EHEU ANELA

Always in Love

デートしたいのはあなたなのに

抜けるような青空の下、僕は婚約者である南と公園までの道を二人揃って歩いていた。桜が8部咲きで、陽がさすと暖かくてもっと軽装でも良かったかな、と思うほどだ。


「ねぇ。ボート乗りたいな」

いたずらっ子のような笑顔で、彼女が顔を覗き込んでくる。


「カップルでボートに乗ると別れるって言うだろ。いいの?」
「そんなの迷信じゃない。乗ったって別れないって言うのを私達が証明すればいいんじゃない?」
「そうかな?」
「そうよ。もう、わたるったら。行きましょ。私達絶対別れないから。もう少ししたら結婚するのよ? それなのに別れるわけないじゃない」
「そうだね」

そう返事を返すと南は小走りで俺の前を行く。


「早く早く〜」

その笑顔がとても輝いていて、追いかけて捕まえようと、自然と急ぎ足になっていた。

公園のボート乗り場は、心地良い天気だからか、僕達の他にも結構人が並んでいた。その大半がカップルだ。きっと南のように、別れないという自信があるのだろう。


「どのボートがいい?」

ボートは、オールで漕ぐローボート、脚で漕ぐサイクルポート、そしてこれも脚で漕ぐスワンボートの三種類がある。

オールで漕ぐのは、経験がないからわからないが、難しそうだ。でも、脚で漕ぐのも疲れるだろうな、と思う。彼女には言えないけど。


「スワンボートがいい!」

僕達の番が来て、スワンボートを借りる。そのボートを見て、南のテンションは高くなっていた。


「航。早く早く」

南に促され、僕達はボートに乗った。


「カットーーー! 今日はここまでです。お疲れ様でしたー。」

監督のカットの声でホッとため息が出る。乗りかけていたボートから降りる。今日の撮影はこのシーンが最後だから、つまりこれで今日の仕事終了だ。


「亜美さん、お疲れ様でした」

南役の亜美さんに声をかける。


「城崎さんもお疲れ様でした。また明日お願いします」

そう言って亜美さんはマネージャーさんのところへと行く。


「ありがとうございました」

監督さんと助監督さんに挨拶をする。


「お疲れ様でした」

裏方さんにも声をかける。


「お疲れ様です」

そして、俺もマネージャーである颯矢そうやさんのとこへと行く。


柊真とうま。お疲れ様」
「早朝からだから、さすがに疲れたよ。でも、今日はこれでもうあがりだから良かった。明日は何時だっけ?」
「明日は11時集合だから、10時に迎えに行く」
「そっか。じゃあ、少しはゆっくり眠れるかな」
「夜更かしするなよ」
「はーい」
「それじゃあ、今日は病院でいいんだな?」
「うん。よろしく」

マネージャーの颯矢さんから明日の時間を聞いて、車へと行く。

今は午後5時だから、あがりとしても早い。この後は母さんの入院している病院にゆっくり見舞いに行く。

普段、仕事が終わるのが遅くて、なかなか見舞いに行かれないから、こういう日に行かないと。

母さんは今、骨髄性白血病で入院している。医師によるとあまり良くないらしい。

それでも母さんはいつも、しゃんとしている。へにゃっとした姿は見たことがない。

それは俺への気遣いもあるだろうし、母さん自身へのものでもあるのだろう。

その姿は看護師として長年働いた姿を彷彿とさせる。

母さんだって辛いことはあっただろうに、一度も弱音を吐いたことがない。多分、今もそうなのだろう。

男の俺なんかよりも、よっぽど強い人だと思う。

だけど、ほんとは母さんを支えられる男になりたいと思うけれど、まだまだダメみたいだ。いつか、そうなりたいけれど、間に合うだろうか。最近、医師に言われた言葉を思い出す。

「大変申し上げにくいのですが、そう長くはないと思われます。もって数ヶ月……」

医師の見立ては辛いものだった。でも、見立てより長く生きることだってある。俺はそれに期待している。

まだ母さんは50代だ。死ぬには早すぎる。それに、俺もまだ30歳にもならない。なのに母さんが死んだら、一人っ子で片親の俺は天涯孤独だ。そんなの辛すぎる。だから、まだまだ生きて欲しい。そう願っている。

