あなたが愛してくれたから

束の間の幸せ 01

大学を卒業した僕達は、一緒に暮らし始めた。早めに、と言われていた結婚式は七月の第二週で、あと二日だ。

式は当初大々的に、という話もあったけれど、僕達の意向もあり、それぞれの親族のみという内輪での式となった。

そして、四月からはそれぞれ就職している。僕はそこそこの規模の会社の総務部に、樹くんはお父さんの会社の海外事業部で営業職として働きだした。

僕はオメガということで、オメガ枠での就職なのでヒート時にはヒート休暇があるが、パートナーである樹くんはパートナー枠を適用して貰ってはいるが、営業という仕事上、パートナーである僕がヒート中でも仕事に出なくてはいけないことも稀にある。

樹くんはそれを申し訳ないというけれど、仕事だから仕方ないと思っている。中にはパートナー枠のない企業もあるので、パートナー枠のあるKコーポレーションはさすがだ、と思う。


「疲れた〜」
「どうする? 先にご飯食べる? お風呂先にする?」

仕事から先に帰ってくるのは、僕のことの方が多いので、自然と食事を作ることも多い。でも僕が残業で遅くなるときは樹くんが作ってくれる。作れる方が作る、というスタイルだ。

掃除、洗濯は二人で。樹くんは独り暮らしの経験は一年ほどだけど、家事能力はあるし、母の死後一人で全部やってきた僕もそこそこ家事能力はある。だから、共働きの今は分担できているのは助かる。

ただ、樹くんはあまり僕にやらせたくないらしい。それは僕の能力が劣るとかではなく、基本、すべて自分でしてあげたいらしい。付き合ってからの過保護の延長だ。いや、溺愛されてる、と言った方がいいかもしれない。


「お腹空いたから先に食べたい」
「じゃあ温めるから先に着替えておいでよ」
「はーい」

今日のメニューは豚の生姜焼きだ。木曜日ということで疲れているから、疲労回復の豚肉メニューにした。


「あ!生姜焼きだ!」
「うん。疲れの出る頃だからね」
「疲れたよ〜今日は営業所二ヶ所行ってめちゃ疲れた。ほんと、こき使われてるよ。部長や課長は申し訳なさそうな顔してるけどさ」

樹くんのお父さんは、最初は一般社員と同じように扱うように、と樹くんが所属する部署の部長、課長に通達していたという。とはいえ、やはり社長の息子を他の社員として扱うのは申し訳ないと思うのだろう。

でも、こうやって働いていけば、現場のことを考えられる社長になれるのだろう。今は大変かもしれないけど、頑張りどころだ。


「優斗の方はどう?」
「最近はやっと自分一人でできることも増えたかな?」
「やっぱり優斗、優秀だもんな」
「そんなことないよ。そんなに難しいことないだけ。樹くんは海外とのやり取りだもん、大変だよ」
「なんか幸せだな。疲れて帰ってきても優斗がいるから癒やされるの」

樹くんはそう言って、ふにゃりと笑う。帰ってきて癒やされているのは樹くんも同じなんだ、と思うと嬉しい。


「あ、優斗。もうさ、結婚も決まったんだし、樹って呼ばない? まだ樹くん、呼びだし」
「癖になっちゃってて。いつか、そう呼べるように努力する」
「努力かぁ。でも、優斗はそういうところも可愛いからな。うん、そんな優斗といられる俺、やっぱりすごい幸せだわ」

僕の作った料理を笑顔で食べてくれる人がいる僕の方が幸せだと樹くんは気づいていないようだ。

口にはなかなか出せないけど、樹くん、僕も幸せだよ。この幸せがずっと続きますように……。


「それよりさ、式、明後日なのに、式前日まで仕事って疲れない?」
「僕は今、忙しくないから大丈夫だけど、樹くんはキツイかもね」
「まぁ、日曜日空いてなかったから仕方ないけど。でもよく七月なんて取れたよね」
「樹くんのお父さんの力だよ」

そうなのだ。当初は十月頃となっていた結婚式が七月になったのは、樹くんのお父さんのコネで内輪だけの式だけなら、と予約が取れたのだ。披露パーティーは特にしなくて、式出席者だけで食事会をすることになっている。

加賀美の家的には式はどうでもいいけれど、樹くんの方は大丈夫なのか、と思っていたら、一般社員と同じに働いている今なら内輪だけでも大丈夫とのことだった。


「でも、式の翌日は日曜だから休めるよ。ホテルも取ってあるし」

式は土曜日でその日はホテルに泊まることにしてあるから、食事会が終われば、もう休める。本来、新婚旅行となるところだけど、新人の僕達がそんなにゆっくり休めないので、新婚旅行は年末年始に行くことにしてある。


