「真夏、大丈夫か? まだ顔色悪いぞ」
博物館を出て、近くのカフェに入って落ち着くと、兼親が心配そうに声をかけてくる。そんなに自分はひどい顔色をしているのだろうか。
「もう大丈夫。ありがとう」
そう言って微笑むけれど、兼親は眉間に皺を寄せたままだ。
「あの刀。何か思い出したのか?」
「思い出したっていうか……」
あれはなんと説明すればいいんだろうか。思い出した、でいいんだろうか。
「酒呑童子で何かを感じたのか?」
酒呑童子で……。いや、それは違う。刀でだ。それも”童子切安綱”ではなく、刀というものにだ。
「酒呑童子じゃない。なんならあの”童子切安綱”でもないよ。ただ、刀に何か感じたというか思い出したというか……」
「やっぱり酒呑童子じゃないんだな。でも、刀ってなんだ? 平安貴族が刀なんて持ったのか?」
「うん。違うよね」
「そうだな。貴族が持つものなんて扇くらいだもんな」
兼親は、平安貴族の真夏の夢を見ているから、こんな話しをしても変な顔をしたりしない。だから話しやすい。
「本当に鬼狩りなんてあったんだ。でも、平安時代でって言ったら源頼光が四天王を率いて酒呑童子の首を斬りにいった時か? それとも別にあったのかな?」
「わからないけど、酒呑童子っていう名前にピンと来ないんだよ」
「そうみたいだな。そうしたら伝説が残ってるのとはまた別にっていうことか」
「多分……」
大江山でもそうだったけれど、ここでも酒呑童子という名前ではピンとこない。鬼の頭領だったというのに。それとも自分が感じている鬼は、酒呑童子の下にいる鬼だったのか。
いや、酒呑童子本人ではなく、その下にいた鬼だとしたって、酒呑童子に絡んでいれば何か感じるだろうに、それは一切ないのだ。
「酒呑童子って本当にいたのかな?」
「いなかったとしたらあの刀はおもちゃだな」
「そうだよな。だとしたら、俺が夢で会っている人は鬼じゃないのかな」
「どうなんだろうな。真夏が鬼に反応するのは確かだけど、その夢の人が鬼かどうかはわからないよな」
「うん。でも、なんとなく人ならぬ者って感じがするんだよな」
「うーん。夢で会話が出来るのなら、本人に訊いてみるのが一番だと思うけどな」
(夢で訊く……。それは考えなかった)
「でもさ、その銀髪の人が鬼じゃないとしても、なんであの刀に反応したんだろう?」
「鬼狩りだから?」
そう言葉にして真夏は軽いショックを受けていた。
「俺さ、山を登ってた時、何か諦めたような顔してたんだよ」
「ということは、やっぱり鬼狩りで、そこに銀髪の人がいると思ってた、と考えるのが自然だな」
「やっぱりそうか……」
「でも、本当のことは本人に訊かないとわからないけどな」
「そうだね。今度夢見たら訊いてみる。訊ければだけど」
でも、と真夏は思う。あの人が人間じゃないとして。鬼だとして、何かが変わるだろうかと考える。鬼だと言われても会いたいと思う気持ちは変わらない。ただ、あの人が鬼じゃないとしたら、さっき感じたあの自分の、何かを諦めたかのような顔はしないだろう。どちらにしても、訊いてみないとわからないな、と真夏は思った。
風が竹の葉を揺らしていた。ざわざわと淡い緑の波が夜風に揺らされている。月は高く、けれど霞んでいて照らす対象のものの輪郭を曖昧にしていた。
そこはどこか懐かしく、それでいて現実とは少しずれた場所。夢の中だと真夏はすぐに気づいた。
竹林の奥で音がした。
細く、澄んだ音色。遠くで鳥が啼くような、けれどどこか人の心に触れてくるような優しい笛の音。真夏はその音に引き寄せられるように、音のする方へと足を進めた。
雨でも降った後なのだろうか。竹が濡れている。手を添える度に、ひやりと冷たさが伝わってくる。夢の中のはずなのに、空気も音も鮮やかだった。
やがて笛の主が見えた。月の光に照らされたその姿は、真夏の記憶に深く刻まれていた。いつものように白い着物を着て、上に淡い紫の衣をしどけなく羽織り、銀色の髪はいつものようにたらされたままだ。そして、前頭部から伸びる2本の角を持つ男。かの人――半鬼の男が竹笛を吹いていた。
その竹笛はかつて真夏が作ったものだ。まだ元服をする前の、幼かった真夏が。
「その笛……」
真夏が呟くと、銀髪の人の手が静かに笛を下ろした。
「この笛を吹くと、お前のことを思い出す。笛の音と夜の匂いと、お前の声と」
彼の目が月明かりの中、真夏を捕らえる。深い赤。けれどそれは怒りでも憎しみでもない。静かな情がそこに見えた。
真夏はそのまま一歩彼に近づいた。
「あたなは、鬼……なの?」
彼の角と赤い目を見たのは初めてだった。そして抱いていた疑問。
彼はしばらく黙っていた。笛を両手で包み込むように持ちながら、月を仰ぐ。
「鬼だ」
低く、けれど穏やかな声だった。
「人にとって私は鬼でしかなかった。例え半分であれ、血を引いているだけで、もうそう呼ばれる存在だった。確かに人間と違い、術を使える」
「でも、私は……」
言いかけて真夏は言葉を呑んだ。
「お前は私を人間のように見てくれた。だから忘れられない。例え、どんなに時を経ても」
笛が月の光に反射した。その音を聞くために真夏はここに呼ばれた気がした。眠りの中で、千年の時を超えて。
「じゃあ俺は鬼を好きになった人間ということになるのかな」
そう言うと銀髪の人は目を細めて笑った。悲しげに、けれどどこか嬉しそうに。
「お前が誰かなんてどうでもいい。人でも、鬼でも。ただ、お前がお前でいてくれればいい」
その言葉に胸が強く締め付けられる。夢の中だというのに真夏は目の奥が熱くなるのを感じた。
風がまた吹いた。笛が少しだけ、彼の手の中で小さく鳴いた。短く、細く、まるで啼くように。
真夏はその音を、心に刻むように静かに聞いていた。
そこで空が白くなってきた。目覚める時だ。
それに気づいた彼はどこか寂しく真夏を見ていた。
「……」
真夏はゆっくりと目を覚ました。そして夢を思い返す。
名も思い出せていない銀髪のあの人の前頭部からは2本の角が生えていた。それを見たのは今日が初めてだった。
でも、鬼と言っても半分だけ。それでも、人でないことは確かだ。だけど自分は怖いとは思わなかった。それよりも、自分は鬼だということが彼自身を傷つけている気がした。
だけど、まだ信じられない自分がいた。角のある姿を見てもなお、この世に鬼が存在することが信じられなかったのだ。
「鬼は、存在した?」

※コメントは最大500文字、50回まで送信できます