EHEU ANELA

Always in Love

バンコクにて

「わぁ。水の上で気持ちいいね」
「水がかかることあるから気をつけて」
「うん!」

バンコクへ来て半年。南がバンコクへ遊びに来た。半年ぶりの再会だ。

今日はバンコク市内の観光ということで、ワット・アルン(暁の寺)とワット・ポー(涅槃寺)を回ることにしたのだ。そこで、ワット・アルンからワット・ポーへは水上バスで川を横切ることにしたのだ。


「航も観光した?」
「うん。来て間もない頃にね。先輩に連れてきて貰った」
「私の知らない航だ」

そう言って南は一瞬悲しそうな顔をした。


「はい、カットー!! お疲れ様です。また明日、よろしくお願いします」

カットの声がして、船はワット・ポーに着いた。


「今日の撮影はこれで終わりだ。明日はアユタヤでの撮影だ。朝早いから、夜更かしはするなよ」
「わかってるよ」

 

颯矢さんがそんな注意をする。以前だったら、もっと素直に聞けたけれど、今はそれができない。あの、電話しているのを聞いてからだ。


「食事でもするか?」

俺の態度が以前と違うのに気がついているのに、なんでもない振りをして食事に誘ってくる。

以前だったら嬉しくて、即OKしていたけど今はしない。


「お土産見に行くから」

そう言って断ると、颯矢さんは一瞬悲しそうな顔をする。俺の見間違えかもしれないが。


「そうか。じゃあ、明日の朝起こしに行くから」
「わかった。お疲れ様」

本当はこんな態度取りたくない。かと言って以前と同じ態度は取れない。お見合い相手と電話で話すということは、きっと結婚するんだろう。

失恋もさせてくれないで、自分は結婚するなんて。いや、颯矢さんにとっては、結婚することが遠回しに失恋させているつもりなのかもしれない。でも、俺にとってはそれは気分が悪い。

結婚する前にきちんと失恋させて欲しかった。そうすれば俺だって次に進める。でも、きちんと失恋してないから次に進むこともできない。いや、結婚したら諦めるしかないんだけど。

せっかくの海外での短いオフだ。ショッピングモールでお土産でも見繕って、フードコートで夕食を済ませてホテルに帰る。日本では普通のことだけど、海外でそれをするのは楽しい。しかも、フリーな時間が少ないロケでは尚さらだ。そのためには、頭を切り替えないと。

そう思って俺はホテル近くにあるショッピングモールに足を運んだ。タイっぽさのある小物でもあるといいな、と探していると、タイシルクで作られたストール、ネクタイを扱っているお店があった。これなら男女どちらのお土産も買い揃えることができる。

変に置物や小物を選ぶよりはいいかもしれない、と思いじっくりと見ていく。男友達にはネクタイでいいだろうと思い、見ていると普段使いできそうな濃紺のチェック、黒のストライプ、紺のストライプ、赤の無地のものがあったのでそれを選んだ。そして母と女友達には、ストールがいいかなと思ったが、女友達にはポーチを、そして母さんには病院でも活躍しそうなストールを選んだ。

お土産選びはもっと大変かと思ったけれど、さくっと決まったので満足だ。その後は、ぶらぶらと店をひやかしていく。日本では、ふらふらとショッピングなんてできないから、それ自体が楽しい。

そして、そんなことをしていると、お腹が空いてきて時計を見ると19時30分をさしていたので、フードコートに移動する。混んでいるだろうな、と思ったら予想通り混んでいたが、席がないということはなさそうなので食べて行くことにした。さすがに海外に来てまでコンビニ弁当は避けたい。

タイの字は読めないが、頭上のメニューの英語と写真でなんとか理解する。タイカレーとパッタイ、どちらにしようか悩んでいたけど、茹でた鶏肉をご飯の上に乗せた料理が美味しそうだったので、それにすることにした。

料理の写真の横には数字が書いてあるけれど、数字が言えない。英語で大丈夫だろうかと悩んでいたら、背後で大きい声が聞こえた。


「△*◯☓@!」

タイ語なので、何を言っているのかわからないが、大きな声を出したのは、どう見ても日本人だった。そして、その視線の先にはタイ人らしい男が走って逃げているように見える。何があったんだろうか。

ぽかんと見ていると、声を出していた日本人の男性に声をかけられた。


「財布。すられそうになってたよ」

え? びっくりしてカバンを見ると、財布が半分出かかっていた。チャックもきちんと閉めてたのに。


「人が多いからって安心していると今みたいにスリに合うから気をつけて。カバンは前で持つか、チャックは前にするかした方がいい」
「あ、ありがとうございます」
「旅行?」
「えっと、仕事というか」

