EHEU ANELA

Always in Love

スクープ 01

バンコクから帰ってきた翌日は夕方からの撮影だった。なので、撮影に行く前に母さんのお見舞いに行って、その後に事務所に行く。社長と事務の浅川さんにお土産を渡すためだ。

病室のドアをそっと開けると、おばあさんも母さんも寝ていた。母さんのベッド脇の椅子に座り母さんの寝顔を見る。母さんの寝顔なんて入院して初めてみた。入院病棟で看護師をしていた母さんは忙しくて、俺が起きているときに寝ていることはほぼなかった。

仕事が終わって家に帰ってくると掃除や洗濯をして、俺の食事を作って待っていてくれた。ほんとに一日中フル回転していた。だから病気になったんだろうか。少し安めと神様が言っているんだろうか。でも、死ぬのは違う気がする。

よく見ると顔色があまり良くない。体調があまり良くないんだろうか。でも、俺がバンコクに行っている間に逝ってしまわなくて良かった。こんな仕事をしているから、親が死んでも忌引なんてない。親が死んだ直後でも笑っていた、という話を聞いたこともある。せめて、死に目には会いたいけれど。

しばらく寝顔を見ていると、ゆっくりと母さんが目を覚ました。


「柊真。おかえり」
「ただいま」
「タイはどうだった? 暑かったでしょう? 食事は大丈夫だった?」

心配していたのか一気に訊いてくる。


「蒸し暑かった。日本の蒸し暑さなんて可愛いもんだね」
「そう。体調は崩さなかった?」
「うん。大丈夫だよ。食事も辛くないものを選んだから大丈夫だった」
「お腹くだしたりはしなかった?」
「うん。氷は穴の開いているやつは安全なんだって。だから外で飲み物を買うときは氷を気をつけて見てた」
「そう。お水を使うから心配よね。でも大丈夫なのなら良かったわ」
「観光客の多いところは大丈夫なのかもしれないけどね」
「それでも、注意はしなきゃダメよ。って帰国してから言うものでもないけど」

そう言うと母さんは小さく笑う。その笑顔が儚くて泣きそうになる。やっぱり体調があまり良くないんだろう。


「あ、お土産買ってきたよ」
「そんなのいらないのに」
「そう言われてももう買って来ちゃったから受け取ってよ」

俺は紙袋からストールを出して渡す。グリーンのグラデーションのそれは、色も明るく若々しく見えるだろうと思って選んだ。


「タイシルク?」
「うん。色は俺が適当に選んじゃったけど、似合うと思うんだよね」

俺がそう言うと、母さんはストールを肩に掛ける。


「どう?」
「うん、似合う」
「お仕事で行ったのにありがとうね」
「仕事は夜はなかったから、ショッピングモールとか行く時間あったんだ。それに、病院でも寒いときがあるでしょう。そんなときに使えたらいいと思ってさ」
「ありがとう。柊真は本当に優しいわね。お父さんそっくり」

そう言って目を細める母さんは、俺に父さんを重ねているのかもしれない。


「特に優しくもないよ。普通」
「優しいわよ。いつか、いい人と巡り会えるといいわね。どんな人と巡り会えるのかしら」
「母さん。俺、好きな人がいるって言ったじゃん」
「そうだったわね。その人がそうだといいわね」

颯矢さんが巡り会う人ならいいのに。きちんと失恋させてくれないけれど、もう失恋したも同然だな、と思う。そう考えると鼻の奥がツンとする。やばい。今日はこれから仕事なのに。


「今日、仕事は?」
「これから」
「じゃあ泣いちゃダメよ。目赤くなるし腫れるから」
「わかってる」

颯矢さんのことになると、途端に泣き虫になる。男なのにみっともないな。


「ごめんね。母さんが余計なこと言っちゃったわ」
「そんなことないよ」
「あんた、時間はまだ大丈夫なの?」

母さんにそう言われて時計を見ると、事務所に寄るならそろそろ行かなければいけない時間だった。


「この後事務所に少し寄るからもう行くね。ごめんね、ゆっくりできなくて」
「そんなのいいわよ。お仕事忙しいのはいいことよ」
「うん。ありがとう。また来るね」
「待ってるわ」

