EHEU ANELA

あなたが愛してくれたから

オメガとして 02

「出来損ないのベータだったお前にしてはよくやったな」

僕は父に褒められたいからではないし、相手をブランド物として見ていたわけではない。何しろ、僕が樹くんに近寄ったわけじゃない。樹くんが告白してきてくれたからだ。それも僕がベータのときに。まぁ、そんなことは父には知ったことではないだろうけれど。


「結婚はするんだろうな」
「はい。先日プロポーズされました」
「よし。そうしたら子供は早く産め。そうすれば相手に逃げられることはない」

この人はオメガは子供を産む機械だとでも思っているのだろうか。感情はあるのだろうか。この人が父親だということが悲しくなった。


「オメガになったのに連絡もしない、と思っていたら、家のためにきちんと動いていたんだな」

樹くんと番になったのは家のためなんかじゃない。でも、父がそう思っているのなら何も言う必要はない。そう思っているのなら思わせておくのがいい。


「結婚は卒業して早い方がいいだろう。両家顔合わせのときにでも、そう提案しよう」

そう言うと、父は満足そうに帰っていった。どれだけ自分勝手な人なんだろう。そして相手をブランド物だと思っているのも吐き気がする。

父が帰っていっても僕はモヤモヤして気分が悪くて、樹くんに電話をした。


『どうしたの? なにかあった?』

樹くんとはさっきまで一緒にいたのに、穏やかに言ってくれる。樹くんのこの空気感がとても落ち着いて好きだと思う。


「父が来たんだ」
『お父さんが? なんだって?』
「最初は勝手に番契約したことに激怒していたけど、相手が樹くんだと言ったら早く子供を産めって言って帰っていった」
『どんな人か聞いてはいたけど、なかなかだね』

樹くんが電話の向こうで苦笑いをするのが聞こえる。恥ずかしい。


『でも、名前が役に立ったってことか』
「うん……ごめんね」
『優斗が謝ることじゃないよ。それに、なんであれ反対されなかったわけだからいいんじゃない。そのうち、挨拶に行くよ』

そう言って樹くんは小さく笑う。父のブランド主義が恥ずかしい。けれど今さらだ。付き合い始めたときに僕は加賀美の家のことを樹くんに話しているのだから。

僕は、父と話して胸に残ったモヤモヤしたものは、樹くんと話して少しずつ晴れていった。

樹くんはすごい。声を聞くだけで心は落ち着き、胸のモヤモヤだって晴れるんだ。そんなとき樹くんと付き合って良かったと思う。

付き合うのは強引さがあったのは否めない。でも、それは結果として良かったと思う。結果論だけど。僕は今、幸せだということに違いはないのだから。

加賀美のオメガは有力者など、何かしらの勢力を持っている家に嫁いでいく。でも、その中でもKコーポレーションというのは一際すごいのかもしれない。でなきゃ父があんなにご機嫌で帰るはずがない。そう思うと父が、子供は早く産めというのもわかる気がした。


周りが次々と内定を貰っている中、小さな会社の採用試験を受け、ラッキーなことに割合大きな企業での総務部のオメガ枠での採用が決まった。簿記の資格を持っているので、ベータの頃は経理職を探していたがオメガ枠では重要な仕事は望めない。それでも番契約をしているため、番のいないオメガよりは有利だと言う。恐らく誰彼ともなくフェロモンで誘うことがないからだろう。

オメガの多い加賀美の家で育っているから、オメガの大変さはわかっているつもりだったが、就職ひとつでこんなに大変なのだ、と思い知った。それでもオメガになりたいと言ったのは自分だ。誰かに言われてじゃない。

僕が就職先が決まった頃、樹くんはお父さんの会社であるKコーポレーションで実務経験を積むために役職なしの営業職から始めることが決まった。

なんでも、樹くんのお父さんは社会を知らずに社長にする気はまったくないらしい。だから、一部門でコキ使われるんだよ、と樹くんは笑う。きっとそれで会社のことを考えられる立派な社長になるんだろう。

二人の卒業後が決まったということで、二人でちょっといいところで食事をしよう、と樹くんの知っているお店でフランス料理を食べることにした。

お店はホテルなどではなく、閑静な住宅街の一角にあった。知らなければ見落としてしまいそうな小さなお店だ。でも、以前一流ホテルのフランス料理店に勤めていたシェフが開いた店、ということで味はお墨付きだそうだ。

フランス料理のフルコースというディナーのため、スーツを着た。

樹くんはこういうところでの食事は慣れているけれど、僕は慣れないので、緊張してしまっていた。なんでも二人の就職が決まったということで、アニバーサリーコースなのだという。この店では記念日などのお祝いのときには、事前に知らせておけばメッセージ付きのお祝いデザートが付くという。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。食事は楽しむものだから」
「うん……」

