EHEU ANELA

Always in Love

届かない想い 02

その日の撮影は散々だった。集中力に欠いていて、NGを連発してしまった。亜美さんをはじめ、その他の共演者の人はもちろん監督さんやスタッフさんに迷惑をかけてしまった。


「城崎くん疲れてる? ちょっと休憩入れようか」

最近の俺のタイトなスケジュールをなんとなく知っている監督が気を使ってくれている。疲れていないわけではない。それなりに疲れてはいる。でも、こんなにNGを連発するほどじゃない。集中力を欠いているのは、全く個人的な理由からだ。


「城崎さん、大丈夫ですか? やっぱり雑誌の後、病院へ行ったから疲れちゃいましたかね?」

氏原さんにも心配をかけてしまっている。


「ちょっとコーヒー買ってきます」
「あ、それなら自分が買ってきますから、城崎さんは休んでいてください」

そう言って氏原さんはコーヒーを買いに行った。俺が飲むのはアイスコーヒー。よっぽど寒いとき以外はずっとそうだ。その代わり氷が溶けていてもあまり気にしない。

だから、これが颯矢さんなら休憩になってから買いに行くのではなく、撮影の間に買っておいてくれる。それは付き合いが長いからできたことなのか、颯矢さんの性格なのかはわからない。ただ、颯矢さんなら、と思ってしまう。

颯矢さんのことを考えるのはやめよう。俺が今集中力を欠いているのは颯矢さんが原因なのだから。

香織さんといる颯矢さん。そんな見たくもないツーショットを見てしまったんだ。集中できないのは当たり前だ。

そう思うと、やっぱり芸能界は引退させて貰おう。颯矢さんの記憶がもどらなくても怪我が良くなればまたマネージャーとして復帰すると言っていた。もちろん、俺のマネージャーとして。

でも、颯矢さんが香織さんと結婚したら色々と考えてしまって今日のように集中力を欠いてしまうことは多々あるだろう。それはさすがにまずい。

じゃあ社長に言って他のマネージャーに変えて貰ったとしても、こうやって颯矢さんと比較しちゃうことはある。それじゃあ意味がない。

もう颯矢さんのことを思い出さないようにしなくちゃダメだ。

この間社長は頷いてはくれなかったけれど、頷いてくれるまで根気よく説得するしかない。

と、そこまで考えたところで氏原さんが戻ってきた。


「城崎さん、お待たせしました」
「いえ。ありがとうございます」
「買っておけば良かったって思いましたよ。気、きかないですよね。すいません。今度からは用意しておきます」

そうやって言ってくれる氏原さんは真面目でいい人だ。それで颯矢さんと比較してしまうのは申し訳ない。きっと氏原さんだって付き合いが長くなれば気がきくことだってあるだろう。

でも、だからと言ってマネージャーを氏原さんに変えて貰うことはしない。だって、芸能界という狭い世界の中では、いつ颯矢さんと会うかわからないし、何より颯矢さんとの思い出が消えない。それは芸能界から離れるしかない。氏原さんが悪いわけじゃない。


休憩を挟んだ後もNGは出したけれど、時間はそれほど押さなかった。それでも、撮影が終わった後は共演者さん、スタッフさんに謝った。

みんな、俺にしては珍しいねと温かく言ってくれたけど、もう今後同じようなことを繰り返したらダメだ。

明日は休みだから、気分転換しなきゃ。母さんが元気な頃だったらケーキビュッフェかスイーツの美味しい店に行っただろう。アフタヌーンティーの美味しいお店もあったなと思い出す。もう行くことはないだろうお店たち。

なんで母さんはいないんだろう。なんで俺1人残して先に行ってしまったんだろう。そう思うと泣きそうになる。最近の俺は涙脆くてダメだ。

食べに行かれないなら、なにか美味しいものでも食べてお酒を呑もう。お酒を呑むならミックスバーに行きたいけれど、行くことは禁止されているからそうもいかない。だから家で呑むしかない。そう思って気持ちを切り替えた。


家に帰り、冷凍庫から冷食を取り出し、次々と電子レンジで温める。

明日はオフだから今日は1人パーティーだ。

スイーツは食べられないから普通の食事でパーティーだ。

とは言え、普段、なかなかスーパーに行かれないのでまともな材料があるわけでもなく、仮にあったとしても母さんに長年頼ってきた俺が料理なんてまともに作れるものは少ない。だから今日はそれを消費する日だ。

