EHEU ANELA

遠回りのしあわせ〜You're my only

出会い1

ついてない。

今日一日どんな日だった? と訊かれたらそう答える。いや、もうついてないなんてそんな生優しいものじゃないけど、一言で言うならそうなる。

ついてなかったなぁ、と思いながら真っ直ぐに家に帰る気にはなれなかった。呑まずにはいられない、そんな日だった。

派遣の女の子に「痩せた?」と訊いたところ、セクハラだと騒ぎたてられた。いや、これくらいで、と思ったら部長に呼ばれた。

嫌な予感するな、と思ったら当たって欲しくない予感は良く当たる。部長は先程のセクハラ騒ぎのことで怒鳴りつけてきた。


「女性に対してなんてことを言うんだ。この馬鹿者が!」
「……」
「辞められたらどうする! お前は責任を取れるのか! ったくなんてことを言うんだ。彼女が辞めるなら、お前が辞めろ!」
「……」

いや、セクハラ云々言ってるけど、人前でこうやっていることはパワハラじゃないのか? 辞めろって言ってるのに? 怒鳴られながらそう思った。

こんなことをされて俺が辞めるかも、とは思わないのか? 

そう心の中で毒づきながら部長の声を聞いていた。

大体、「痩せた?」と訊いたのだって性的なニュアンスはまったくない。一ミリだってない。性的ニュアンスを求められてもこちらはゲイだ。男の体にしか興味はない。痩せたか訊いたのは単純にそう感じたからだ。男が皆自分に興味があると思うなよ、と言えたら言っていた。これが呑んで帰ることが決定した瞬間だった。


仕事を定時で終えて、野太い声のあきママの店でグラスを傾ける。ここはゲイバー。いつも呑みたくなるとこの店にくる。

あきママは野太い声にいかにもオカマとわかる風貌をしている。でも、接客がいい。客が一人で呑みたがっているときは声をかけずに静かに呑ませておく。その塩梅がいい。

けれど、一人で時間を持て余していそうなときや話したそうにしているときは声をかけてくる。だから心地よく呑んでいられる。

今日の俺は後者で、とにかくあきママに愚痴った。


「あんたが女にセクハラなんて笑っちゃうわね。するときは呼んでちょうだい。見に行くから」
「見せものじゃないって。でも、ほんと女にセクハラなんてしないよ。するならいい男にするよ」
「あら、男にセクハラできるの? あんたそういうタイプじゃないでしょう」

そう言ってあきママはケラケラと笑う。こうやって笑い飛ばしてくれるから好きだ。鬱々とした気分で呑みに来ても、少しは気が上向いてくる。


「明日行きたくないな」
「呑み代のためよ。頑張って働きなさい、青年」
「俺って青年なの?」
「さぁ? 青年でしょうね。少なくとも中年じゃないわね」
「中年にはまだ時間があるかな」
「じゃあ青年でいいじゃない。さ、それ呑んで今日は帰りなさい。明日もその勘違い女とパワハラ上司に会いに行くんだから」
「会いに行くなんて言わないでよ。あ〜行きたくない。まぁ、とりあえず帰るよ」
「そうなさい。二日酔いで仕事はキツいわよ」
「ん。じゃ、おやすみ」

