樹くんに協力して貰って、後天性オメガになる方法を試して一ヶ月経ってもヒートはこなかった。もっとも、ヒートは三ヶ月に一回だから単にまだ来ないだけかもしれないけれど、やっぱりそんなに簡単にΩになんてなれないのか、と少し落ち込む。
そうやって僕が落ち込んでいると、樹くんがそれに気づいて抱きしめてくれる。
思ってもいないことを言われて、言葉が出なくなってしまった。
性別なんて関係ない、というのは付き合うときから言われていた。でも、養子を貰うことや家を捨てるなんてのとを聞いたのは初めてだった。
もちろん、樹くんに家を捨てさせるなんてしない。樹くんは如月家にとって大切な存在なんだ。僕なんかのためにそんなこもをしてはいけないんだ。
だから、その為にもオメガになりたかった。僕がオメガなら、僕は樹くんと一緒にいられるし、樹くんの家のためにも子供を産むことだってできる。だから、後天性オメガになりたかった。
だけど、性別を変えるのなんてそんなに簡単なことじゃなくて。もっともそんなに簡単にできるのなら性別で悩んでいる人なんていなくなるわけで。
後天性で性別が変わるのは、あくまでも特殊なことで、なかなかないことだ。それは、どんなにオメガの多い家系のベータであってもそれは変わらないんだ。単に他の人よりほんのわずか確率が高いだけだ。
そんなことはわかっている。でも、どうしてもオメガになりたいんだ。樹くんに迷惑はかけたくないし、家を捨てさせたくない。
一度試して、まだヒートがこないからと言って落ち込んでも、三ヶ月めぎりぎりに来るかもしれない。
それにもし今回ダメでも誘発剤はまだ後四錠残ってる。つまりまだチャンスはあるんだ。
ホルモン剤だって何回打ったというんだ。十年以上にもわたって打ってきたじゃないか。
それをたった一回試してまだそんなに経たないうちから諦めてどうする。しっかりしろ、自分。
その日は大学の講義が終わり、樹くんと一緒に校門を出ようとしたところで樹くんを呼び止める声がした。
振り返ると、綺麗な男オメガとして校内でも有名な子だった。
それは、樹くんとカフェに行くときのことだった。僕と樹くんが正門を出ようとしたところで、樹くんを呼ぶ人がいた。
振り返ると、綺麗という言葉がぴったりの人がいた。
そう言って剣持くんは、樹くんにニコリと笑った。見る人が見たら綺麗と言うのだろうな、という微笑みだった。
でも、そう言う剣持くんの目には、僕のことは一切目に入っていないんだろうな、という感じがした。
僕はいない方がいいかな? そう思って樹くんの方を見ると、樹くんは僕の視線に気づいたのか、僕に行くな、という視線を送ってくる。
それでも、この後の話の流れが予想がついてしまい、いたたまれない。
しかし、そう思っているのは僕だけなのか。僕は影以下という存在なのか、剣持くんはこちらを気にもしない。
返事をする樹くんの声はつれない。樹くんも話の流れは気づいているだろう。だって、モテる樹くんだ。こんな場面は何度も経験しているだろう。
しかし、そんな樹くんの声を一切気にもしないのか、剣持くんは微笑んだままだ。
剣持くんは僕が樹くんの隣にいるにも関わらず、まるで目に入っていないかのように告白をする。
まるで僕は影かのような扱いだ。いや、影にさえなっていないのかもしれない。それくらい僕のことは無視だ。
そして気になって樹くんの横顔を見ると、眉をしかめて忌々しげな顔をしている。
樹くんはそう言って僕の肩を抱く。
すごく悪意のある言い方だった。
ベータだから暇つぶし。その言葉が胸を抉った。
確かに母からは出来損ないと言われてきた。でも、他人にここまで言われたのは初めてだった。
僕がベータだから暇つぶしで付き合っていて、来るべき人が来たからポイ捨て。そんなことを見ず知らずの他人に言える剣持くんを怖いと思ってしまった。
親に出来損ないと言われるのはまだ仕方ないと思える。でも、他人にまで言われるのか、と思うと鼻の奥がツンとした。
ダメだ。こんなところで泣くな。
樹くんは、こんな声も出せるのか、という冷たい声でそう言った。
スタスタと歩きだした樹くんだけど、僕は気になって振り返ると、そこには鬼のような顔をしてこちらを睨む剣持くんがいた。
樹くんはそう言う。けれど、僕は胸が痛いままだ。
母に出来損ないと言われるのは仕方がない。加賀美の家の役に一切立たないベータなんだから。それも、散々ホルモン剤を注射しても後天性オメガにもならなかった。
オメガでないのなら、まだアルファなら良かった。他家からオメガを娶ることができるから。でも、ベータはどちらもできない。嫁ぐことも娶ることもできない。本当に役立たずなんだ。
けれど、ベータは見ず知らずの人間にまでそう言われなければならない存在なのだろうか。やっぱり僕は樹くんに不釣り合いなんだ。そう思ってしまう。
