EHEU ANELA

Always in Love

失恋さえできない 02

居心地がいいな、と思う。店自体はそんなに静かというわけではなく、かと言って騒がしいわけではない。お客さんも、この時間だからか変に酔っ払っている人もいない。みんながそれぞれにお酒を楽しんでいる風だ。

セクシャリティーも色んな人がいるっぽくて、ちょっとカオスだけど、それが面白い。俺はどっちに見えるんだろう? ゲイ? ノンケ? バイ?

そして実際のセクシャリティーを考えてみるけど、セクシャリティーなんて関係ないと気づく。ゲイとかバイとか関係なく俺はただ、颯矢さんが好きなだけだ。

そう。失恋さえもさせてくれない颯矢さんのことが好き。

颯矢さんは優しいけれど、失恋さえもさせてくれないっていうのは、優しくはない。

もしかしたら颯矢さんは、俺が本気で言ってるとは思っていないのかもしれない。だとしたら失恋さえもさせてくれない理由はわかる。

本気なんだけどな。それは伝わっていないのだろうか。

その颯矢さんは、今どこにいるんだろう。

きっと今頃は、見合い相手の女性と一緒にいるんだろう。ということは、失恋と同じなのだろうか。

だとしたらやけ酒したいけれど、残念ながら明日も撮影がある。だからあまり呑む訳にもいかない。今日はお酒を楽しむだけの日だけど、気持ちは全然楽しくない。颯矢さんのことを考えたくなくて来たけれど、結局は颯矢さんのことを考えてしまう。馬鹿としか言いようがない。

そう考えて、ため息をひとつついた。

お見合いってどれくらい時間がかかるんだろう。お見合いはもう終わっただろうか。撮影が終わって俺を事務所に送った後に行ったから、時間的には早い時間だ。だとしたら、もうお見合いも終わって家に帰っただろうか。それともまだお見合い相手の女性と一緒にいるんだろうか。

お見合い相手とは結婚するんだろうか。颯矢さんは今、32歳。結婚してもおかしくない歳だ。

颯矢さんが結婚すると言ったら、自分は祝えるだろうか。「おめでとう」って言えるだろうか。言えないな、と思う。

こんなに颯矢さんのことが好きなのに、「結婚おめでとう」なんて嘘でも言えない。役者だろう、とは思うけれど、こんな役、とてもじゃないけれど演じられない。

いつかは、「おめでとう」と言わなきゃいけないと思う。でも、それは自分の気持ちをある程度整理してからじゃないと無理だ。今はその時じゃない。

そのいつか、はいつくるんだろうか。今はその想像さえできない。それくらい颯矢さんのことが好きだ。

あぁ、ダメだダメだ。颯矢さんのことを考えたくなくて来たはずなのに、結局は颯矢さんのことばかりを考えてしまっている。

こんなに颯矢さんのことが好きなのに、肝心の颯矢さんには伝わっていないと言うのが悲しいし切ない。

そんなふうに颯矢さんのことを考えていると、店は少しずつお客さんが増えてきた。あまり人が多いと身バレする可能性もあるので、そろそろ帰った方がいいかもしれない。そう思い、お金を払い店を出た。




「もう明後日にはタイに行っちゃうんだね。寂しいな。連休のとき行くね。3連休なら1日有給取れば4連休になるから、なんとか行けるし」

雰囲気の良いレストランのテーブルの上のキャンドルが泣きそうな南の顔を揺らす。


「うん。待ってるよ」
「航も日本来てね」
「日本のお正月のときは来れないけど、ソンクラーンのときは来るから」
「うん。待ってる。でも、こうやって会えなくなるの、寂しいよ」
「俺も寂しいよ」

俺がそう言うと南の頬に一筋の涙が溢れる。その涙が俺の心を抉る。


「浮気しないでね」
「しないよ。南だけだ」
「うん。たまには電話ちょうだい。LINEだけじゃ寂しい」
「わかった。電話するよ」

南の小さなお願いに一つ一つ頷く。


「カットー!!はい。今日はここまでです。お疲れ様でしたー」

監督のカットの声で、南役の亜美さんが笑顔になる。涙を流して泣いていたのに、それは嘘だったかのような笑顔だ。女優さんってすごい。特に亜美さんは演技力があるから余計だ。


「お疲れ様でした」
「お疲れ様です」

亜美さんや監督、裏方さんに挨拶をして控室へ行く。今日はこれで仕事も終わりなので、帰りに母さんのお見舞いに行く予定だ。

面会時間は短いけれど、なにがあるかわからないので、行けるときには行っておきたいから。

控室のドアノブに手をかけたところで、声が漏れ聞こえてくる。颯矢さんの声だ。


「――うすぐ、海外ロケなので。ええ。そうですね、ロケから帰ってきたらお会いできる日を調整します。ええ、ええ。香織さんのご都合のよろしいときにでも。お土産も買ってきます」

香織さん?

