EHEU ANELA

海の青と空の青

この先の季節も君と

「紫陽花の花言葉って移り気っていうのが有名ですが、一途な愛情という花言葉もあるんですよ。俺、遊びとかちゃらんぽらんな気持ちじゃありませんから。真剣なんです。だから、ゆっくりでいいから考えて下さい」

紫陽花を見て来た日から毎日この言葉が頭から離れることはなかった。

確かに薬井さんは何度も好きです、という言葉を言っていた。それを友情の、またはファンとしての好きだと思っていたのは俺だ。いや、単にそう思い込もうとしていたのかもしれない。

その日は俺も薬井さんも言葉少なに帰ってきた。俺はいきなり聞いたから答えなんて出せてないし、薬井さんもそれはわかっていたからそれ以上はなにも言わず、ただ車を降りるときにいつものように「また」と言って別れた。そしてその日から、薬井さんが言った言葉が頭の中でぐるぐる回っているのだ。

どう返事をしたらいいんだろう。すぐにではないにしても答えは出さないといけない。

俺は薬井さんのことをどう見ていたのだろう。それは友人としてだ。いや、それはほんとだろうか。絶対に違うと言い切れるだろうか。

俺の人見知りも気にせず(少なくとも俺はそう思っていた)メッセージを送ってきてくれていたので、友人という立ち位置にはなっていた。

付き合いやすく、一緒にいて楽な友人。それ以上でもなくそれ以下でもない。それはとても楽なポジションだったのだ。いや、そう思いたかったのだ。

でも、ほんとだろうか。薬井さんにとって俺は好意を寄せる相手だったのだ。薬井さんにとってはきつい状態だったろうと思う。

薬井さんが俺を好きだと言った。それを知って俺はどう感じただろうか。

同性に好きだと好意を寄せられて、少なくとも嫌悪感はなかった。気持ち悪いとは思っていない。でも、だからと言って好きと思っているのとは違うと思う。”気持ち悪い”の反対語は決して”好き”ではないのだ。

では、俺にとっての”気持ち悪い”の反対語はなんだろうか。それについての答えは出ていない。当然だ。今までそんなことを考えたことはないのだから。いや、考えないようにしていたのだ。だからわからない。

好きという感情はなんだろう。友情のそれと恋愛感情のそれとはどう違うのだろうか。薬井さんはどうして俺のことを好きだと思ったのだろう。いつ俺を好きだと思ったのだろう。それは聞いていない。

俺はどうだろう。と自問自答してみる。

可愛いなと思ったことならある。花が咲くように笑ったときだ。その笑顔は可愛かったし、この先も見ていたいと思った。そして、そんな可愛さを持ちながらも時には男らしくて、そのギャップにドキリとしたことはある。

薬井さんの画集を見たときから、怖いくらいに引き込まれていたからか、薬井さんという人間に興味はあった。

それは画家としての薬井さんだと思っていたし、今でもそれは変わらない。ただ、初対面のとき、どこか興味を惹かれるところがあったのは否定しない。それがあったから、あまり親しくないのに薔薇園へ一緒に行くことを嫌だと思わなかったのだろう。

そのときの俺がわかっていたことは、緊張感は伴うけれどまた会ってみたいと思っていたことだ。

薬井さんの笑顔は引き込まれるものがある。その笑顔をもっと見たいと思った。その気持ちはなんと呼べばいいのだろうか。それがわからなくて俺は、画家として、友人として、と半ば強引にそう思っていたのだ。でも、実際はどうなのだろうか。それが俺にはわからないのだ。


「なぁ、どう思う?」
「どうって、もう答えでてるじゃん」

1人で考えていたって思考は同じところをぐるぐると回るだけだ。だから高校からの腐れ縁である|倉知絢佑《くらちけんすけ》を居酒屋に呼び出して相談した。

そう、相談したのだ。なのに、もう答えは出ているという。


「答えなんて出てないから相談してるんだろ」
「でてるよ。だってお前自分でなんて言ったか覚えてる? 好きだと聞いて嫌悪感持つどころかずっと考えてるじゃん。それにその前からずっと考えてただろ。それって好きってことじゃないの?」

好き?

俺が薬井さんを好き?

