつもありがとうございます。少しでもお役にたてるよう頑張ります」

一言二言話しをすると社長への挨拶は終わる。社長とは数回会っただけなので緊張した。

小さく息を吐くと、都谷先生、と呼ぶ声が聞こえる。声の方へと目をやると久我編集長がいた。


「社長に挨拶されましたか」
「ええ。緊張しました」
「はは。あまり顔あわさないですもんね。あ、それは俺も変わりないか。こっちとしてはよく読ませて頂いているので親近感はあるんですけどね」
「いつもありがとうございます」
「もうすぐ締め切りのものがあったと思うんですが、よろしくお願いしますね」
「締め切りには間に合うかと。千屋が煩いので」

編集長は俺と千屋が親しいことを知っている。だから、千屋呼びにしても問題はない。


「先生はあいつが何も言わなくても締め切りが過ぎるっていうことはないでしょう」

それは確かだ。自分で言うのもなんだけど締め切りは守っている。1度だけ数日遅れたことがあるけれど、そのときの千屋はほんとに煩かった。それ以来、千屋のお小言を食らいたくなくて数日徹夜をしても絶対に締め切りにはあげるようにしている。そのおかげか、編集長の覚えはめでたい。


「今度、今書いて頂いているミステリー作家によるアンソロジーですが、売上次第では第二弾を出す計画もあるんですよ。そのときにはまた都谷先生にもお願いします」
「あの企画ですね。書かせて貰っていますが、実は読者として楽しみなんですよ。他の先生方の作品が1冊で楽しめるんですから。それの第二弾も書かせて貰えるんですか?」
「もちろんですよ。長生先生や、今泉先生なんかにも声をかけさせて頂いているんですよ。多分、千屋が後で先生に伝えると思いますけどね。俺の方が先に先生に会ってしまったから順番が逆になってしまいましたが。詳細は千屋から聞いてください」
「はい。そうします」
「挿絵は今人気の画家の薬井直人先生にお願いしてあるんですよ」
「薬井、直人……」
「はい。次の先生の本の表紙を薬井先生にお願いするって千屋が言っていたけど」
「ああ、はい。直接会ったことはないけれど画集は見せて貰いました。ご本人には今日挨拶を予定してあるんですが」
「そうですか。画集とはまた違った魅力があるんですよ、イラストでは。うちでは長生先生の本の表紙を描いて貰っています」

それはそう思った。

画集を見た後、本屋で長生先生の本の表紙を見て、画家として描く絵とはまた違うなと思ったものだ。


「うちではこれからも薬井先生には描いて貰うつもりなので、都谷先生のも今後また回ってくると思います」
「そうですか」

そうなると、あっちが会いたいと言わなくても会った方がいい相手だな、と思う。

そう考えていると編集長は、他の先生を見つけたらしい。


「綾本先生! それでは都谷先生、よろしくお願いしますね」
「はい」

そう言うと編集長は綾本えり先生の方へと行った。

編集長への挨拶を終え一息ついていると、今度は先週首を縦に振ったドラマの監督に捕まった。


「いやぁ。この度はドラマ化に頷いて頂いてありがとうございます。なにを隠そう僕、都谷先生のファンなのですよ」

そう言うのは今回ドラマの監督をしてくれる宮瀬監督だ。俺のファンだなんてお世辞でも嬉しい。


「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」
「お世辞なんかじゃないですよ。ほんとにファンなんで。全作読ませて頂いていますけど、特に『黒と白のメモリアル』が好きですね。そんな大好きな先生のドラマ化なので今回はすごく力が入っています。できるだけ原作に忠実に作っていきたいと思っているので、キャスティングはもちろん様々なところで先生に関わって頂けたらと思っています。何より脚本も先生にお願いできるそうで、お忙しい中大変だと思いますがよろしくお願いします」

ドラマの脚本を自分で書く、というのは当然だけど監督にはもう話しが言っていた。


「いや、こちらこそドラマ製作なんて携わったことのないド素人なので、皆さんの足を引っ張らなければ良いのですが……」
「先生に書いて頂いた脚本は一応こちらでもチェックさせて頂きますので大丈夫ですよ。大好きな先生の作品なので成功させたいのですよ」

そう笑顔で言ってくれる監督に恐縮する。でも、この監督ならドラマ化も大丈夫なのではないかと話しをしながら思った。

千屋にドラマ化のメリットを何度も聞いて、悩みに悩んで承諾したけれど承諾して良かったのかもしれない。少なくともこの監督なら大丈夫なのではないかと思った。


「キャスティングに関しては今、主要なところは声をかけています。ただ、主人公の探偵・三井明役には小浅勇気さんに先ほど決まりました。他の役者さんについては今返事待ちです」