冷蔵庫にはビールやチューハイが結構入っている。これだけあれば十分、というだけは入っている。俺の冷蔵庫、健康的じゃないなと苦笑を漏らした。

言い訳をするなら、外食が多い上にスーパーにはなかなか行かれないので生物はおけないし、逆に日持ちする飲み物なんかはまとめ買いしておく癖がついている。

こんな癖も芸能界を引退したら直るんだろうか。いや、健康のためには直さなくてはいけないな。

大体、母さんが入院するまでは冷蔵庫も健康的だった。今はもう、その母さんさえいないけど。

レンジでチンしたピザは美味しかった。それに、ビールをあわせるなんて最禁断だけど最高だな。って、スイーツを我慢している人の食事じゃないな、と思う。こんなことしてるのを知られたら母さんにも颯矢さんにも怒られてしまう。

って自然に考えてしまうけど、母さんはもうこの世にいないし、颯矢さんは俺の記憶がない。俺のことを忘れられるくらいなら、きちんと会話をしておけばよかった。あんなにツンケンしなければ良かった。

颯矢さんが結婚する、と思ってから俺から壁を作ってしまっていた。馬鹿だな。記憶がなくなったら、あの頃みたいな会話もうできないのに。

俺のことを思い出すように、病院でも事務所でも色々と試しているらしい。病院側は治療を。事務所は俺の出た映画やドラマを病室で観れるようにしている。

でも、まだ颯矢さんは思い出さない。記憶が戻ることはほんとにあるんだろうか。いや、でも記憶が戻ってどうする?

颯矢さんは結婚するんだ、あの香織さんっていう人と。

華奢で女性らしい人だった。きっといい奥さんになって颯矢さんのことを支えてくれるんだろう。俺にはできないことだ。

そう考えると悲しくて涙が浮かんでくる。そして、それが嫌で温めた冷食をどんどん食べていく。

唐揚げ、カニクリームコロッケ、チーズ入りハンバーグ、オムレツ。

俺が買ったんだから当然だけど、俺の好きなものばかりだ。

飲み物はビール。

好きなものを食べて呑んで、颯矢さんのことは忘れたいのに、昼間見た香織さんのことが頭から離れない。

きっとあの人は俺なんかよりも颯矢さんのお見舞いに行っているんだろう。

颯矢さんは俺のことは忘れたけど、他の記憶は一切問題がないらしい。つまり生活していくのも仕事をしていくのも問題がない。

だから社長が言っていたように、怪我が良くなれば仕事に復帰するんだろう。

そして俺以外の記憶に問題はないのだから、結婚もするんだろう。だって香織さんに対しての記憶は失っていないんだから。

颯矢さんはどうして俺のことだけ忘れたの? やっぱり忘れたくなるほど俺のマネージャーなんてしていたくなかったの? 好きだよ、って事あるごとに言ってたからそれが気持ち悪くて嫌になった? だとしたら落ち込む。

ストレスで記憶をなくすことがあるっていうけど、記憶をなくした俺のことがストレスになってたの? それとも、それ以外のことでもストレスを感じていたの?

俺が颯矢さんに好きだって言わなければ、記憶を戻してくれる? いや、記憶を戻したって俺のものになるわけじゃない。颯矢さんは香織さんのものなんだ。忘れなきゃいけないんだ。

テーブルに置いてあるスマホを手にとり、颯矢さんの写真を見る。颯矢さんとも仲良くしてた(俺はそのつもり)頃に写真集の撮影でグアムに行ったときの写真だ。

まだ大学を卒業して間もない頃だったと思う。この頃はもう颯矢さんのことを好きになってたっけ。芸能界に入ってよくこの世界のことを知らなかったときに、芸能界のことを教えてくれつつ、俺の世話をしてくれて、それで颯矢さんのこと好きになったんだ。

だから、割と早いうちに颯矢さんのことを好きになっている。これって刷り込みなのかな? もし、マネージャーが颯矢さんじゃなくても好きになっていたんだろうか?