緊張感を感じながらも会うことは嫌だと思わなかったこと。薬井さんが来るのを待っていたときの感情。薬井さんの表情。薬井さんの笑顔が好きでまた見たいと思っていたこと。それらが好きということなのか。


「あのさ。好きだと思うことに嫌悪感はある? ないだろ? だって嫌悪感があるなら考える必要もないだろ。でも考えた。だろ?」

言われてみればその通りだ。嫌ならその場で答えればいい。少なくともこんなふうに何日も考え続ける必要はない。でも、俺は何日も考え続けたのだ。それは、そういうことなのかもしれない。ただ、それが恋愛の好きなのかわからないのだ。

画家として……。画家としては好きだ。あの青が忘れられない。海の青と空の青。同じ青なのに全然違う顔を見せる。そして青い薔薇。それは画家として好きだということはわかる。わかるのだが……。


「でも、それが恋愛の好きかわからない」
「じゃあさ、キスすることを想像してみて。それで気持ち悪いと思うのなら画家として好きってこと。でも、もし嫌だと思わなかったらそれは画家として好きなんじゃないの?」

キス、できたら……。


薬井さんとキス……。


気持ち悪いと思わない。

もし、薬井さんがそうしてきたら驚きはする。でも、気持ち悪いとは思わないし、突き飛ばしたりもしない。多分……。

そうか。やっとわかった。


「でも、どうしたらいいのかわからない」
「それは自分で考えろ」

考えて下さい、とは言われた。でも、いつ会うとか決めてもいない。それは俺が決めて誘えばいいのだろうか?

そんなの無理だ。

考えてみたら、いつも誘ってくるのは薬井さんからで、俺からはない。薔薇園のときもステーキハウスも紫陽花も。そんなことに今さら気づいた。

でも、俺から誘うなんて無理だ。まして自分の気持ちに気づいてしまったらよけいに。それでも、このままでは一歩も前に進めないのだ。

それでも、きっと俺から連絡するべきなんだろうな。でも、なんて言って連絡すればいい? 考えました、とか言って連絡するのもどうかと思うし。でも、だからと言ってどこに誘っていいのかもわからない。

考えてみたら薬井さんとはよく花を一緒に見ている。今の時期に何が咲いているか。どこか綺麗に見えるところはどこにあるのか。俺はそんなことはわからない。だとしたら食事にでも誘えばいいんだろうけど、日頃1人で引き籠もっている俺は小洒落た店とか美味しい店とか知らない。だから、どう誘ったらいいのかがわからない。

薬井さんから連絡があったのはそんなときだった。


【向日葵畑を見つけました。とても綺麗ですよ】

真っ青な雲一つない青空の下、太陽に向かって咲く向日葵の画像を添えて、たった一言のメッセージ。

最後に会ったのは紫陽花が咲き誇っていたときだった。もうそんなに時間が経ってしまっていたのか。

その後は薬井さんから連絡もなかったし、こちらからも連絡はしなかった。自分から連絡するのは恥ずかしくて出来なかったから。

でも、もしかしたら薬井さんは不安だったかもしれない。いや、不安だっただろう。だって、告白したのに何の連絡もなかったのだから。少なくとも俺なら不安になる。そう思うと薬井さんだけに頼るのはズルいと思った。

きっとこの一言だって悩んだ末かもしれない。そしてそのことに背中を押され、俺も立ち向かわなくては、そう思った。


【どこですか?】

文字通り一言になってしまってそっけないと思わないでもないけど、それ以上の言葉は浮かばないし、必要だとも思わなかった。

今までもこんな感じだったからこれでいいのかもしれない。薬井さんもそんな気持ちだったのではないかと思う。

俺がメッセージを送ってからすぐに返信があった。


【行ってみませんか?】
【行ってみたいです】
【少し遠いけど、先生の仕事が大丈夫なら今度行きましょう】

そんなやりとりは今まで通りで、なにも変わったようには感じない。それはきっと俺が今まで通りに接していたのもあるし、薬井さんもいつもとなにも変わらなかったから。

俺はどう返事をしたらいいのかわからなくて。薬井さんは返事が怖かっただろう。きっとお互いが怖がっていたのだろう。だけど、怖がっていたら前に進めない。

薬井さんは勇気を出して告白をしてきたのだろうし、俺は時間はかかったものの自分の気持ちに気づいた。なのに返事をする術がわからなかった。だけど俺は薬井さんの勇気を無駄にしたくなかった。そして自分の小さな勇気も。


