「結構広いのね」
南をバンコクでの部屋に連れてくる。会社からほど近いところに会社側が用意してくれた部屋だ。確かに1人で住むには充分な広さだ。
「誰も連れてきてない?」
「来てないよ」
「会社の人も?」
「うん」
「女の人は?」
「来てない。というか連れてくるような人いないし」
バンコクへ来て半年。南と会ったのも半年ぶり。多分、不安になっているのだろう。
「南以外にいないよ」
「うん」
「不安にならなくて大丈夫だよ」
そう言って、その細い体を抱きしめる。
「はい、カットー!1時間休憩入ります」
カットの声がかかり、亜美さんを抱きしめていた腕を離す。そして、用意された控室へと行く。そこには電話で話している颯矢さんがいる。しかし、その表情は険しい。
「わかりました。後ほど。今日は7時には終わりますので」
颯矢さんが電話と言うと香織さんとかいう人を思い出してしまうけど、この表情を見ると違うのだろう。
電話を切った颯矢さんは、テーブルに雑誌をバサッと乱暴に投げる。こんなことするなんて、らしくないな。なにかあったんだろうか。
黙って颯矢さんを見ていると、眼鏡を外しテーブルに置き、片手で顔の半分を隠すように手をやる。ほんとに颯矢さんらしくない。
「柊真。それを見ろ」
と言ってテーブルの雑誌に視線を向ける。なんだろう。と思って、表紙を見て手が止まった。
『城崎柊真はゲイだった?! ミックスバーで楽しむ夜』
なんだ、これは……。
表紙のタイトルを見て手が止まってしまうけれど、颯矢さんが言っているのは、恐らく中の記事もだろう。震える手で雑誌を開く。
そこには、あの日俺にしつこくしていた男に腕を掴まれているところが写っていた。なんでこんなところを撮られてるんだ?
記事に目を通すと、俺はゲイでミックスバーで楽しんでいる、と書かれている。あの男に腕を掴まれているのは、絡まれていたからだけど、記事では体の関係があると書かれている。
体の関係? 冗談じゃない!
「こんなのデタラメだ! 付き纏われたときの写真なのに」
「柊真。真実がどうかなんて関係ない。ミックスバーの前で男に腕を握られている。これは、見ようによっては、そういう関係だと勘ぐられても仕方がない」
「そんな!」
「柊真だってこの世界に入ったばかりじゃない。少し前に三方さんとの熱愛報道があったようにでっちあげられることだってある。なにもなくともでっちあげられるんだ。写真があれば尚さらだろ」
颯矢さんの言う通りではある。でも、あまりにも悪意がある。悔しくて唇を強く噛む。冗談じゃない。まさか颯矢さんはこんなの信じてないよな?
「今日、撮影が終わったら事務所に行くぞ。社長がお呼びだ」
少し前に三方さんとの熱愛で事務所に呼ばれて、今度はミックスバー通いでの記事だ。この付き纏って来た男との関係はでっちあげにしても、ミックスバーに行ったのは事実だ。そこで男と写真に撮られたら呼ばれもするか。さすがに怒られるだろうな。
でも、と颯矢さんに目をやる。颯矢さんはこの記事を読んでどう思ったんだろう。信じた? それとも信じてない? 俺がゲイだなんて思ってないよね? 俺は颯矢さんしか好きじゃないのに。
そう考えると悔しくて涙が出てきた。ダメだ。今は撮影中なんだから泣いちゃダメだ。そう思うけれど涙は止まらない。
「で、どうなんだ?」
「どうって?」
「本当なのか? この男とは関係はないんだよな?」
「ないよ! しつこくされただけだ」
「ということは、ミックスバーに行ったって言うのは本当なんだな?」
「……それは、本当」
俺の返事を聞くと颯矢さんは大きなため息をついた。
「ミックスバーってゲイバーじゃないよ! 色んなセクシャリティーの人が来るところ。要は同性愛者も多い普通のバーってこと!」
「それはわかるが、そんな店の前で男と2人でいる写真を撮られたら、ゲイだと勘ぐられても仕方がないだろう。なんでそんな店に行ったんだ?」
なんで、ってそれを颯矢さんが訊く? 颯矢さんが結婚するかもって思って、お酒でも呑まなきゃやってられなかったからだ。それを聞いて颯矢さんはどう思うの? 失恋もさせてくれない颯矢さんは。
「……」
颯矢さんはまたひとつため息をついて言葉を続ける。
「言えないって言うことは、記事の内容を認めるのか?」
「そんなんじゃないよ! 颯矢さんが! 颯矢さんが結婚するかもしれないって思ったら呑まなきゃやってられなかっただけ。ミックスバーへ行ったのはそのとき2回目。興味本位だった」
「……」
俺がそう答えると、颯矢さんは形の良い眉をひそめた。
まさか自分が原因だとは思わなかった? ねぇ、これで俺の気持ちが本当だとわかった?
