週末の浅草。本当はこんなところを歩きたくないけれど、どうしても食べたいものがあって、人だかりの中を歩いている。
雷門の大提灯。多くの観光客がそこで写真を撮っている。最近ではYouTuberの姿も見かけるようになった。
ここは平日でさえ観光客が多いのに、週末の今日はさらに観光客が多い。いくら食べたいとは言え、週末に浅草に来るのは間違いだったかもしれない。しかし、こんなに人が多いいんじゃ浅草寺を見てるんだか人を見てるんだかわからないだろうに。そんな風に思いながら足早に仲見世通りを歩いていたら、後ろから英語で話しかけられた。
「Hi! Sorry, do you speak English?」
振り返ると目をキラキラとさせた、日本人……に似てるけど、どこか違う。韓国人、かな。中国人とは少し違う。身長が高くてアイボリーのセーターを格好よく着こなしている。
「Yeah, I do. May I help you?」
低めの声でそう答えると、相手は一瞬、ポカンとした顔をした。何人に間違えた? というより、これって、もしかして、女に間違われた? そんなの初めてのことじゃないけど、気持ちの良いものでもない。
「Ah—sorry, I thought you were… never mind. Actually, I’m looking for a place to eat. Do you know any good soba place around here?(あー、すいません。あなたが…いや、気にしないでください。ところでこの辺でいい蕎麦屋を知りませんか?)」
相手はちょっとごまかすみたいに話しを続けるから、つい笑ってしまった。
「観光? どこのホテルに泊まってるの?」
「え? あ、上野の近くのビジネスホテル。教えてくれるの?」
「お腹空いてるんだろ? 困っている人を放っておけないタチだからな。それに俺も行くから」
そう言ってまた歩き出すと、後ろから軽い足音がついてきた。視線を感じて振り返ると、彼はなんだか嬉しそうに、でも気まずそうに口元を緩めていた。多分、ナンパだったんだろうな。俺を女だと思って。あいにく男だけど。でも、女に間違われてナンパされるのなんて初めてじゃない。母親似の女顔と、男としてはあまり伸びなかった身長。170cmだなんて、それくらいなら、背の高い女の子でいる。だから、男だと思われずにナンパされるのは初めてじゃないけど、いつもは「ふざけるな」って思う。だけど、今回はなぜか全然嫌な感じはしなかった。
「蕎麦屋とか言ってたけど、ほんとに蕎麦屋でいいの? 俺は天ぷら蕎麦の美味い店行くんだけど」
「天ぷらってなんだっけ……あぁ、ティギムだ。うん、日本の食べてみたい」
「じゃあその店行くか。天ぷらも蕎麦も美味いから失敗はない」
「楽しみだ」
そういうとその男はなおも嬉しそうな顔をする。というか、だらしない顔をしてる。一重の目に通った鼻筋、薄い唇。黙って、普通にしていればそこそこのイケメンなのかもしれないけれど、笑った顔は可愛いとさえ言える。そう思うとふとおかしくなった。
だらしない顔してナンパして。でも相手は男で。それなのになぜか笑顔のまま後をついてくる。そこまでお腹が空いてるのか。それにしてもだらしのない顔していた。
「美味しそうなものいっぱいあるね」
その男より先を歩いていると、後ろからそんな声が聞こえてくる。振り返ると、辺りをキョロキョロしている男がいる。
「ねぇ、少し食べてもいいかな」
「食べてもいいけど、そうしたら蕎麦食えなくなるんじゃないの?」
「それは多分、大丈夫。実は朝から何も食べてないんだよね」
は? 朝からなにも食べてない? なにも食べずにこの辺をうろうろしてたというのか。馬鹿か、この男は。とちょっと呆れてしまう。
「じゃあ先に蕎麦を食べて、それで足りなかったら食べ歩きしたらいいんじゃないか? デザートになるだろ」
「デザートにも付き合ってくれる?」
目をキラキラとさせてるけど、なにに対して目を輝かせているんだ? それはデザートと称した仲見世通りの食べ歩きか、それとも俺にか。そこまで考えてため息をつく。
「俺に買い食いに付き合えと?」
そういうと、ダメだろうかとシュンとした顔をする。こいつは考えていることが全て顔に出るみたいだな。歳は俺より少し上だろう。そんないい年した大人がそんなに感情を表に出していいんだろうか。ま、俺には関係ないけど。それにしてもシュンとうなだれている姿が大型犬に似ている。そう思うと、つい笑ってしまった。
「いいよ。日本語できないんだろう?」
「こんにちは、とありがとうくらいしか言えない」
「まぁ、指さしでも買えるっちゃ買えるけど」
俺のその言葉に”絶望”という表情をして見せる。その顔が面白くて、つい笑ってしまった。
「1人で来たの? それとも別行動?」
「1人で来た。1人で食事って寂しいね。韓国では外食を1人でする習慣がないから」
それでナンパしてきたのか? それで女と間違えて俺に声をかけてきたのか。
「ダメ、かな?」