って誰?

お会いできる日って何?

都合のいい日って何?

お土産を買ってくるって何?


電話の相手はきっと先日お見合いをした相手だろう。電話する関係になったんだ。そう思うと、邪魔をしてやりたくて、乱暴にドアを開けた。


「ああ、じゃあまた連絡します」

俺がドアを開けると、颯矢さんは慌てて電話を切った。


「撮影、終わったのか」
「終わったよ」

撮影見てなかったからわからないんだろ。そう思うとイライラしてきた。俺の撮影風景よりもお見合い相手と電話する方を取ったんだろ。


「今日はどうする。マンションまででいいのか? 病院に寄るか?」
「病院。あ、その前に病院近くのケーキ屋さん」

このイライラは美味しいスイーツでも食べないとやってられない。ついでに母さんにも買って行ってあげたい。


「食べ過ぎるなよ」
「関係ないだろ!」

仕事中に香織さんとやらと電話するくらいなんだろ。俺の撮影を見もせずに。そう思ったから、つい乱暴に言ってしまった。


「柊真?」

こんなふうにイラついて声を荒げたことは今まで一度もないので、颯矢さんはびっくりして俺を見ている。


「ごめん。今、苛ついてる」

俺が謝る必要あるのか? 撮影中とは言え、仕事中に私用の電話してたのは颯矢さんの方なんだから。そう思うと余計にイライラが増す。

そんな俺を見て、颯矢さんは眉間にしわを寄せる。


「何かあったのか? あったのなら……」

ほら。撮影見てないからわからないんだ。


「何もなかったよ! 見てないからわからないんだろ!」

乱暴に衣装を脱ぎ、私服に着替え、メイクを落とす。いつもなら、撮影中のこととか色々話すけれど、今日は何も話さない。話したくもない。

俺個人に興味はなくとも、俳優・城崎柊真は見てくれていると思ってた。でも、そうでもないというのがわかって、苛つくやら寂しいのやら感情がぐちゃぐちゃで、涙が出てくる。

さっき亜美さんが泣いていたのは演技だけど、今俺が泣いているのは演技でもなんでもなく、リアルだ。


「柊真。何かあったんだろう? 俺に話せ」

話せるわけないじゃないか、颯矢さんのことなんだから。それとも言えば俺を見てくれるの? 俳優・城崎柊真は見てくれるのか? 撮影中に電話なんてするなよ、と言えばいい? でも、そんなことを言うのも悲しくて、俺は泣くだけで何も言えなかった。

こんなときに病院へ行けば、母さんは何かあったと思って心配するけれど、数日後からはロケでタイへ行くから、その前には行っておきたい。病院までの車の中で泣き止まなければ。


「放っておいてよ」
「柊真!」
「車、回して」

颯矢さんは、俺がなんで泣いているのか聞きたそうだけど、言えるわけもなくて、俺は颯矢さんの言葉を無視する。明日には、いつも通りの俺になるから、今は放っておいて欲しい。

 

「明日はオフだ。でも、明後日からタイだから荷造りしておけ」
「……」
「明後日は7時に迎えに行く」
「……」
「柊真?」
「お疲れ様でした」

颯矢さんの言うスケジュールに関して、返事もしないで、一方的にお疲れ様と言い車を降りる。

ロケ現場から、病院近くのここまで来る間になんとか泣き止んだ。でも、それで苛々とも悲しさとも言えない気持ちが解消されたわけではなく、お疲れ様と言うのが精一杯だった。態度悪いけれど、今は許して欲しい。