「とにかく、今日は撮影が終わったら事務所だ。俺も一緒に行くから。ちょっと電話してくる」
そう言って颯矢さんは控室を出ていった。俺の前でかけられないということは事務所じゃないんだろう。もしかして、香織さんとかいう人? そんなに仲いいの?
もう俺は涙を止めることができなかった。
車を運転している颯矢さんは少し苛ついてるみたいだ。その原因を作ったのは俺だからなにも言えない。
あの記事の信ぴょう性よりも、ゲイ疑惑が持たれるのは確かにイメージダウンになるから事務所としてはピリピリするのは当然だ。
あのときカメラには全然気が付かなかった。いつもはもっと周りに神経を張り巡らせているのに、あのときは颯矢さんの口から結婚を視野に入れて付き合っているという言葉を聞いたショックで、他に頭が回っていなかった。場所が場所だけにもっと気を使うべきだったのに。
泣いたってなにも解決しないし、どうしようもないのに涙は止まらなかった。嘘の記事を書かれた悔しさと怒りと悲しみと。色んな気持ちが綯い交ぜになっている。
「あまり泣くな」
それに俺はなんの返事もできなかった。それでも、明日の仕事のことを考えると自分でも泣き止まなければと思い、なんとか泣き止んだ。
スタジオから事務所までは車で1時間ほどで着いた。車を降り、社長室へ向かうのが怖くて逃げ出したくなる。
この間の亜美さんとの熱愛記事が出たときとは違う。今回は男に腕を掴まれているところを写真に撮られてしまっているのだから。
社長もこの間とは同じようにはいかないだろう。
エレベーターが6階に着き、戸倉さんに挨拶をして社長室に入る。そこには、予想通り険しい顔をした社長がいた。
「あぁ、来た。疲れているのに申し訳ないね。2人とも座って」
ソファに社長が座り、その正面に俺と颯矢さんは並んで座る。
「さぁ、なにから訊こうか。そうだね、単刀直入に訊くけど、あの記事は本当?」
「違います! 初めて会った人でしつこく付き纏われていただけです。あの写真は、俺が帰ろうとしたときに引き止めるのに腕を掴まれただけで、体の関係があるとか、そんなこと、絶対にありませんっ!」
「うん、そう言うだろうと思ったよ。よく見ればわかるけど、手を繋いでいるとかじゃなくて掴まれているっていう構図だからね。もしほんとに体の関係があるのなら、腕を掴むなんてことはないからね。ただね、場所が悪かったね」
やはり場所について言われた。だから俺は、さっき颯矢さんに言ったのと同じことを社長にも言った。
「あの、確かにそういう店が近くにあるのは知っています。でも、あの店はミックスバーであってゲイバーじゃありません。そういう人でも隠すことなくいられるバーって言うだけで、普通のバーと同じです」
「普通のバーと同じなら、なんで他のバーに行かなかったの?」
「それは……興味があったからです」
「興味があっても、ねぇ」
「それに関しては、もっと慎重になるべきだったと思いますけど……」
「けど、なに?」
「ちょっと、どうしてもお酒呑みたかったから」
「なんで?」
「えっと、あの……」
呑みたかった理由まで訊かれてつまる。理由を訊かれるとは思わなかった。颯矢さんに訊かれる分には颯矢さんのことだから言える。でも、社長相手に颯矢さんが理由だとは言えない。なんて言ったらいいんだろう。
「まぁ、理由はどうでもいい。ああいった場所にある、誤解を招くような店に行った。それは事実で、もっと慎重になるべきだ。三方さんのときのように完全なでっちあげじゃないから、言い訳ができないだろう。三方さんのときに言ったけど、城崎柊真、という俳優を売るにはイメージがある。爽やかな好青年っていうね。でも今回のような記事が載ったら、事実はどうであれイメージは崩れる。それはわかるね」
「はい」
「壱岐くんもそれに関しては注意していると思うけど。違う?」
「私の監督不行き届きです」
「まあね、そうなるんだよ。わかる? 柊真? 君の行動一つで君のイメージが崩れるのと同時に壱岐くんの責任にもなる」
「……申し訳ありませんでした」
俺1人が怒られるだけでなく、颯矢さんも怒られるんだ。そう思ったら、それしか言葉が出なかった。軽率に俺が取った行動で颯矢さんまで怒られるなんて思わなかった。
「うん。わかってはくれた?」
「はい」
