EHEU ANELA

不出来なオメガのフォーチュン

後日談

――五月。

「お母さん! いつもありがとう」

廉が直生に赤いカーネーションを差し出す。直生は一瞬、なんのことかわからずキョトンとしたが、母の日だよ、と言われてやっとわかった。


「ありがとうって言われるほどなにもしてないよ」

そう答えるが、廉は笑顔で、そんなことないよ、と否定する。


「料理は誉さんがほとんどやってくれるし、俺がやってるのは、掃除と洗濯くらいだよ。その掃除だって組の人が分担して随分やってくれてるし」
「それでも! それでも掃除、洗濯大変じゃん。今日は母の日だからお母さんはなにもしなくていいよ。掃除も洗濯も僕がやるから。だからお母さんはゆっくりしてて」

廉が笑顔で直生に返す。直生は苦笑いしながらも廉の言葉に頷いた。


「じゃあ、今日はゆっくりさせて貰うな」
「うん! ゆっくりしてて」

後は廉に任せてリビングでコーヒーでも飲んでいよう、とキッチンへ行こうとしたところで、神宮寺に長くついていて、直生も随分と見知った浅田とはちあわせる。


「お茶ですか」
「うん。コーヒーをね」
「それでしたら私が淹れますので座っていてください」
「え、でも、浅田さんだって仕事あるんだし」
「いえ。今日は姐さんに休んで頂くように組長に言われていますので」

組長となった神宮寺が、直生を休ませるようにと組員に言っているようだった。

参ったな、と思いながらもリビングのソファに座ってテレビでも観ようとしたところで玄関から声が聞こえる。朝から出かけていた神宮寺が帰ってきたようだ。


「浅田。俺の分も頼む」
「かしこまりました」

神宮寺はリビングに来て、直生の隣に座ると、はい、と封筒を渡される。

なにを渡されたかわからない直生は戸惑いながら受け取ったが、これをどうしたらいいのかわからず、固まってしまう。


「開けてみろ」
「うん」

神宮寺に促されて封筒をよく見ると、封筒には旅行会社の名前が記されている。なんだろう、と思い封を開けると、旅館の名前の記されたチケットが入っていた。その旅館は、以前テレビで見たところで、直生が、こんなところいいな、と言ったところだった。


「なに、これ」
「母の日のプレゼントだ。その旅館、いいなって言ってただろう」
「よく予約取れたね」
「母の日に行くのは間に合わなかったけど、渡すのは間に合ったな。うまくキャンセルが出たらしくてな。週末なら廉も行かれるし、家族旅行だ」

そう言って神宮寺は笑う。


「母の日すごいな。掃除・洗濯は廉がやるって言うし、コーヒーは浅田さんが淹れてくれるし、誉さんは有名温泉旅館のチケットくれるし」
「直生が普段頑張ってるからだ。組の連中も直生には感謝してる」

神宮寺と直生が番契約をして結婚し、廉が産まれて数年経った頃、神宮寺は若頭から組長へとなった。

廉が生まれてから変わった環境は、神宮寺の組長就任とともにさらに変わった。あまりの環境の変化に当時の直生はかなり戸惑った。しかし、自分にできることをやろうと、組長になった神宮寺をサポートすべく、子育てと組内で直生ができることを一生懸命やってきた。

直生が住み込みの組員にも別け隔てなく接していたことで組員から慕われるようになったのだ。


「これ、いつ?」
「再来週だ」
「浅田さんとかも温泉入れる?」
「温泉風呂付きの部屋だから、浅田も入れる」

神宮寺が動くときは、それがプライベートであっても側近はガードでついてくる。組長を守るためだ。そのため、休みなんてあってないようなものだ。そして神宮寺の側近は若頭時代から浅田だった。だから直生は訊いたのだ。