樹くんはそう言うけれど、こんなところで食事したことなどない僕には敷居が高い。それでも、高校時代に一通りのテーブルマナーは教わったので、そこは大丈夫だと思うけれど自信はない。


僕たちがテーブルにつくと、今日のメニューが知らされる。

アミューズには、サザエのペニエ・ブルーチーズのシュークリーム。スープにはトリュフ風味のコンソメスープ。冷前菜には帆立貝柱と無花果、フルーツトマトのマリネ・キャビア添え。温前菜には黒アワビのシャンパン蒸し。魚料理にはオマール海老のソテー・アメリケーヌソース。メインディッシュには黒毛和牛のポワレ・ソースボルドレーズ。そしてデザートは普通のデザートのクレームブリュレとメッセージ付きのお祝いデザートであるオレンジレアチーズケーキがあるという。

どれもこれも高級な食材ばかりで、僕のお腹がびっくりしないか心配だ。それでも、出される料理は彩りも盛り付けも綺麗で目で楽しむことができた。


「すっごい美味しそう!」
「そう、じゃなくて本当に美味しいよ。食べよう」

口に入れたシュークリームは、当たり前だけどコンビニなんかで袋売りされているものとは全然違ったし、ペニエって初めて食べたけど、シンプルな揚げ菓子で美味しかった。でも、このペニエって家でも作れそうだな。後でレシピ検索してみよう。

そして次に出てきたのはコンソメスープ。トリュフ風味というので飲んでみると、確かに普通のコンソメスープとは一味違った。こんなところでトリュフを使うって贅沢だ。

こういうコース料理には前菜がつきものなのは知っていたけれど、冷前菜、温前菜とがあるのは知らなかった。それにしても冷前菜でキャビア、温前菜で黒アワビって贅沢三昧だ。キャビアなんて普段の食事では絶対に食べないから、食べるのなんて人生で数えるほどだろう。そのうちの一回が今だ。

高級食材は前菜までで終わり、メインでは普通の食材が使われる。と言いたいけれど、ランクがいつものとは違う、というのは前提だ。

それでも、海老や和牛というのは食べ慣れているからお腹も驚かないはずだ。それが顔にも出ていたのか、向かいでは樹くんが小さく笑っている。


「だって、あんな高級食材なんて樹くんと違って食べ慣れないから、体がびっくりしちゃうよ」
「俺だって食べるのはたまにだよ。普段の俺の食事知ってるじゃん」
「そうだけど、こういうお店でも堂々とできるだけの場数は踏んでるでしょう。僕なんて人生初だからね」
「でも、静かに丁寧に食べてるじゃん」
「それはパニック起こして騒ぐどころじゃないだけ」
「面白いな、優斗。これからは、何かのアニバーサリーのときには来ようか?」

 

そう言っていたずら気に笑う樹くんを小さく睨む。からかって楽しんでる! なので、樹くんを無視して僕は黙々と料理を食べていく。

オマール海老も黒毛和牛も口の中でとろけるようで、すごく美味しかった。まぁ、どちらも食材だけでかなりの値段がするのだから美味しくなかったら詐欺だけど。でも、オマール海老も黒毛和牛もどちらも普段食べないというのはある。大体、和牛自体が高いし、なんなら牛肉自体が高い。食費を抑えたい場合は牛肉自体を削るから。だから今日はすごい日なんだ。

メインまで楽しんだ後はお待ちかね、デザートだ。それもアニバーサリーだからデザートがふたつ! 甘党の僕には嬉しかったりする。

そう言えば、ブリュレってあまり食べてない気がする。レアチーズケーキなんかは結構食べるけれど。樹くんは甘党じゃないけど、ふたつも食べられるのかな、と心配したけれど、心配するのは無駄だった。

それはサイズが小さいのと、上品な甘さ控えめな味だったから大丈夫なようだ。

しかし、オレンジレアチーズケーキはとにかく見た目も美しかった。就職祝いというのを事前に伝えてあったため、お祝いメッセージがソースで書かれていて写真を撮りたいくらいだった。こんなサービスいいなぁ、と思った。


「そうだ。両家顔合わせの日なんだけど、来週土曜日にどうだって。良ければ、父の方から優斗の家の方に連絡をするって言ってた」

オレンジレアチーズケーキを食べながら樹くんが言う。


「僕は大丈夫だけど、僕からじゃなくて直接加賀美に?」
「うん。優斗が加賀美だって言ったら、顔合わせ前に挨拶をしないと、って言ってた。なんか焦ってたよ。その筋では有名みたいだね、優斗の家」
「そうなんだ? 単にオメガを物のように出してるだけだよ」
「でもさ。俺、怒られたもん。加賀美の家の人なら早く言え、って」
「なんかごめんね。家なんて関係ないのにね」
「ほんと。俺だってそうだよ。大人って面倒だな」

