大輝は一瞬切ない顔をして俺を見たけれど、次の瞬間には俯いて、苦しそうにその言葉を紡ぐ。大輝はほんとはどうして欲しいんだろう。別れたいのか、待っていて欲しいのか。いつもなら大輝の気持ちを尊重したいと思う俺だけど、今だけはわがままを言いたい。
そうしてやっと大輝と目があう。その目が潤んで見えるのは気のせいだろうか。大輝も少しは俺と離れなきゃいけないことを寂しいと思ってくれている。そう思ってもいいのか?
何年かかるかわからなくて、でも連絡はしないって……。
辛い。寂しすぎるよ。だけど、それでまた会えるのなら、我慢できる、よな?
そう言って大輝は優しく俺を抱きしめてくれる。俺の好きな大輝の匂い。なにがあってもこの匂いがすると大丈夫って落ち着いていた。でも、この匂いともしばらくさようならだ。
それでも、約束してくれるのなら。何年かかろうと待てる。俺には大輝しかいないから。だから、2人の空が重なるまでは別々の空で繋がっていよう。
そう言うと大輝はすぐに背を向けて帰っていった。そして俺は、その姿が見えなくなるまでずっと見ていた。次はいつ会えるんだろう。いつ迎えに来てくれるんだろう。そう思うと涙はどんどん溢れて、見えるはずの大輝の姿がにじんで見えなくなる。ばか。なに泣いてるんだ。大輝の姿が見えないじゃないか。でも、涙は止まらなくて。そうしているうちに大輝は曲がり角を曲がっていったのがぼんやりと見えた。
目を開けたら自分の部屋の天井で。あぁ夢を見ていたんだなと気づく。この夢を見たのは何回目だろう。大輝がドイツへ行ってから約7年。俺は今日27歳の誕生日を迎える。
俺はスポーツには疎いけれど、そろそろ現役引退の歳じゃないだろうか。そうしたら、もうすぐ。もうすぐ迎えに来てくれるんじゃないか。もしかしたら今年かもしれない。そう思って俺は大輝の帰国を待っている。
傍から見たら連絡もないのに7年も待つなんてばかかもしれない。でも、約束したんだ。誕生日に迎えに来てくれるって。だから俺は信じて待っている。大輝は約束は守ってくれる人だったから。年齢的に昨年は期待していた。でも、来てくれなくて少し悲しかった。今年は?今年は迎えに来てくれるだろうか。ねぇ大輝。早く迎えに来て。
ダメだ。朝から考えている場合じゃない。誕生日だと言ったって今日もお店がある。着替えて準備をしなきゃ。
いつもの時間にお店に行き、店の掃除を始める。そして今日のブレンドコーヒーを決める。今日はコロンビアとブラジルをベースとした苦みのあるブレンドにした。
『カフェ・ルーシェ』は2年前にオープンしたばかりのコーヒー専門店だ。中学時代にコーヒーにハマり、大学を卒業してから将来店をオープンできる知識を得るために専門学校に週3回・1年間通い、オーナーとなるための知識とバリスタの資格を取った。そして専門学校へ通う傍ら市内にある『カフェ・サンク』でバイトとして働いた。
専門学校を卒業した後は『カフェ・サンク』でフルタイムで働き、オーナーの|正門《まさかど》さんに徹底的にコーヒーのことを仕込まれた。正門さんはコーヒーに関しては煩い人なので、専門学校の講師よりも正門さんの方が怖かった。でも、その分しっかり実力はついたと思う。だからこそ25歳でカフェをオープンすることが出来たんだと思っている。
お店をオープンしてから2年間、こんな若造のお店だけど、ありがたいことに常連さんもボチボチ出来ている。そして正門さんは『カフェ・サンク』の定休日にたまにぶらりとやってきてはダメ出しをしてくる。だから味に関しては自信を持っている。
掃除を終えた後は10時に札をOPENにする。1日の始まりだ。
オープンして5分後に吉澤優馬さんが花束を抱えてやってきた。優馬さんはファッションデザイナーをしていて、常連さんの1人だ。
優馬さんから薔薇の花束を貰い、さっそく花瓶に生けてカウンターの隅に置く。花があると店が明るく感じる。
ハンドルにネルフィルターをセットし、挽いた粉をセットしてゆっくりと淹れていく。うちの店は正門さんから教わったネルフィルターでコーヒーを淹れている。手間を考えると紙の方がいいのだけれど、ネルドリップの方が味がまろやかになるのでペーパーフィルターに移行することができない。せっかくコーヒーを飲むなら美味しい方がいい。
コーヒーを淹れながらなのでついうっかりと「はい」なんて言ってしまったけれど、言った後に意味がわかった。
コーヒーが好き、とかそういう意味じゃないよな?
ずっと好きな人がいる、そう言いかけたところで常連の舞さんが入って来たので話はそこで中断されてしまった。
舞さんはそう言って店に入ってくる。舞さんは大手不動産会社に勤めるOLさんだ。不動産会社なので水曜日がお休みなので水曜日の朝は美味しいコーヒーで目を覚ましたいからと言って朝1で来ることが多い。
さっきの優馬さんとの話の続きをしたいけれど、この後はランチの後の一杯にくるお客さんが来るだろうから話は出来そうにない。それでも気になって優馬さんを見るけれど、優馬さんは優雅にコーヒーを飲んでいた。どこかでお客さんが途切れれば……。そんな風にそわそわしながらグァテマラを淹れた。
淹れる条件での繊細さもあるけれど、コーヒーは保管も難しく湿気のあるところでの保管は厳禁だ。毎日気にせず飲むコーヒーだけど美味しく飲むには色々な条件をクリアしなくてはいけない。お店でコーヒーを淹れるときはエアコンで室内の気温を一定に保っているため、毎日同じような味を出すことができる。でも、家でコーヒーを淹れるのに一々そこまで気にはしないだろう。俺だって家で淹れるとお店と同じ味は出ない。
同じ豆を使ったとしてもお店によって味は違ってくる。ほんの少しの差でも味は変わるし、淹れる人によっても変わってくる。それでも、美味しいと言われるのは嬉しい。
きっと俺の淹れるコーヒーの味が舞さんに合っているだけだと思うけれど、それでもコーヒーの淹れ方に関しては専門学校だけでなく正門さんにも散々しごかれた。だから美味しいと言われると努力が無駄になってないと思って嬉しい。正門さんはコーヒーに関する資格をたくさん持っている人で、どれもレベルが高い人だ。だから正門さんのお店は市内でもコーヒーの美味しい店として有名だ。俺も正門さんにはまだまだおいつかないけれど、色々な勉強を常にしている。
舞さんは30分ほどおしゃべりをしながらコーヒーを楽しむと、今日はショッピングだからと言って帰って行った。そして店内はまた優馬さんと俺の2人だけになる。さっき告白されたこともあり、どうしたらいいのかわからない。
沈黙を破ったのは優馬さんだった。時間は11時。忙しくなるにはまだ時間がある。優馬さんとは付き合えないことをはっきり言わないと。
そう言って優馬さんが聞く姿勢になる。