EHEU ANELA

Always in Love

記憶 02

血を流して倒れている颯矢さんを見て、気は動転しているが冷静にどうしたらいいのか考える。そうだ。救急車だ。後、社長に電話した方がいいかな?

まずは救急車だ。119番通報して、怪我人がいることを伝え救急車の到着を待つ。それから、社長室に電話をし社長に颯矢さんが頭から血を流して倒れていることを伝える。

電話をすると、社長はすぐに来てくれて一緒に救急車を待つ。その時間がやたらに長く感じたのは、やはり冷静ではないんだろう。

やっと来た救急車に社長と2人で付き添いとして乗る。社長はスマホで会社のデータにアクセスし、颯矢さんの緊急連絡先をメモしていた。

病院についてから颯矢さんは治療と検査にまわされる。社長はどこかに電話をしに行ったから、おそらく颯矢さんの緊急連絡先に電話をしていたんだろう。

電話から戻ってきた社長は、俺に缶コーヒーを買ってきてくれていた。


「大丈夫だから、落ち着こう」

その言葉で、自分が震えていたことに気づく。


「って無理だよね。でも、もう病院に来たし大丈夫だよ。後は先生がきちんと診てくれる」
「はい。でも、俺が……俺を庇おうとしたから……」

でも俺はさっきから自分を責めていた。俺が芸能界を引退するなんて言わなければ、あそこを通ることはなかった。そして、俺を庇おうとしなければこんなことにならなかった。颯矢さんをこんな目に合わせたのは俺だ。


「自分を責めないこと。いつもならあそこを歩くことはなかった、自分を庇ったからとか考えてるんでしょう? でも、問題なのは鉄材を落ちるように置いていた建設会社なんだよ。柊真じゃない。だから自分を責めないこと」

こんなときでも冷静な社長ってすごいな、と思った。俺は自分を責めることしかできていない。次から次へと流れてくる涙を拭うこともできない。


「柊真はよく冷静に動いたよ。すぐに救急車を呼んで僕のことも呼んでくれたでしょう。それはすごいよ」

そう言って、僕の手を握る。震えはまだ落ち着いていなかった。


「あの現場にいたら怖くなるよね。でも、僕もいるし、壱岐くんのご両親もこれから来るっていうから、もう安心しなさい」

社長はいつもの穏やかな社長だ。俺が社長を好きで尊敬するのはこういうところだ。決して大声を出したりしない。いつも冷静で穏やかな人だ。

社長だって苛立つことだって冷静でいられないときだってあるはずだ。でも、社長は決してそういうそぶりを見せたりしない。俺より年上というのもあるのかもしれないけれど、性格や立場的にというのが大きいと思う。


「颯矢さんの家族の人が来たら、俺……」
「大丈夫。責めたりしないから安心しなさい。さっきも言ったけど、柊真はなにも悪くないから。それは壱岐くんのご両親にだってわかるよ」
「はい……」
「それより、柊真、明日のスケジュールはわかる?」
「確か、明日はNテレビとYテレビで収録があります。ドラマの撮影は明日はオフです」
「そしたら今日はもう帰りなさい。明日の仕事に響くから。帰ってお風呂に入って寝る。それが今柊真がすべきことだ」
「でも……」
「で、壱岐くんの怪我しだいだけど、しばらくは休んで貰うからその間は他の臨時マネージャーについてもらう。これから手配するから、後で連絡するよ」

確かに社長の言う通り、明日の仕事に備えるべきだろう。確かNテレビの入は11時って颯矢さんは言ってた。だからうちを出るのは10時半だったはずだ。

チラリと病院の時計に目をやると、21時だった。ここから帰って21時半ということだろうか。まだ、もう少しなら大丈夫と思って社長を見るけれど、社長はニコリとしながらも首を振っている。帰れ、ということか。


「あの。じゃあ、颯矢さんのご両親に謝罪してから……」
「さっきも言ったけど、柊真が謝るようなことは何ひとつない。状況を話せるだけでしょう」

社長はニコリとしてはいるけれど、譲る気はないように見える。こうなると、柊真がなにを言っても無駄だ。


「……帰ります」
「うん、そうしてね。どちらにしても後で連絡するから待ってて」
「はい」

颯矢さんの顔を見てから帰りたかったけれど、まだまだ時間がかかりそうだし、なにより社長が認めてはくれないので、仕方なく家に帰ることにした。


昨日は病院から家に帰ってからずっと泣いていたので、今日は朝早く起きてから目の腫れを取るのに苦戦していた。

時計の針が10時30分を指したとき、スマホが鳴る。


「もしもし、壱岐さんの代理マネージャーとなる氏原うじはらですが、城崎柊真さんの携帯で間違いないでしょうか」
「そうです」
「おはようございます。下に着きましたので降りてきて頂けますか」
「わかりました。降ります」