薬井さんと花を見に足を伸ばすときはいつも薬井さんの運転する車だ。俺はそんな薬井さんがうちのマンション下に着くのを部屋で待つ。

自分の気持ちがわかってから初めて会うのもあり、ドキドキしながら薬井さんを待つ。約束の時間ぴったりに薬井さんから下に着いたとの連絡が入る。


「お待たせしました」

いつもは真っ直ぐに俺の目を見る薬井さんが、ほんの少し視線をずらしている。その様子を見たとき、少し寂しかった。やっぱり薬井さんも不安なんだ。


「いいえ」
「道路が混んでなかったから良かった」

普段通りの薬井さんの声……ではない。緊張を伴った声だ。その薬井さんの気持ちを無駄にはしたくない。

薬井さんに誘われたところまで高速に乗り約2時間。社内は言葉が少なく、俺は車窓を眺めていた。

着いたのは辺り一面の向日葵畑だった。


「よくこんなところ見つけましたね」

向日葵畑の近くのコインパーキングに車を止め、歩き始めた俺の第一声はそれだった。こんなに広い向日葵畑が都心から日帰りできる距離にあるのが驚きで、どうやって見つけたのか不思議だった。

俺の問いに、


「たまたまなんです。海を見に近くまで来たんですけど、そこから近くをドライブしてたら見つけて。近くに電車の駅とかないから人も多くなくて。もう少し行くともっとすごいですよ」
「今日はカメラ持って来てないんですか?」
「ミラーレスを持って来ました」

そう言ってカバンを叩く。

確か薔薇園に行ったときに持っていたのがミラーレスと言っていた気がする。


「ミラーレス、新しくしたんです」
「じゃあ手持ちの一眼レフと変わらない?」
「ええ。一眼レフ持って来ようとしたけど、新しいの使いたくてこっちを持って来ちゃいました」

そんな会話をしている俺たちは車に乗っていたときのピンと張り詰めた空気ではなく、今まで通りの俺たちのようだった。いや、それもお互いに気を使っているのだろうけれど。

そうしてしばらく歩いた先には、まさに向日葵畑だった。


「すごいな……」

文字を書くことを生業としているのに、そんな陳腐な言葉しか出てこなかった。


「すごいでしょう?」
「ええ。ほんとにすごい」
「この景色を見つけたとき先生にも見せたくて。一緒に見たいと思ったんです。だから、一緒に来れて良かった」

そういう薬井さんは途中から泣き笑いのような表情をしていた。薬井さんはきっと俺が思っていた以上に苦しかったんだなと思った。

最初、俺は自分の気持ちがわからなくて。気づいてからはどうやって返事をすればいいのかわからなかった。でも、その間の薬井さんはどうだっただろうか。俺には想像できないくらい不安だったんじゃないだろうか。そう考えると自分から連絡を取るのが恥ずかしいとか言って、ただの逃げだったと自責の念にかられた。

もう苦しまなくていいよ。不安にならなくていいよ。俺も勇気出すから。


「空、綺麗ですよね」

俺がそう言うと薬井さんは、急に何を言うんだろうと目をキョトンとさせている。そんな薬井さんが可愛い。


「青い色を見ると薬井さんを思い出すんです」
「俺を?」
「ええ。薬井さんの描いた青い空と青い海。それと青い薔薇。全部青じゃないですか」
「……」

一体何を言っているんだ、という顔をしている。


「だから、俺の中では青イコール薬井さんになってるんです。……俺、青好きですよ」
「え?」

俺の言葉をどう捉えていいのかわからずに悩んでいるようだった。

ここまで来て恥ずかしいとかあったものじゃないけど、さすがに直球では言えない。だから少し遠回しに言ったけれど伝わっていないのでは意味がない。遠回しとは言え勇気を出したんだ。伝わって欲しい。


「もっと色んな景色を薬井さんと見たいと思ってます。後、青い薔薇の花言葉。奇跡、神の祝福でしたっけ? あのときから神様に祝福されてたんだと思いますよ」
「え……。先生、それって……」
「はい?」
「俺、自惚れていいんですか?」
「いいんじゃないですか? 神様が祝福してくれているんだから」
「先生……」

俺の言っている意味がわかったからか目を潤ませている。


「なに泣いてるんですか。告白したのは薬井さんの方ですよ」
「でも、期待なんてしてなかったから」
「それでよく告白できましたね」
「抱えているのが辛くなってきてたから」

抱えているのが辛い……。

その言葉に薬井さんの気持ちの大きさがわかる。

遊びじゃない。と言っていたけれど、ほんとにそうだったのか。そう思うともっと早く返事をしてあげれば良かったと思った。


「こんなとこで泣かないでください。もっと向日葵の見どころに連れて行ってくれないんですか?」
「あ、行きます」
「じゃあ行きましょう」
「はい!」

木蓮の花が咲く頃に出会い、花雨の頃再会し、薔薇の季節と紫陽花の季節を共に過ごした。そして向日葵の季節に想いを通わせた。これからやってくる季節も一緒に過ごせたらいいなと思っている。




拝啓、木蓮の花咲く頃出会った君へ……