EHEU ANELA

あなたが愛してくれたから

出会い

全ての講義を終えて帰ろうとしたところで声をかけられた。


「ねぇ加賀美くん待って」

振り返ると、優し気な爽やかイケメンがにこやかに立っていた。

確か、如月くんとかいったはずだ。如月樹くんだったかな。この講義でよく見かける。

女子にはイケメンで人気で、でもそれを鼻にかけないことから男子にも人気だったはずだ。

つまり、常に多くの人に囲まれているような人で、人見知りで友達の少ない僕とは住む世界が全然違う人だ。そんな人がなぜ僕なんかを呼び止めるんだ? なにかしたかな、僕。

そんなんだから、ついびくびくしてしまう。


「ちょっといい?」

そう言って、如月くんは、みんなが建物の出口へと向かっている中、反対に奥へと続く廊下へと行く。

ほんとに、なにかしただろうか? 身に覚えがないから怖い。怖くてびくびくしながら後をついていく。


「帰るところごめんね。すぐにすむから」
「あの……なんですか?」
「突然だけど、今付き合ってる人とかいる?」
「は?」

ほんとに突然だな、と思う。

そのことと如月くんとどう関係するんだろう。

僕に付き合ってる人なんているはずないのに、なぜそんなことを訊くんだろう。


「あのさ、もし付き合ってる人がいなかったら、付き合ってくれないかな?」
「え?!」

今、何を言われたんだ? 付き合ってくれって言われた気がするけど気のせいだろうか。

きっと気のせいだ。だって、そんなこと言われるはずない。


「突然何言ってんだって感じだけど、ずっと前から加賀美くんのこといいなって思ってて。えっと、恋愛の意味でさ。だから、もし付き合ってる人がいなかったら、と思って」

え?! 気のせいじゃなかったの? 僕を好きっていうこと? イケメンでみんなの人気者の如月くんが?

突然のことに、頭が回らない。

如月くんなら、僕みたいな出来損ないのベータなんかじゃなくて、綺麗で可愛いオメガの子がよりどりみどりだろうに。なのに、なんで僕?


「如月くんアルファでしょう? 僕、ベータです」
「それで?」

 

え? それでって……。


「第二性がどう関係あるの?」
「だってアルファなら、オメガの方がいいでしょう。如月くんなら、どんなオメガでも選び放題でしょう。なにもベータの僕なんかを選ばなくても」
「アルファならオメガの方がいいの? 誰が決めたの? それでも俺は加賀美くんがいい。ベータでも関係ない」

如月くんはそう言い切った。

そうは言っても性別は問題じゃないの? 父も母も性別重視、というか性別でしか見ていなかったし、ベータは出来損ないの性別なんだから、とずっと言われてきた。優秀な種を生み出すことはできない出来損ない。そのうえ僕はオメガにもなれなかった劣等生だ。

なのに、せっかくアルファに生まれた如月くんは、性別関係ない、って言えるの? なんで? 性別は大事じゃないの?


「恋人がいるならフラレても仕方ないけど、性別でならフラレたくないな」

そう言って如月くんはにこりと笑う。


「性別は重要じゃないの? 僕はオメガになれなかった出来損ないだよ?」
「ベータは出来損ないなんかじゃないよ。自分のことをそんな風に思わないで」

卑下しているのだろうか? 母に散々、出来損ないと言われてきた。だからそれが現実だと思うんだけど、違うというの? それとも、ホルモン剤を打ってもオメガになれなかったとは知らないから?


「あの……僕、ホルモン剤何回打ってもオメガになれなかったんだ。だから……」
「そんなことしたの? 俺はベータのままの加賀美くんがいい。第二の性別は関係ないよ。だから加賀美くんの性別がなんであれ関係ない。それとも、それはフる口実?」
「え? 口実? 違う、そんなんじゃなくて。性別は最重要なことかと……」