「それなら良かった」

こうして直生の母の日プレゼントの旅行が決まり、護衛として若頭時代からついている浅田と友野が同行することになった。


「うわー、すごいっ! グツグツいってる」
「危ないから気をつけてね」
「はーい」

廉は噴火爆裂火口跡を身を乗り出して見ている。


「はい。名物、黒たまご」

そこへ神宮寺が名物の黒たまごを持ってやってくる。この黒たまごは一個食べると七年長生きをすると有名だ。


「お父さんもお母さんも、これ食べて長生きしてね」

そう言う廉に直生は苦笑いする。


「まだまだ死ぬような歳じゃないよ」
「そうだけど。でも、お父さんは危険あるでしょう?」

廉は神宮寺のことを心配して言っているのだ、とわかった。

神宮寺はやくざの組長だ。いつ何時襲われるかわからない。廉が物心つく頃には、神宮寺は若頭から組長に昇進していた。そのため、廉は組長の子供として育ってきた。他所の子と違って危険があるということ、父親である神宮寺は常に危険にさらされていることを口をすっぱくしてずっと言ってきた。だから小学生ながらに廉は親である神宮寺の、そして自分と直生の立場をしっかりと認識している。


「浅田たちが有能だからお父さんは大丈夫だよ」
「うん。でも心配だよ。だから、この黒たまご食べて長生きして。いっぱい食べていっぱい長生きしてね」

そう言って廉は、渡された黒たまごを半分こにしようとする。それを見て神宮寺が笑う。


「わらなくても大丈夫だよ。また買ってくればいいことだから。でも、ありがとうな」
「俺も誉さんも大丈夫だから、廉はそれ食べな」

直生がそう言うと、廉は、はーいと返事をしてたまごを食べる。廉が素直に食べる姿を見て神宮寺や直生もたまごを食べる。次は湖に行く予定だ。


「お父さんもお母さんも食べた? じゃ行こう。次は湖でしょ? 早く早く!」

急いで咀嚼して、早く次へ行こうとする廉の姿に笑いが漏れた。

二人が黒たまごを食べた後は、湖へと行き、海賊船で湖から見える景色を堪能し、その後は湖近くの神社で参拝してから予約してある旅館へと来た。

予約した部屋は、別邸と呼ばれる離れで、部屋が四部屋あった。リビングがあり、隣にツインのベッドの置かれた寝室、さらに奥にも二間あるため、神宮寺たち家族三人が寝泊まりしても部屋は余るので、用心棒として浅田と友野が泊まってもプライベート感は薄れないのだ。

当初、浅田と友野は、自分たちがそんな部屋に泊まるわけにはいかない、と辞退したが、別邸となっているため、同室でないと警護ができない、と直生が言ったために浅田と四ノ宮も同室となったのだ。

部屋には、巨石庭園露天風呂、内風呂、サウナとあり、露天風呂からは季節の楽しめる日本庭園が広がっており、夏ならば大文字焼きを楽しむことができ、とても贅沢だ。

部屋に入った途端、朝からテンションの高かった廉だけれど、さらにテンションも高く部屋を探検して回った。ウエルカムドリンクが運ばれてきてやっと座ったほどだ。


「すっごい綺麗だね!」

母の日のプレゼントでこの旅館にしたが、子供受けはしないと思っていた。しかし、意外にも廉は気に入ったようだ。


「廉、一緒に露天風呂入る?」
「うん!」
「誉さんも入るでしょう? これだけ大きければ三人大丈夫そう」

風呂は、さすがに大浴場のように三人で手足を伸ばして、というわけにはいかないが、普通に入る分には十分だ。

山をバックにした日本庭園は趣があり、いつもの慌ただしさを忘れることができる。


「誉さん、ありがとう」
「いつも頑張ってくれてる礼だ」
「でも、この部屋高かったでしょう?」
「母の日だから特別だ。それでも、この設備を見れば決して高くない。景色だっていいし、気に入ってくれればそれでいい。それよりマッサージも受けられるがいいのか?」
「こんなすごいところ気に入るに決まってる。マッサージはいいです。するほど働いてないから」
「それならいいが、受けたかったら言え」
「ありがとう」