大学で出会った僕たちは、互いのバックを関係なく好きになった。でも、大人たちにとっては、僕たちではなく、Kコーポレーションであり、加賀美なんだろう。そして結婚もただお互いが好きだからでは済まなくなる。家同士の結びつきだ。

ただ、僕が加賀美の人間だということで樹くんのご両親に反対されることがなかったのだけは良かったと思う。


「早く優斗と結婚したいなぁ」
「早い方がいい?」
「そりゃそうだよ。番契約してたって結婚は別っていうか。優斗は俺のだ、って」
「それ言うなら僕の方だよ。樹くんモテるんだから」
「俺は優斗だけだから関係ない」

はっきりとそう言われて、言われた僕の方が恥ずかしくなってしまった。

樹くんは自分の気持ちを隠すこともないどころか、折に触れ僕にも気持ちを伝えてくれる。だから僕は樹くんがモテているのを知っていながら不安になることはない。


「顔合わせって何するの?」
「食事しながらお話しましょう、って感じらしいよ」
「食事……」
「食事がどうかした?」
「いや……」

顔合わせということで、当然そこらのファミレスやカフェじゃないことはわかる。問題は、ここじゃないけれど、また高級店とかなんだろう、と思うと自分のお腹は大丈夫だろうか、と心配になる。


「どうしたの? なんか考えてるでしょ」
「ううん。ただ、二週連続高級なもの食べたら、僕のお腹大丈夫かな、って」
「和食あたりなら、食べ慣れた食材だから大丈夫じゃない?」
「かな? トリュフとか出てこないし大丈夫かな?」
「そしたら、俺から父さんに話しておくよ。料亭とかならいいんじゃないかな」

樹くんは笑顔で料亭というけれど、料亭も高級食材だよなぁ、と思う。思うけど、きっと樹くんにとってはそれほどでもないのかな? どちらにしても僕のお腹には頑張って貰わないと困る。いや、その前に食事どころではないかもしれない。樹くんのご両親と初めて対面するのだから。


「でも、優斗のお父さんに会うのは緊張するよね。食事どころじゃないかも」
「樹くんもそうなる?」
「当然だよ。ちょっとおっかなそうだし。勝手に優斗の項噛んじゃったし」

そうか。緊張するのは樹くんも同じか。そう思うとほんの少し気が楽になった。

樹くんのご両親と父の顔合わせの日は、緊張で朝から胃が痛かった。

もう番にはなってしまっているが、樹くんにはつりあわないとか言われないかな? いや、加賀美のネームでそれは大丈夫だろうか? そんなことを考えて、昨夜はあまり良く眠れなかったのだ。

朝、樹くんから電話があって、樹くんも緊張で良く眠れなかったと言っていた。

父とはお店の前で顔合わせの十分前に待ち合わせしていた。

樹くんのご両親に会うことも緊張するが、父と会うことも緊張するんだな、と思う。唯一緊張しない相手は樹くんしかいない。

結婚するのって大変なんだな、とぼんやりと思う。


「樹の父でございます。この度は樹と優斗くんが結婚する、ということですが、よろしいですか? 樹からベータの子と付き合っていると当初から聞いていましたが、まさか加賀美さんだとは聞いていなかったので大変失礼しました。」

樹くんのご両親は加賀美のことを知っていた。やはり伊達に政財界とコネクションを持っているわけではないらしい。

樹くんのお父さんの知り合いは加賀美からオメガを娶ったらしく、父とはそんな話をしていた。

僕も樹くんも関係ないから、黙ってただひたすら料理を食べていた。

食材はさすが料亭というだけあって、刺し身はとても活きが良くて生臭さはまったくなく、とろけるようだ。天ぷらも油くささはなく、おいしい。食材はいいものを使っているのがわかるが、先週のフレンチよりは馴染みのあるものばかりだったので、僕のお腹は大丈夫なようだ。

樹くんのお父さんと父の、加賀美から嫁を娶ったとかいう話は終わり、僕達の話に戻っていたようだ。


「二人とも大学を卒業しますし、番にもなっているので結婚は早いうちに、と思うのですがいかがですか?」

先日、僕にそう言っていたように父が早めの結婚を提案する。


「子供を産むなら早い方がいいですから」

要は早く子供を産め、という父の圧力だ。


「そうですね。もう番になっているから結婚を遅らせる理由はありませんな」

樹くんのお父さんも父の意見に同意した。早く結婚したい、という樹くんの願いは叶うようだ。僕も結婚を遅らせるつもりはないから、別に早くても構わない。

結局、僕と樹くんの結婚は一年以内で式場の空いている日に、ということになったが、樹くんのお父さんも父も色々な伝手があるから多分早くなるだろう。

結婚というのがまだ実感がない。でも、そう遠くない未来、樹くんと家族になって子供を産むのだということが決定事項となった。