そう。最重要事項なはずだ。だから母は僕がまだ小さいうちからオメガになるべく努力していたんだ。


「そう? 加賀美くんがどうしてそんなに性別にこだわるのかわからないけど、恋人はいない?」
「いない、けど……」

恋人なんているはずがない。出来損ないのベータの僕に恋人なんているはずがないじゃないか。


「じゃあ、お試しでいいから付き合ってみてくれない? で、やっぱりこいつ嫌だ、と思ったらフッていいからさ」
「え……ちょっと待って。僕なんかと付き合ったら如月くんのために良くないから!」

そう。如月くんにとってマイナスでしかない。だからやめた方がいい。


「俺のために良くないってどういうこと? 俺は加賀美くんが好き。そして加賀美くんは今フリー。それで良くない? それとも俺のこと嫌い?」
「え? 嫌いなんてことないけど」

しゅんと落ち込んだような表情を見せるのはずるいと思う。何も言えなくなるじゃないか。


「よし! じゃあ決まり! これから優斗って呼ぶね。だから俺のことも樹って呼んで」

え? 断ったつもりなんだけど……。断れてなかったの? 性別を出したのに? 僕、ベータなのに、いいの? 後で後悔するんじゃないの?

これが、ベータの僕にアルファの恋人ができた瞬間だった。


恋人になった如月くん、もとい樹くんはとても優しかった。父はもとより、母にさえ愛して貰えなかったのに、樹は僕をとても大事にしてくれる。自分で言うのもおこがましいけれど、愛されていると思う。

一緒に帰ろうと待ち合わせの場所へ行くと、樹くんは既に来ていた。


「ごめん、待ったよね」
「俺は大丈夫だから、走ってこなくていいから。転んだら危ないだろ。それにほら汗かいてる」

そう言ってハンカチで汗を拭いてくれる。


「そんなに転んだりしないよ」
「でも、危ない」

僕が走ったりすると樹くんはいつも危険だから歩いて来い、という。走って、転ぶって小さな子供じゃないんだから大丈夫だと言っても聞く耳をもたない。

同じ危ないという理由で自転車も危険だから乗らないで、といわれる。最も自転車に乗ることはないからいいけれど、過保護なのだ。

だから一度それを言ってみたことがある。そうしたら、僕が怪我すると考えたら、たまらなく嫌なんだと言っていた。僕が怪我をするのなら代わりに自分が怪我した方がいいと言っていた。その後で、俺、親じゃなく恋人だけどな、と笑っていたけど、僕は親にそんなふうに言われたことはない。言ってくれたのは樹くんが初めてだ。


「そうやっていってくれるの、樹くんだけだよ。母にも言われたことない」

僕がそう言うと樹くんは悲しそうな表情で笑う。

僕が親のことを話すと、樹くんはいつもそういう顔をする。そして、その後で必ず言うんだ。


「愛してるよ」

と。

父親はもとより母の愛もよく知らずにいた僕にとって、大事にされるのは少しくすぐったい。それでも樹くんが僕なんかを大事にしてくれて愛してくれるのは本当に嬉しい。

そういえば、僕がよく、僕なんか、と言うと樹くんは少し怒る。自分を卑下するな、と。この世に不必要な人間なんていないのだ、と。

自分ではそんなつもりはないのだけど、小さい頃からだから口癖になっているようだ。

その度に樹くんは、


「誰だって愛される権利はあるし、愛されるべき存在なんだよ」

と教えてくれる。
そして、

「愛してるよ」

と言葉にしても愛をたくさんくれる。そんな樹くんに、僕はどんどん惹かれていっている。

大学の最寄り駅へと行く前に、僕と樹くんは大学の正門近くに出来た新しいカフェにいた。

ケーキが美味しいと女子たちに人気で、甘党の僕としては食べたい、と思っていたところ樹くんが誘ってくれた。

樹くんは僕が言い出せないでいても、大体気づいて誘ってくれる。今回もそうだ。

ケーキは種類が多く、どれにしようか迷ったけれど、スタンダードにモンブランをチョイスした。もうひとつ、チーズケーキと迷っていたら、それに気づいた樹くんが注文してくれて、一口くれるという。

樹くんは僕のちょっとしたことから、気持ちを察してくれるのがうまい。樹くんいわく、僕のことをいつも見ているからだよ、と笑うけれど、僕はそんなにわかりやすいタイプなんだろうか。全くわからない。