旅行か聞くってことは僕が誰かはわかっていないみたいだ。こっちに駐在の人だろうか? そうしたら知らない人もいるだろう。

  「ふーん。これから食事?」
「はい」
「タイ語はわかる?」
「いえ。全然です。だから、どうやって注文しようか考えてました」
「そう。なら、一緒に食べる?」
「え?」

さり気なく言われたけれど、これ女性が言ってきたら逆ナンだよな、なんてぼんやりと考える。でも、男性だしナンパってことはないな。いや、ゲイっていうこともあるけれど、そんなにあちこちにいるわけではない。


「タイ語わかるから、注文してあげるけど」

ほら。単なる親切心だ。でも、注文して貰えるのはありがたい。お目当てのカオマンガイが食べたい。


「お願いします」
「何を食べたい?」
「あ、このお店の9番のを。ご飯に鶏肉が乗ったやつを」
「あぁ、カオマンガイね。じゃあ、そこで待ってて。買ってくるから」

そう言って、空席を指さされる。俺は、指さされた席に座り、男の人を見ていた。すると、しばらく上のメニューを見たあと、お店の人に注文している。そのスムーズさが羨ましい。

少しすると料理の乗ったトレイを持ってこちらに来る。


「お待たせ。はい、君が食べたかったのはこれだよね?」

そう言いながら、お皿をカタンと置く。そして、もうひとつのお皿を俺の正面に置く。そのお皿には麺が乗っている。


「あ、これ? これはパッタイって言ってタイ風のやきそばだよ。今度来たときにでも食べてみるといい」
「辛いんですか?」
「うーん。甘辛いかな? 辛いのは苦手?」
「わさびなら大丈夫なんですけど、こっちの料理の辛いのは少し苦手です」
「そう。ま、パッタイくらいは大丈夫だよ。トムヤムクンとか辛いのはダメかもしれないけど」
「あ! お金! さっきカード買ったんです」

手に握りしめていたカードを渡す。さっきは急のことだったから、すっかり忘れていた。タイのフードコートは事前にチャージされたカードを買って、それを使って料理を買う。


「あぁ、いいよ。奢り」
「え、いや、それは」

知らない人に奢って貰うわけにはいかない。そう思って、首を横に振るとデザートやドリンクのある店を指差す。


「そしたら、食後にフルーツドリンクでも奢ってくれる? マンゴージュース好きなんだ」
「あ、はい」

良かった。ドリンクの方が断然安いだろうと思うけれど、丸々全部奢って貰うよりはいい。

買って来て貰った、カオマンガイと言うご飯を口にすると、鶏を茹でたスープがかかっていて美味しい。タイ料理の辛さがなくてホッとする。


「ホッとした顔してる。美味しいよね、カオマンガイ。辛いのに飽きたときに食べてるよ」
「バンコクに住んでるんですか?」
「うん。バンコクで日本語講師をしてる。もう10年になるかな」
「え? そんなに長く?」
「そう。日本では英語講師をしてた」

海外に住むなんて俺には想像もつかないことだ。いや、語学講師も想像つかないけれど。


「そう言えば、君、名前は?」

当然だけど名前を聞かれる。どうしよう。この人は俺が俳優の城崎柊真だと知らないみたいだけど、素直に名乗っちゃっていいんだろうか。迷って、名字だけを名乗ることにした。よく自己紹介で名字だけ名乗るから。


「城崎です」
「城崎君ね。僕は小田島です」

陽に焼けた浅黒い顔に丸い目を細くした顔は、人なつこく見える。実際、そうだけれど。


「いつ日本に帰るの?」
「えっと明明後日の朝のフライトで帰ります」
「バンコクではゆっくりできた?」
「いえ、昨日の夜着いたばかりなんで」
「随分、タイトなスケジュールだね」
「あ、はい。まぁ、仕事だから仕方ないかなって」
「働き者だね。日本人らしい。こっちが長くなると日本人の知り合いよりタイ人の知り合いの方が増えてね。日本人が新鮮だ」

そう言って小田島さんは笑う。日本人より現地の人の知り合いの方が増えるって不思議な感覚だ。それを言ったら外国で日本人と知り合うのも不思議だけれど。

そんな風に小田島さんのタイでの生活を色々聞いた。こちらに来たばかりの頃はタイ語がわからず、英語だけでなんとかしていたようだ。

聞けば、小田島さんは英語とタイ語がわかるトリリンガルらしい。日本語しか話せない俺からしたら羨ましい以外の何物でもない。


「君はどんな仕事してるの?」
「え……」

そうだよな。小田島さんの仕事の話を聞いているんだし、普通に仕事の話になるよな。でも、まさか俳優だなんて言うわけにもいかないし、かと言ってサラリーマンと嘘つくには、サラリーマンのことを良く知らない。一番バレない嘘としてはテレビ局や芸能界かな。それならどんな仕事なのか言える。