わからない。だって颯矢さん以外のマネージャーなんて氏原さん以外知らない。その氏原さんは、颯矢さんが復帰するまでのピンチヒッターなわけで。

じゃあ、一番最初のマネージャーが氏原さんだったら、俺は氏原さんを好きになっていたんだろうか。考えるけれど想像がつかない。

多分だけど、最初のマネージャーが誰であれ、俺は颯矢さんを好きになったと思う。なんとなくの勘だけど。

そう思うとこうやって颯矢さんのことを考えてしまうのは仕方ないのかもしれないな。

でも、もう忘れなきゃ。颯矢さんは結婚するんだ。他人のものになるんだ。だから。だから、社長には引退のことを頷いて欲しい。

芸能界を引退して数年でいいから海外で暮らそう。そして色んな経験をしていこう。そうしているうちにきっと颯矢さんのことは少しずつ忘れていくはずだ。

仕事は、観光系ならあるんじゃないか、って小田島さんも言っていたし。タイ語に関しては現地に行ってから語学学校にでも行って覚えよう。

うん。そのためにも社長を説得しよう。そう思ってビールを一気呑みした。ネガティブな考えをすべて飲み干すかのように。


そうやって呑んだ翌日。仕事はオフだから、と夕方1人で颯矢さんの入院している病院へお見舞いに来た。

だけど、昨日病室にいた香織さんの姿がチラついて、ドアを開けることができないでいた。

どれくらいドアの前に立っていたんだろう。看護師さんにチラチラと見られている。

こんなことなら今日は帰った方がいいのかもしれない。そう思って顔を上げたところで社長がいた。


「お見舞いに来たんじゃないの?」

社長に訊かれる。そう、お見舞いに来た。でも、また香織さんがいるんじゃないかと思ってドアを開けられないなんて言えない。

俺はなにも言えずに唇を噛んで俯く。


「今日は仕事はオフ? もし用事がないようなら少し話をしようか」

社長からの提案に、引退のことを話すのにいいタイミングだと思い頷いた。


「じゃあ、カフェに行こうか」
「はい」

そう言って社長と俺は病院の1階にあるカフェに移動した。平日のせいか、店内はそれほど混んでいなくて、店の奥の隅に座った。


「あの。何にしますか? 買ってきます」

飲み物を買ってこようと社長に声をかけると、財布から千円札を出される。


「僕はホットコーヒーね。柊真は好きなのを買っておいで」
「わかりました。でも、お金はいらないです。俺が出すんで」
「なに言ってるの。社長に奢らせてよ」

社長はそう言っておどけたように笑う。


「でも……」
「社長なんだしさ、格好つけさせてよ」
「わかりました。じゃあ、買ってきます」

確かに社長が所属タレントに奢って貰うというわけにはいかないのかもしれないと思い、ありがたくお金を預かり、社長にホットコーヒー、自分用にアイスコーヒーを買ってきた。


「ありがとうね」
「いえ、こちらこそごちそうさまです」

社長はいつものように飄々としている。でも、カフェに誘ったったことはなにか俺に話したいことがあるんじゃないだろうか。颯矢さんがいないところで。

もし、颯矢さんがいても構わないのなら病室で話をしたっていいはずだ。

そう思うと少し体に力が入る。なにを言われるんだろう。引退のことだろうか。それであらたまって話がしたい、そういうことだろうか。

でも、と思い直す。俺だって社長に話があったんだからちょうどいい。


「あの、」
「柊真はなにが辛い?」
「え?」

引退のことを言い出そうとしたところで社長に切り出される。急に言われて、何を言われているのか戸惑う。

俺が辛いって?


「なにか辛いことがあるんじゃないの? 前に病室で会ったときにも思ったんだけど、なにか辛いんじゃないかと思ってね。それって壱岐くんの記憶のこともそうだけど、もしかしてもっと前からなのかな、と思ってね。芸能界を引退したいっていうのと関係してるんじゃない?」
「……」
「なんでも話していいよ」

と言われても、まさか颯矢さんが結婚するのが辛い、だなんて言えるはずがない。

そう思って俯いて黙っていると、社長はびっくりすることを言った。


「壱岐くんのことじゃない?」

え?

颯矢さんの名前が出てきて、驚いて顔をあげる。なんで颯矢さんのことだって思うの? 俺の颯矢さんへの気持ちを社長が知っているわけなにのに。

そう。俺の颯矢さんへの想いを知っているのは母さんだけだ。その母さんだって相手が颯矢さんだということは知らない。

つまり、この想いは誰も知らないんだ。だから、颯矢さんへの気持ちのことなんかじゃない。

そう自分の心を落ち着けた。


「当たりみたいだね。壱岐くんのことを好きなのが辛い?」

社長の言葉に、俺は固まってしまう。颯矢さんのことで辛いととわかったとして、なんで俺が颯矢さんのことを好きだって知ってるの?