でも、こういうとき、とても助かるので、遠慮なくシェアをお願いできるのが嬉しい。

運ばれてきたモンブランとチーズケーキはとても美味しそうで、つい笑顔になってしまう。


「食べよう」
「うん」

モンブランはほのかな洋酒の味がし、甘いものが苦手な樹くんにも食べられそうだった。


「樹くん。これ、少し食べてみて。洋酒がほのかに香ってて食べれそう」
「そう? じゃ、一口ちょうだい。こっちのチーズケーキも美味しいよ。はい」

そう言って樹は、フォークを僕の口元に持ってくる。いわゆる、あ〜ん、というやつだ。たまにこうやってシェアするときに、こうやってしてくる。そして、食べるまで待ってる。


「自分で食べれるってば」
「いいから。ほら」

 

人に見られたら恥ずかしいと思うけれど、食べないと終わらないので、急いでパクっと食べる。


「モンブランも頂戴」

そうして口を開けて待っているので、樹の口にモンブランを入れる。


「あ、ほんとだ美味しい! ここのケーキ、甘いの苦手な俺でも食べられるね」
「そうだよね。そしたら……」
「うん。また来ような」
「うん!」

 

また来たい、なんて言わなくても樹くんにはわかっていて、こちらが言う前に樹くんが提案してくれる。

デートのときは、僕が行きたいな、と思っていたところをリサーチされていて、黙っていてもそこへ連れて行ってくれる。僕が行きたいと思うところばかりだ。

一度、樹くんが行きたいところへ行こう、と言ったら、「優斗の行きたいところが俺の行きたいところだから気にしないで」と言われた。結局は僕ファーストだ。

樹くんは僕に甘い。愛されているな、と常日頃から感じる。一言で言えば溺愛だ。付き合い始めることになったときは、こうなるとは思っていなかった。少し付き合えば別れると思っていたのだ。だって僕はβなんだから。


「愛してるよ」

  

樹くんはそうやっていつもさらりと言う。恥ずかしげもなく。言っている本人は恥ずかしくないらしく、逆に言われているこちらの方が恥ずかしくなる。

でも、そうやって愛してくれている樹くんだけど、僕は性別のことが頭から離れたことがない。

アルファが選ぶのは同じアルファかオメガだ。アルファは、優れた種を残すために同じアルファの女性を選ぶし、直接的に子孫繁栄を願うなら、出産率の高いオメガを選ぶ。どちらにしてもベータを選んだなんて聞いたことがない。

ただし、オメガの多い家系に生まれたベータはホルモン剤投与やその他方法によってオメガに転生する場合がある。だからそういったベータはまだ好まれるかもしれない。

僕は、オメガの多い家系のベータだ。だから母は僕に散々ホルモン剤を投与した。そのために通った病院はどれくらいだったのか、もう覚えてもいない。

ただ一つわかっているのは、どれだけホルモン剤を打ってもオメガにはなれなかった。それだけだ。

だから、怖いんだ。いつか、アルファがいい、オメガがいいと言われないかと。

僕は男だから樹くんの種を残すことはできない。樹くんの種を残すのならオメガじゃないといけない。でも、僕はオメガになれなかったベータだ。

今は僕を愛してくれている樹くんだけど、いつか自分の子供を欲しいと思ったときに僕がオメガなら良かったのにって思う日がくるかもしれない。いや、来るだろう。それが怖いのだ。

そのとき樹くんは母と同じように僕のことを出来損ないのベータ、と呼ぶのだろうか。

だって樹くんは総合商社、Kコーポレーションの御曹司だ。いつか、子供を、と言ってもおかしくない。だから僕はいつでも身を引けるように、あまり樹くんを好きにならないようにしている。なかなかうまくいっていないけど。

一度、樹くんに訊かれたことがある。なぜそんなに自分を卑下するのか、と。そのときに父と母のことを話した。加賀美は、他家の優秀なアルファやオメガと婚姻を結ぶことで権力をものにしてきたこと。そして、生まれた僕がオメガでなくベータで父が見向きもしなかったこと、後天性オメガになるように、何度となくホルモン剤を投与されてきたことを話した。加賀美ではベータは出来損ないの性だと言われていることを。