もちろん、母さんの苦しむ姿は見たくない。それでも、少しでも長生きして欲しいと思うのは酷だろうか。

ともかく、今日は時間があるのだから、母さんとゆっくり話ができるかもしれない。そう思って車に乗り込んだ。


「お疲れ。これでも食べるといい」

車に乗り込むと颯矢さんが、あんドーナツをくれた。


「わぁ。ありがとう。甘いもの欲しかった」
「今朝は早かったから、疲れているだろうと思って買っておいた」

俺は甘党で、疲れると甘いものが食べたくなる。その中でもあんドーナツは、今、俺の中でブームが来ている。粒あん、こしあんどちらでもOKだ。

あんドーナツはパン屋さんでも売っているくらい、どこででも売っているような食べ物だけど、店によって全然違うのが面白い。

今日のあんは粒あん、こしあんどっちだろうか、とあんドーナツにかぶりつく。今日のはこしあんだった。


「ん〜。美味しい。やっぱりあんドーナツは正義だね。颯矢さん、ありがとう」
「どういたしまして。少しは疲れが取れるといいんだが」
「あんドーナツ食べて、母さんの顔見たら大丈夫」
「お母さんも食べられるかわからないみたいだけど、お母さんの分も買ってあるから、持っていくといい」
「ありがとう」

俺が甘党なのは絶対に母さん譲りで、元気なときはよく2人でケーキビュッフェに行ったりしていたほどだ。

ケーキビュッフェは若い女の子がメインだから、それよりも年上の母さんも浮くし、それよりも性別男な俺はもっと浮く。

それでも、美味しいスイーツは食べたい、とばかりに親子で行っていた。また母さんと行きたいのにな。なんで白血病なんて。

でも、白血病だって治る人はいるんだ。それなのに、なんで......。

俺は暗いトンネルの中に入りそうになっていた。それを留めたのは颯矢さんだった。しかし、嬉しい言葉でではないけれど。


「その雑誌見てみろ」

片手で俺に差し出したのは週刊誌だ。スッパ抜きなんかをよくやっている。でも、そんな週刊誌を颯矢さんが持っているというのは珍しい。そんな颯矢さんが持っているということは……。

週刊誌の表紙をよく見ると、『城崎柊真、|三方《みつかた》亜美と熱愛か! ドラマの合間にデートを重ねる』と書いてある。

俺と亜美さんが熱愛? どこからそんなの出てきたんだ?


「何、これ」
「そこに書いてある通り、お前と三方さんが熱愛中だ、という記事だ」
「どこからそんなの出てくるの」
「記事読んでみろ」

颯矢さんに促されてページをめくる。そこに書いてあるのは、ドラマで共演中の俺達が、撮影の合間に食事に行ったり、相手の部屋に行ったりとデートを重ねている。というものだった。


「俺、亜美さんと食事なんて行ったことないよ。もちろん部屋も。どこに住んでるのかさえ知らないよ」
「確かにな。その写真を見ると、先月、何人かで食事に行っただろう。そのときのものだ」

颯矢さんの言う通り、先月、監督さん、裏方さん、数人の共演者の方達と焼肉に行ったことがある。写真をよく見ると、確かに行った焼肉店に間違いない。あのときは颯矢さんも一緒だった。


「しかし、2人で一緒のところは撮れなかったらしくて、三方さんが先に入って少し経ってから俺と柊真が入ったときのものだ」
「なんでそんなので熱愛中になるんだよ」
「撮影現場ではよく一緒にいたりするからな。それでだろう」
「そんなので熱愛中なんて言われたら、俺、何人と熱愛してることになるんだよ」
「それを俺に言われてもな。ただ、週刊誌側が撮影現場もチェックしていることは間違いないから、そこを気をつけるしかない」
「でも、無視するのも変だし、話しちゃうよ? 相手役なんだし」
「そこなんだよな。話をする分には構わないと思うが、2人きりになるのは気をつけろ」
「わかった」

全然わかってないけど、そう返事するしかない。スッパ抜いた、というよりありもしないものをでっち上げた、という嫌な記事だ。

だけど、この世界、この手のでっち上げは結構ある話だ。亜美さん、話しやすくて楽しいんだけどな。


「今、このドラマは注目されているし、柊真も三方さんも注目されている2人だ。そんな2人が共演というから話題にはなるんだろう」
「でもさ、熱愛のねの字もないのに」
「仕方ないさ」
「ねぇ、この記事見てさ、颯矢さんどう思った?」
「どうって?」
「柊真は俺のだ、とかさ」
「柊真は俺がマネージメントしてるタレントだ」

そう言い切る颯矢さんに、小さくため息をつく。そうじゃないのにな。


「俺が熱愛したいのは、亜美さんじゃなくて颯矢さんだよ」
「ああ、そうだな」

俺の言葉に颯矢さんは、適当に受け流す。

そうなんだ。俺が好きで熱愛したいのは颯矢さんだ。もちろん、絶賛片想い中だけど。

俺は、たまにこうやって告白するけど、その度に流される。

ねぇ、颯矢さん。俺が好きなのは颯矢さんだけだよ?

