EHEU ANELA

あなたが愛してくれたから

オメガになりたい 02

樹くんに協力して貰って、後天性オメガになる方法を試して一ヶ月経ってもヒートはこなかった。もっとも、ヒートは三ヶ月に一回だから単にまだ来ないだけかもしれないけれど、やっぱりそんなに簡単にΩになんてなれないのか、と少し落ち込む。

そうやって僕が落ち込んでいると、樹くんがそれに気づいて抱きしめてくれる。


「そんなに落ち込まないで。それに何度も言うけど、俺は優斗がベータだろうとオメガだろうと関係ないよ。優斗は将来のことを心配してるけど、子供の生まれない夫婦だっている。もし子供を、というのなら養子を貰えばいい。仮に、優斗と別れろと言われても、そんな性別のことで別れたくなんてない。優斗以上に大切なものなんてないんだ。優斗が望むなら、俺は家だって捨てるよ」

思ってもいないことを言われて、言葉が出なくなってしまった。

性別なんて関係ない、というのは付き合うときから言われていた。でも、養子を貰うことや家を捨てるなんてのとを聞いたのは初めてだった。

もちろん、樹くんに家を捨てさせるなんてしない。樹くんは如月家にとって大切な存在なんだ。僕なんかのためにそんなこもをしてはいけないんだ。

だから、その為にもオメガになりたかった。僕がオメガなら、僕は樹くんと一緒にいられるし、樹くんの家のためにも子供を産むことだってできる。だから、後天性オメガになりたかった。

 

だけど、性別を変えるのなんてそんなに簡単なことじゃなくて。もっともそんなに簡単にできるのなら性別で悩んでいる人なんていなくなるわけで。

後天性で性別が変わるのは、あくまでも特殊なことで、なかなかないことだ。それは、どんなにオメガの多い家系のベータであってもそれは変わらないんだ。単に他の人よりほんのわずか確率が高いだけだ。

そんなことはわかっている。でも、どうしてもオメガになりたいんだ。樹くんに迷惑はかけたくないし、家を捨てさせたくない。

一度試して、まだヒートがこないからと言って落ち込んでも、三ヶ月めぎりぎりに来るかもしれない。

それにもし今回ダメでも誘発剤はまだ後四錠残ってる。つまりまだチャンスはあるんだ。

ホルモン剤だって何回打ったというんだ。十年以上にもわたって打ってきたじゃないか。

それをたった一回試してまだそんなに経たないうちから諦めてどうする。しっかりしろ、自分。

その日は大学の講義が終わり、樹くんと一緒に校門を出ようとしたところで樹くんを呼び止める声がした。

振り返ると、綺麗な男オメガとして校内でも有名な子だった。


「如月くん!」

それは、樹くんとカフェに行くときのことだった。僕と樹くんが正門を出ようとしたところで、樹くんを呼ぶ人がいた。

振り返ると、綺麗という言葉がぴったりの人がいた。


「僕、剣持薫って言うんだけど」

そう言って剣持くんは、樹くんにニコリと笑った。見る人が見たら綺麗と言うのだろうな、という微笑みだった。

でも、そう言う剣持くんの目には、僕のことは一切目に入っていないんだろうな、という感じがした。

僕はいない方がいいかな? そう思って樹くんの方を見ると、樹くんは僕の視線に気づいたのか、僕に行くな、という視線を送ってくる。

それでも、この後の話の流れが予想がついてしまい、いたたまれない。

しかし、そう思っているのは僕だけなのか。僕は影以下という存在なのか、剣持くんはこちらを気にもしない。


「なんの用? 急ぐんだけど」

返事をする樹くんの声はつれない。樹くんも話の流れは気づいているだろう。だって、モテる樹くんだ。こんな場面は何度も経験しているだろう。

しかし、そんな樹くんの声を一切気にもしないのか、剣持くんは微笑んだままだ。


「じゃあ、単刀直入に言うね。僕、如月くんのこと好きなんだ。だから僕と付き合って欲しいんだ」

剣持くんは僕が樹くんの隣にいるにも関わらず、まるで目に入っていないかのように告白をする。

まるで僕は影かのような扱いだ。いや、影にさえなっていないのかもしれない。それくらい僕のことは無視だ。

そして気になって樹くんの横顔を見ると、眉をしかめて忌々しげな顔をしている。


「ごめん。俺、優斗と付き合ってるから」

樹くんはそう言って僕の肩を抱く。


「知ってる。でも、ベータなんでしょ。そんな暇つぶしは気にしないよ。だから、僕と付き合ってくれないかな? そんなの別れてくれればいいから」

すごく悪意のある言い方だった。

ベータだから暇つぶし。その言葉が胸を抉った。

確かに母からは出来損ないと言われてきた。でも、他人にここまで言われたのは初めてだった。

僕がベータだから暇つぶしで付き合っていて、来るべき人が来たからポイ捨て。そんなことを見ず知らずの他人に言える剣持くんを怖いと思ってしまった。

親に出来損ないと言われるのはまだ仕方ないと思える。でも、他人にまで言われるのか、と思うと鼻の奥がツンとした。

ダメだ。こんなところで泣くな。


「その言い方って、すごく失礼だってわかってる? 悪いけど、俺そういうこと平気で言う人間は嫌いなんだ。それに、俺は優斗とは何があっても別れないから。他をあたってくれる? 行こう、優斗」