「えっと、カメラマンのアシスタントです。えっと映像撮る方の」
「へー。サラリーマンっぽくないな、と思ったらそうなのか。僕の周りにはいないよ」

良かった。信じて貰えた。


「ところで、ドリンク飲まない?」

おしゃべりに夢中になっていたが、お皿はすでに空になっている。


「あ、飲みます」
「じゃあ買ってくるけど、何がいい?」
「あ、じゃあマンゴージュースで」
「了解。カード貸して貰える?」
「あ、はい」

カードを渡すと、小田島さんはドリンクのお店に行く。今日はスイーツを食べていないから、フルーツで甘さが欲しいと思いマンゴージュースにした。もちろん、他のメニューがよくわからないのもあるけれど。


少しすると小田島さんはマンゴージュースを両手に持って戻ってきた。


「はい。マンゴージュース」
「ありがとうございます」
「あと、これ。カードね。チャージ余ってるようなら残高返して貰えるから。良かったら後でやってあげるよ」
「ありがとうございます」

マンゴージュースを一口口に含むとマンゴーの甘さが口中に広がる。スイーツの甘みとは違うけれど、毎日スイーツを食べるわけにもいかないから、そういうときは果物の甘味がちょうどいい。

特にマンゴーは甘みの強い果物なので、スイーツの代わりにぴったりかもしれない。


「おいしいです」
「マンゴージュースおいしいよね。こういうフルーツジュースは日本ではあまり見かけないから寂しいね」

確かに日本ではフルーツジュースを飲めるところは少ない。仮に飲めても高い。こちらのようにあちこちで安く飲める、ということはない。これは南国ならではだ。


「日本に行くこともあるんですか?」
「ソンクラーンのときに行くかな。後は日本で用事ができたときね。でも、1年に1回あるかないかだよ。そんなにちょくちょく行ってたら疲れる。なんて言ったら親に怒られるけど」

確かに日本・バンコク間のフライト時間は結構かかる。これを数日の休みのたびにやっていたら、確かに疲れるだろう。


「まぁ、親には離婚したときに怒られたけどね」

思い切りプライベートのことを聞いてしまった。いいんだろうか。


「こっちって離婚率が高いって知ってた? タイ人の女性と結婚したけど、2年で離婚しちゃってね。そのとき親に怒られた」

そう言って小田島さんは笑う。


「でも、離婚は自分1人でどうこうなるものじゃないからね。相手の気持ちもあるわけだし」

確かにそうだ。自分は離婚したくないと思っても、相手が絶対に離婚したいということもあるだろう。そこで思い浮かぶのは颯矢さんだ。颯矢さんだって結婚すれば離婚することだってないわけじゃない。いや、こんなこと考えてるなんて、まるで離婚を期待しているようで嫌だけれど。でも、考えてしまう。


「君は結婚まだ?」
「え? 俺ですか? まだまだです。相手もいないし」

好きな相手が男っていう時点で結婚なんてありえない。


「へー。イケメンだから相手もよりどりみどりかと思ったよ」
「そんなことないですよ。俺、モテないし」
「そんな謙遜しないでよ。君でモテないなんて言ったら、俺なんて絶対無理だよ」

小田島さんはそう言って笑うけど、1度結婚してるんだし、そんなことはないだろう。それに人懐こい笑顔に惹かれる人はいると思う。


「再婚しないんですか?」
「んー。それこそ相手いないからね。出会いもそうそうないし。このまま独身かもしれないな。でも、独身も悪いものじゃないよね」

結婚したことがないからわからないけれど、独身もそう悪いものじゃない、と友人の話を聞いて思うことはある。  どちらも一長一短ある。


「さあ、すっかり話し込んじゃったね。そろそろ帰ろうか。あ、良かったらLINE交換しない? ってナンパみたいだな。日本人の知り合いは貴重だから」

そう言って頭をかくのが可愛いな、なんて年上の男性に対して思ってしまった。女性にもモテそうだけどな。


「俺でよければ。仕事柄返信が遅かったり、時間めちゃくちゃだけど、それで良ければ」
「あぁ、それは大丈夫」

小田島さんはそう言いながらスマホを操作する。


「これ、僕のQRコード。読み取ってくれる?」
「はい」

俺もポケットからスマホを取り出し、小田島さんのQRコードを読み取る。


「よし、これで交換完了。もし帰国までに、また時間があったら食事でもしよう。そのときはフードコートじゃなく、きちんとしたお店に案内するよ」
「はい。わかりました」

そう言ってその日は小田島さんと別れた。




  「お疲れ様。タイでの撮影はタイトだったから疲れたでしょう。今日はゆっくり休んでね。明日は早いから」
「はい。ありがとうございます。有馬さんもお疲れ様でした」
「それじゃあ明日ね」
「はい」