あきママは無理に呑ませたりはしない。店としては呑ませた方がお金になるのに、場合によっては今日みたいに帰したりする。そんな優しさもあきママの良さだ。

だから、最寄り駅で降りてからは真っ直ぐに帰るつもりだった。でもバーを見たら、気がついたらドアを開けていた。


「いらっしゃいませ」

カウンターの中には年齢不詳の笑顔の似合う優しげなママがいて、明るい声で迎えてくれる。癖のあるあきママの後にくるとすっきりした気分になる。

いや、誤解を招きそうだけど、あきママは歯に衣着せぬズバズバとした話し方が好きで通ってるんだけど、たまにはこういう店もいいかもしれない。

店内はこじんまりとしていてカウンター席だけだ。そして平日の今日はカウンターの奥に男性が一人、真ん中らへんにカップルが座っていた。

奥に座っているのは、俺と年齢はさほど変わりなさそうな、すっきりとした切れ長の眼の男だった。クールなイケメンで好みどストライクだ。

カップル客がいるのからしてゲイバーではないのはわかる。

いや、あの街以外では、そういう店もないわけではないけどまず少ないから普通のバーだろう。

ということはノンケの男。いや、今日は別にそういう相手を探しているわけでもない。ただ少し一緒に呑んでみたいだけだ。


「お兄さん一人? 良かったら一緒に呑みませんか? で、慰めて? 今日、散々な日だったから」

そう声をかけて、振り向いた顔を見て、やっぱり好みのタイプだと思う。

切れ長の二重のせいかクールな印象なのがいい。ゲイならいいのにな。だけど間違いなくノンケだろう。あの街以外でゲイに出会うことは残念ながらなかなかない。


「お兄さん、名前なんていうの? 俺は悠」
「立樹」
「立樹さんか。何歳?」
「28」
「俺の2歳上だね。俺、26歳」

そうやって、お兄さん、もとい立樹さんに話しかける。顔が好み、と思っていたけど、低くて落ち着いた声はまさにイケボで声も好みだった。

今日は散々な日だったけど、最後にこんなに好みどストライクな人に会えたなんてラッキー♪ なんて単純にも思ったりする。

最初は俺の質問に答えてただけの立樹さんだったけど、お酒が進むにつれ、普通に話してくれた。


「あー。その子、わりと自意識過剰系? そりゃ、ツイてなかったな」
「自意識過剰なのかな? 結構女アピールしてる子」
「たまにいるよ、そういう子。でもなぁセクハラだって騒ぐのは迷惑だよな」
「ほんと参った。しかもその後は部長だし」
「年寄りはパワハラの概念よくわかってないからな」
「もう女の子もオヤジもイヤ。出社拒否したい」
「はは。相当参ってるな」
「そりゃそうだよ。立て続けにだよ? なんの罰ゲーム? って思うでしょう」

今日あったセクハラ、パワハラ騒動も同情しながら聞いてくれた。

立樹さんはクールな外見ながら、割と明るく、気さくに話せて酒が進むにつれ昔からの友人のように話せた。

本当に話しやすい人で、話のテンポが合うのか、話していて楽しい。

当然、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていき、時計は午前0時を指していた。

もっと話していたいけど、明日も仕事だからこれ以上呑んでいるわけにはいかない。さすがに帰らないとと思い、どちらからともなくスマホを出し、メッセージアプリのID交換をして、また呑もうと約束をした。




「お疲れ」

先に来てビールを呑んでいると立樹がきた。


「お疲れ。今日は遅かったね」
「ああ。最後の電話が長引いちゃってさ。ママ、俺もビール」

立樹はクレジットカード会社で督促業務をしている。その最後の督促の電話が長引いたのだという。


「もうすぐ月末だから、今度は悠が忙しくなる番だな」
「月末月初はね、仕方ない。でも、立樹だって忙しいんじゃない?」
「移管があるから多少はね。でも、悠ほどじゃないよ」

俺は大手不動産会社のビル管理部で経理をしている。


「ん〜でも、俺も本社経理と比べたら全然楽だから。まぁそれでも月末は呑みにくる余裕はなくなっちゃうかも。疲れちゃうからさ」

二人で呑みに来ても、特別な話しをするでもなく仕事の話しを中心に、その日あったことなどを話している。


「そう言えば、彼女とは仲直りしたの?」

立樹は一週間前に付き合っている彼女と喧嘩した、と悠に話していた。


「昨日電話で話したけど、仲直りしたっていうのかな? 土曜日に会ったときにもう一度きちんと話すけど。話し聞いてくれてサンキュな」
「仲直りできたなら良かったじゃん」
「良かったけど、最近少しわがままになってきてる気がする」
「それだけ立樹の前では気を使ってないってことだろ」
「それがいいのか悪いのか。もう少し気を使ってもいいと思うんだけどな。それより、悠がゲイっていうのに驚いた」
「ごめんね、驚かせて」

立樹から彼女と仲直りするのに、どうしたらいいか、悠はどうしているか、というアドバイスを請われたときにゲイであることを立樹に伝えた。

生まれてこのかた彼女なんていたことがないからだ。

付き合いとしては短いが、立樹なら差別はしないだろうと思ったのでカミングアウトしたのだ。


「いや、そんなのいいけどさ。でも、女の子にモテそうだからさ」
「俺、女の子にモテないよ。女友達に言われたことあるけど、弟にしたいタイプなんだってさ」
「あぁ、雰囲気柔らかいし、確かに女の子には可愛いって言われそうだな」
「それそれ。だからモテないの。まぁ、モテても好きにはなれないけど」
「いつゲイだって気づいたの?」
「ん〜中学一年生の時。バレー部の三年生に格好いい先輩がいてさ。その人が初恋」
「小学校のとき、女の子いいな、って思ったりしなかったんだ?」
「ないねぇ。周りのみんなが、あの子がいい、とか言ってるの不思議に聞いてた」

立樹にカミングアウトしてから初めて会うが、実は多少緊張はしていた。

でも、立樹は差別するでもなく、面白がるわけでもなく、普通に話してくれている。俺はそれに安心した。

面白がって話しを訊いてくる人もいるからだ。それがわかっているから絶対に大丈夫だろう、と思う相手にしかカミングアウトしない。本当は言わない方がいいのかもしれないけれど、今回の立樹の件のように恋愛話はついてまわる。だから、相手を選んでカミングアウトするようにしているのだ。