樹くんは、こんな声も出せるのか、という冷たい声でそう言った。

スタスタと歩きだした樹くんだけど、僕は気になって振り返ると、そこには鬼のような顔をしてこちらを睨む剣持くんがいた。


「優斗、ほら行くよ。あんなの見る必要ないから。ちょっと顔がいいからっていい気になってるだけなんだ。人にあんなこと言えるんだ。性格悪いにもほどがあるだろ」

樹くんはそう言う。けれど、僕は胸が痛いままだ。

母に出来損ないと言われるのは仕方がない。加賀美の家の役に一切立たないベータなんだから。それも、散々ホルモン剤を注射しても後天性オメガにもならなかった。

オメガでないのなら、まだアルファなら良かった。他家からオメガを娶ることができるから。でも、ベータはどちらもできない。嫁ぐことも娶ることもできない。本当に役立たずなんだ。

けれど、ベータは見ず知らずの人間にまでそう言われなければならない存在なのだろうか。やっぱり僕は樹くんに不釣り合いなんだ。そう思ってしまう。


「あんなの気にしなくていいから。他人にあんなこと言える神経を疑うよ」

今まで二十ニ年生きてきて、他人にあそこまで悪意のある言葉を言われたのは、親を抜かしたら初めてだった。

樹くんは気にするな、と言うけれど僕は気になってしまう。だって、僕がオメガだったらあんなこと言われなかったんだ。

樹くんの言葉に何も返さない僕に樹くんは足を止めて言った。


「俺が誰と付き合うかは俺が決める。そうして決めたのが優斗だ。そこに性別は一切関係ない。だから優斗は自信を持って」
「でも、僕がベータでなければ……」
「言っただろう。性別は関係ないって。優斗がベータでもオメガでもなんでも関係ないんだよ」
「樹くん……」

樹くんの言葉に、僕はそれ以上何も言えなかった。

オメガになりたい。別に加賀美の家に役立ちたい、というわけじゃない。母は命を断ち、もともと寄り付かなかった父は、変わらずに僕の顔を見に来ることはない。戸籍上、父となってはいるけれど、子供の頃から何かをして貰ったことはない。

一年に数回、母の元へ顔を出していたようだが、母が死んでしまえば、それもなくなる。何しろ加賀美の家にとってなんの役にも立たないのだから。だから、父と会うことなんてお盆とお正月のときくらいしかない。

だから今さら父のためにオメガになりたいとは思わない。僕がオメガになりたいのは、樹くんの隣にいたいからだ。

ベータの僕がアルファの樹くんに不釣り合いなのはわかっていたけれど、今日、他人にまで言われてしまった。だから僕はオメガにならなきゃいけないんだ。そう。誰のためでもない。僕自身のためにもオメガにならなきゃいけないんだ。そのためには、オメガになる方法を何度だって試すしかないんだ。


「さっきのこと気にするなよ」

コーヒーを飲みながら、さっきの剣持くんのことを樹くんが言う。


「学内で綺麗なオメガなんて言われてるから調子に乗ってるんだと思う。ま、それを抜きにしてもかなり悪意のある言い方だけど」
「……」
「ベータと付き合っているのが暇つぶしなんて、ベータをなんだと思ってるんだよ。それに、暇つぶしで付き合ってるって言われているアルファに対してだって失礼なことだよ」

ああ、そうか。僕はベータの立場でしか考えなかったけれど、アルファだって暇つぶしで誰かと付き合うようなちゃらんぽらんだと言っていることになるのか。ということは剣持くんはベータに対してだけでなく、アルファに対してもひどいことを言ったということになる。そうしたら樹くんが怒るのも当然だ。

でも、僕は怒りはない。いや、ゼロと言うわけではないけれど、それよりもベータはどこまでいっても役立たずでしかないのか、とそれが頭から離れない。加賀美の家にとっては確かに役立たずだ。でも、他人にまで言われてしまった。