出ると颯矢さんの代わりの臨時マネージャーだった。

エレベーターで駐車場へ降りていくと、見慣れたバンが止まっていた。そしてその前には程よく陽に焼けた細身の男性が1人。恐らく電話をしてきた氏原マネージャーだろう。


「城崎さん、おはようございます。氏原です!」

さきほどの電話でもそうだったけれど、明るくて元気な話し方だった。颯矢さんが静とするならこの人は動だ。そして陽。そんな感じがした。


「乗ってください」

氏原さんに言われて、ぼーっとしていたことに気づき慌てて乗った。


「今日のスケジュールですが12時からNテレビで撮影の後、15時にYテレビ入します。その後バラエティの撮影となり終わりは18時の予定です」
「あの……Yテレビの収録が終わったら、そうや、いえ壱岐さんの病院にお見舞いに行くことはできますか?」
「もちろんです。収録終了後病院に直行します」
「ありがとうございます。壱岐さんがいない間、よろしくお願いします」
「こちらこそ、短い間ですがよろしくお願いします。では、遅くなりますので行きましょう」

氏原さんは思った通り明るい人だった。いや、昨日のことがあったから、あえて明るくしてくれているのかもしれないけど。

昨日の今日でバラエティに出る心境じゃないし、笑えるかもわからない。

そう思っていたけれど、実際に撮影となれば作り笑いは出せた。

その辺は役者をやっているので、演技となればできるのだろう。

Nテレビの撮影を終えてYテレビに移動し、同じようにバラエティ番組の収録をこなす。

仕事だから、演技をしてバラエティ向けのこともできるけれど、心境としては昨日の颯矢さんの姿が頭にこびりついていてバラエティなんて心境じゃない。

でも、これが仕事なのだからやるしかない。

後でテレビで観たときに「仕事もできないのか」なんて言われたくないから。その辺は悲しいかな、好きな人には良く思われたいっていう気持ちだ。

それは、どんなに叶わない想いだとしても変わらない。

だから、集中して撮影していたら、あっという間に撮影が終わった。これで颯矢さんのところに行ける!


撮影が終わり、急いで控室に戻り、メイクを落として私服に着替える。これで颯矢さんの病院に行ける!

でも、氏原さんはスマホで誰かと話をしている。電話は、後にできない?


「はい、これから向かいます」

そう言うと電話を切って、行きましょう、と言う。


「今、社長が病室にいるそうです」
「社長が?」
「はい。壱岐さんの様子を見るために」

昨夜は、俺は今日のスケジュールのために早く帰ったけど、社長はいつまでいたんだろう。颯矢さんの両親が来て、帰ったんだろうか。


「そうや、あ、壱岐さんのことなにか聞いてますか?」

考えてみたら、颯矢さんの具合はどうなのか聞いていなかった。大丈夫なんだろうか。すごい出血だったけれど。社長がいる、というのはそういうことだろうか。そう考えると怖くなってきた。


「あ、えっと。社長がお話するかと」

なんで氏原さんが教えてくれないんだろう? そう思うけれど、後少しで病院だし社長がいるなら、社長は知ってるだろうから別に今聞かなくてもいいか。

テレビ局から病院までは30分ほどだった。見舞い時間終了までそれほど時間はない。

氏原さんから颯矢さんの入院する病室の番号は聞いているから、急ぎ足で病室へと行く。

病室は個室だった。多分、俺とか芸能人が見舞うことを考えてのことだろう。

ドアを開けると、ベッドの脇でタブレットを弄っている社長がいた。


「社長」
「あ、柊真。お疲れ様。氏原くんもお疲れ様。急だったのにありがとうね」
「いえ、大丈夫です」

ベッドに目をやると、颯矢さんは目を開けていた。でも、俺の顔を見てもなにも言わない。


「颯矢さん。昨日は俺のためにごめんなさい」

しかし、それでも颯矢さんはなにも言わない。なんだろう。


「壱岐くん、柊真のこと思い出した?」
「いえ、わかりません」

え? なに、この会話。思い出したってなに? わからないってなにが? 心臓がドクンドクンと大きく音を立てる。


「そうか。今、先生呼ぶね」

そう言って社長がナースコールを鳴らす。一度看護師さんが来てから、その後先生がやってきた。


「壱岐さん、彼が誰だかわかりますか?」
「いえ、わかりません。誰なんですか?」

先生の目も、颯矢さんの目も俺を見ている。でも、颯矢さんは、さっきと同じ、わかりませんと答えた。

え? わからないって俺のこと? 冗談にしては笑えないよ。


「そうですか。やはり、系統的健忘で間違いないと思われます」

系統的健忘? なんだ、それ。健忘ってことは忘れているってこと?