週刊誌のありもしないでっち上げ記事に気分が悪くなるし、颯矢さんには軽く受け流されるしでテンションが下がる。

俺はマネージャーの颯矢さんが好きだ。大学生のときにスカウトされてこの世界に入り、右も左もわからない俺をマネージメントしてくれたのは颯矢さんだ。

銀縁眼鏡の奥はクールな奥二重で、一見すると冷たそうな印象を受けるけれど、実際はとても優しい人だ。

そして、マネージャーなんてやっているけど、俳優になったっておかしくないイケメンだ。

それを颯矢さんに言ったことがあるけど、俳優、いや芸能人はオーラが必要だと言われたことがある。自分には、そのオーラがないと言っていた。でも、俺が見ると、そのオーラとやらはよくわからないし、何より、俺にそんなものがあるとは思えない。

確かに、この世界に入る前、大学ではそこそこモテてたから、自分で言うのもなんだけど、そんなにブサメンではないとは思う。でも、一番イケメンなわけではない。

だけど、颯矢さんは違う。誰が見ても間違いなくイケメンだ。実際、颯矢さんを初めて見たとき母さんは、イケメンね〜とぽーっとしながら言ったくらいだ。

そんなイケメン颯矢さんが俺は好きだ。

本人には何度となく告白している。けれど、その度に軽くあしらわれている。俺が芸能界に入って初めて接したのが自分だから勘違いしているんだ、と。

確かに、芸能界に入って初めて接したのは颯矢さんで、仕事かもしれないが優しくしてくれたのも颯矢さんだ。だから、好きと勘違いしていると颯矢さんはそう言うけれど、この気持ちは確かに恋心で勘違いなんかじゃない。

でも、それを言っても颯矢さんは相手にしてくれない。フラれるのも辛いけど、こうやって相手にされないのも辛い。

けれど、そんなこと言っても颯矢さんの態度は変わらない。ここまで来ると、もうフラれてるようなものだけど、そう思いたくない自分がいる。

ありもしないでっち上げの熱愛報道と、ほんとは熱愛したい相手の冷たい態度とで俺は凹んでしまう。そんなときはスイーツだ。

いつもなら、体重気にして残すのに、今日は自分のぶんのあんドーナツは全部食べてやる。

でも、このあんドーナツ美味しいな。


「このあんドーナツ、どこで買ったの?」
「撮影現場の近くにあったパン屋だ」
「そっかぁ」
「美味しくなかったか?」
「逆。美味しかったから、また食べたいと思ったんだけど、今日の撮影現場って行かないもんね。チェーン店ならいいな、って思っただけ」
「そうか。事務所の近くにもお菓子の美味しい店はあるだろう」
「もう、結構、開拓したけどね。テレビ局の近くとかも開拓するかな。ケーキビュッフェとか、もう行かれないし」

俳優になって悲しいこととか特にないと思ってたけどひとつだけあって、それは以前みたいにケーキビュッフェに行かれないことだ。

まぁ、母さんが入院していれば、それだけで行かれないけれど。母さんとケーキビュッフェかぁ。楽しかったなぁ。

母さんが休みの日に、俺が学校が終わった後に待ち合わせて食べに行っていた。でも、俺が芸能界に入ってからは、最初の知名度のないときに行ったくらいで、それなりにドラマとかに出させて貰ってからは行かれなくなった。

でも、母さんが医者の見立て通りだとしたら、最後にもう一度行きたいけれど、母さんの体調を考えると一時帰宅も無理だろうな。最近は起きているのも疲れるみたいだから。

そんなことを考えていたら気持ちが滅入ってきた。ダメだダメだ。これから母さんのところにいくのに、元気なかったら心配かけてしまう。元気出さなきゃ。


「もうすぐ着くぞ」

母さんのことを考えているうちに、車は病院近くまで来ていたらしい。さあ、ほんとに元気出さなきゃ。


「明日は、朝10時だよね」
「ああ。10時には迎えに行く」
「了解。じゃあ、ありがと」
「お母さんによろしくな」
「うん。お疲れ様でした」
「お疲れ」

変装用に伊達眼鏡をかけて車を降りる。颯矢さんの運転する車は、あっという間に見えなくなった。

病院の西棟の7階の701号室が、母さんの入院している部屋だ。ここは2人部屋だ。大部屋だとさすがに俺がバレても困るし、かと言って個室は母さんが嫌がったので間を取って2人部屋にしたのだ。