「でも、新婚旅行の代わりなんだから式の後は頑張らないと」
「頑張るって?」
「優斗のお父さんが言ってたでしょう。子供は早くって」

そう言って樹くんはニヤっと笑った。僕は恥ずかしくて顔が火照ってしまう。確かに両家の親ともに早く孫の顔が見たいと言っている。だから、結婚式の後はそういうことをするんだということはわかるのだけど、それを口に出されると恥ずかしい。


「まぁ、子供云々抜きにしてもさ、結婚式の後ってなったら流れでそうなっちゃうでしょう」
「そうだけど、口にしないで。恥ずかしい」
「もう何回もしてるのに。優斗可愛いな。こんな可愛い優斗を俺のものにできたってすっごいラッキーだよな。あのとき頑張って告白して良かった。他のヤツに取られなくてすんだ」
「僕を狙ってる人なんて樹くん以外いないから」
「いたってば。優斗が知らないだけ。物静かでさ密かに人気あったんだよ」
「そうかなぁ?」

樹くんはそういうけれど、樹くん以外の誰かに告白されたとかないからわからない。それを言うなら、モテる樹くんが旦那様になることが不思議だ。自分なんかでいいんだろうか。そう言うと


「俺は優斗以外目に入ってないから問題ないよ」

と蕩けそうな甘い言葉と表情で返されてしまう。そんな樹くんを見るたびに、僕が幸せだと感じているのは通じているのだろうか。


「まぁ、でも俺も早く子供欲しいかも。優斗似の子供だったら絶対可愛いよな」
「僕似よりも、樹くん似の方が格好いい子産まれそう」
「いや、一姫二太郎でさ、一人目は優斗似の女の子がいいよ」

僕に似たら可愛い子産まれないんじゃないか、って思うけど、それは樹くんは聞いてくれない。樹くんはいつも僕のことを可愛い可愛いと言うから。まぁ、雰囲気が柔らかいとは言われるけれど。でも、実際に妊娠しちゃったら仕事とか大変じゃないかな、と思うのは僕だけだろうか。

それよりも早く子供ができたら、父は良くやった、と褒めてくれるのだろうか。

子供の頃から、出来損ない、役立たずと言われてきたから慣れてはいるけれど、心のどこかで褒められたいと思っているようだ。


「樹くんのご両親。お義父さんやお義母さんも早いと喜ぶのかな?」
「いつって言うより出来たら嬉しいだろうな。結婚したら望むものだと思うからさ」
「そう、だよね」

そうか。子供ができたら皆喜ぶんだよな。それが結婚式の日だったりしたらいいんだろうな。早く子供産まなくちゃ。


「まぁ、でも子供は授かりものだから、気にしなくていいんじゃない? 俺達だって若いんだから、少しは二人きりの生活楽しんだっていいんじゃん? 旅行行ったりさ、色々あるじゃん。まだ二十三歳だよ」
「さっきは早く子供欲しいって言ってたよ」
「難しいよなぁ。もう少し二人でいたい気もするし、早く欲しい気もするし」
「わがままだなぁ」

でも、きっと早くにできたら、樹くんも喜ぶんだろうな。僕ができることは如月の後継者となる子供を産むことだ。父だってそれを言っているんだ。そうすることで加賀美の名もあがるし、離婚の危機も少なくなる。そう、離婚の危機。

樹くんは常日ごろから、愛してる、と言ってくれるから、樹くんの心が簡単に離れていくとは思わない。でもいつまでも子供が出来なかったら、思いがけずではあるけれど、加賀美のオメガを貰ったお義父さんやお義母さんはどう思うだろうか。加賀美のオメガなんてこんなものか、と思うだろう。それを知った父は激怒して、また出来損ないとか言うんだろうな。やっぱり早く子供を産まなければ……。


「僕、頑張るよ」
「あんまり思いつめないで。優斗一人でどうこうできるものじゃないし、ほんと授かりものなんだからさ」
「うん……そうだね」
「ほら。なんか思いつめた顔してる。優斗の悪い癖」

樹くんは、そう言って僕の頭を撫でてくれる。いつもなら、樹くんに頭を撫でて貰うと安心するんだけど、この日はなかなか安心することはなかった。

結婚式は午前の早い時間だったから、朝、家を出るのは早かった。仕事が落ち着いている僕と違い、忙しい樹くんは帰宅が二十三時を回っていた。なんでも、そのままだと休日出勤になりそうで、でも先輩方に回すのは申し訳ないと思い、遅くまで残って終わらせてきたらしい。

だから、朝早い時間に起こすのは可哀想だったけれど、まさか結婚式の日に遅刻する訳にもいかず、心を鬼にして起こした。


「やっぱり土曜の朝はキツイよなー」

まだ、どこか眠そうな顔をして着替えをしている。


「大丈夫? 食事会が終わったら、早めに部屋に入れるといいね」
「そうだな。入って少し昼寝したい。そうしたら元気出ると思うんだ」
「式場に着いて支度できたら、横にはなれないけど少し寝たらいいよ。全く寝ないよりはいいでしょう」
「そうしようかな。どうせ控室、優斗と別々だし。それより、お父さんと二人きりとか大丈夫?」
「多分、ギリギリにならないと来ないんじゃないかな。今回の結婚は乗り気になってくれたけど、基本的に僕はあの人にとって出来損ないの子供だから」
「まぁ、それなら、俺もその頃には優斗のところ行けたら行くよ。できるだけ二人にはさせないようにするから」
「ありがとう」