そう母さんに見送られて、俺は病院を後にした。



事務所に着くと、まっすぐ事務室に向かう。すると、浅川さんはすぐに俺に気づいた。


「あ、柊真くん。お疲れ様。タイから戻ってきたんだ」
「昨日戻って来ました。これ、お土産です」

そう言って紙袋から出して渡す。浅川さんへのお土産は、ドリアンのチップスとタイのレトルトカレーと調味料だ。

辛いものがあまり得意じゃない俺とは全然違い、タイの辛さが好きな浅川さんへのお土産には絶対に食品にしようと思っていた。


「おー。これは早く食べたいな。仕事なのにありがとうね」
「いえ。あ、後はこれ。事務室のみんなで食べてください」

これは事務室のみんなで食べれるように、チョコレートを買ってきた。


「ありがとうね。後で回しとくわ。あ、ちょっと待って。ファンレターまた来てるから持って行って」

そう言って紙袋を渡される。


「ありがとうございます」
「後は社長?」
「はい。じゃあ、また」
「うん。ありがとうね」

浅川さんに見送られ、事務室を出てすぐの給湯室から女性の話し声が聞こえる。前に颯矢さんのお見合いのことを聞いたのはここだったな、と思って通り過ぎようとしたところで、また颯矢さんの名前が聞こえた。


「壱岐さん、結婚するらしいわね」
「あーん。とうとう人のものになっちゃうのね」
「イケメンなのにー」
「でも相手も美人らしいわよ」
「美人かぁ。それじゃあ太刀打ちできないわ」

颯矢さんが結婚? 決まったのか? タイでなにか言いたそうにしていたのは、そのこと? でも、マネージャーが結婚しても俳優には関係がない。だって、俳優はただの仕事でしかないのだから。じゃあ、なにを言いたかったんだろう。そのときは無視したくせに、今になって気になる。

そうでなくてもさっき病院で泣きそうになったのに、今度は事務所でなんてたまったもんじゃない。ていうか、給湯室ってなに? 噂話をする場所なの? でも、女性が集まるとそうなるのかな。もう、それ以上考えたくなくて、足早に社長室のある6階を目指した。

6階で秘書の戸倉さんに訊くと、社長は来客中ということで、社長宛のお土産と戸倉さん宛のお土産を渡して事務所を後にし、タクシーで撮影現場へ向かった。

車中で考えるのは颯矢さんのことばかりだ。タイへ行く前に電話で話していた内容や、バンコクで女性向けのお土産を買っている姿を考えると、きっと結婚はするのだろう。そうしたら、失恋だ。きちんと失恋したかったけれど、告白をきちんと聞いてくれない事自体が答えなのかもしれない。だとしたら、もう随分前に失恋していることになる。

嫌だけど、きっと結婚式には招待されるんだろうな。颯矢さんがマネージしているのは俺だ。その俺が招待されないことはないだろうし、出席しなくてはいけないだろう。何が悲しくて好きな人が他の人と結婚するのを見なきゃいけないんだろう。マネージャーが颯矢さんじゃなければ良かった。そうしたら、颯矢さんを好きになることもなかった。たられば話ではあるけれど。

そんなことを考えているとまた泣きそうになる。これから撮影なんだから泣くわけにはいかない。でも、気を抜いたら涙が出そうで唇をぎゅっと噛む。仕事じゃなければいいのに。

俺のそんな気持ちとは裏腹に、タクシーは渋滞にハマることなく順調に進み、30分もすると撮影現場に着いた。


「おはようございます」
「柊真くん、おはよう。帰国したばかりだけど、頑張って」
「はい。多田さんもお疲れ様です」

タイでのロケで一緒だったスタッフさんと言葉を交わす。

そして控室に入ると、颯矢さんはすでに来ていた。まともに顔を見れないし、話なんてできない。できれば会いたくない。でも仕方がない。仕事なんだから。


「おはようございます」
「おはよう、柊真。疲れてないか?」
「大丈夫、です」
「柊真? どうした?」

どうした? と訊かれて俺はなんて答えたらいい? 無理にでも笑ってなんでもない、とでも言えばいい? 颯矢さん相手に芝居なんてできないよ。でも、なんでもない振りもできなくて、つい俺は訊いてしまった。


「颯矢さん、結婚するって本当?」
「どこでそんなことを聞いた?」
「事務所で」
「全く。誰がそんな噂話しているんだか」
「ねぇ、本当なの?」
「決まったわけじゃない。ただ、結婚を視野に入れて付き合っている」

ケッコンヲシヤニイレテツキアッテイル

ケッコンヲシヤニイレテ……


なにそれ。給湯室の話は本当だったんだ。

颯矢さんが結婚をする。

その言葉を聞いた俺は、足元から砂が削られていくようだった。


その日の撮影は颯矢さんの方を全く見ることなく、ただ演技をすることに集中した。亜美さんも疲れているはずなのに、演技に集中していたので撮影は巻いて予定より少し早く終わった。

20時少し前に終わったので、夕食はロケ弁を食べたし、この時間だと病院の面会時間は終わってしまう。かと言ってまっすぐ家に帰る気にもなれずに、ミックスバーに行くことにした。なので、バーから少し離れたところで降ろして貰う。さすがに近くまで行くとまずい。いや、ここもバーが多いから多少注意はされるけれど。