スタッフさんとそんな言葉を交わし、ホテル近くのショッピングモールでロケバスを降りる。

タイでの撮影最終日の今日は、朝早くにバンコクを出て、タイ観光シーンの撮影だった。タイでの撮影は夜遅い撮影はなかったものの、朝早くから夕方までびっしりロケが詰まっていた。

そんなに夜更かしはしていないが、毎朝5時などに起きるのはさすがに辛いし、隈もうっすら浮かんでいる。


「柊真。明日の朝は5時少し過ぎにはホテルを出るから4時に起こしに行く」
「わかった。お疲れ様」
「……」

颯矢さんとはまだきちんと話せないままで、なんなら顔もまともに見ていない。こうやってスケジュールの連絡をするぐらいになってしまっている。

その度になにか言いたそうにしているが、俺はすぐに颯矢さんから離れてしまう。もうどれくらい颯矢さんの顔を見ていないんだろう。こうやってまともに視線を合わせないことに颯矢さんはどう思っているんだろう。俺は単なる仕事の対象でしかないから、仕事に支障をきたさなければいいと思っているだろうか? そう考えると悲しくなる。

今日はタイ最後の夜だから小田島さんが夕食でも、と言ってくれたのだが、小田島さんの方で都合がつかなくなって約束はお流れになってしまったのだが、バンコクのファミレスのように一人でも気楽に入れるレストランを教えてくれた。それがこのショッピングモールにあるのだ。

その店は、さすがに夕食時だったので少し待ったものの、それほどでもなかった。

席につき、小田島さんおすすめの料理を、メニューを指さし注文する。小田島さんはタイ語の名前と英語での名前を教えてくれたので、タイ文字が読めなくても併記してある英語でどれかすぐにわかった。これはありがたい。

注文したのは、鶏肉を焼いたガイヤーンとサラダにヤム・ウンセンだ。

ガイヤーンは、鶏肉をナンプラーやにんにくなどの甘辛いつけ汁に漬けたあとに炭火でパリッと焼いたもので、タイではどの地域でも食べられるものらしい。

サラダのヤム・ウンセンは茹でた春雨にイカ、海老、玉ねぎ、セロリなどの具材をナンプラーで味付けし、上にパクチーが乗せてあるものだ。

辛い料理があまり特異とは言えない俺にあわせて選んでくれた料理だ。

程なくして出てきたどちらも、ひとくち食べて、美味しいと思えた。日本でタイ料理というと、トムヤムクンやカレーが有名だが、これも美味しい。というより俺にはトムヤムクンもカレーも辛いので、あまり得意ではないので、この旅行で食べた物の方が美味しく感じる。

タイに来る前は、料理が口にあわないんじゃないかと心配だったけど、要らぬ心配だったようだ。でも、そのタイも今日で終わりだ。明日の朝のフライトで日本に帰る。機会があればまた来てみたいと思う。今度はプライベートで。そして、今回出来なかった観光をしたい。今回は船を降りたワット・ポーしか観れなかったから。

そんなことを思いながらレストランを出てホテルへ帰るのにエスカレーターで降りているとき、あるフロアで颯矢さんの姿を見かけた。

そこはタイシルクやタイの小物なとが並んでいる。お土産探しにぴったりの店だ。

しばらく見ていると、タイシルクのストールとキャンドルを選んでいた。

タイシルクのストールは俺もお土産に選んだ。そう、母さんに。男はストールなんて使わない。つまりそれは女性に選んだものだということだ。しかも色鮮やかなのを買っていたから、多分若い人あて。颯矢さんに妹やお姉さんはいない。弟がいるだけの男兄弟だ。恐らく。いや、間違いなく、あの見合いをしたとかいう女の人にだろう。タイに来る前に電話で話していたし、帰国したら会うと言っていたから付き合っているんだろう。

そんなことを考えると気分が悪くなる。せっかく美味しいものを食べたのに台無しだ。嫌なところを見てしまった。なんてタイミングが悪いんだろう。これ以上見たくなくて、俺は足早にその場を去った。