小浅勇気は今人気の俳優で演技力にも定評がある。カメレオンといった感じで様々な役をこなしているので、きっと助教授・三井明に関してもうまく演じてくれるだろう。


「小浅勇気さんならいいですね」
「そうですか。先生にそう言われると嬉しいですね。他のキャストに関しては決まり次第お知らせします。脚本のこともあるし、先生も気になるでしょうし」
「え、いいんですか?」
「もちろん。俳優さんによって役も随分変わってくると思うんですよね。だからその辺は慎重に選んだつもりです。声掛けした俳優さん皆さんがOKして貰えたら、そこそこいけると思うんですよ。もっとも先生にはまた別のイメージがあると思うので、あくまでも僕が思うイメージですけれど」
「そこは監督の采配ですから、僕から言うことはありませんよ」
「そうですか。ちなみに三井明のバディの吉行かなで役には加賀真那さんにオファーしています」

吉行かなでは元気で三井明にハッキリと意見を言い、自分なりの推理をぶつける子だ。

加賀真耶さんはハキハキしたイメージがあるので吉行かなで役にはいいかもしれない。

そう思うとこの監督ならドラマが変なふうにはならないんじゃないかと思えた。

 
「監督に任せれば大丈夫ですね」
「いや、先生にそう言って貰えると嬉しいですね。絶対にいいドラマにしましょう!」

散々悩んだドラマ化だけど、頷いて良かったと今なら思う。これであとは原作が売れてくれれば十分だ。

監督と和やかに話しをしていると千屋がやって来た。


「失礼します。都谷先生、薬井先生がお待ちです」

そうだ。宮瀬監督との話しで忘れるところだったが、このパーティーでは次の本の表紙をお願いする画家との顔合わせがあったのだ。


「宮瀬監督、申し訳ありませんが少し都谷先生をお借りします」
「あぁ、こちらこそ独占していて申し訳ない。都谷先生ともなると忙しいですね。先生、ドラマ、絶対に成功させましょうね」
「はい。頑張ります」
「では、宮瀬監督、失礼します」

そう言って会場の隅へと連れて行かれる。


「もう疲れたよ。やっぱりこういうパーティーは苦手だ」
「でも宮瀬監督と話せたのならドラマ化に関して少しは安心したんじゃないの?」
「ああ、うん。それは良かった。パーティーに来た甲斐があったよ」

まだ編集長と宮瀬監督としか話していないというのに既に疲れ果てている。それでも、宮瀬監督と会えて話しができたので、ドラマ化に対する不安はなくなっていった。

俺の作品を知っててくれているからかもしれないけれど、キャスティングに関しても三井明役と吉行かなで役に対しては不安はない。だからきっと他のキャストだって大丈夫だろうと思えた。


「なら良かったよ。散々悩んでたからな」
「今なら頷いて良かったって思うよ」
「そっか。あとは薬井に会ったら帰ってもいいぞ」

帰っていいと言われたので、さっさと顔を見せて帰ろうという気になる。


「なんだよ、急に元気になって」
「そうもなるよ。こういうパーティーは疲れるんだよ。それが帰ってもいいのなら用事は早く済ませて帰ろうと思うだろうが」
「まぁ、いいけどな」

そう言って千屋は笑うが、コミュ力おばけのこいつならなんでもないだろうけれど、人見知りであまりにぎやかなところは苦手な自分としては、こんなパーティーは、俺の元気をひたすら奪うものでしかないのだ。だから帰っていいのなら早く帰りたいに決まっている。


「薬井はあっちで待ってるよ」

そう言って会場の片隅を指さす。

 
「薬井はさダイビングが趣味で、社会人になってから潜りに行った先で偶然再会したんだ。それからよく一緒に潜ってるんだよ。だから画集にも海の絵多かっただろ」

確かに画集には、俺が言葉を失ったあの絵以外にも海の絵は多かった。

そうか。ダイビングをするから、あの鮮やかな青が生まれるのか。よほど海が好きなんだろうな。あの青い海の迫力はほんとに凄かった。

あの吸い込まれるような青の絵を描いた画家はどんな人物なのだろう。俄然興味がわいてきた。

 
「千屋さん!」

奥から千屋を呼ぶ声がした。

声の主はタキシードで正装をしてはいるが、髪はツーブロックでトップはパーマをかけ後ろで結わいている。色も金髪に近いので普段着だったら怖くて近寄れなかっただろう。


「薬井、待たせたな。今日はサングラスはナシか」
「タキシードだからね」
「でも、色は抜いたのか。ほぼ金髪じゃないか」
「ちょっとした気分転換だよ」

俺がビビった格好も千屋にとってはなんでもないらしい。というより普段はサングラスまでしてるのか。それじゃあまるでチンピラじゃないか。俺だったらとてもじゃないが近寄れない。


「お前が会いたいって言ってた都谷先生を連れてきたよ。都谷、このけったいな頭してるのがあの画集の薬井直人だ。いかにも自由人な格好してるが、人畜無害だから安心しろ」

この格好を自由人と言える千屋がすごいと思う。


「ちょ。千屋さん、まともな紹介してよ。はじめまして、薬井直人です。デビュー作からずっと都谷先生の大ファンで千屋さんに無理を言って会わせて貰いました」
「はじめまして、都谷です」