「でも、悠って男相手にもモテそうだけどな。なんか放っておけないというか面倒見なきゃって感じがする」
「特にモテないと思うけどなぁ、どうなんだろ。そんな感じするの?」
「少しね。とにかく可愛がりたいって思う人もいるんじゃないかな?」
「そうかな? それなら今、フリーってことないと思うんだけどな」
「どれくらい彼氏いないの?」
「半年くらい」
「微妙だな。短いとも長いとも言えない」
「そうかな? 周りには長いって言われてる。で、選り好みするな、って」
「選り好みしてるの?」

 

そう問われて、んーっと悩む。自分が好きになった人以外とは付き合う気がない、というのは選り好みしているというのか、と考えたからだ。


「好きだな、と思った人としか付き合う気がないんだよね」
「あぁ、なるほどね。その気持ちもわかるかな。でも、はじめはそうじゃなくても、付き合ってるうちに好きになるっていうこともあるよ」
「そうなのかー。覚えておこう。立樹は? 今の彼女ってどうだったの?」
「告白されて嫌いじゃないから付き合った。でも、今は真面目に付き合ってるよ。可愛いと思うし」

可愛いと思う、と聞いてほんの少し胸が痛くなったのはきっと気のせいだ。

立樹が自分の好きなタイプだからだ。好きとかじゃない。単にタイプなだけだ。自分の好みの男の口から女の聞いているからだ、と自分に言い聞かせる。

いや、言い聞かせるってどうなのか、と思うけれど。ノンケはお断りなのになと思う。


「付き合ってると、その人の人となりがわかるから?」
「そうだな。いい面も悪い面も見えてくるから、それで好きになる場合もあるけど、まぁ嫌いになることもあるけど」
「嫌いになったら別れるんでしょ。別れ話を切り出すのって嫌なんだよねー。面倒っていうかさ。ま、別れ話自体が面倒くさいか。そう考えると恋愛って面倒くさいね」

そう言うと立樹が笑う。


「そんなこと言ってたら恋愛できないぞ」
「そうなんだけどさー。だから半年も彼氏いないのか」
「彼氏ができたら紹介しろよな」
「んー。取らない?」
「取らないよ。男だろ」

そう笑う立樹に、また少し胸がツキンと痛んだ。


「立樹にその気がなくても、相手が立樹を好きになっちゃったりして」
「俺って男にモテる?」
「どうだろ。あ、でもモテるとしたらネコにかな?」
「ネコ?」
「ネコって受け身の方。男役の方はタチ」
「で、ネコの子にモテそう?」
「うん、クールな外見で格好いいでしょ」
「俺、格好いいの?」

そう言って笑う立樹に悠は胸がキュンとした。あぁ、これはもう認めないとダメかもしれない。立樹のことを好きだと。

ノンケなんだけどなぁ、と思うけれど、好きになるのにそういうのって確かに関係ないな、と思う。

その手の場所で出会ったなら安心して好きになれるけれど、世の中はそんな場所の方が少ないわけで、つまりはノンケを好きになることは普通にあるということになる。

でも、実らない恋なんて不毛だと思う。

かと言って好きになってしまったものを今さらどうこうすることはできない。つまりはこの恋が終わるのを待つしかない。

終わりとは失恋のことだが、好きになった瞬間に失恋してるようなものなんだけど、ダメらしい。


「格好いいと思う」
「そっか。ありがとう。で、悠はどっち? ネコ? タチ?」
「……ネコ」
「じゃあ悠にモテるのか」
「……モテてる」

俺にモテてるって好きって言ってるのと同じだよな、と思うと恥ずかしくて顔が熱くなる。きっと赤い顔をしているのだろう。


「悠にモテるのは嬉しいな」
「え? 気持ち悪くないの?」
「うーん、どうだろう。人によると思うんだけど悠に対しては気持ち悪いって思わないかな。でも、ガチムチのタイプに言われたらちょっと無理かも。悠のことは可愛いと思ってるから」
「可愛いって俺、男だよ? わかってる?」
「わかってるよ。でも悠は可愛い系だろ。犬みたいで」
「犬?」
「うん、ワンワンいって懐いてくる感じ」
「つまり俺は犬と」
「猫タイプじゃないだろ。ツンとしてないし人懐っこい。それは初めて会ったときに思ったよ」

確かに以前付き合っていた彼氏にも犬系だと言われたことはあるが、それを立樹も思ったというのか。しかも可愛いって。

立樹は彼女がいるから、この恋が実ることはないけれど、それでも可愛いと言われるのは嬉しかった。


「それはありがとう」
「どういたしまして。でも、男を可愛いと思ったのは悠が初めてだよ」
「そうなの?」
「そりゃそうだよ。俺ゲイじゃないし、男を可愛いとか格好いいとか思ったことない」

この言葉は複雑だった。ゲイじゃないというのはわかっているけど断言されると悲しい。

でも自分にだけ可愛いと思ってくれているのは素直に嬉しい。決してこれ以上進むことはないのだけれど。