それを聞いた樹くんは、険しい顔をして聞いていた。


「そうやって言われて育ったのなら、そう思ってしまっても仕方ないと思うけど、ベータは出来損ないなんかじゃないよ。世の中にはベータが一番多いんだよ。アルファやオメガの方が少ないし」
「でも、だから。一番多いから。希少性の高いアルファやオメガの方が生まれながらに優秀なんだ」
「っていうか、出来損ないの性別なんていないんだ。だから、これからはβだからなんて卑下しないで。優斗は俺にとって唯一無二の存在だよ。性別なんて関係ないんだ」

そう言って僕の頭を撫で微笑んでくれる樹を好きに生ってしまうのは仕方がないと思う。人生で初めて僕を愛してくれて、性別で僕を見ないでくれるんだ。

でも、いつの日か樹くんが子供が欲しいと言って僕以外のアルファの女性やオメガの元へ行ってしまってもいいようにしておかないと自分が苦しいから。

だから、できるだけ樹くんを好きにならないように気をつける。そして出来損ないのベータだと忘れないように、自分に言い聞かせるのだ。

これは一時の夢なんだ。シンデレラが魔法で王子様とダンスを踊れたのと同じ。神様が、ほんの一時幸せな夢を見させてくれているんだ。だから、これで満足しなきゃいけない。例え一時であれ、いい夢を見れているのだから。


「今、幸せ?」

樹くんはたまに僕にそうやって訊いてくる。だから答えるんだ。


「幸せだよ」

って。

だって、幸せなのは本当だから。そして、僕がそう言うと、樹くんも幸せそうに笑うんだ。

そして、

「もっと幸せにするから。俺が優斗を幸せにするから。今までの分、埋められるように」
「もう十分だよ。十分幸せにして貰ってる」
「だめ。今まで悲しかった分、全部幸せで塗り替えるんだ」

そう言って抱きしめてくれる樹くんの腕は温かい。ずっとその腕の中にいたいくらいに温かい。

僕がオメガだったら、この腕の中にずっといられたのに。でも、そんなことできないから。だから、樹くんの寝顔にたまに呟くんだ。


「ベータでごめん」

って。

「いつか、その日がきたら身を引くからね。だから樹くんは自由でいて。僕に縛られないで」

そう。いつか、子供が欲しいと思ったとき、僕の存在が足枷にならないように、いつでも身を引けるようにしておくんだ。

僕は大丈夫だから。少し寂しい思いをするかもしれないけれど、樹くんがくれた優しい時間を思い出せば生きていける。いや、生きていかなきゃいけないんだ。

シンデレラみたいに王子様は迎えに来てくれないけれど。でも、王子様と踊った幸せな時間は味わえたんだ。それだけだって僕のような出来損ないのベータにはもったいないくらいの幸せだから。

もし、僕がオメガになっていたら、シンデレラのように王子様は来てくれるんだよね? 樹くんがいてくれるんだよね。なのに僕はオメガじゃない。

母に色んな病院に連れて行かれていたとき、オメガになれていれば良かったのに。そうしたら、ずっと樹くんと一緒にいられたのに。

ホルモン剤を打ちに病院に連れていかれてたのは、幼稚園くらいから高校二年生くらいまでだった。

そのときは、なんでオメガにならなければいけないんだ、って思ってた。

加賀美の家ではオメガが一番優秀だ。他家へ多く嫁いでいる。次に優秀なのがアルファ。他家のオメガを娶り、優秀な種を残す。最後のベータはなんの役にも立たない落ちこぼれだ。生まれながらに出来損ないのレッテルを貼られるのだ。それでも僕はヒートがないだけいいと思っていた。

しかし、加賀美の家長である父はとにかくオメガを産め、と母に言っていたという。だからオメガの子を産みたかっただろう。なのに生まれてきたのはベータの僕だった。

だから母は必死だったんだ。そして病院に連れて行かれる僕はそこまでオメガに執着していなかった。もし、今なら必死にオメガになろうとしたのに。でも、僕を病院へ連れて行った母はもういない。だからもう性別から開放されていいのにまた性別のことを考えているなんて。