「あの場所が楽しいのかどうか僕は知らないけど、でも、今後は行かないようにして欲しい。もちろん、呑みたいときだってあるけどね。そういうときは普通のバーとかにして欲しい」
「もう、行きません」
「壱岐くんもそれでお願いね」
「はい」
「ほら泣きやんで」
そう言われて初めて自分が泣いていることに気づいた。せっかく車の中で泣きやんだのに。
「明日も仕事だろう? 目が腫れて赤くなったらメイクじゃ隠せないよ」
確かにその通りで、泣き止みたい。なのに涙は止まらない。そんな俺の背中を颯矢さんが撫でてくれる。その手は、とても温かくて優しい。
そんなことで、余計に涙は出るし、もっと颯矢さんを好きになる。もう好きになっちゃいけないのに。
「壱岐くん、後はよろしくね」
「はい。失礼します」
部屋を出る颯矢さんの背中を追いかける。
「失礼しました」
「行くぞ」
その声からは苛立ちはなく、どことなく優しさを感じさせた。
事務所へ行った翌日。テレビ収録が終わり、ドラマの撮影に入る前に少しだけ母さんの病院へ行った。先日来たときはあまり体調良くなさそうだったけど、今日はどうだろうか。少しでも良いといいのだけど。
気持ちが落ちたときは母さんの顔を見たくなる。これは昔からだ。母さんは前向きでクヨクヨしない人だ。だから、特に話すとかじゃなくても顔を見ると、なんとなく元気が出るというか、そんな気がする。
病室のドアを開けると、母さんは横になっていた。寝ているのかな? と思って近くへ行くと目は開いて天井を見ていた。
俺が来たのに気づくと、顔だけ俺の方に向けた。元気だと、起き上がるけれど、今日はその力がないらしい。それが俺を不安にさせる。
「どうしたの? なにかあった?」
「え?」
「元気ないし、不安そうな顔してる」
母さんは俺の顔を見るだけで俺の気分がわかる。隠し事できないな、と思う。
元気がないのは、週刊誌にスクープされたから。不安なのは母さんが元気なさそうだから。前者は少しは言える。でも、後者は言えない。
「お仕事でなにかあったの?」
「ちょっとね。すっぱ抜かれた。嘘だけど。それで昨日、社長に怒られた」
「何かで誤解を受けるようなことをしたのね?」
「うん。事実は全然違うんだけど」
「それでも、誤解されるようなことをしたあんたが悪いでしょう」
「うん……」
「これから気をつけなさい」
「うん」
体調良くなさそうなのに、なに母さんに話してるんだよ。ほんと情けないな。子供の頃から成長していないな。
「体調、悪い?」
「あまり良くないわね。しんどくて起きていられなくて」
「そっか。そういうときはゆっくりするときなんだよ」
「そうね」
そういう母さんの表情は明るくない。こういうときなんて言ったらいいんだろう。いい言葉が浮かばない。死に結びつくような言葉はダメだ。母さんは看護師をしていたから余計に。
「それでも、起きるくらいはしたいわね。ずっと寝ていると床ずれするし」
「床ずれするほど寝たきり?」
「そこまではいかないと思うけど」
「体勢変える?手伝うよ」
「ううん。このままでいいわ。ただ、背を少しあげたいわね。柊真の顔がよく見えないから」
母さんの言葉に泣きそうになる。絶対に泣かないけど。でも、最近の俺は泣いてばかりだ。
「じゃあ少し起こそうか」
そう言ってベッドの背を少しあげた。
「ありがとうね。横になってたら、あんたの顔よく見れないのよ」
「俺の顔なんて見飽きてるだろ」
「そんなことないわよ。イケメンで自慢の息子なんだから。そう言えば、昨日、看護師さんがテレビであんたのこと見たって言ってたわよ」
「うん、最近、次のドラマの宣伝してるから」
「そう。ドラマ見たいわね」
「観てよ。テレビカードいっぱい置いておくから。あ、今日買ってこようか?」
「ううん。今日は大丈夫よ。ドラマ始まるときはお願いね」
「わかった」
ドラマが始まるまでもつのだろうか。それが俺を不安にさせた。
「今日は仕事終わったの?」
「ううん。これから撮影。あ!そろそろ行かなきゃだ。ゆっくりいられなくてごめんね」
「いいのよ。行ってらっしゃい。気をつけて行くのよ」
「うん。わかった。行ってくる」
「行ってらっしゃい」
もう少しいたいけど、撮影に遅れるわけにはいかない。母さんに行ってきます、と言って病室を出た。母さんに会うのは、これが最後になるとは思わずに。

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