ついてない。
今日一日どんな日だった? と訊かれたらそう答える。いや、もうついてないなんてそんな生優しいものじゃないけど、一言で言うならそうなる。
ついてなかったなぁ、と思いながら真っ直ぐに家に帰る気にはなれなかった。呑まずにはいられない、そんな日だった。
派遣の女の子に「痩せた?」と訊いたところ、セクハラだと騒ぎたてられた。いや、これくらいで、と思ったら部長に呼ばれた。
嫌な予感するな、と思ったら当たって欲しくない予感は良く当たる。部長は先程のセクハラ騒ぎのことで怒鳴りつけてきた。
いや、セクハラ云々言ってるけど、人前でこうやっていることはパワハラじゃないのか? 辞めろって言ってるのに? 怒鳴られながらそう思った。
こんなことをされて俺が辞めるかも、とは思わないのか?
そう心の中で毒づきながら部長の声を聞いていた。
大体、「痩せた?」と訊いたのだって性的なニュアンスはまったくない。一ミリだってない。性的ニュアンスを求められてもこちらはゲイだ。男の体にしか興味はない。痩せたか訊いたのは単純にそう感じたからだ。男が皆自分に興味があると思うなよ、と言えたら言っていた。これが呑んで帰ることが決定した瞬間だった。
仕事を定時で終えて、野太い声のあきママの店でグラスを傾ける。ここはゲイバー。いつも呑みたくなるとこの店にくる。
あきママは野太い声にいかにもオカマとわかる風貌をしている。でも、接客がいい。客が一人で呑みたがっているときは声をかけずに静かに呑ませておく。その塩梅がいい。
けれど、一人で時間を持て余していそうなときや話したそうにしているときは声をかけてくる。だから心地よく呑んでいられる。
今日の俺は後者で、とにかくあきママに愚痴った。
そう言ってあきママはケラケラと笑う。こうやって笑い飛ばしてくれるから好きだ。鬱々とした気分で呑みに来ても、少しは気が上向いてくる。
あきママは無理に呑ませたりはしない。店としては呑ませた方がお金になるのに、場合によっては今日みたいに帰したりする。そんな優しさもあきママの良さだ。
だから、最寄り駅で降りてからは真っ直ぐに帰るつもりだった。でもバーを見たら、気がついたらドアを開けていた。
カウンターの中には年齢不詳の笑顔の似合う優しげなママがいて、明るい声で迎えてくれる。癖のあるあきママの後にくるとすっきりした気分になる。
いや、誤解を招きそうだけど、あきママは歯に衣着せぬズバズバとした話し方が好きで通ってるんだけど、たまにはこういう店もいいかもしれない。
店内はこじんまりとしていてカウンター席だけだ。そして平日の今日はカウンターの奥に男性が一人、真ん中らへんにカップルが座っていた。
奥に座っているのは、俺と年齢はさほど変わりなさそうな、すっきりとした切れ長の眼の男だった。クールなイケメンで好みどストライクだ。
カップル客がいるのからしてゲイバーではないのはわかる。
いや、あの街以外では、そういう店もないわけではないけどまず少ないから普通のバーだろう。
ということはノンケの男。いや、今日は別にそういう相手を探しているわけでもない。ただ少し一緒に呑んでみたいだけだ。
そう声をかけて、振り向いた顔を見て、やっぱり好みのタイプだと思う。
切れ長の二重のせいかクールな印象なのがいい。ゲイならいいのにな。だけど間違いなくノンケだろう。あの街以外でゲイに出会うことは残念ながらなかなかない。
そうやって、お兄さん、もとい立樹さんに話しかける。顔が好み、と思っていたけど、低くて落ち着いた声はまさにイケボで声も好みだった。
今日は散々な日だったけど、最後にこんなに好みどストライクな人に会えたなんてラッキー♪ なんて単純にも思ったりする。
最初は俺の質問に答えてただけの立樹さんだったけど、お酒が進むにつれ、普通に話してくれた。
今日あったセクハラ、パワハラ騒動も同情しながら聞いてくれた。
立樹さんはクールな外見ながら、割と明るく、気さくに話せて酒が進むにつれ昔からの友人のように話せた。
本当に話しやすい人で、話のテンポが合うのか、話していて楽しい。
当然、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていき、時計は午前0時を指していた。
もっと話していたいけど、明日も仕事だからこれ以上呑んでいるわけにはいかない。さすがに帰らないとと思い、どちらからともなくスマホを出し、メッセージアプリのID交換をして、また呑もうと約束をした。
先に来てビールを呑んでいると立樹がきた。
立樹はクレジットカード会社で督促業務をしている。その最後の督促の電話が長引いたのだという。
俺は大手不動産会社のビル管理部で経理をしている。
二人で呑みに来ても、特別な話しをするでもなく仕事の話しを中心に、その日あったことなどを話している。
立樹は一週間前に付き合っている彼女と喧嘩した、と悠に話していた。
立樹から彼女と仲直りするのに、どうしたらいいか、悠はどうしているか、というアドバイスを請われたときにゲイであることを立樹に伝えた。
生まれてこのかた彼女なんていたことがないからだ。
付き合いとしては短いが、立樹なら差別はしないだろうと思ったのでカミングアウトしたのだ。
立樹にカミングアウトしてから初めて会うが、実は多少緊張はしていた。
でも、立樹は差別するでもなく、面白がるわけでもなく、普通に話してくれている。俺はそれに安心した。
面白がって話しを訊いてくる人もいるからだ。それがわかっているから絶対に大丈夫だろう、と思う相手にしかカミングアウトしない。本当は言わない方がいいのかもしれないけれど、今回の立樹の件のように恋愛話はついてまわる。だから、相手を選んでカミングアウトするようにしているのだ。
そう問われて、んーっと悩む。自分が好きになった人以外とは付き合う気がない、というのは選り好みしているというのか、と考えたからだ。
可愛いと思う、と聞いてほんの少し胸が痛くなったのはきっと気のせいだ。
立樹が自分の好きなタイプだからだ。好きとかじゃない。単にタイプなだけだ。自分の好みの男の口から女の聞いているからだ、と自分に言い聞かせる。
いや、言い聞かせるってどうなのか、と思うけれど。ノンケはお断りなのになと思う。
そう言うと立樹が笑う。
そう笑う立樹に、また少し胸がツキンと痛んだ。
そう言って笑う立樹に悠は胸がキュンとした。あぁ、これはもう認めないとダメかもしれない。立樹のことを好きだと。
ノンケなんだけどなぁ、と思うけれど、好きになるのにそういうのって確かに関係ないな、と思う。
その手の場所で出会ったなら安心して好きになれるけれど、世の中はそんな場所の方が少ないわけで、つまりはノンケを好きになることは普通にあるということになる。
でも、実らない恋なんて不毛だと思う。
かと言って好きになってしまったものを今さらどうこうすることはできない。つまりはこの恋が終わるのを待つしかない。
終わりとは失恋のことだが、好きになった瞬間に失恋してるようなものなんだけど、ダメらしい。
俺にモテてるって好きって言ってるのと同じだよな、と思うと恥ずかしくて顔が熱くなる。きっと赤い顔をしているのだろう。
確かに以前付き合っていた彼氏にも犬系だと言われたことはあるが、それを立樹も思ったというのか。しかも可愛いって。
立樹は彼女がいるから、この恋が実ることはないけれど、それでも可愛いと言われるのは嬉しかった。
この言葉は複雑だった。ゲイじゃないというのはわかっているけど断言されると悲しい。
でも自分にだけ可愛いと思ってくれているのは素直に嬉しい。決してこれ以上進むことはないのだけれど。