俺よりも断然背の高い男が上目使いするって器用じゃないか? でも、なんだか。呆れるところもあるけれど、つい頷いてしまった。
「わかった。つきやってやる」
俺のその言葉に頭をあげて、先ほどより目をキラキラと輝かせてきた。失敗、したかな? まぁそれでも今日は特に用事があるわけじゃないからいいか。そう思うと、男はにこにこし出した。そんなに嬉しいんだろうか。
「やった! じゃあ、その前に、その、天ぷら蕎麦を食べに行こう。日本のティギム、楽しみだ。お店はどっち?」
「ああ、こっち。この道をしばらくまっすぐ」
「了解」
まるで散歩に出た犬みたいにぐんぐんと俺を引っ張って行く。いや、店の場所知らないだろうに。なにがそんなに嬉しいんだろうと思う。冷たいようだけど、ほんとに言葉がわからなくたって食べたいものを指指して1とか指で知らせれば買えるし食べれる。そうは思うんだけど、なんだかそれでは可哀想な気がした。いや、俺が同情してやる必要はないと思うんだけど。
「そこの角の左側が蕎麦屋だよ」
「おお! 見るからに日本の感性だ。入るよ?」
「日本の感性っていうのが意味不明だけど、入れよ」
「うん」
お昼を過ぎているからか、店内はさほど混んでなかった。食事の時間帯だとたまに待っている人がいたりするけど、今日は待っている人もなく、すぐに席に案内された。
「蕎麦は温かいのと冷たいのがあるけど、どっちがいい?」
「大分涼しくなったから温かい方がいいかな?」
「天ぷらは? さっきからティギムとか言ってたけど」
「うん。食べる。韓国のと食べ比べてみたい」
「じゃあ天ぷら蕎麦だな」
結局、話していたとおりに2人とも温かい天ぷら蕎麦にした。
「韓国にそばってあるの?」
「日食としてあるよ。だから本場のを食べてみたかった」
「日本料理のこと日食っていうんだ? やっぱり高い? 高級食みたいとか?」
「ううん。値段は普通の韓国料理よりちょっと高いだけかな? 結構人気だよ」
「へえ。韓国って行ったことないから全然わからない」
蕎麦が来るまでの間、俺はその男に色々聞いていた。
「そういえばお互い、名前知らないよな。俺は砂倉明日海」
「俺はハ・イジュン。24歳。明日海はいくつ? 大学生ぐらい?」
「大学4年。21歳。24歳ってことは会社員?」
「いや、軍隊を除隊したばかりだから、仕事をどうしようか考えているところ」
「あ、そういえば韓国は兵役があるんだよな。どこ所属だったの? 陸? 海? 空?」
「陸。だから18ヶ月で出てこれた」
「やっぱり厳しいの?」
「そうだね。何回か逃げ出したいと思ったよ」
「うへー。そんなに厳しいのか」
「そう。ほんとに厳しい。日本はいいな、兵役なくて」
兵役……。その前に日本には軍隊がない。自衛隊はあるけれど、あれは、あくまでも自衛するためのものだ。戦うものとは違う。まぁ、韓国に兵役があるのは、今なお終戦してないからなんだけど。
「大学って、どこ出たの?有名なところ?」
「日本で有名かはわからないけど、韓国内では有名なところ」
「俺も聞いたことあるかな?」
「どうだろう? ソウル大以外だよ」
「じゃあ知らないや。知ってるのソウル大学だけだもん」
俺が訊くとイジュンは笑い出した。なにかおなしなことを言ったのだろうか。
「一応ソウル大に続く大学」
「っていうことは頭のいい学校ってこと?」
「うん、そう言われてるね」
「えー、そんなに頭いいの?」
目の前にいるイジュンがそんなにいい大学を出ているとはにわかには信じられず、俺は瞬きを繰り返した。さっきの目をキラキラさせたり、大型犬がシュンとしたみたいな表情を見せたイジュンは、そんなに頭がいいと思わなかったんだ。人って見かけによらないんだな。
「大学ではなにを勉強してたの?」
「経営学だよ。だから、なにか活かした仕事できないかと思って」
「え! 偶然! 俺も経営学科!」
「へえ。ほんと偶然だね。就職決まってるの?」
「一応簿記は取ったから、それでそこそこの会社には受かってる。けど、やりたいものじゃないんだよね。公認会計士になりたかったけど、試験落ちちゃって。学校で習ったことがただの簿記になっちゃったから、ちょっとね。だから将来のこと、考えたくない」
ほんとは公認会計士になりたかった。でも、試験に落ちてしまったから、簿記を取って一般企業に内定を貰った。でも、今年後1回公認会計士の試験残っているから、そこで受かったら公認会計士になりたい。
「俺もどうなるかな。普通のサラリーマンになるのがいやだっていうか」
「韓国の人ってサムスンとか入ったらエリートなんだろ? そしたらサムスン狙ってみるとか」
「そんなに簡単なことじゃないよ。それにサムスンに入ったって大学で学んだことは活かせない」
「お互い同じことに悩んでるのか」
「そうみたいだね」
そんな風にお互いのことを話していると蕎麦が運ばれてきた。それまで、年相応の顔をしてたくせに、蕎麦が運ばれてきたら、また目をキラキラとさせた。その差に俺はつい笑ってしまった。

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