一方的に挨拶をして車を降りると、お目当てのケーキ屋さんに入る。母さんの分と俺が病院で食べる分。後は明日の分。

お目当てはバウムクーヘン。最初はあまり気が乗らなかったけれど、他の焼き菓子が売り切れていたので、仕方なく買ったのだけど、それが大当たりだった。

その中でもメープル味が美味しかったから、今日もメープルをと思ったら売り切れでチョコとかぼちゃしかなかった。

今日チョコにして、明日かぼちゃにしようかな。とりあえず両方買って病院へ向かった。

病室へ入ると、ちょうど食事中だった。相部屋のおばあさんに頭を下げ、母さんのベッド脇の椅子に座る。


「あら、柊真。おかえりなさい。お仕事は終わったの?」
「うん、終わった。明日はオフ。って言っても明後日からのタイのロケの準備しなきゃだけど」
「あぁ、前に言ってたものね、ロケでタイに行くって」
「うん。それが明後日から」
「どれくらい行くの?」
「3日間。バンコクで集中して撮るみたい」
「そう。あちらは暑いって言うから体に気をつけなさい」
「うん、わかった。あ、今日のお土産はバウムクーヘンだよ。チョコ味。食事終わったら食べよう」
「そうね。デザートに貰うわ」

母さんの顔色を見ると、悪くない。きっと今日は調子が良いのだろう。そう思うとホッとする。

そうやって母さんを見ていたら、逆に母さんから言われた。


「あんた、何かあったでしょう。泣いた顔してる」

車の中で泣き止んだのに、なんでバレるんだ?


「なんでバレるんだ、って顔してるけど、何年あんたの親やってると思ってるの。自分の子供のことくらいわかるわよ」
「敵わないや」
「撮影で何かあったの?」

撮影で、ではないな。でも、撮影現場で、ではある。とは言え母さんに言う気にもならずに、答えに迷う。


「まあ、言うつもりないんでしょうけど。でも、仕事に支障をきたしちゃダメだから、明日にはなんとかしなさい」
「うん、わかってる」
「仕事のことはあまり言いたくないこともあるんでしょうけど、可能な範囲でなら聞くから、言いなさいね」
「うん」

でも母さん。言えないのは仕事だからじゃなくて好きな人のことでなんだ。そう考えて気づく。今まで彼女がいたときは、長く付き合っている子のことは母さんに話していたな、と。だから、母さんも俺の恋愛について全てではないけれど、知ってはいるんだな、と。

だけど、今回のことは言えない。同性の颯矢さんのことを好きになっただなんて。さすがの母さんも同性を好きになった、なんて聞いたらびっくりするだろう。


「あんたの、口にはしないけど、なんでも顔に出るのはお父さんそっくりね」

そう言って母さんは笑った。

父さんは、俺が2歳のときに事故で死んだ。俺はあまりにも小さい頃のことだから、父さんのことはほとんど記憶にない。だから、こうやってたまに母さんから聞くのが、とても新鮮だ。


「父さんってそういうタイプだったんだ?」
「あんたは私よりお父さんに似たわね」
「記憶ないからなー」
「歳重ねるごとに似てくるのは面白いわね。まぁ、なんで泣いたのかはわからないけれど、めったに泣かないあんたが泣くんだから、よっぽど悔しいか悲しいかでしょう」
「うん、そうだね」

もう、いっそ母さんに話してしまおうか。性別さえ言わなければバレないよな。

そう思ったときには、俺は口にしていた。


「今さ、好きな人がいるんだ。でも、全然相手にして貰えない。というか、先日お見合いして、今日はその人と電話してるの聞いちゃってさ」
「それは悲しいわね。でも、叶わない想いでも、人を好きになるのは素敵なことよ。思い切り好きでいなさい。何かあったら母さん聞くから」

そう言ってくれるのが嬉しくて、俺はまた泣いた。でも、さっきとは違う涙だ。


「ほら、泣きやみなさい。目、腫れるわよ」
「大丈夫、明日は撮影ないから」
「じゃあ思い切り泣きなさい。お仕事中は泣けないんだから」
「うん」

優しく微笑む母さんにオレは泣くしかできなかった。

母さんは、母親であると同時に父親でもあって、そして兄弟でもある。そんな母さんをそう遠くない日に見送らなきゃいけないんだ、と思ったら余計に悲しくなって涙がでた。


「タイのお土産買ってくるね。だから待ってて」

俺がタイに行ってる間に逝かないで。言えない言葉は心の奥で続けた。