母さんと同室の人は年配のおばあさんなので、俺が誰なのかバレる心配はないだろう。

病室のドアをノックして開けると、同室のおばあさんは寝ていて、母さんは起きて窓の外を見ていた。その背中が悲しく見えたのは気のせいだろうか。


「母さん」

小さな声で呼びかけると、こちらに気づく。


「あら。仕事終わったの?」
「うん。今日は朝早かった分早く終わったんだ」
「そう。朝早かったのなら早く休みたいだろうに、ごめんね」
「何言ってるんだよ。母さんの顔見たほうが元気が出る」
「何子供みたいなこと言ってるの。でも、来てくれてありがとうね」
「なかなか来れなくてごめんね」
「何言ってるの。大変なお仕事してるんだから、来れるときでいいのよ。それより柊真、顔を見せて」
「ん? 何?」

母さんに、言われて、母さんの顔をじっと見る。なんだろう?


「何かあった?」
「え?」
「何かあった顔してる。元気のないときの柊真の顔」

車の中で元気出したはずなのにな。母さんは聡いからバレてしまうのか。


「そんなことないよ。あ、颯矢さんからの差し入れあったんだ」

かばんの中から、颯矢さんに貰ったあんドーナツを出す。


「あんドーナツ。俺も食べたけど美味しかったよ」
「じゃあ戴こうかしら」

そう言うと母さんはあんドーナツを一口食べた。


「あら、ほんと。美味しいわね」
「だろ? でも、今日ロケで行ったところって、遠くて普段行くところじゃないんだよね。だから、またテレビ局の近くとか、もっと開拓してみるよ」
「もう、ケーキビュッフェなんかも自由に行かれないものね」
「うん。だからさ、普段行くところで美味しいスイーツのお店探さないとね」
「でも、食べ過ぎちゃダメよ。あんた太りやすいんだから。今は人に見られる仕事をしているわけだし」
「わかってる。気をつけるよ。美味しいの見つけたら、また買ってくるね」

もうケーキビュッフェに気軽に行かれない俺と母さんは、そうやってたまに美味しいスイーツを食べるしかない。


「それより、体調はどう?」
「ん? まあまあね。ずっと起きてると疲れるけど、それは仕方ないわね」
「うん。無理しちゃダメだよ」
「わかってるわよ」

そんな感じで、俺は母さんととりとめもなく話をした。

うちは母一人子一人だからか、元々母さんと仲がいい。だから、母さんが元気なときも時間があればスイーツでも食べながら話をしていた。

それは母さんが入院しても変わらない。

こうやって差し入れを持ってきて、母さんに食べて貰いながら、どうってことのない会話をする。俺にとっては、それが息抜きのひとつだ。

ただ、こうやって話していても母さんは辛いとか一切言わないし、自分のこの先も何も言わない。それは、何も考えてないからなのか、それとも俺に心配かけるからなのかわからないけれど、恐らく後者だろうと思う。

弱音を吐かないのは母さんらしいけれど、こうまで何も言わないと逆に不安になる。自分の死期とかわかってるんだろうか。

そう考えると、俺の方が元気がなくなる。


「柊真。何考えてるの。疲れているなら帰りなさい」
「ごめん。そんなんじゃないよ。明日の撮影のこと考えてただけ」

ちょっとでも俺の元気がないと気づく母さんの前では、考えすぎるのは気をつけないと。

そうしているうちに、夕食の時間になった。


「もうこんな時間だし、明日も撮影なんだから、もう帰りなさい」
「わかった。じゃあ、また来るね」
「あまり無理しちゃダメよ」
「母さんもね。じゃね、バイバイ」

病室を出て、小さく息を吐く。

病気の母さんに心配かけてどうするんだ。俺が母さんを励まさなきゃいけない立場なのに。

ダメだな、俺。

亜美さんとの熱愛、なんてありもしないことをでっち上げられて、颯矢さんへの告白は軽くあしらわれて。それで凹んでいることを母さんに見破られ、そんな母さんの死期について考えて。今日はツイてないな、と思う。

いや、颯矢さんに軽くあしらわれるのはいつものことか。母さんのことを考えると暗くなるのは、最近はいつもそうだし。亜美さんとのことが響いたかなぁ。

もし、撮影現場で仲良く話しているのがでっちあげの大元だとしたら、これから続く撮影がしんどくなる。そして撮影現場を知っているってことは誰かがリークしているんだろうし。そんなことを考えたら凹んで当然だ。

あー。せっかく美味しいあんドーナツ食べたし、母さんにも会ったのに。

いつもなら元気の出るセットなのに、今日はダメらしい。コンビニで弁当とスイーツ買って帰ろう。それでお風呂にでも浸かれば少しはすっきりするだろう。

明日もまた撮影だから少しでも元気回復しなければ。