そう言って笑う神宮寺に、直生は幸せだな、と思った。

温泉を楽しみ、お茶を飲んでいると、廉が売店に行ってくる! と言って浅田と連れ立って部屋を出ていった。

すると神宮寺は直生の隣へ来ると、抱きしめ、キスをする。


「んっ……ダメ……。廉がいつ帰ってくるか……。んっ。それに、んぅ。あぁ……ほ、まれ……さん。隣にだって」
「声出さなければ大丈夫だ」
「そ……んな」

神宮寺は番になった頃から愛情は一切変わらないが、二人の間で変わったことがある。それは触れることだ。

運命の番だったため、番になる前は触れるだけでヒートを起こしていたのに、廉を妊娠してからはそういうことがなくなった。だから、普通に相手に触れることができるようになったのだ。番になる前はまともに触れることができなかったので、どうなるのか、と思っていたがその心配は不要だったようだ。

とは言え、それとこれは別である。直生が抵抗をしても神宮寺はキスをやめようとしない。廉と浅田が一緒に出ていったにしても、まだ奥には友野がいるのだ。二人きりなわけではない。


「直生、ここに乗れ」

そう言って神宮寺が自分の膝を叩く。膝の上に座れということだ。直生は恥ずかしがりながらも神宮寺の方を向いて座る。そんな直生に神宮寺は満足そうに笑い、そしてまたくちづける。はじめは触れるだけのバードキスから、角度を変えてどんどんと深いキスへと変わっていく。

ぴちゃ、という水音が直生の耳を犯す。


「ン……ほ、まれ……さん。ダメ……。んっ。これ以上は、ふっ。ん……うぅ。ダメ」
「なんでだ」
「声……出ちゃ、う」
「友野に聞かせてやればいい」
「そんなの……できる、わけ……ない」

直生は拒否の言葉を言っているが、本当に嫌がっているわけではない。それがわかっているから神宮寺はやめないのだ。

神宮寺と直生の口を透明な糸が結びつけている。それが直生の目に入り、羞恥心がさらに増す。神宮寺が笑いながら、再度深くキスをしようとしたところで、廉の声が聞こえてくる。廉と浅田が帰ってきたようだ。

声が聞こえると直生は、パッと神宮寺の膝から降り、隣に座る。


「お父さん! お母さん! おやつ買ってきた!」

その声とともに廉が部屋に入ってくる。


「お母さん、顔赤いけど大丈夫?」
「え? 赤い?」
「うん。ちょっと赤い」

廉が少し心配そうに眉を寄せるのを見て直生は慌てる。


「さっき温泉入ったからだよ、きっと」
「そう? 体調悪いとかじゃなくて?」
「違うよ。大丈夫」

直生は言い訳をしながら、神宮寺を睨む。そして、その視線を受け取り神宮寺がクツクツと笑う。


「お父さん、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「お母さんもお父さんも変なの。あ、ねぇ、おやつ食べようよ」

廉は直生と神宮寺の様子に少し首をかしげたが、すぐにおやつに意識が戻ったようだ。

浅田にお茶を淹れて貰い、廉が売店で買ってきたという温泉饅頭を食べる。部屋に置いてあった温泉饅頭が美味しくて、もっと食べたくて売店に行ったんだ、と廉は笑う。

二週間前の廉からの母の日のプレゼントと、神宮寺からのこの贅沢な温泉旅行。これだけのことをして貰ったのだから、その分お返しをしなくてはいけない。

直生は自分ができることはなんだろう、と考えるが背伸びをしても長続きしない、と思い当たり、今まで通り自分らしくいればいいのかもしれないと思う。

しかし、幸せを感じるたびに神宮寺と番となって、結婚して本当に良かったと思う。

いつまでもこの幸せが続きますように……。

 E N D