「あぁ、別にそのことでどうこう言ったり怒るとかじゃないから安心して。前に病室で会ったときにそう思ってね。壱岐くんのことを好きなら、自分の記憶だけ失くなっているって聞いたらショック受けると思うけれど、そのときの柊真がすごく悲しそうでね。それで、もし前から壱岐くんのことを好きなのなら、それが芸能界引退と関係あるのかなと思ったんだよね」

俺、そんなにわかりやすい態度だったのだろうか。あのときは気が動転していていたから自分の行動が颯矢さんへの気持ちに結びつくような態度はやめなきゃとか、そういうのを気にすることができなかったし、あのとき自分がどうしたかなんてよく覚えてない。


「壱岐くんを好きなことが辛いの? それとも壱岐くんのことでなにかあったとかかな?」

あぁ。もう社長はわかってしまってる。そうしたらもう隠しても仕方ない。言ってしまおう。引退してしまえば、社長に会うこともなくなるんだし。それに、社長はそれを聞いたところで誰かに言いふらすとかそんなことをしないのはわかってる。


「颯矢さんが結婚するから。前にお見合いしましたよね。社長の知り合いのお嬢様だと聞きました。その方と結婚を視野に入れて付き合っていると聞いて」
「あぁ、僕が壱岐くんに勧めたお見合いね」

そうだ、と俺は頷く。


「そっか、それが辛かったのか。そうだね。好きな人が結婚すると思ったら辛いね。なんか僕が悪いことをしちゃったね」
「いえ、そんなことは」

確かにお見合いを勧めたのは社長だとしても、嫌なら会ってから断ることもできたはずだ。でも、颯矢さんはそうしなかった。そう、決めたのは颯矢さんなんだ。


「でも、それで芸能界引退したいって思ったんだろう? 壱岐くんも結婚してもおかしくない年だから見合いを勧めたんだけどね。でも、それが柊真が芸能界を辞めたいと思ったのなら、ちょっとね。僕は柊真に引退して欲しくはないから。柊真はもっともっと大きくなれると思ってるんだ。だから、ここで辞めるのはもったいない。柊真は自分ではわからないんだろうけどね」

社長はそんなふうに思っていたのか、と思うとなんと言ったらいいのか迷ってしまった。

俺は社長の言葉になんと返していいのか迷いながらも、一つ一つ返していく。


「結婚を決めたのは颯矢さんなので、それは社長のせいとかそういうのじゃないと思います。あと、俺のことをそう言って貰えて嬉しいですが、自分自身ではよくわからないし、もしそうだとしても引退したいという気持ちは変わりません」
「壱岐くんのことをそう言ってくれるのはありがたいけど、引退についてはありがたくないなぁ。よく考えたんだよね?」
「はい」
「ごめんね。この間もイエスとは言えなかったけど、今日もイエスとは言えないな。壱岐くんも記憶が戻ったら止めると思うよ。壱岐くんは柊真のことをとても買っているからね」

社長は今日もイエスと言ってはくれなかった。2回くらいで諦めたらダメだよな。それより、颯矢さんが俺のことを買っているだなんて知らなかった。あのとき、事故にあわなかったら颯矢さんは俺にどう言ったのだろうか。記憶を失ってしまったのでわからないけれど。


「柊真も色々考えがあるんだと思う。壱岐くんのことがあって辛いのもわかる。でも、もし壱岐くんがマネージャーだと辛いと言うのなら氏原くんや他のマネージャーに変えるのは構わない。そこは柊真の希望を聞くよ。だからもう一度考え直してくれないかな。なんなら休暇を取ったっていい。それは壱岐くんにスケジュール調整して貰おう」

代替え案を出されてしまって俺はなんとも言えなくなってしまった。社長からは絶対に引退させない、という意思を感じてしまう。

マネージャーを変えてまでか……。マネージャーを変えても颯矢さんのことは頭から離れないんだけどな。

休暇、という手もあるんだな、と思う。数日ではなく、月、年単位での休暇。

颯矢さんが結婚するのなら、休暇という手もあるのかな、と思ったりする。いや、引退するんだろう。芸能界は永久に休暇だ。


「休暇という方向で少し考えてくれないかな? 返事は今すぐじゃなくて構わないから。さぁ、話は終わり。壱岐くんのお見舞いして行くんでしょう。一緒に行こうか」
「はい」

その後は社長と一緒に颯矢さんのお見舞いに行ったけれど、香織さんはいなくて少しホッとした。

颯矢さんは俺に、こんにちは、とよそよそしい挨拶をしてきて、まだ記憶は戻っていないんだな、と思い知らされた。

すぐに記憶が戻ることもあるけれど、長期に渡って思い出さないこともあるっていうから、颯矢さんはなかなか戻らないタイプなのかもしれない。

社長との話と颯矢さんの様子に俺は打ちのめされて、早々に病院を後にした。