ある撮影の終了後。俺は社長と颯矢さんに話があると言って時間を取って貰っていた。
颯矢さんは話の内容が気になるようで、事務所への移動の車の中で話を振ってきた。
話の内容は、もちろん芸能界を引退すること。
今のドラマが終われば、後はCMなどで長時間拘束される仕事はなかったはずだ。だから、辞めるにはちょうどいい時期だと俺は思っていた。
俺と颯矢さんは相変わらずまともに話をしない。というより、俺が話をしない。多分、もうきちんと話をすることはないだろう。あるとしたら、俺の気持ちが整理をついてからだろう。それまでは無理だ。その前に芸能界引退すれば、永遠にないということになる。
車は渋滞にハマることなくスムーズに事務所に到着した。
もうすぐ社長や颯矢さんに話すのだ、と思うとちょっと緊張してくる。なんて言われるんだろう。まぁ、なんと言われても気持ちは変わらないけれど。
6階まであがるエレベーターの中で、俺の心臓はドキンドキンとすごい音を立てて鳴っている。もう後戻りはできないのだ。後戻りする気はないけれど、緊張するのとは別の話だ。
6階につくと、緊張はさらに高まり、手に汗をかく。
戸倉さんに挨拶をして社長室に入ると、社長は窓の外を見ていた。
俺たちが部屋に入ったのに気づくと、笑顔でこちらを向いた。
と言って、社長はソファーに座った。社長の前に俺が、そして俺の隣に颯矢さんが座る。
社長は穏やかに話を振ってきた。社長はいつも穏やかだけど、仕事を辞めると言ったらどうなるのだろう。
緊張で喉がカラカラだ。と、そこで戸倉さんがお茶を持ってきてくれたので、俺は一口口をつける。そして、勢いで口を開いた。
社長は、目を丸くして俺を見て、隣の颯矢さんは眉をしかめて俺を見る。うん、こうなると思ってはいた。
しばらく社長室は音がしなかった。静寂を破ったのは颯矢さんだった。
苛つきを隠せない声で言う。
一触即発の俺と颯矢さんの間に入ったのは社長だった。
こんなときでも社長は穏やかだった。いや、そう見せているだけかもしれないけれど、颯矢さんよりは社長との方が話ができそうだと思い、社長に顔を向けた。
社長と颯矢さんが訝しげに俺を見る。
今度は社長まで眉間に皺を寄せて俺を見る。もちろん、颯矢さんは眉をしかめたままだ。
颯矢さんは我慢ができなかったのか、声を荒げる。怒られたことはあるけど、こんなふうに声を荒げられたのは初めてだ。それにしてもポッと出の奴にって?
え? 小田島さんが信頼できるかどうか? そんなの考えたことなかった。だって、俺を騙しても小田島さんにはなんのメリットもない。だから考えたことはなかったのだ。だから、即答できなかった。
なるほど、と思う。母さんを亡くしたから心配してくれているんだ。
それまで眉をしかめたまま、俺を見ていた颯矢さんがやっと口を開いた。
ひとつ理由を言うけれど、もうひとつの理由は言えないままだ。なんなら、もうひとつの理由の方が大きいけれど。
不機嫌を隠そうともしない颯矢さんに比べて社長は穏やかに話続ける。
きっと心の中では色々思うことはあるんだろうと思う。それでも声を荒らげたりはしない。その辺は社長という立場だからかもしれないけど。
だから俺は社長と話を進める。判断するのも社長だから。
その他がなにとは言えないけれど、母を亡くしたことだけが理由ではない、とはっきりと言う。
あぁ、やっぱり言われた。そうだよな。
これだけは言えない。他のことならなんでも言える。でも、芸能界を辞めたい一番の理由だけは言えない。まさか、颯矢さんが結婚するからだなんて……。
颯矢さんに? そんなの社長以上に言えない。いや、言えるのか? 俺が颯矢さんのことを好きなのは颯矢さんは知っているのだから。
いや、颯矢さんに言ったら社長の耳に入るじゃないか。それを思ったら首を横に振っていた。
よく考えた? 確かに急だったかもしれない。でも、他の世界を知りたいというのは以前から思ってはいたことだ。
それでも、どっちだろう? と思い首を傾げる。
そう言うと社長は笑った。が、隣の颯矢さんは眉をひそめたままで何も言わない。
だろうな。そう簡単にOKが貰えるとは思っていない。
そう言えば、颯矢さんが前に俺は色んな年代に受け入れられているって言ってたな。今の今まで忘れていたけど。それでも、辞めたい、という気持ちは変わらない。
黙ったままだった颯矢さんが口を開いた。
まぁ、そうだよな。そう簡単に社長がイエスというはずはない。でも、かと言って颯矢さんと話をするのは嫌だな、と思い小さくため息をつく。
社長以上に話をし辛い颯矢さんと話をしなくてはいけなくなった。社長にしてみたら、自分よりも颯矢さんの方が話しやすいだろう、と思ったんだろうけど、全然そんなことないんだけどな。とは言え、仕方がないので頷いた。
そう言って俺と颯矢さんは社長室をあとにした。
時計を見ると20時で食事をするのにはいい時間だ。
俺がそう返事をすると颯矢さんは電話でどこかへ予約をしていた。
事務所から近くて予約をするところと言ったら、イタリアンだろうとあたりをつける。颯矢さんと話をするのに何度か行ったことがある。
こじんまりとしたお店だけど、個室があり、誰にも聞かれたくない話をするのは最適なお店だった。
エレベーターで1階まで降り、徒歩でお店まで行こうと外へ出た。
事務所の数件隣は今ちょうど工事中で、その下を通ったときに上からガラガラと言う音が聞こえた。危ないな。と思った次の瞬間には颯矢さんの危ない!という声が聞こえ、颯矢さんに庇われる。
その瞬間にガシャンと音を立てて鉄材が落ちてきていて、そして颯矢さんの下から這い出ると、颯矢さんが頭から血を流して倒れていた。
俺はびっくりして、頭から血を流して倒れている颯矢さんの名前を呼ぶことしかできなかった。