格好はちょっと驚くけれど、話し方はきちんとしている。人畜無害というのは本当だろう。しかし、笑顔で挨拶をされたけれど、人見知りゆえに笑顔で挨拶は返せなかった。

いくら友人の友人とはいえ、俺にとっては見知らぬ他人なのだから人見知りは遺憾なく発揮される。これだけは何歳になっても変わらない。


「こいつ、いい歳していまだに人見知りなんてしてるけど、悪いやつじゃないから」

おい! 人見知りする人間がいつ悪い人間扱いされるようになったんだ。そんなことを言う人間がいるのか? 第三者がいなければ、ここで突っ込んでいた。もっとも、人が多くパーティーという場所ではできないけれど。


「千屋さん、人見知りの人をそんなふうに言ったらダメだよ。繊細っていうことだよ。あの、実は俺、先生に会うの2度目なんです」

俺の突っ込みたい気持ちは、目の前の男が代わって言ってくれた。それにしても会うのが2度目? 記憶力は悪い方ではないけれど会った記憶がない。


「あ、会ったって言ってもサイン会なんですけど」

そういうと頬を赤らめた。

サイン会といえば、3作目が賞を受賞し、そのときにサイン会を開いた記憶はあるが、もう随分と前の話だ。


「俺、その頃、画家として全然ダメで結構腐ってたんですよね。そのときに大好きな作家である都谷先生が受賞して。歳もそんなに違うわけじゃないのに違う次元にいるみたいで、すっごく悔しかったんです。それで、いつか先生の本の表紙を描けるようになろうと思ってそれから必死に描きまくったんです。そしたら先日千屋さんが先生の担当してるって知って、会わせて欲しくて頼み込んだんです」
「なにが頼み込んだんだよ。半分脅しだろうがよ」
「えー、人聞き悪いなぁ。対価じゃん」
 

何やら言い合っているが、どうも普通に話しをしていてと言うわけではなさそうだ。


「何の対価だ、千屋?」

少し声を低くして訊くと千屋がわかりやすくびくりとした。


「千屋?」
  「……フットサル」
「は? お前、フットサルごときで俺を売ったのか」
「フットサルごときとはなんだよ! 大事な試合だったんだよ。だけど急に1人怪我でダメになって、そのときに薬井に助っ人お願いしただけだ!」

人を売っておいて、お願いしただけはないだろう。そう思って軽く睨みつけると肩をすくめていた。

こいつがサッカー馬鹿で休みの日にフットサルをしているのは知っている。でも、俺を紹介する対価がフットサルとは……。

こいつに言ったところで言うだけ無駄なのはわかってはいるけれど、呆れる。

まぁ、パーティーには出なくてはいけなかったからそれはいいにしても、知らない人と会うのは神経がすり減るというのに。

宮瀬監督はまだいい。今後、仕事をすることになるのだから、神経がすり減ろうと会わなくてはいけなかった。

でも、この件に関しては違うだろう。いくら今度表紙をお願いするにしても会う必要はあったのだろうか。これは後で何か見返りを要求しても罰はあたらないだろう。


「あの、千屋さんが悪いんじゃないですよ。俺がどうしても都谷先生にお会いしたかったから。俺、いつか先生の本にイラスト描けたらなって思ってて。で、今度描かせて貰えることになって。あ、俺の絵みたことない、あ、見て頂けたんでしたっけ?」
「見させて頂きましたよ、画集。それに長生先生の表紙も見させて頂きました。いいと思いましたよ」
 

そう言うと、花が咲いたようにパーっと笑顔が顔中に広がる。誇張でもなく、ほんとに花が咲くように笑った。目尻に皺を作りながら笑うその姿がいいなと思う。魅力的な笑顔でつい魅入ってしまう。


「わぁ、めちゃ嬉しいです。どうですか? 描かせて貰ってもいいですか?」
「出版社側がいいのであれば、俺は構わないので」
「千屋さん、ほんとに描かせて貰ってもいいの?」
「都谷が良ければこっちはいいよ。最初からその気だし」
「ほんと? ありがとう、千屋さん」

随分と軽く決められてるような気がしないでもないけれど、別に表紙絵に特に拘りがあるわけではないし、あの絵が描ける画家なら失敗はないような気はする。

まぁ相手はそんな軽い気持ちでないのはわかってはいるけれど、世の中熱量が違うのなんてよくある話しだ。

 
「先生。いい表紙が描けるように頑張るのでよろしくお願いします」

そう言うとぺこりと頭を下げる。そういった動きからもほんとに俺の表紙絵が描けることを喜んでいることがわかる。

俺も千屋もそこまで難しく考えているわけでもないので、そこまで喜ばれるとなんだか逆に申し訳ない気がする。

会ったら帰ろうと思っていたけれど、気がついたら俺のどの作品が好きか、どんなところが好きかという話しをずっと聞いてパーティーは終わりを迎えた。


俺と薬井と出会ったのは、窓の外に満開の木蓮が咲いていた季節だった。