アルファみたいに優秀な種を残せない。オメガみたいに、子供を生み出せない。そう考えると確かに役立たずなのかもしれない。


「ベータが役立たずなんて考えるなよ」

樹くんは僕が考えていることがわかっているようだ。


「でも、事実だと思う。樹くんみたいに優秀なアルファでもない。かと言って子供を産めるオメガでもないんだから」
「ベータだって自分の子供を残すことできるだろ」
「でもアルファみたいに優秀じゃないし、オメガみたいに綺麗でも可愛くもない」
「オメガだから綺麗なわけじゃないだろ。ベータにだって綺麗で可愛いのいるんだから。優斗がそうだろ」
「僕?」

樹くんは何を言うのだろう。僕は綺麗でもないし、可愛くもない。


「優斗は可愛いよ。笑った顔なんて最高に可愛い。だから俺は好きになったんだよ」

僕の笑顔? そんなこと知らない。初めて言われた。


「本人が知らないだけ。俺、告白するまで結構焦ってたんだから。だって、結構優斗狙ってるやついたから」

え? 僕を?


「信じてないだろ」
「だって、何も言われたことない」
「言われてたら今頃他のやつと付き合ってたのかもな。強引に出て正解だったよ」

樹くん以外と付き合っている自分というのが想像できない。


「ま、それはおいておいてさ。ベータにだって綺麗で可愛い子はいる。オメガだけじゃない。オメガは妊娠、出産に特化した性だというだけだよ。それを言ったらアルファだってそうだけどな。優秀なんて言われてるけど、ベータにもいるだろ、大学教授とか実業家とか政治家とか。だからさ、性別なんて関係ないんだよ」

樹くんはそう言って優しい目で僕を見る。この人は一切差別をしない人だ。


「それでもオメガになりたい?」

樹くんの問に僕は頷いた。


「誘発剤はあと三錠残ってる。試してみる?」
「うん」

樹くんが一切性差別をしないことはわかった。確かにそうなのかもしれない。でも、やっぱりベータは出来損ない、というのが頭から離れない。

それに樹くんは、将来のKコーポレーションを担っていく人だ。そんな人とベータの僕がずっと一緒にいられるはずがない。いつか別れなくてはいけない日がくるだろう。でも、もし僕がオメガだったら。絶対はないけれど、ベータよりもそばにいられる可能性が高い。だったら、オメガになりたい。


「ちょうど週末だから、今夜試してみようか」
「うん」

誘発剤を飲んでセックスするのは二回試した。二回目は二ヶ月くらい前だ。一度目は三ヶ月待ってから次を試した。今回はまだ三ヶ月経っていないけれど、多分、ヒートはこないと思う。それなら、今日。こんなことがあったから試さずにはいられない。


「あぁぁぁぁぁぁ」

キスでトロトロになった後に樹くんが入ってきた。

樹くんが腰を動かす度にぬちゅぬちゅと水音がして、音によって耳を犯されてるみたいだ。


「はぁ、んン」
「気持ち良さそうな顔してる」

樹くんの言葉に羞恥心が煽られる。そんな顔をしているのだろうか。でも、気持ちいいのは確かだ。


「噛むよ」

樹くんは噛むときに必ず声をかけてくれる。

そして、声の少しあとに犬歯でがぶりと噛まれる。もし僕がΩなら、そこを噛まれたら番になれる。いつかオメガになって樹くんに噛まれたいと思う。


「あぁッ……イ、きそ……」
「俺もイキそうだから、一緒にイこう」

そう言って樹くんは僕の中に精を放ち、僕もイき、グッタリとなると、樹くんも僕の隣にドサッと寝転がり、僕の髪を梳く。樹くんはよくそうする。一度、なんで? と聞いたら、触り心地がいいんだ、と言っていた。


「これでヒートがくればいいな」
「うん。きて欲しい」
「でも忘れるな。優斗の性別がなんであれ、俺は別れないよ。そして社会人になろうが、社長になろうが絶対に別れない」

樹くんはいつもそう言う。決して樹くんの言葉を疑っている訳じゃない。でも、抗えないことだってあると僕は思ってる。

もしかしたら、僕がオメガになっても、家柄の問題で一緒にはいられないことがあるかもしれない。それは周りの大人たち次第だからわからない。

でも、ベータでいるよりも一緒にいられる確率が高いのならそれを試すだけのことだ。

そしてオメガになりたい理由のひとつに、もう出来損ないと言われたくない、というのがある。その言葉の刃は、僕だけにではなく樹くんに対しても切りかかるというのがわかったから。僕のせいで樹くんが侮辱されるのは嫌だ。

樹くんは優しいから、僕に辛い顔は見せないだろう。でも、わかってしまうから。好きな人を守るためにも、僕はオメガにならなくちゃいけない。