今まで二十ニ年生きてきて、他人にあそこまで悪意のある言葉を言われたのは、親を抜かしたら初めてだった。
樹くんは気にするな、と言うけれど僕は気になってしまう。だって、僕がオメガだったらあんなこと言われなかったんだ。
樹くんの言葉に何も返さない僕に樹くんは足を止めて言った。
樹くんの言葉に、僕はそれ以上何も言えなかった。
オメガになりたい。別に加賀美の家に役立ちたい、というわけじゃない。母は命を断ち、もともと寄り付かなかった父は、変わらずに僕の顔を見に来ることはない。戸籍上、父となってはいるけれど、子供の頃から何かをして貰ったことはない。
一年に数回、母の元へ顔を出していたようだが、母が死んでしまえば、それもなくなる。何しろ加賀美の家にとってなんの役にも立たないのだから。だから、父と会うことなんてお盆とお正月のときくらいしかない。
だから今さら父のためにオメガになりたいとは思わない。僕がオメガになりたいのは、樹くんの隣にいたいからだ。
ベータの僕がアルファの樹くんに不釣り合いなのはわかっていたけれど、今日、他人にまで言われてしまった。だから僕はオメガにならなきゃいけないんだ。そう。誰のためでもない。僕自身のためにもオメガにならなきゃいけないんだ。そのためには、オメガになる方法を何度だって試すしかないんだ。
コーヒーを飲みながら、さっきの剣持くんのことを樹くんが言う。
ああ、そうか。僕はベータの立場でしか考えなかったけれど、アルファだって暇つぶしで誰かと付き合うようなちゃらんぽらんだと言っていることになるのか。ということは剣持くんはベータに対してだけでなく、アルファに対してもひどいことを言ったということになる。そうしたら樹くんが怒るのも当然だ。
でも、僕は怒りはない。いや、ゼロと言うわけではないけれど、それよりもベータはどこまでいっても役立たずでしかないのか、とそれが頭から離れない。加賀美の家にとっては確かに役立たずだ。でも、他人にまで言われてしまった。
アルファみたいに優秀な種を残せない。オメガみたいに、子供を生み出せない。そう考えると確かに役立たずなのかもしれない。
樹くんは僕が考えていることがわかっているようだ。
樹くんは何を言うのだろう。僕は綺麗でもないし、可愛くもない。
僕の笑顔? そんなこと知らない。初めて言われた。
え? 僕を?
樹くん以外と付き合っている自分というのが想像できない。
樹くんはそう言って優しい目で僕を見る。この人は一切差別をしない人だ。
樹くんの問に僕は頷いた。
樹くんが一切性差別をしないことはわかった。確かにそうなのかもしれない。でも、やっぱりベータは出来損ない、というのが頭から離れない。
それに樹くんは、将来のKコーポレーションを担っていく人だ。そんな人とベータの僕がずっと一緒にいられるはずがない。いつか別れなくてはいけない日がくるだろう。でも、もし僕がオメガだったら。絶対はないけれど、ベータよりもそばにいられる可能性が高い。だったら、オメガになりたい。
誘発剤を飲んでセックスするのは二回試した。二回目は二ヶ月くらい前だ。一度目は三ヶ月待ってから次を試した。今回はまだ三ヶ月経っていないけれど、多分、ヒートはこないと思う。それなら、今日。こんなことがあったから試さずにはいられない。
キスでトロトロになった後に樹くんが入ってきた。
樹くんが腰を動かす度にぬちゅぬちゅと水音がして、音によって耳を犯されてるみたいだ。
樹くんの言葉に羞恥心が煽られる。そんな顔をしているのだろうか。でも、気持ちいいのは確かだ。
樹くんは噛むときに必ず声をかけてくれる。
そして、声の少しあとに犬歯でがぶりと噛まれる。もし僕がΩなら、そこを噛まれたら番になれる。いつかオメガになって樹くんに噛まれたいと思う。
そう言って樹くんは僕の中に精を放ち、僕もイき、グッタリとなると、樹くんも僕の隣にドサッと寝転がり、僕の髪を梳く。樹くんはよくそうする。一度、なんで? と聞いたら、触り心地がいいんだ、と言っていた。
樹くんはいつもそう言う。決して樹くんの言葉を疑っている訳じゃない。でも、抗えないことだってあると僕は思ってる。
もしかしたら、僕がオメガになっても、家柄の問題で一緒にはいられないことがあるかもしれない。それは周りの大人たち次第だからわからない。
でも、ベータでいるよりも一緒にいられる確率が高いのならそれを試すだけのことだ。
そしてオメガになりたい理由のひとつに、もう出来損ないと言われたくない、というのがある。その言葉の刃は、僕だけにではなく樹くんに対しても切りかかるというのがわかったから。僕のせいで樹くんが侮辱されるのは嫌だ。
樹くんは優しいから、僕に辛い顔は見せないだろう。でも、わかってしまうから。好きな人を守るためにも、僕はオメガにならなくちゃいけない。