そう。今回の結婚は、たまたま相手がKコーポレーションの御曹司である樹くんが相手だったから反対はしなかったけど、僕が勝手に樹くんと番契約したことは面白くないらしい。ほんとKコーポレーションの名前に助けられた。

それでも、ベータに産まれてきて、しかも子供の頃からホルモン剤を注射したにも関わらずオメガになれなかった落ちこぼれだ。しかも、後天性オメガになったとき、僕から父に連絡をしなかった。それは面白くないだろうな、と思う。

だから、式の日とはいえ、そんなに早くに来ることはないと思う。それが証拠に、なんの連絡も来ていない。樹くんのところはお義母さんから電話が来ているのに。それが父の気持ちの現れだと思う。


「あぁ、でも、早く優斗の姿見たいから寝てられないかも」

そう言って気持ちを楽にしてくれる。父のことを考えると、僕が元気をなくすのを知っているからだ。

ダメだな。樹くんは前日までの仕事で疲れているんだから、気まで使わせてどうする。本当なら僕が癒さなきゃいけないのに。


「薄いブラウンなんて優斗に似合ったもんな」

今回、式で着る服はレンタルではなくて誂えた。そのときに、僕は薄いブラウンに濃いブラウンがアクセントに使われたフロックコートを選んだ。濃い色はなんだか似合わなかったのだ。

そんな僕に対して樹くんははグレーに差し色に黒の入ったフロックコートを選んでいだ。それは男らしくて、それでいて優しげな樹くんにぴったりだった。

僕こそ格好いい樹くんが早くみたいのに。


「よし!支度完了。早く行こう。今日はうちから車来るんだろ。少しでも遅れると怒られる。もう出れる?」
「うん。こっちは大丈夫だよ」
「じゃ行こうか」

マンションを下に降りていくと、黒塗りの車が止まっていた。そして後部ドアの前にはビシッとしたスーツを着た三十代半ばほどの男性が立っていて、樹くんの姿を確認すると、ドアをスッと開け、深々とお辞儀をする。


「おはようございます。おぼっちゃま」
「おぼっちゃまはやめてよ。もう今年二十三歳だよ。あ、谷口。こっちが優斗。俺の結婚相手。優斗、これが谷口。俺の執事をやって貰ってた」
「優斗様。谷口と申します。今後、よろしくお願いいたします」
「あ!加賀美優斗です。あ、もう如月になるんだ。えっと。よろしくお願いします」

今日、結婚式と言うことで、婚姻届も今日出しちゃおうと、式場に行く前に役所に寄り提出することにしてある。

 

だから、厳密に言うと、今はまだ加賀美だけど、数十分後には如月になる。


「実家に行くと顔合わせると思うから」

専用の執事がいるなんてすごいよな。そんな人と結婚するんだな。普段は意識することはないけど、改めて樹くんっておぼっちゃまなんだな、と思う。


「どうぞお乗り下さい。婚姻届を提出してから式場に行くと聞いております」
「うん。よろしく。優斗、乗って」
「あ、うん」

車に乗ると座り心地の良いシートだった。やっぱり良い車はシートも違う。


「父さんなんかも早く行くの?」
「十時頃には式場に着くように行かれるようです」
「じゃあ結構余裕見て来るんだ」
「式場の支配人にも挨拶をするようですので」
「父さんの伝手だっけ」
「はい」

支配人と知り合いか。やっぱり、そうじゃないとねじ込めないよな。

まぁ、加賀美にもそういった伝手はあるけれど、当然、如月にもあった。いや、如月の方が多いだろう。


「明日もホテルからマンションまで送ってくれるのは谷口?」
「はい。私が送らせて頂きます」
「もう、家の方で忙しいだろ? タクシー乗るのに」
「おぼっちゃまの結婚のときくらいは送らせて下さい」
「まぁ、ありがとう。それに優斗を紹介できて良かった。今後、顔を合わせることもあるから。優斗、実家に帰るときも谷口が来てくれるから」

実家に帰るのにも送迎が来るのか。ほんとにすごい人と結婚するんだな。

その後も樹くんは谷口さんと色々話していて、僕はその会話を黙って聞いていた。

そして、車に乗って十分ほどで役所に着いた。そこで谷口さんには待ってて貰い、僕は樹くんと二人で婚姻届を提出しに行く。

窓口に婚姻届を出すと、おめでとうございます、と言われ、届けが受理された。これで僕は如月になった。