「呑むな、とは言わないが、ほどほどにしろよ。明日もテレビ収録の後に撮影もあるから」
「……」
「柊真? 最近、お前変だぞ」

変と言われても困る。颯矢さんが結婚なんてしなければいいんだ。そうすれば以前の俺に戻れる。どこの世界に好きな人が結婚するって聞いて元気な人なんている? いないだろう。

大体、なんで気づかないの? 颯矢さんは聞き流していたけれど、俺は何度も、耳にタコができるほど好きだって言ってきた。そんな俺が様子がおかしければ、あの告白は本気だったんだとなぜ気づかない? その方が驚きだ。


「お疲れ様」

颯矢さんの話も途中に俺は車から降りた。なんで気づいてくれないの。2年間も好きだって言い続けてきた。なんで本気に取ってくれないの?

そんなことを考えながらミックスバーのドアを開ける。

以前来たときはあまりお客さんはいなかったけれど、今日はそこそこいる。なんでだろう? と考えて、今日は金曜日だったことを思い出す。

そうか。サラリーマンにとっては華金なんだな。曜日も時間も関係ない仕事をしていると、曜日なんて忘れてしまう。

人はそこそこいたけれど、カウンターの奥の席は奇跡的に空いていたので以前と同じくそこに座る。すると、以前声をかけてくれた男性スタッフが目の前に来た。


「いらっしゃいませ。また来てくれて嬉しいです」
「覚えていてくれたんですね」

接客をしているとお客さんの顔を覚えるものなのだろうか。


「覚えてるに決まってるじゃないっすか、こんなイケメン。お仕事帰りですか?」
「はい」
「今日はなににしますか?」
「マティーニで」
「度数高いけど、仕事は大丈夫っすか? あ、土曜だから休みっすか?」
「明日も仕事だけど、ちょっと呑みたい気分なんで」
「じゃあ一杯をゆっくり呑んでください。あ、夕食は食べました?」
「はい、食べました」
「じゃあ大丈夫っすね」

そういうと目の前でカクテルを作ってくれる。

そうだよな。明日、仕事だというのに度数の高いお酒呑むっていうんだもんな。まぁ、さすがにテレビ収録があるから、あまり深酒はしないようにはする。でも、今日は呑まないとやってられない。


「はい。どうぞ」

一口、口に含むと、辛口なベルモットの味とジンの味がする。


「なにかおつまみ出さなくて大丈夫っすか?」
「あ、ナッツってあります?」
「ありますよ」

そう言ってナッツを出してくれる。ほんとはチョコレート、と言いたいところだけど、タイでご飯をがっつり食べてきていたので、ほんの少しだけ甘いものを控えることにした。

まだ撮影が残っているから、さすがに今太るわけにはいかない。


「ちょっと気をつけた方がいいかもしれないっすよ」

こそっと言われる。なにを気をつけろっていうんだろう? そんな疑問が顔に出ていたんだろう。


「あっちのテーブル席にいる男性3人のうち1人が、こっちをガン見しているんで。出会い求めてないって言ってたじゃないっすか」
「あぁ、うん。出会いはいらないね」
「じゃあ気をつけてください。いや〜、イケメンも大変っすね」

そんなことをこそこそと話していると、隣に影ができる。


「1人?」

話をしているそばから声をかけられる。その言葉に頷くと、空いていた隣の席にその男は座った。


「一緒に呑まない? 1人じゃつまらないでしょう?」

1人で呑みたくて来ているのに、なんでつまらないんだろう。なんて言えないから無視をする。


「一緒に呑もうよ。明日お休みでしょ」
「明日も仕事なんで」

明日仕事の人間がマティーニなんて呑んでいるけれど。


「まあ、仕事でもさ、一緒に呑もう」
「いや、1人で呑みたいんで」
「つまんないじゃん、1人じゃさ」
「つまらなくないです」
「えー、つまらないでしょう」

結構しつこいな、とイラっとくる。1人で呑みたいんだからつまらなくもないし、放っておいて欲しい。


「スタッフと話してたじゃん」

いや、あれ話していたうちに入るのか? と思うが、男は話していた、と言い張る。まあ、それならそれでいいけれど、あの人は引き際知ってるから。無理には話しかけてこない。あんたとは違う、と言えたらいいけれど、喧嘩になるから言えない。さすがに、城崎柊真だとバレてもまずいんで、早々に帰ることにした。

店を出るのにドアを開けたときに、腕を掴まれる。


「待ってよ。まだ時間早いよ」
「離して貰えますか? 明日も仕事なので、もう帰ります」

そう言って少しキツイ目で見ると、諦めたのか手を離してくれた。最初から離してくれればいいのに。

ただ、このときカメラを向けられていたことには気がつかなかった。