「明日、脳波の検査と尿検査をしましょう。合わせて心理検査もします」
「わかりました。お願いします」

先生と社長の間で話が進んでいるけど、なんのはなしをしているのか俺にはさっぱりわからない。

先生が病室を出ていくと社長が口を開く。


「柊真。落ち着いて聞いてね。壱岐くんね、さっき先生が言ってた系統的健忘って言う記憶障害を起こしているらしい。はっきり言うとね、ショックを受けないで欲しいんだけど、柊真のこと覚えてないんだ。他のことはきちんと覚えてる。でも、柊真のことだけ忘れているんだ」

颯矢さんが、俺のことだけ覚えてない?


「意識が戻ったのが今日のお昼でね。僕もそれで急いで来たんだけど、これからの仕事の話をしていたら、柊真のことを新人ですかって言ってね。話をしてみると柊真のことを覚えていなかったんだ。慌てて先生を呼んで訊いたら、他のことはきちんと覚えててね。それで、さっきの系統的健忘じゃないかって言われて、柊真が来るのを待ってたんだ」

他のことは覚えているのに、俺のことだけ覚えてないってなんで? そう思うと涙が出てくる。忘れるほど俺のこと嫌いだったの?

その思いは、心の中だけでなく口からも出てしまっていたようだ。


「壱岐くんが柊真のこと嫌いなわけないでしょ」
「でも、俺のことだけ忘れてるって」
「系統的健忘って、解離性健忘っていう記憶障害のひとつらしいんだけど、ストレスが原因らしいんだ。だから、柊真のことが嫌いでっていうわけじゃないんだよ」
「ストレス?」
「そう。もし、仕事のことであれば僕が悪いんだけどね。でも、なにかあっても自分で抱え込むのは壱岐くんの性格だから、これは壱岐くんにしかわからないんだけど、今の壱岐くんにはわからない」

ストレス......。

なんのストレスなんだろう。

俺は颯矢さんの私生活についてはなにも知らない。俺についていてくれているときの颯矢さんのことしか知らない。

俺に対してストレスを感じていたんだろうか。そう思ったら涙が止まらない。


「柊真、なんでも自分のせいにしないの。柊真のことが嫌いなわけじゃないから」
「でも……」
「だから泣かないの。目腫れちゃうよ。今朝も腫れてたんじゃない? 明日の仕事は?」
「明日は午後から撮影が入っています」
「だって。目腫らすわけにいかないよね」

そう言われたらうなずくしかできない。でも、泣き止みたいと思っても涙は止まってくれないんだ。


「壱岐くん、この仕事を柊真の代表作にしたいって言ってたからね。壱岐くんのその気持ち受け取ってあげてよ」
「この仕事を?」
「そう。今回のドラマって、監督側がすごく力入れてたでしょう。映画に負けないドラマをって。だからね、壱岐くんはそんなドラマを柊真の代表作にしてあげたいって」

俺の代表作に……。

なんでそんな大事なこと言ってくれないんだよ。

だから、頑張れって言ってくれれば良かったのに。

でも、俺のことそんなふうに思ってくれていたのに、なんで俺のことだけ忘れたりしたの? 今の颯矢さんに訊いても答えはないんだろう。


「まぁ、柊真のことを覚えてなくても仕事のことは覚えてるからマネージャーとして仕事はできる。けど、しばらくは頭の傷があるから、その間は氏原くんにお願いするよ。その後のことは壱岐くんの様子次第かな?」

そっか。俺のことは覚えていなくても、仕事のことを覚えてればマネージャーの仕事はできるのか。そうしたら、また颯矢さんと仕事ができる。だけど、俺のことだけ忘れてる颯矢さんと仕事をするのは少し悲しい。いや、仕事なんだから悲しいもなにもないけれど。


「まぁ、仕事復帰の前に少しでも記憶が戻るように先生も尽力してくれるし、僕たちの方でも柊真のことを思い出すようにするけどね」
「記憶ってどのくらいで戻るんですか?」
「それは人によるらしい。数日で戻る場合もあるけど、何年もかかる人もいるらしい」

そんな……。

視線を颯矢さんに向けると、俺の方をじっと見ていた。

今の颯矢さんにとって俺は見知らぬ人なんだよな。


「きっとすぐに戻るよ。だから柊真は気にせずに仕事をして欲しい」
「はい……」

ほんとは仕事なんて放って颯矢さんのことを見ていたい。

でも、俺の代表作にしたいって颯矢さんが思っていたのなら、仕事はしっかりする。

ここでいい加減に仕事をして、あとで颯矢さんに幻滅されないためにも。


「それまでの間、氏原くんよろしくね」
「はい! 任せてください!」
「そろそろ面会時間も終わりだから帰ろうか。氏原くん、柊真のこと送っていってあげてね」
「わかりました」
「じゃあ柊真、明日の仕事も頑張って」
「はい。あのっ! また颯矢さんのお見舞いにきてもいいですよね?」
「もちろんだよ。顔を見せてあげるといい。それで記憶が戻るかもしれないしね」
「はい!」

とりあえず、お見舞いはしていいというから、時間ができたらお見舞いに来よう。そう思ってその日は病院を後にした。